2004年3月29日

はじめての「建築あそび」

新幹線を使えば、東京から福島なんて1時間半くらいで着いてしまう。建築家の佐藤さんのご自宅は福島駅から車で10分くらいの住宅地にある。すごく近い。

なのに、なんだか遠い温泉地にでも保養に来たような気分になってしまうのである。田中さんが「あの五十嵐太郎さんをして、一度参加すると癖になると言わしめた」と言っていたが、あの居心地の良さというか、細かいことにあくせくしている自分がばかに見えるような気分になる一方で、こりゃこうしちゃいられんぞ、という刺激も受けてしまうような。ひとえに佐藤さんの「徳」だな。佐藤さんに賞を贈ったエディフはさすがだ。

というわけで、床暖房の効いた、やたらと天井の高い大きな窓の部屋に十数人、座卓を囲んで地酒をあおりつつ、まず藤村龍至さん、ベラ・ジュンさんのプレゼンテーションを拝見した。

藤村さんはツカモト研がペット建築のリサーチをしたときのメンバーだったそうだ。イギリスやオランダやニューヨークにも?つけたペット建築を紹介された。ああいう、隙間に建つ個人的な規模の建物は、周囲の状況を極端に反映しているので、それぞれ、その都市の事情が浮き立って見えて面白い。

なんか、街の野草の話みたいだな、と思った。都市部に限らないが、表層土壌にはたいてい、植物の種子が混入している。中には、発芽条件が揃うまで何年間も休眠し続ける種類がある。街で、建物が壊されたり舗装がはがされたりしたときに急に草むらができるのは、どこかからタネが飛んでくる以前に、土そのものがすでに植物の種子をたくさん含んでいるからなのだ。こういうのをシードバンクと呼ぶ。街は実は「草むらが生える」というポテンシャルに満ちていて、隙間ができるとそこに「生える」が噴出してくるわけである。

それで、ペット建築を見ていると、街には「建てる」という気持ちが潜在性として満ちていて、何かの拍子に環境条件がそれを「ゆるす」と、いきなりその「建てる」が生えてくるんじゃないか、という感じがする。ペット建築のフィールドワークは造園で言うと「植生調査」みたいなもので、一種のエコロジカルなアプローチのように見えたのである。

それから、量販店などの商業施設の売り場空間で、「見出し」と「コンテンツ」が高さ1.5mくらいを境に、ドレッシングが分離するみたいに上下構造になっている、という発見についての話があった。ヒトの体の構造と建物とが折り合った「接点」である。というか、「夥しい種類と数をいっぺんに並べて消費してもらう」という商業の論理が、ヒトの身体を標的にして空間を最適にチューニングしたらそういう「層」が形成されたのだ。

商業建築も、建築空間そのものを必ずしもデザインの対象にせず、「売る」が空間に「物体化する」という意味で、「無意識の建築」のようなところがあり、リサーチはどこかエコロジカルである(←僕が自分の理解のために、例えているだけだが)。

そして、そういう「含有する情報の質が異なる分離層」を、たとえば「気配」や「ざわめき」と、「クラスの仕切り」に翻訳して、小学校に応用する試みとか、「外部の風景」と「私的な生活」との分離層を、住宅の窓の高さの設定に自覚的に適用するデザインの紹介があった(学生のためのアパートなんか、ストイックでいい感じの建物だ)。さらに、それをワークスペースに応用した、0Studioの松川さんたちと共有するオフィス、Syncの「鉄の内装」。

それから、ある大学の先生のご自宅を「いつでも荷物を畳んで逃亡することができるような家」に改修するために、収納スペースを小さいピクセルに分解して壁を埋めるという建設中のプロジェクト。藤村さんやベラ・ジュンさんの落ち着いた話しぶりと相まって、なかなか心にしみるプレゼンテーションであった。

そんな話のあとに、しかも仙台から八重樫直人さんらがどやどやと到着されたあとに、僕の話の順番が回ってきた。まあ、開き直って覚悟を決めるしかなく、「甘酒の酔い」にまかせ、造花や都営スタイルやGPSの話をした。

収穫は二つ。ひとつは、話しながら自分自身について「発見」をいくつかしたこと。今後にも使えそうな。
もうひとつは田中さんがPhotoWalkerのGPS対応版を開発する、と言ってくれたこと。これはヒットだ。とプレッシャーをかける。
しかし、最大の収穫はやっぱり、興味深い人たちと交流することだった。僕は佐藤さんと出会ってからまだ1年も経っていないのに、すでに多くの面白い人たちと、佐藤さんを介して知り合う機会にめぐまれた。佐藤さんには今後ともお元気で活躍して頂かないと困る。

佐藤さんいわく「サポーター」のKさん、佐藤さんの奥様、お嬢様(研修医でいらっしゃる。いまは小児科だとかで、コドモの医療の話で盛り上がってしまった)には大変お世話になりました。ごはんもおいしかったし。佐藤さんがご自宅をプチ公共圏にしてしまう、それを支えて実現されているのは佐藤さんのご家族や友人の方々である。

「仙台組」の皆さんとはあまりお話しする時間が無くて残念だった。でも別れ際、八重樫さんが「佐藤さんつながりだったらまた会う機会ありますよね」とおっしゃっていた、あれがじつに「建築あそび」のスピリットをよくあらわしている。

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