国土地理院・地図と測量の科学館、企画展第8回:地図屋さんの作品展
入館無料。行きたいなあ。あーどーして筑波なんだ国土地理院。
清水さんもコメントされていた、「グリッドの拘束力」について考えてみたり、しているのである。
繰り返しになるが、公開講座を拝聴しつつ思ったのは、グリッドという、理念というか、抽象的な「ルール」がその土地に存続した、というよりは、やはり道路の造成平面という空間の形態が、機能を要請したと見るほうがいいんじゃないか、ということだった。
でも、それは、グリッドを具現しているレベル差が存続するメカニズムを説明できても、グリッドが越境して隣地を埋めたりするほどの慣性を持っていることや、そもそもなぜ「グリッド」が首都のカタチとして選ばれたのか、ということについての説明にはならない。
グリッドに「拘束力」があるとしたら(あるように感じるが)、それは、ピラミッドパワーみたいなものがグリッド自体に内在するわけではなく、グリッドと人との間に成立する「関係」が持つ力のようなものである(でも、それも、グリッドに人間が思わず「反応」するわけだから、「神秘のグリッドパワー」と呼んでもあながち間違いではないかもしれないけど)。
ここで思い出すのは、本江さんが以前に書かれていた記事。
Motoe Lab, MYU: 三角のほうが四角よりむずかしい
「四角」の連鎖である「グリッド」は意外と、人間の身体性に由来するのかもしれない。グリッドを目にすると、僕らはつい、そこに普遍的な秩序や規則を見取ってしまい、それがあたかも人間のスケールと無関係な、高次の「理念」をその土地にアプライしようとしたかのような気がしてしまい、「荒野に描かれた幾何学図形」だと見なすけれど、実はグリッドはけっこう「気持ちの良い」、身体と親和性の高いカタチなのかもしれない。
現実の土地の上では、グリッドはしばしば、地形に邪魔されて破綻する。比較的平坦に見える土地でも、実際はでこぼこしているし、日本のように山がちな地形だと、余計に「格子柄で行ける土地」の広がりには限りがある。だいたい、平地は「平面」ではない。地球は丸いから、グリッドで地球を覆うことはできない。緯度経度は、多くの人が住んでいる中緯度帯ではなんとかグリッドに見えるが、ちょっと南北極に近づけば、経度線はやたらと近くなるし、緯度線は明らかに曲線になってしまう。地上のグリッドは、きわめて限定的な範囲に擬似的にしか成立しない、ローカルな図形である。
で、その「グリッドを描きうる範囲」というのが、その土地での人の認知の射程距離にだいたい一致していて、それが「グリッド都市」の規模(というか物理的な大きさ)を決めていたりして。
と、藤村さんのジャーナル:
round about journal
まあ、たしかに、こういう思いつきかたがローカルな心情なのかもしれないけどな。僕は度し難くドメスティックだし。