2009年1月 5日

横浜中華街の街区が周囲から振れていることで輪郭をなしている件

去年、暮れも押し迫った12月27日(日曜日)。レーニン中谷氏らと、横浜の関内元町中華街付近を散探索した。

中谷さんも僕もそれぞれ、学生に声をかけてみたのだが、さすがに時期が災いしてか、早稲田からも関東学院からも、参加者はゼロで、開港記念広場に集合したのは中谷夫妻と石川親子(僕と、長男6歳)のみというエッセンシャルなメンツなのだった。しかし、お陰でじつに効率の良い街歩きだった。話は通じるしポイント押さえるのに迷いがないし開港資料館での資料収集も速くて無駄がないし。

それにしてもしかし、都市に向かう視点として、「先行形態論的」「環境ノイズエレメント的」「東京の自然史的」は文字通り「三種の神器」だなという思いをあらたにした。それらの「実践編」として、元町・中華街周辺はじつに、とても良い教材だった。やっぱり来ればよかったのに。お前ら。

2008年1月18日

手を横に。アラ危ない。頭を下げれば大丈夫。

忘れないうちにメモ。

1月8日(火曜日)。
ナカツ不良講師先生に命じられて、関東学院で建築学科の1年全員を前に講義。持っていったラップトップと講義室のプロジェクターとの接続がうまく行かず、30分くらい四苦八苦してしまった。でもその間、学生たちはちゃんといい子で待っていてくれた。そのかわり、講義後に提出してもらった短文レポートに「すいません寝てました」と書いた奴がいた。。。少なくとも反省している点は許す。

1月12日(土曜日)。
上智大学で、上智の比較文化研究所主催の、「巨大都市東京を描き直す」と題したプチ国際会議に出席し、あろうことか英語でプレゼンテーション(10分間)。
・陣内先生がおられた。最初に陣内先生がスピーチをされると、それだけでその場が急に「オフィシャルな東京の研究会議」という感じがするようになる。ということがわかった。
・森川さんの秋葉原のプレゼンを初めて直接見た。すげーかった。
・これは実は、中谷レーニン先生の差し金なのであった。
・しかし、会場には田島さん太田さん佐々木葉さんもいらっしゃって、東京キャナルかと思った。

1月17日(木曜日)。
「デザスタ2」の最終講評会に、ゲストクリティークとして、ゼロスタジオの松川さんをお呼びした。講評会を始める前に、松川さんに、最近の仕事などを中心に、プレゼンテーションしてもらった。

・・・すごいものを見た。

コンピュータを介する、というと、僕なんかつい、単に物事をデジタルに置き換えるみたいなことを想像しがちなのだが、それは僕のパソコン1.0な思い込みであって、アルゴリズム的なアプローチというのは、いささか気障な言いかたをするなら、世界の複雑さや多様さを多様なままに受け取ろうとする誠実な態度なのだ、と思った。話を聞きながら、ずーっと、「豊饒なツリー」の最小ピクセルのモノの可能性を「いくつか」しかないと逆説的に論じたアレを思い浮かべていた。とても似ている。というか、きっと同じことを違う表現で述べているんだと思う。エッセンシャルに記述された、エレガントなアルゴリズムはセヴェラルネスにほかならない。

演習のありかたに対しても有用なアドバイスをもらったし、非常に楽しい、エキサイティングな講評会であった。松川さんありがとう。

追記:
松川さんのプレゼンテーションにあった、松川さん設計の美容院に関する記事。

・東北大の本江先生による見学記:
http://www.motoelab.com/blog/20051230161304.html

・佐藤師匠によるインタビュー記事:
http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/iru/sho/01/01.htm
松川さんのプレゼンを見たデザスタ2履修生は読むべし。それにしても佐藤師匠のインタビュー術は天才的だ。

2007年9月13日

Go on Asphalt

以下、イベントのお知らせです。

歴史工学家・中谷礼仁氏、ランドスケープデザイン・石川初氏、建築史・清水重敦氏、同・御船達雄氏、写真家・大高隆氏を中心に、各分野の研究者が集まった「瀝青会」は、1年前より今和次郎『日本の民家』の調査地再訪を目的として活動を続けています。 これまでの研究成果と調査経緯は『10+1』No.43─48(連載中)「『日本の民家』再訪」、10+1 web site「BLOG・再訪『日本の民家』」http://tenplusone.inax.co.jp/project/kon/でお読みいただけます。

調査の旅は現在も続いていますが、再訪予定地のおよそ1/2を巡ったいま、ゲストを招いてのトーク+写真家・大高隆氏による写真(未発表含む)公開イヴェントを行ないます。

ご興味のある皆さまは、下記要領にてお申し込みのうえ是非お越しください。



■テーマ:今和次郎『日本の民家』再訪/民俗誌と写真
■開催日:2007年9月18日(火)19:00〜(21:00予定)
■場 所:東京・京橋INAX:GINZA 7階クリエイティブスペース(地図をご参照ください)
※ 近くに駐車場がございませんので、公共機関をご利用ください。
■出演者[敬称略]:
 - 田中純(表象文化論、東京大学准教授、『都市の詩学』近刊)
 - 菊地暁(民俗学、京都大学准教授、主著『柳田国男と民俗学の近代 >
 - 中谷礼仁(歴史工学家、瀝青会メンバー、早稲田大学准教授)
 - 大高隆(写真家、瀝青会メンバー)

■お申し込み方法
お名前、ご所属、ご連絡先をお書き添えのうえ、「info@tenplusone.inax.co.jp」までメールにてお申し込みください。



プログラム(予定)

□1部
基調講演:中谷礼仁「瀝青会の射程、日本の民家、日本人の住まい」
特別講演:田中純「写真という方法、宮本常一」
特別講演:菊地暁「民俗写真の系譜学、写真を読む力」
□2部
中谷×田中×菊地×大高:ディスカッション+写真公開「写真、民俗学、フィールド・ワーク」

[これまでに再訪した調査地]
神奈川県旧内郷村/埼玉県旧大間木村/東京都・甲州街道/徳島県旧日和佐町/徳島県石井町/徳島県旧三縄村/徳島県旧西祖谷山村/愛媛県松山市/高知県南国市/高知県上川口/奈良県生駒山/和歌山県紀ノ川/東京都伊豆大島など



じつに残念なことに、僕は先約があって行けません。
誰かぜひ行ってくれ。レポート求む。

2006年8月18日

アンフィシアター・アパートメンツ

「公開講座(フォーラム)・都市の血、都市の肉〜千年持続学第5回フォーラム」を拝聴してから、ほぼ1年半。
身辺メモ: 都市の腸詰め(血と肉)

ルッカの円形劇場遺構中庭付き住宅地のペーパークラフト販売してくれないでしょうか。アセテートで。

アセテートから、「都市の血肉」がシリーズで出版される。しかも、

アセテート編集者日記

ただいま編集中の『ルッカ 一八三八年』の付録、円形闘技場遺構のペーパークラフトが本日届きました。

うおおおお。これは買うぞ。

編集出版組織体アセテート‖シリーズ・都市の血肉‖彰化・一九〇六年 青井哲人

ここ、これは買うぞ。

アセテートの「都市の血肉シリーズ」の紹介ページには、Google Mapその他の参考リンクが掲載されていて、これも非常に面白い。うーむ。中谷さんが「読みたい本が出ないなら、出版社を作ってしまえと」思ったという意味が少しわかったような。

人間のために都市があるのではない。都市のために人がいるのだ。

これが何のことやらわからないラ系の諸姉諸兄は、10+1 No. 37「特集:先行デザイン宣言」を購入して読むように。上記は、記事の終盤でいささか逆説的に述べられている「機能は形態に従う」というテーゼと同じ意味のことだ(あるいは、都市のなかで「巨樹」になっちゃったケヤキやサクラが、それ自体を保存する「運動」を誘発する強さを持ち始めたり、ケヤキの枝振りや樹高を参照することが建築の設計の「正しい作法」になったりすることを思い起こしてもよい)。件の日本橋問題にも、有用な補助線を引いてくれる視点だと思う。

2006年1月 4日

年末年始の「いくつか」の本。

年末年始本。

  • M. G. Turner, R. H. Gardner, R. V. O'Neill著、中越信和・原慶太郎訳「景観生態学」文一総合出版、2004

  • 調べたいことがあって再読。

  • 野中健一編「野生のナヴィゲーション 民族誌から空間認知の科学へ」古今書院、2004

  • カラハリのブッシュマン、極北の雪原のイヌイト、マレーシア熱帯雨林のオランアスリ、ミクロネシア・カロリン諸島の海の民、といった狩猟採集民族が、どのように空間を認知して広大な土地を正確にナビゲーションしながら移動しているか、という報告。たとえば、ジャングルのオランアスリが身につけている、河川の流域の認知地図は、個人の出生やエピソード、そのときの集団のキャンプ位置など、「個人と川とを結びつける」クロノロジーとして記憶されるという。「海の民」のナビゲーションはちょっとすごい。周囲に島も何も見えない大洋上で、星座によって「方向」を把握しつつ、「エタック」という「見えない(想定された)島」を支点にした「仮想グリッド」に乗ってカヌーは進む。
    「移動するUCS」とでも言いましょうか。にわかには想像できないような「認知地図」。
    僕なんか、eTrexの電池が切れた時点で完全にロストして、その日のうちにサメの餌になるであろう。
    きっと、スリバチ学会長の皆川や、浅草キッドの水道橋博士は、この「エタック」が見えているんだろう。

  • 中谷礼人「セヴェラルネス 事物連鎖と人間」鹿島出版会、2005

  • 「いついかなるときにも、私たちは何かに触れている。これは実に驚くべきことではないだろうか。」

    「都市連鎖」、「先行デザイン宣言」、「都市の血/肉」と、ようやくにして、中谷氏の思想が(少しずつ)わかってきた(ような気がする)。

    それにしても、「先行デザイン宣言」はよくできているなあ。なんか、去年は1年間そればっか言い続けてきたような気もするが。読めば読むほど、見れば見るほど、もう、いやになるほど素晴らしい。どーしてこれが、特にラ系のあいだでもっと話題にならないのかわからない。

    まあいいや。原稿書かないと。

    2005年4月18日

    それこそ「外部化された無意識」としての、グリッド。

    国土地理院・地図と測量の科学館、企画展第8回:地図屋さんの作品展
    入館無料。行きたいなあ。あーどーして筑波なんだ国土地理院。


    清水さんもコメントされていた、「グリッドの拘束力」について考えてみたり、しているのである。

    繰り返しになるが、公開講座を拝聴しつつ思ったのは、グリッドという、理念というか、抽象的な「ルール」がその土地に存続した、というよりは、やはり道路の造成平面という空間の形態が、機能を要請したと見るほうがいいんじゃないか、ということだった。

    でも、それは、グリッドを具現しているレベル差が存続するメカニズムを説明できても、グリッドが越境して隣地を埋めたりするほどの慣性を持っていることや、そもそもなぜ「グリッド」が首都のカタチとして選ばれたのか、ということについての説明にはならない。

    グリッドに「拘束力」があるとしたら(あるように感じるが)、それは、ピラミッドパワーみたいなものがグリッド自体に内在するわけではなく、グリッドと人との間に成立する「関係」が持つ力のようなものである(でも、それも、グリッドに人間が思わず「反応」するわけだから、「神秘のグリッドパワー」と呼んでもあながち間違いではないかもしれないけど)。

    ここで思い出すのは、本江さんが以前に書かれていた記事。
    Motoe Lab, MYU: 三角のほうが四角よりむずかしい

    「四角」の連鎖である「グリッド」は意外と、人間の身体性に由来するのかもしれない。グリッドを目にすると、僕らはつい、そこに普遍的な秩序や規則を見取ってしまい、それがあたかも人間のスケールと無関係な、高次の「理念」をその土地にアプライしようとしたかのような気がしてしまい、「荒野に描かれた幾何学図形」だと見なすけれど、実はグリッドはけっこう「気持ちの良い」、身体と親和性の高いカタチなのかもしれない。

    現実の土地の上では、グリッドはしばしば、地形に邪魔されて破綻する。比較的平坦に見える土地でも、実際はでこぼこしているし、日本のように山がちな地形だと、余計に「格子柄で行ける土地」の広がりには限りがある。だいたい、平地は「平面」ではない。地球は丸いから、グリッドで地球を覆うことはできない。緯度経度は、多くの人が住んでいる中緯度帯ではなんとかグリッドに見えるが、ちょっと南北極に近づけば、経度線はやたらと近くなるし、緯度線は明らかに曲線になってしまう。地上のグリッドは、きわめて限定的な範囲に擬似的にしか成立しない、ローカルな図形である。

    で、その「グリッドを描きうる範囲」というのが、その土地での人の認知の射程距離にだいたい一致していて、それが「グリッド都市」の規模(というか物理的な大きさ)を決めていたりして。

    と、藤村さんのジャーナル:
    round about journal
    まあ、たしかに、こういう思いつきかたがローカルな心情なのかもしれないけどな。僕は度し難くドメスティックだし。

    2005年4月12日

    平城京の青焼き

    「スカイビュースケープ」が奈良盆地もカバーしていることを見つけたので、清水さんのレジュメをもとに、「平城京の遺存地割」を探してみる。


    空撮写真を使った「鳥瞰」。
    すげー。本当だ。水田やミニ開発の形に「朱雀大路」が見える。

    農地と市街地が混在しているので、最近の宅地や道路もグリッドに沿って建設され、「期せずして」条坊の模様を「補強」してしまっていることがよくわかる。


    真上からの空撮写真。画面中央のあたりと、画面右下あたりでは、水田の地割りのプロポーションが異なっているのが見える。中央部は横長で、右下のほうは縦長だ。


    同じ縮尺で地形を表示すると、水田の模様が「等高線」であることがわかる。「もと道路」の部分はおおむね整形に区切られ、グリッドの「中」はけっこう複雑な割り方がされていて、この対比が条坊パターンを浮かび上がらせている。道路の平坦さの効果だ。たしかに、道路はどうしたって微地形を改変して平坦にせざるをえないが、宅地内まで平坦に造成するのはものすごい大工事だし、必要もなかっただろうしな。
    しかしこの、緩やかに傾斜した盆地はじつに水田向きな土地だ。


    空撮画像:デジタルアーステクノロジー「スカイビュースケープ」
    地図画像:国土地理院「数値地図25000地図画像」+「50mメッシュ標高データ」

    ■追記:
    カギ差し込んで開けようとしてる人がいます。ぶわははは。

    2005年4月11日

    都市の腸詰め(血と肉)

    (あるいは「千年持続学、第5回フォーラム」の粗雑不完全レポート)

    土曜日。朝から東大駒場へ。

    開演ぎりぎりに会場に滑り込み、目立たず座っていたつもりだったのに、司会席から中谷さんに見つかり、「あとでコメント願います」というメモを見せられて思わずハイと言ってしまい、黒田さんと清水さんのレクチャーのあと、いきなり紹介して頂いて何か言えとマイクを渡されてしまい、うう、ただでさえ午前中はエンジンがかかるのが遅いうえに、いったい何を言ったらよいのやら思いつかず、大恥かいてしまった。とほほ。勘弁して下さい中谷さん。おまけに、お昼は講師の先生方と一緒にお弁当を頂いた。いったいどうしてこんなことに。

    それはともかくも。長い一日、1秒も退屈しない、きわめて中身の濃い公開講座だったということを記しておきたい。僕はもう、目を丸くして、バカみたいに口を開けっ放しだったと思う。知恵熱が出るかと思った。

    中谷氏が繰り返し強調していた、都市は我々のために何かしてくれているのじゃなくて、我々と「関係なく」自己生成してるんだ、というようなことについて、僕はまだ、いまひとつ正しいニュアンスを飲み込めていないような気もする。都市をメタな視点から捉えたとき、それがオートポイエーティックなシステムなんだという切り方は、じつに様々な思いつきを誘発するけれど、こういう物言いをしているとしばしば、「たとえ話」に魅了されちゃって、もともと何が切実な「問い」だったのか、忘れてしまう。それもまあ、面白いんだけどな。それはそれとして、今回、少なくともその「自己生成」のダイナミズムというか、都市の「凄味」はドキドキするくらい伝わってきた。自己生成する都市の夢でも見そうだ。

    最初に、中谷氏による、「都市に正面から挑んで火あぶりにされた」ドミニコ会の説教師、サヴォナローラを引いたイントロダクション。

    次に、黒田泰介氏から、イタリアの都市に散見される、まさに先行形態の見本みたいな円形劇場の様々な残存事例の研究と紹介。すげー事例がいくつも出てきた。円形劇場の遺跡は、ある都市ではまるで既存の地形のように見なされ、その「基礎」の上に住宅を生やしたり建材のストックになったりし、ある都市ではその「強い」形態が周囲の街路パターンに波及したりする。ルッカの円形劇場遺構中庭付き住宅地のペーパークラフト販売してくれないでしょうか。アセテートで。

    それから、清水重敦氏による、平城京が「都」をやめちゃってからの変遷と、現代に残る「遺存地割」。グリッド・フリーの区画だった平城宮跡地に条坊の格子柄が「染みこんでいった」ところや、都市グリッドと農地グリッドの境目に建設され、異なるグリッドが武家屋敷や町人地という地政的支配システムに「転用」された城下町、大和郡山。さらに、現代でも平城京の「エッジ」が街の様子を分けていること。

    驚いたのは、奈良盆地の水田地帯で、田圃の畦のパターンに平城京のグリッドが「転写」されたみたいに残存していることだった。奈良では普通に知られていることらしい(そりゃそうだろうけど)が、水田のパターンにくっきり浮かぶ「平城京」は、僕らからするとびっくりである。中谷さんも「気持ち悪い」と言っていたけれど、ほんと、都市の怨念というか、なんか不気味な感じすらする。

    平城京の道路が水田化したのは古く、遷都後わりとすぐに始まったそうだ。もとの地割りから考えるに、まず道路を水田にしたように思えるが、その理由や経緯はよくわからない、という。

    でも、これは単なる思いつきなのだが、幅の広い「道路」は意外と「水田化」に適しているような気がする。水田は非常に地形コンシャスである。浅い水を湛える必要があるから、田の一枚一枚はデッドフラットに作られ、畦が隣接する田とのレベル差を吸収する。圃場整備される前の水田は、数10センチ単位の土地の高低差を等高線のように描き出していることがよくある。排水のことを考えても、道路は宅地よりも少し低いレベル設定だっただろうし、大きな側溝があったらしいから水を引いてくるにも好都合だっただろう。畦に条坊の形が残っている水田地のあたりは、奈良盆地の北部で、南へ向かって緩やかに傾斜している。地図では、東一坊大路跡の水田が東西に長い長方形に割られているが、これってコンターじゃないだろうか。

    そんなことを考えると、たしかにローマの円形劇場ほどには「あからさまに壊しにくい構築物」ではないにせよ、平城京の「気配の存続」も、必ずしも(会場で議論されていたように)理念だけが存続した、というわけではなく、意外と物理的な「先行形態」に依るものなんじゃないか、形態が意味のある持続を獲得するためには、すべてをレンガとライムストーンで積み上げる必要はなく、場合によっては地表にスクレイプされた数十センチのひっかき傷で充分なこともあるんじゃないか、なんて思ったりしたのだ。

    お昼を挟んで、青井哲人氏による、台湾の彰化という都市を題材にした、日本統治時代に行われた「市区改正」が都市に与えたインパクトの、いわば「都市生体内反応」の報告。

    既存の街路網をほとんど無視した道路整備に対して、敷地を削られたりしながらもその「位置」を変えない「廟」と、新しい街区のレイアウトにさっさとアダプトする、したたかな「ショップハウス群」との違いに現れるものを、青井氏は「地誌的定数」と「位相的定数」の二重性と呼び、「地誌的に不変たらんとする要素は、位相的な変化は受け入れなければならない」「位相的に不変たらんとする要素は、地誌的な変化は受け入れなければならない」という二つの「定理」の組み合わせが都市形態を再組織化しつつ重層化させる、という。

    これは冴えてる。これは使えるぞ。むろん、これらは二項対立的な概念じゃなく、街の様々な要素はどちらもある割合で含んでいるものだろう。でも、こうした切り口で眺めてみるといろんなことが腑に落ちる。たとえば都市河川はその性格からして大きく地誌オリエンテッドであり、都市の変化に応じてその「質」を変えていってしまう。あるいはたとえば駐車場は本質的にぐっと位相寄りだから、街の変化に応じて「生える」みたいに発生したり消滅したりする。

    それから、フォーラム主催者の村松伸氏による、バンコクの「近代化」に伴う変化について。水路が消滅してゆく際に、水路のパターンと似た構造で道路が造られる、システムの「憑依」。近代化のツールとして導入された「ショップハウス」が、その後、(村松先生によると)「ガン細胞」みたいに増殖してタイの高床式の住居を駆逐していった、ということ。

    ショップハウスが普及してゆく過程は、まるで都市に帰化植物が増えてゆく様子みたいである。「持ち込まれたモノ」が爆発的に増えるというところも似ている。湿っていた街を「乾かした」段階で、バンコクは「位相定数の権化」であるショップハウスの「ニッチ」を用意しちゃったのだ(村松氏のお話は必ずしもそういう趣旨でもなかったが、青井氏の話のあとでこれを拝見したため、そういう文脈で理解してしまう)。

    最後に、松原康介氏による、モロッコの都市を題材にした、計画の射程距離を問う「カサブランカ郊外の夢と挫折」。旧市街の歴史的景観が有名なモロッコの都市には、20世紀に行われたいくつもの実験的な都市計画の年輪が残っている。1960年代にCIAMが鳴り物入りで作った郊外住宅地があるが、離村農民の怒濤の流入やモロッコの生活様式との齟齬によって機能不全に陥った。

    何をもって都市計画が「成功」「失敗」だったと評価するか、は、議論の余地があるだろう(会場でもそこが突っ込まれどころになった)。僕はしかし、スライドに映された、増築されまくったモダン住宅の様子に、イタリアの円形劇場住宅に通じるような、「空間」を「場所」に変える力みたいなものを感じて好感を持ってしまったんだけど。

    いやしかし、密度の高いレクチャーだった。どれもこれも、それぞれの第一人者による、バリバリの「一次資料」ばっかりである。一日中、ずーっと「原液」を飲んでたのだ。これで無料。聴講を逸したラ系のあなた、いいものを見損なったぞ。

    休憩を挟んで、田中純氏をコメンテーターに迎えた締めくくりのディスカッション。中谷さんが「ここで結論を出す」と豪語されていたし、最後まで居たかったのだが、ここで僕が時間切れになり、30分ほど居て退出した。田中純さんのお話しを直接聞いたのは初めてだったが、ものすごく魅力的な話し方をされる。聞き惚れてしまう。「継承しようとする意志」とは別に、「理念」は意図ではなく、都市を「生き残らせてしまっている」、そういう「外部化された無意識」がいわば都市の「血と肉」だと言えまいか、なんていう、切り取って持ち帰りたいキーワードがぼろぼろ出てくる。当日の講師はどなたも、テープ起こしをそのまんまタイプすればちゃんとした文章になるくらい明瞭で論理的な話をされたが、田中さんが一番すごかった。後ろ髪引かれた。。。残念。しかし、今回の中身はいずれ何らかの形でまとめられるようなので、楽しみにしよう。中谷さんともいつかゆっくりお会いしたい。

    会場で、たたかうピクニシェンヌとお会いし、帰り際に南泰裕さんもお見かけした。田中浩也さんにもお会いできるかなと思って柴崎研の前を通過してみたが、室内の人たちは忙しそうだし、声をかけるのをためらってしまった。帰路、東北沢駅への途上で、ミントブッシュが生け垣状に刈り込まれて咲いているのを見つけて驚いた。ってこれはフォーラムとは関係ないけど。

    関連リンク:semi@aoao 青井さんの、人間環境大学 地域・都市計画論ゼミブログ

    2005年4月 4日

    場所と空間(と丹下健三)

    植田和弘、神野直彦、西村幸夫、間宮陽介編「岩波講座 都市の再生を考える・1:都市とは何か」岩波書店、2005

    それぞれの論文も面白そうだが、まずは「場所と時間 先行形態論」を読む。
    以前、メディアデザイン研究所の飯尾さんが中谷さんの文章を評して「発見的」と言っていたが、ほんとにそうだ。中谷さんの先行形態もそうだし、南さんの「極域」とか、五十嵐さんの宗教建築とか、書き手の「あ、そーだったのか!」が伝わってくると、こっちも興奮して面白く読めてしまうのだ。

    中谷さんは、「空間」と「場所」を、対立概念としてだけではなく(これを『対立』させるような物言いは、ラ系の得意なところだ)、計画の論理と土地の実際、という関係として見てみよう、という。これ、さらりと書かれているけど、けっこう膝を打つような視点の据え方である。使えるぞ。

    広島のケーススタディは、驚きだ。原爆によって白紙化したように見える広島の街が、むしろ被爆したことでその「表土」がはぎ取られて、もっとずっと古く長かった近世の町割りが補強されちゃった、ということ。都市の「変容」のダイナミズムが、ぱっと見は都市を刷新したように見える行政による都市計画よりも、戦後のヤミ市の、いわばエコロジカルな「発生」が促したのだということ。

    最後に引かれている丹下健三さんの平和記念公園の計画の考察が、ちょっとびっくりである。丹下さんには、広島の街の「大事な部分」が見えていたんだろう、という。引用されている箇所から孫引き:

    「都市は焼け野原になってしまいましても、決して白紙ではないということであります。都市はいつでも元に帰ろうとする生きた力をもっております。白紙の上に理想的な将来の都市を描いても、そこからは決して新しい明日の都市は生まれてこないということであります。いつでももとの古い都市、私たちが精算し、克服してゆこうと思っているような昔のままの都市が、そのまま再び生き返ろうとしております」
    「都市は構造を持っている。計画は、その構造の因果関連の分析である。それは、その構造に何らかの衝撃を与えるとき、そこから生まれる効果の因果的な関連を測定することである。そうして、その有効な衝撃の具体的な方式を発見することである」

    鳥肌。これってつまり「先行デザイン宣言」じゃないか。
    やっぱりすげー人だったんだ(今更なにを)。
    実はちょっと避けていたんだけど。こういうのも読まないといけないんだろうな。
    Amazon.co.jp: 本: 丹下健三
    しかし高えー!¥29,925(税込)。さすがに買えねーよこれは。文庫にしてくれよ。

    国土地理院の航空写真閲覧ページで、米軍撮影による1947年4月の広島市街を見ることができる。
    空中写真(標準画像),USA10kCG,広島,M251,25
    相生橋を中心にして、ほんとうに吹き飛ばされたみたいに建物がない。
    最初、光の加減でハレーションが起きてるのかと思った。
    凄まじい写真である。

    2005年2月10日

    街は血湧き肉踊る

    公開講座(フォーラム)のお知らせ・都市の血、都市の肉〜千年持続学第5回フォーラム・2005年4月9日土曜日東京大学生産研(駒場)にて:Nakatani's Blography

    うわ。ご指名に及びません。行きますぞ。楽しみ。
    定員があるということは、事前申し込み必要でしょうか。

    それにしても骨太のラインアップだ。体調を整えていかねば。
    半日ドックで血中コレステロールが高いと注意されたばかりだし(←それは関係ない)。

    駒場へ行くなら、できればついでに田中さんにもお会いし、ジオウォーカーの進捗状況など拝見せねば。
    戦うピクニシェンヌは。。。もう引っ越しちゃったのかな。

    追記:

    ピクニシェンヌのご指摘を受け、辿るとこういうサイトが。
    千年持続学・都市の持続性に関する学融合的研究
    そういうことだったのか。。。(←疎い)