2008年3月25日

ブルーミング調布

ついに深大寺元町・城山にも本格的に春の訪れであって、お春うございます>各方面。

球根はどれもすべて順調に芽出し、スノードロップとクロッカスとハナニラは咲き、ヘレボラスが次々に咲き、ホスタが葉を出し、タガネソウが地味な花を咲かせ、庭の先、崖線へ続く空き地では雑木林の予感が濃く、自然に実生した、2年もののイヌシデの幼木や、僕が移植したコナラの幼木が芽を吹き、コナラの新芽はイッチョマエにコナラの葉の形をしていて可愛らしく、蒔きまくったシラカシやクヌギのドングリがいくつも発芽している、そういった春分の日周辺。

ここ半年の懸案事項であった、2X4材と構造合板を木ねじで貼り合わせた、キッチン周りの「素人制作ローコスト週末大工造作家具」製作の第1期が終了。第2期ではこれの食器棚部分に開き戸を付ける予定。あと、洗面所周り、特に、勢いで買い替えたドラム洗濯機の周辺をなんとかせねばならぬ。というわけで、デッキを含む外部空間にいまだ着手できずにいる。春になっちゃったというのに。

2008年3月 4日

さようなら北口交番2

いよいよ、残りの壁の最後の日になりそうな朝。

記録のため。

ロータリー越しの眺め。

近くに寄ると、遠景よりも小さく感じる、この「スケール違和感」は取り壊し中も同じだ。

こうして見るとたしかに、もったいねえなあ。
単純な形だから、このまんま引っこ抜いて公園にでも据えてプレイロットにするとか、新しい駅前広場にぽつんと残して、いっそ横倒しにして中に土を詰めて、でっかいプランターにするとかね。

日本中の「駅前」のほとんどがそうだろうが、調布駅前も僕が記憶する限りずっと「工事中」で「仮設」だった。FRPのプランターを置いてタクシープールを「成形」したりして。「完成形」はつねに、市役所のパンフレットの絵にしか存在しなかった。

そういえば思い出したのだが、この交番ほど話題にならなかったが、かつて、駅の反対側、南口には象設計集団がデザインした「くすのきサロン」という可愛いポケットパークがあった。それが撤去されたときのほうが僕にはショックだったな。

2007年2月25日

調布・直売スタンド地図

土曜日、子供らにせがまれて調布市の図書館・深大寺分館へ行ったら、「ちょうふとれたて 農産物直売マップ」(調布市産業振興室、2007.1)という冊子が置いてあるのを見つけた。

持ち歩いたせいで少し汚れているが、こういうもの。

現在、調布には309戸の農家があるそうだ。この冊子には、そうした農家が出している直売スタンドの場所をけっこう詳細な地図にプロットした地図と、それぞれの農家の連絡先、主な販売品目、休業日やシーズン、さらに「朝取り新鮮野菜!」とか「有機栽培!」といったセールスポイントが記されたリストが掲載されている。

これは何だか面白い。
というか、地元の市内で、何かが分布している様子を網羅した地図が手元にある場合、それは出かけていって全部見て回らないといけない。

地図は、市域を9つに分けていて、それぞれのページに場所が記載されている。まずは、自宅に近い「エリア4」と「エリア3」の13箇所を回ることにした。

自宅に最も近いスタンド。これはこのマップには載っていない。季節柄、販売品がなくてちょっと寂しい。

掲載スタンドで自宅に最も近いもの。いかにも深大寺北町らしい風景。

武蔵境通り沿いにあるスタンド。というか立派な売店。

観音開きのドアつきスタンド。農園のロゴつき。

見ると、監視カメラが。無銭持ち逃げへの警戒と警告なのだろう。ダミーかもしれないが。この、「野菜の無人売店」という牧歌的な施設と、「監視カメラ」の殺伐感のギャップが何ともいえない。

棚にはなぜか、聖母マリアの像。いかなるコンセプトなのか。田園/監視/慈悲。

建物にくっついたスタンド。これも「無掲載物件」。以前、このスタンドには「盗んだものを食卓に乗せるのですか!!」という張り紙があった。

このスタンドは、地図とは違う場所にあった。見ると、キャスターがついて、ワゴン状態になっている。もしかすると、移動無人野菜販売スタンドなのかもしれない。

これは神代植物公園の正門近くにあるスタンドで、切り花やサボテンを売っている。

ブドウ狩りのできるブドウ園。消防大学通り沿い。

深大寺東町。

門壁と一体になったスタンド。

これは、門から少し入ったところに設置されている。

深大寺南町の、中央高速沿い。ここは有人の売店で、ほとんど八百屋さんのような店構え。

佐須町の、晃華学園の傍。

佐須町四丁目。佐須街道沿い。

生け垣と一体にデザインされている。スタンドの屋根の素材が波板なのがちょっと惜しいが、これはキレイだ。

背景の屋敷林を含む全景。「調布農産物直売スタンド景観賞」を差し上げたい。

景観賞物件に敬意を表して、調査員1号がキャベツを購入。

本日のログ。

佐須街道沿いには、他に2つ、スタンドがあった。
みんな、正しくお金を払って、農家の直売モチベーションを高めましょうね>調布市民。
次回は、地元では有名な、調布ヶ丘の関森ファームを含むエリア5,6あたりを攻める予定。
それと、調布市生活文化部産業振興室は、グーグルマップにプロットしたものを市のウェブサイトに公開することを検討するように。

2006年7月17日

「調布ブログ」

オプトハウジング・プリゼンツ、調布ブログ

調布を探検し紹介するblogはいくつかあり、たけ@ちょうふがその筋では(どの筋だよ)有名なのだが、こちらの「調布ブログ」は調布駅近くで営業している不動産屋さんのスタッフが交代で書いているもの。
実は、僕が現在住んでいる借家はここの仲介で借りた。
特に、庄司崇さんというスタッフの記事が、僕ら方面の興味に通じるものがあって、注目中。

2005年11月 7日

三鷹プラグ探検

土曜日。

妻が実家へ泊まりがけで出かけ、僕は自宅で子守り体制。

(以下、きわめて調布限定の地名の羅列で、この地域に親しくない人にはまったく不親切な内容です。←親切な予告)

調布の地図をなんとなく眺めていて(別に地上絵の構想を練っていたわけではない)、以前から気になっていた、調布と三鷹の市域境界に目がとまる。

野川公園に調布市が貫入していたり、三鷹市役所のすぐ南を境界が走っていて、三鷹市の総合体育館が調布市の土地にあったりし、調布と三鷹の境界は各所で錯綜している。今回、あらためて気になったのは、西つつじヶ丘に、三鷹市中原の一部が差し込まれるみたいに入り込んでいるところ。

よく見ると、この「三鷹プラグ」の先端に公園がある。

つつじヶ丘周辺は、国分寺崖線が大きく「乱れて」いる箇所である。入間川が崖を削り取って野川に合流しているような格好になっていて、そこにさらに小さな谷が絡み、「主崖」がどこにあるのかわからない。

入間川の谷(図中3。矢印先端がつつじヶ丘駅)は、天文台の横の大沢の谷(図中1)や、深大寺の谷(図中2)よりもずっと規模も深さも大きい。

「三鷹プラグ」は入間川の支流、というか、平行に流れる小さな谷に入り込んでいる。

図中Aが三鷹市でBが調布市。
左半分の地形が粗いのは、この地域を5mメッシュがカバーしていないため。後述。

谷間で、先端が公園。なるほど。こうなると地面の「誘い声」が聞こえる。
というわけで、やおらコドモらの身支度をして、ママチャリ3人乗りで西つつじヶ丘へ。



ものの数十分であっさりゴール。三鷹プラグ先端公園。


枯れかかっているものの、水をたたえた池。
四周よりも低く凹んだ、絵に描いたみたいな「スリバチ」です。会長。


石碑が。


それなりにキレイな水。

というわけで、プラグの形はそのまんま「湧き水と谷筋」であった。

境界の入り込み方は、三鷹市に帰属した村が所有していた水源とその流域を確保するという、水利権的な問題だったんじゃないだろうか。たぶん。市域確定のときには、さぞ紛糾しただろうと。


尾根を越えて、入間川沿いの丘道を下る。

道路に唐突に接した住宅の門壁を発見。


鉄骨のブリッジで、2階から入るようになっている。


下を普通に人が通ってる。すげー。

どうやら、もとは水路だった「緑道」のようだ。もともと「公道」だったらこんな構造物は作れなかっただろう。いや、でも、水路ならいいのか?エントランス部分の所有はどうなっているんだろう。


緑道から見上げた「プライベートブリッジ」。



ところで、今回から、こんなものをコツコツ作成中。

国土地理院の5mメッシュ標高データが23区内しかカバーしていないので、深大寺や京王多摩川や野川公園のような、「地形のおいしい箇所 in 調布」の詳細標高データがないのだ。1万分の1地形図を4枚、貼り合わせると、調布を網羅できる。


差し当たって2m等高線をトレース中。
「5mメッシュ詳細標高データ・多磨地区CD-ROM」が発売されて、カシミールで閲覧できるようになるまで、このアナログ地図を使い回すことにする。

2005年9月14日

矩計(カナバカリ)ハウス


自宅の近所に最近出現した「矩計ハウス」。


道路の拡幅に伴って、計画道路敷地にはみ出していた分を「切り取った」、RC造のマンションです。


近くで見るとけっこう過激。構造体を見せたカット模型のような。すげー。


これがまた、ちゃんと真面目にデザインされているところに好感を持ってしまいます。
もともとの二丁掛けタイルの外装より、こっちのほうがかっこいいじゃんよ。
最初からこのノリで全部作ったほうがよかったんじゃないかと思うほど。


新しく設けられたエントランス付近。


奥の駐車場側から見た、反対側の妻面はこんな様子。
たしかに、以前はこういう風貌だったような。


屋根に、補強のためらしき構造体が3本、ツノみたいに生えてます。
手前の壁が減ったからか。
既存の屋根の防水はやり直したんだろうなあ。

2005年5月 1日

A River Runs Through It

金曜日。
祖母の98歳の誕生日を祝うため、子、孫、曾孫が調布に集合。幼児まで数えると45人になり(これでも出席率70%くらいなのだが)、祖母と僕の両親が同居している家に収まらなくなったため、地区の集会施設を借りた。僕の親戚、特に父方の親戚のほとんどは、熱心で真面目なクリスチャンだった祖父母(祖父は7年前に亡くなった)の信仰を受け継いでいるため、こうした集まりは、まるでキリスト教会の集会みたいな趣になる。今回も、誕生会は祈祷と聖書の朗読に始まり、暮れてゆく野川沿いの地区センターに賛美歌が響き渡った。

土曜日。
午前中、赤坂で、寺田真理子さんらと打合せ。ある企画のためのプロポーザル参加の打診を頂いた。キュレーターという「目利き」に買って頂いているというのは嬉しいが、企画の内容があまり僕向きではないような気もした。のだが、例のごとく、とりあえずお引き受けすることに。そろそろ許容量を超えつつあるような予感(かなり強い予感)。作業の量と時間もさることながら、考えることが多すぎるかも。さし当たって造園学会を突破せねば。

昼過ぎ、急ぎ調布へ帰って、長女の10ヶ月健診に向かう妻と駅前で待ち合わせ、長男を受け取る。せっかくなので、長男を自転車に乗せ、以前から気になっていた、「入間川の始まり」を見に行くことにした。深大寺東町に「微谷間地形」の住宅地を見つけ、上流へ向かった。東八道路のあたりでそれらしい窪地の名残りがあったものの、流れは暗渠化されていて、周囲は完全に宅地化された、湧き水も何もない「源流」だった。

日曜日。
午前中、庭の「待合いコーナー」に置いていたメギのオーレアと斑入りヤマブキを地植えしたりし、昼過ぎ、土曜日の勢いを駆って、ママチャリのタイヤに空気を入れ、GPSをリセットして息子を背負って、仙川の源流を目指して北へ。

調布の台地上には、地形図で判別できるくらいの谷を穿っている「川」が二つあって、それが入間川と仙川である。どちらも、「川の始まり」を示す窪地は見て取れるものの、少なくとも地図上では、井の頭池や善福寺池のような、「あからさまな源流」が見えない。どんなふうに川がスタートしているのか、見てみたかったのだ。

仙川の上流は、一部を除いてはあまり暗渠化こそされていなかったが、予想通り、住宅地の中を通る「でっかいU字溝」であった。ただ、ラ系のメディアで度々紹介されていた、公団桜堤団地の親水公園は、何だかんだ言って結構良くできていた。息子を「ビオトープ」の周りで遊ばせながら、造園学会向けのネタ(多少強引な解釈だが、まあツカミとしては使えそうな)を思いついた。

2時間半のサイクリングで、小金井市貫井北町、新小金井街道の脇に「仙川の始まり」があるのを見つけた。道路の下から出てくるコルゲート管だった。。。

帰路は、GPSMap60CSに「ナビ」をさせてみた。わりと使える、当を得たコースを選ぶことがわかった。ただ、子供が眠ったため、重くなって難儀した。眠ると急に重くなるのはなぜだ。息子よ。

2005年2月 7日

京王電気軌道。の気配。

SkyAtlasの空中写真を眺めていて、奇妙なものを見つけた。

京王線、柴崎駅付近。甲州街道の北100mほどのところに、街道よりも少し浅い角度で、何かが「直線」をなしているのが見えた。

目立つ部分の拡大。

画面なかほどを、斜めに横切っているライン。
道路ではない。というか、部分的に細い道路だったり、建物の向きやカタチだったり、駐車場の境目だったりするが、そうやって色々に姿形を変えつつも、何か補助線があるかのようにまっすぐな「跡」が見える。
「環境ノイズ」だ。


地図には描かれていない。これはいったい何だろう。

京王線の支線でもあったのかと思って、ネットを検索してみたが、「京王線 歴史」などというキーワードでは、ヒットする情報が膨大すぎて(懐かしい車輛の写真、というのは一大ジャンルを形成しているらしく)頭痛を誘う。

実家の書棚にあった、調布市発行の「図説:調布の歴史」という本を開いてみたら、いきなり解決。

甲州街道と京王線の変遷を記したページに掲載されていた、大正11年の五万分の一地形図。
当時、京王線は「金子(つつじが丘)」のあたりで甲州街道と合流して路上を走り、柴崎から国領までは街道の「北」を通っていたのだ。仙川の崖との地形的な関係だろうか。これは知りませんでした。

廃線跡が街のパターンに刻印を残していることはよくある。
もちろん、鉄道や道路そのものは「強い」形態をなしているが、それが去った後でも、一旦それが「土地所有区分」に翻訳されてしまうと、慣性が強くなって、けっこうしぶとく残る。
そういう意味で、明治の地租改正や、戦後の農地解放は、地面のパターンのいわば「凍結」として作用したんだなあ、と思う。

というわけで週末恒例の現地調査。

柴崎1丁目。第7中学校の、野川を挟んだ向かいあたり。
写真ではわかりにくいが、住宅地の中に、ある箇所だけ、建物の向きが他と関係なく斜めになっている列があった。


片方が畑だったりするとわかりやすい。


庭や玄関に、斜めに振れた不思議な空間ができていて、工夫が見られる箇所も。


調布自動車学校へ続く駐車場。建物がすぱっと切ったみたいに並んでいる。


これは今回の趣旨とは関係ないんだけど、柴崎駅前で見かけた商店街フラワー。
「繭玉型」で、冬期に出現する正月バージョンであり、しだれ飾りの原種に遺伝的にもっとも近い。
繁盛のお札がつけてあるところも、正統的なデザイン。


フィールドワーク中のメンバー。
左から、調査員2号、隊長、調査員1号。


途中の児童公園で、遊具の安全性をテストする副隊長と調査員1号。


GPSによる「時間差ログ」。

勝手に関連リンク:

  • 「先行デザイン宣言」@大阪市立大・中谷ゼミ
  • FLAT*PLANET:師走を走る・幻の線路を訪ねて
  • Suburban Landscape Search Engine - Chofu edition (時間遡行風景投稿システム)

  • 2005年1月30日

    ゲニウス・ロ樹

    日曜日。
    先に記した、60年前の空撮で見つけた、気になる「巨木」の跡地を訪問する。

    現在の空撮で確認すると、調布第一小学校と新甲州街道との境目あたりにある。道路に当たっていたら完全にアウトだし、小学校の敷地でも、校庭の真ん中とかならともかく、裏手のようだし、残存はほぼ絶望的だろうと思っていた。のだが、自宅に持っていた、調布市教育委員会発行「調布今昔写真集」(1974)の中、「昭和28年に移転したばかりの第一小」という写真に、それらしい「樹影」を発見。

    写真の説明文に、「背景の森は若松稲荷神社です」とある。おおっと。稲荷社だったのだ。これは、痕跡が残っている可能性もあるぞ。

    というわけで日曜日。
    2歳の息子と7ヶ月の娘を文字通り小脇に抱えて現地調査。第一小学校へ行ってみた。

    現在の第一小学校の様子。

    学校の敷地沿いに、甲州街道側へ回る。

    調布駅前交差点から西へほんの数十メートル。
    電通大の門の向かいあたり、歩道沿いに稲荷社はあった。

    若松稲荷。

    小学校の敷地に食い込むように建っていた。
    小さな境内は、キレイに掃除されていて、この神社がまだ「現役」であることを窺わせている。
    あきらかに老齢の巨木が数本、残っている。

    目通り(幹周)ざっと3.5m。

    樹種は、Quercus myrsinaefolia、シラカシだった。ケヤキやクスノキといった牧歌的なものじゃない。潜在自然植生じゃないか!(←突っ込み不要)
    たぶん、写っていたのは単独の樹木ではなくて、この神社の樹林だったのだろう。そのうちのひとつがこの木だったことは大いにあり得る。根本は傷みが進んでいて、余命はあまり長くないように見えた。


    落雷か、風害だろうか。地上10数メートルで折れた跡がある。以前はさぞ雄大な樹形だっただろう。


    鳥居を挟んで向かい側にアラカシの大木。一見それほど大きな木に見えないが、根元が株立ち状になっているところを見ると、これも巨樹が一度倒れてまた萌芽したのかもしれない。

    以上、土地の記憶に耳を澄ます週末プロジェクトのささやけき成果でした。

    これは、フィールドワークを終えて「キツネワンワン」に別れを告げている調査員2号。

    2005年1月26日

    見知らぬ過去

    60年前の調布風景の続き。
    jm@foo: 航空写真を並べてつなげて眺める
    で元永さんが作られた画像がすごく便利なので、それを勝手に使い回し。

    先に書いたように、カシミールの地図画像作成機能を使うと、画像を256色BMPに変換して「ビットマップ地図」として開き、ポイントを3つほど選んで緯度経度を入力するだけで、「なんちゃってオルソ化」した空中写真になる。実に簡単。作業時間5分。これはラクだなあ。もっと広範囲作ってくれないでしょうか元永さん(笑)。

    調布駅付近から北東方向。

    白く映っている四角い区画は、当時の調布第一小学校、現在の南口広場だ。中央の、樹林の濃いところは布田天神と電通大。甲州街道に沿って、宿場町はまさにシュクネギ状態。


    取り貯めた「eTrex軌跡」を表示してみた。武蔵境通りとか、三鷹通りとか、新甲州街道とか、当時は道路がなかったものもあるが、その他はおおむね、現在の道路に引き継がれている。こうして自分が普段歩いている位置を重ねて見ると、なんかこう、時間の層をめくってみたような不思議な気分になるな。


    画面中央に、ものすごい大きさの樹木が映っている。画像で測るかぎり、樹冠は30mくらいある。クスノキか、ケヤキか。屋敷林でなく、農地の真ん中に独立している。樹高は20〜30mあっただろう。京王線から見えたんじゃないだろうか。


    まったく同じ場所と構図で、2000年撮影の空中写真(プロアトラス航空写真・SkyAtlas東京横浜を使用)。巨木のあった場所は、新甲州街道に当たったか、あるいは現在の第一小学校の敷地内。いずれにせよ、切り株の残存も望み薄だが、見に行ってみよう。
    これを見ると、街道は「幹線道路」に変化したものの、そのことで用途地域的に「街道沿いのメリット」を供しているため、敷地のシュクネギ性が保たれて、それが細長いビルを林立させる先行形態になっている(たぶん)。