2009年10月16日

ヒグレカメラ

(あるいは、エアタグの「時間性」について)。

「セカイカメラ」のエアタグについては、つい「位置」に関心が向きがちだが、もうひとつ見逃せない属性として「時間」がある。ポストされるひとつひとつのタグには、「時間」が刻印されている。これらは、位置の情報と同じくらい「固有」な情報である。タグは、タギングの瞬間の「時刻」を切り取って固定する。ポストすることは、その時刻を位置にマップすることである。つまり、「エアタギング」というのは、「固有の時間を固有の位置に結びつける」という行為なのである。

ようするに、これって「場所に時刻スタンプを押してゆくみたいなものだ」ということだ。

と、そのように考えてみると、ひと目で時間の推移が写真の様子に表れるような、たとえば刻々と色が変わる日暮れ時の空などを、移動しながら撮影してポストして、あとでそれを眺めると、「時間の流れが空間の奥行きになって見える」みたいな風景が見えるんじゃないか、と思ったわけだ。

そこで実験。

職場の前、向こうにミッドタウンを望む街路。
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日没時を狙って、空の色が濃くなってゆくのを見ながら、10mずつくらい前進しては空を入れた写真を撮って、ポストしてゆく。

ある程度時間間隔をあけないと空の色が変わらないため、仕事をしながら10分おきに事務所の外へ走り出たり戻ったり、不審な動きを繰り返してしまった。

日没後。
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また、エアタグの表示フィルタを「自分のタグ」だけにし、西方向をセカイカメラで見る。
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おお。これはきれいだ。これは面白い。
遠い写真ほど、夕焼けが濃く、空が暗くなっている。キャプチャーで再現しきれないのが惜しい。
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「さっきの夕焼け」と「いまの夜空」を重ねてみる。
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面白いのは、ポストした写真群を辿りながら西へ歩いてゆくにつれて、画面に流れてくる空の写真の時間が「進む」ことだ。
歩くことで時間が早回しに進む。
遠くほど、あとの時間。
この、「移動」と「時間」が結びついた、不思議な感じ。
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多摩川の土手とか、そういう大きなスケールで開けた場所などで、」もっとずらっと並べてやると、さらに効果が現れるかもしれない。
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ちょっと眩暈がするような実験であった。

最近、同じような機能をもった「Layer」というアプリがリリースされたことで、セカイカメラの特性が逆に浮き上がったように思う。デジタル地図を実空間の映像に効率よく重ねることを主眼にしたらしい「Layer」(地面にグリッドが描かれているのは象徴的だ)と比べると、セカイカメラには「普段眺めている世界の見方を少し奇妙に引っ張って広げる」というような不思議さがある。僕は、たとえばGoogleマップよりもGoogleEarthのほうに感じるような、その「不思議さ」にこそ惹かれるし、ツールとしての可能性を勝手に感じちゃうのである。頑張れセカイカメラ。

2009年10月14日

虫の目(ミミズ編)

セカイカメラが何なのかを知らない方には恐縮だが、以下はほとんど、iPhoneと、最近話題の「セカイカメラ」というアプリの(潜在的)ユーザー向けの記事なのです。

  • セカイカメラはどうやら、標高には厳密ではないようだ(まあそれはそうだろう)。

  • 一方で、普通のGPS受信機とは違って、地下でも(携帯の電波圏内でありさえすれば)それなりに位置を同定するようだ。

  • ということは、地下街のある地上で路上風景の写真を撮って、それを地下で表示するという、「電子潜望鏡」みたいなことができないだろうか。

    ということを思いついたわけだ。

    実験。東京駅から皇居へ向かう「行幸通り」地上部。
    ここは、丸の内口から日比谷通りまで、新しいピカピカの地下道が通っていて、そのCGのような地下風景と、地上で見える皇居やお堀端の風景とのギャップが激しく印象的な場所である。
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    まず、地上を、東京駅側から歩いて、10歩おきくらいに写真を撮り、その場に投稿。
    風景写真を「撒いてゆく」ような感じ。
    撮影/ポストしながら日比谷通りまで歩き、いったんそこで引き返して、地下へ下りる。


    地下。この、ニセモノめいた艶やかな光景。
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    セカイカメラを起動。
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    丸の内はけっこうエアタグが混雑しているので、表示フィルタを「自分のタグだけ見る」ようにセットする。
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    おおお。潜望鏡浮上! 位置表示の誤差があるが(厳密には一列に並ぶはず)、それなりに奥行きのある写真群になった。
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    画面のキャプチャーだと、エア写真の浮遊する様子を伝えるのが難しいが、画像はどちらも実際の風景を捉えているのに、この何ともいえない非現実感というか。背景の地下道のCG風のせいもあるかもしれない。
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    写真のひとつを通過するところ。
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    ひとつを捕まえて表示。ほぼ同じ位置の地上が見えている(ただし、現在ではなく、先ほど自分が撮った、少し過去の風景)
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    揺れてる。
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    予想していたよりも面白い眺めであった。もっと写真を撮りまくっても効果があるかもしれないが、やりすぎると「タグ汚染」になるかもしれない。

    アンドロイドケータイだと、ストリートビューで「現在位置表示」ができるらしいから、もっと連続的な潜望鏡風景を見れるのかもしれない。銀座線で青山通りの地下を走りながら地上のストリートビューをシンクロさせて見る、なんて面白そうだと思うのだが、圏外になっちゃうからだめか。

  • 2009年9月17日

    建築系ラジオ『東京を擦る(こする)』補完ページ

    これは、建築系ラジオ r4 現代建築を語る・聞く・読む|全体討議 東京論──新しい地形としての東京4を聴取されて、これ音声だけじゃわけわかんない、と思われた方(ほとんどそうでしょうが)のためのサポート記事です。

    上記の公開収録で石川が上映したプレゼンテーションの抜粋と、関連サイト/ページへのリンクがあります。画像が多いため、読み込みに時間がかかるかも知れませんが、ご容赦下さい。

    続きを読む "建築系ラジオ『東京を擦る(こする)』補完ページ"

    2009年9月15日

    見えない地図(の予感)

    壁嬢・杉浦さんのリクエストにて、iPhoneのAR(拡張現実)アプリを試しに購入した。

    通勤途中の地下鉄千代田線赤坂駅で試す。
    これは駅のホームの写真。
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    以下はiPhoneの画面のキャプチャー画像。
    ボタンを押して現在地を取得させると、3G網を使ってか、地下でも測位する。
    衛星が見えないのに、生意気にそれなりの精度だ。
    「ローカル・ポジショニング・システム」とでも言いましょうか。LPS。
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    POI(ポイント・オブ・インタレスト。登録済みの施設の位置情報を別途購入するもの)を検索。
    地下ゆえの低精度なのか、80m先のコンビニがひとつしか出てこない。
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    でも矢印が表示されるとすごい。ちょっと衝撃的な画面。
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    エスカレーターとアイコンが一致しているのはたまたま。けっこうぐるぐる回ってしまうのはコンパスの精度の問題か。
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    でも同時に、「屋外でGoogleストリートビューを見ている」ような、なんか倒錯した非現実感も同時に感じたりして。
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    地上に出るとさすがに現在地把握の精度が上るようで、「再読み込み」をするとリストにPOIがぞろぞろ出てくる。
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    うっかり音声ボリュームに触っちゃったので余計な表示が写っているが、路上で複数のコンビニが浮上して表示されたところ。
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    おお。ちゃんとたどり着ける。示している方向は道路の反対側だけど。
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    このアプリ、経路ナビとしてはほとんど使えないし、各方面で酷評されているが、この「拡張現実モード」は面白い。現実の風景に、並行世界みたいな「見えない地図」が重なっている、という「感じ」を抱かせる。自分でPOIを入力したり、共有できたりするといいな。

    あとは、「線/方向」や「面/領域」がレイヤーとして表示できるとか、あるいは従来の「点」を表示するにしろ、座標的な位置だけではない、「重力場」とか「明るさ」みたいな、拡張現実モードらしい「地理表示」を思いつけると面白いんじゃないかと思う。

    自分の移動した軌跡が記録されていて、これを覗きながら来た方向を振り返ると、延々自分の足跡が見える、とかね。


    追記: そうだ、これだよな。次に。
    Sekai Camera Support Center

    2009年9月 9日

    フォッサ・マグナ・ボートハウス

    瀝青会(れきせいかい)のフィールドワークに久しぶりに参加。といっても、1週間に渡る北陸方面調査のうち、最初の2日間の「糸魚川編」だけをお手伝いに行ったのだ。瀝青会の調査旅行は平日にかかることも多く、それもあって最近はサボり気味だったのだが、今回、事前勉強会で見た糸魚川の漁村の舟小屋の写真があまりに衝撃的で、これは実物を目撃せねばならないと思い、無理を言って糸魚川調査を週末にセットして頂いた。詳しい調査の成果はいずれ、「住む」の連載などに発表されるのだが、以下は個人的なメモ。

  • 十日町も松代も通過して着いた糸魚川駅は、赤レンガの大きな車庫が残る、なかなか味のある駅であった。富山と新潟の県境近くなんて、こちら(北多摩)からはほとんど地の果てみたいな感じがするが、上越新幹線と特急「はくたか」を乗り継いで行くと、調布 からでも3時間半くらいで着いてしまう。近い。

  • 事前の勉強会で見た糸魚川の舟小屋群はちょっと凄い様子だったが、実物は期待をはるかに上回る、ブリコラージュの権化であった。乾久美子さんがどこかで「設計された住宅と比べて民家は現在の形になるまでの『判断』の数が桁違いに多い」というような冴えたことを述べておられたが、船小屋なんてまさにそういう、「判断とパッチ」のテクスチュアに覆われた、物体的リアリティ満載の建築物だった。

  • 「民家のみかた調べかた」(第一法規出版、1967年)という本の存在を知らなかった。相変わらず無知きわまる>自分。参考図書として持参されていたコピーを借りて見て目から鱗が滝のごとくザラザラと落ちる。これは実によくできた、興味深い本だ。絶版になって久しいのが残念。1960年代、日本全国から伝統的な民家が急速に失われつつあった、それに対する危機感から、ともかくもできるだけ多くの人が短期間に多くの民家を調査し記録することを可能にするべく、素人でもわかる「原理」と「手順」を記載したフィールドガイド兼リサーチマニュアルが書かれた、ということらしい。

  • これを読むと、民家の調査は単に現況を測量するということではなくて、経験的に獲得・定型化されているある手続きを踏むことで、「家なるもの」を支える普遍的なルールと、そこから逆に透けて見える地域的固有性を抽出して記述することなのだ、ということがわかる。

  • 一見、朽ちかけの材木とゴムシートと石ころの寄せ集めみたいな小屋に、調査班が入って実測して図化すると、方眼紙に「間」のモジュールが抽出されていて驚嘆した。小屋は、それこそ夥しい判断の積み重ねの歴史によって、構造体まで含めてどれがオリジナルかわからないくらい、様々な材料に入れ替わっている。さらに、四車線のバイパス道路と防波堤とテトラポットによって浜/海と断ち切られた現在、舟小屋群は当初の用途を失って、農機具小屋として使われたりしている。素材もプログラムも大きく変わった小屋を、「小屋」たらしめているのはまさしく「ルール」の存在である。そして、このルールは空中にあったものじゃなくて、小屋的構築の過程で、木材と建築者との関係として「出ちゃった」もの、という感じがするのだ。電柱を転用した小屋の柱なんか触っていると、うっかり、建築(語弊があるなら「住宅」)とは何か、みたいな深遠な問いを立ててしまうぞ。教育的効果は抜群。若者よ民家を実測せよ。

  • 海岸の砂丘地形と船小屋と集落の母屋とに、なかなか面白い地形的関係が見られた。砂丘が個人所有されていなかったのは、その地形が海から集落を守るインフラだと見なされていたのか、あるいは単に不毛の土地だったからか。

  • 「半農半漁」だった集落の後背地は水田地帯。宅地化されている場所も多い。圃場整備された農地だった地区の街並みは、街路がものすごく真っ直ぐでキレイにグリッドで、道路からは住宅地と農地の境目が見えないため、東西南北にビスタが通った眩暈がするような風景になる。

  • iPhone のGPSとGoogleマップはそれなりに使えるツールである。測位のスピードが速いし、地図が詳細だ。コンパスも優秀。ただし、用途はあくまで「現在地を素早く確認する」ためだ。ログを取りながら、地図と地面を重ねながら移動、というような使い方は厳しい。電池ももたないし。

  • iPhone といえば、間抜けにも、先月以来メールの署名に書き入れていた新しい携帯の番号が間違っていたことを、レーニン先生のご指摘で知る。わざわざ「新しい番号です」といって皆に間違い電話を強いていたわけで、たいへん失礼いたしました。慌ててその番号にかけてみたら、幸いにも「使われておりません」メッセージが流れた。いきなり知らない人たちから電話がかかってくるようになった、という迷惑な事態だけは回避した模様。いやはや、冷や汗をかいた。

  • 土曜日、まだ先の長い調査に向かう参加メンバーの皆様にお別れを告げてひとり先に帰宅。お世話になりました。>瀝青会および関係者の皆様。

  • 2009年9月 1日

    エコ不買のワークショップ

    嫌がらせのような残暑の土曜日。

    思うところあって1ヶ月にわたってお手伝いした、造園学会関東支部の学生ワークショップ「サマースタジオ」の、「夏休みの部」最終日。理科大や関東学院大の建築学生に揉まれて、ラ系キッズにはよい経験になっただろうと思う。

    都市に対する問題意識が希薄というか、なんか今ひとつ本気に聞こえないというか、提案の動機が不明なために手段の妥当性の議論になりにくいのは、こういうワークショップだけでなく、設計演習でも感じることである。もっとも、我々「出題側」が、わかりやすい「目的」に仕向けなかったという事情もあるので、必ずしもキッズのせいばかりではないのだけれども。

    建築系も混じったワークショップで「ランドスケープ」がお題に掲げられると、たいてい「エコ」が提案されようとする。でも、僕らラ系プロはほとんど、「いわゆるエコ」には冷淡である。何故かというと、ひとつには、ラ系は「エコ」を手段だと見なす傾向があり、それを目的化するオチを認めないからである。もうひとつは、そもそもラ系は下手にその方面の専門なので、エコロジカル(生態学的に妥当)であることと、都市環境の劣悪さを緩和することと、人類の存続のために地球環境の急激な変化を最小化しようとすることと、資源の不要な浪費を低減することと、ライフスタイルとして「簡素にやる」ということ、それぞれを区別して考えるため、そのへんがごっちゃになった生半可な「エコ」提案が「バカ」に見えちゃうのである。

    「エコは買わないよ」という宣言を受けたキッズの困惑は、いかにそれが至上命題的に信憑されていて、それさえ唱和していれば誉められると子供たちが考えているか、そしてそこから先をぜんぜん考えていないか、ということを示していて興味深い。今回も、10人以上いたチューターのお兄さん/お姉さんらは一人としてそっちへ誘導しなかったため、間接的/副産物的な効果として地域環境の緩和がうたわれた例を除いて、ひとつも「都市環境の改善に貢献する」ための提案がなされなかった。ラ系のワークショップのくせに。やるじゃないか造園学会。

    いちおう、スケジュールとしては一区切りだが、作業はこれで終わりではなく、このあと、学会の支部大会での発表がある。実はこれからのひと月が結構効くぞ子供たち。どうせ学生のアンビルドだ、プレゼンでツカめば勝ちだよコタツ問題、じゃなかった、それぞれアイデアは買うから、あとは「表現と伝達のクオリティ」にガッツと資源を集中するように。健闘を祈る。

    2009年8月28日

    基礎知識としての「かわ」

    先日、妻が子供たちのために買ってきた絵本、「かわ」。初版は1966年、福音館の「こどものとも」シリーズのひとつとして出版された。妻が書店で見つけたのは復刻版である。ロングセラーだ。

    著者は、加古里子(かこさとし)という絵本作家で、他にもいくつも有名な絵本を書いている。僕も幼いころ、「だるまちゃんとてんぐちゃん」とか「とこちゃんはどこ」とか「たいふう」とか、随分とお世話になったが、特にこの「かわ」は好きで、何度も飽かず眺めていたのを憶えている。

    amazonへのリンク:
    か わ (こどものとも絵本)

    レビューがいくつか付いているが、どれも秀逸だ。書いている人がみんな、ほんとにこの本に鮮烈な思い出があって、いまでも好きなんだろうなという感じが伝わってくる。

    手元で、あらためて開いてみるに、今にしてなお、というか今だからこそ、非常に新鮮である。子供のころは気付かなかった細かい遊びや構成上の工夫なども興味深いが、何よりも、水源地の山間部から中流域の農村、下流にある都市、河口の工業地帯と、国土の様々な風景が実にフェアにフラットに描かれているのが素晴らしい。作者の世界観の表現でもあるだろうし、河川という地形的事象が軸になっているために、物事を横断的に俯瞰する(地図的に国土を眺める)ことが可能になっているということもあるだろう。あるいは1960年代の空気というか、価値感も反映されているかもしれない。林業、農業、流通、工業(臨海部の工場の『種類』がちゃんと描き分けられている)といった、「いろんな場所で営まれているいろんな産業」へのリスペクトが感じられて、ちょっと胸が熱くなる。

      

    川を手がかりに、地形的に急峻な日本の国土の「圧縮された多様さ」を見せながら、この絵本が述べているのは「私たちを取り巻く物事はすべてつながっている」という単純な事実である。土木構築物の、主にその外見上の「理不尽さ」は、それが背負っている問題の大きさと、それを一気に解決しようという技術的飛躍のせいである。たとえば、ダムはあくまでもより広域的な「利水・治水」システムのなかのひとつの装置/施設としてあるわけで、その観点が欠落していたら、ダムの是非をめぐる議論はまったく不毛だ。

    でも、そんな、特に難しいわけでもない「土木リテラシー」を、実に多くの人が持ち合わせていないのは驚くばかりである。私たちの通常の生活の基盤に土木構築物があることなど、想像力ですらない。ほとんど義務教育的素養じゃないか。ダム的なシステム(都市を成立させるべく、国土スケールで地形と水系を工学的に利用するというアイデア)の技術や思想に対する批判的検討ならともかく、「自分の知識や想像力が及ばないところではきっと陰謀がうごめいている」「一部の偏執狂的支持者の『ため』に巨大な構造物が正当化されている(←ほんとうにバカじゃないのかこういう夢想)」っていう、自分の知識の浅さとイメージの射程の短さを露呈するような文章を見かけるに、「素朴なドボク教育」の大切さをあらためて思い知る初秋であるぞ。

    なお、加古里子の絵本デビュー作も「こどものとも」シリーズのひとつだった。これも復刻されている。

    だむのおじさんたち

    現場の職人さんたちにフォーカスしながら、ダム建設の過程を追った絵本。
    これ、掘削工事を山のクマやリスたちが手伝っていたりして、まったく、どうかしている本である。

    2009年8月18日

    建築系ラジオ&村おこしアートの悲しみ2

    建築系ラジオアップリンク公開収録「東京論」

    10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト|

    この末席に加えて頂いた。

    じつに、僕の持ちネタが音声メディア向きではないということをあらためて思い知った。視覚偏重型のプレゼンテーションを上映しながら、ほとんど慌ててなんとかして言葉で説明しようと四苦八苦したため、あれが音声だけになっても、何か意味のあることを述べているように聞こえるかどうか、はなはだ自信がない。うう、配信が恐ろしい。

    しかし、イベントそのものは、収録後の打ち上げも含め、非常に楽しいひとときでした。お誘い下さったラジオのコアメンバーの五十嵐さん松田さん南さん山田さん(50音順)はじめ、今回ご一緒した杉浦さん山中さん学生の皆さん、公開収録にお運び下さった諸姉諸兄、アップリンクのスタッフのみなさま、ありがとうございました。

    それぞれのプレゼンテーションの内容は、それぞれの回の番組を聞いて頂きたいが、今回、渋谷中のビルに登って「空中地形」を体験しようとしたり、ママチャリで坂道を走り回ってフトモモで地形を記述(いや擬音語だった)したり、都心の地下を徘徊したりした学生さんらの発表を見聞きしつつ、熱心で冴えたキッズは居るところには随分居るじゃないかとなんか嬉しくなってしまった、ということを記しておきたい。素晴らしい。

    さて、こういうわけで、これは他の回も聴いておかねばなるまいと思い、「建築系ラジオ」を初めて拝聴したのだったが、それがいきなり「こたつ問題」の番組だった。

    35A: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」 - 建築系ラジオ-2部

    ディテール侍節が冴えわたる(あとで気付いたが、何気に壁嬢もいるじゃないか)話は面白いが、なんというか。
    趣旨はわからなくはないが、「建築」関係者がこれを「建築界の問題」として謝ってみせたりしなければならないのか、という点は、よくわからない。

    僕自身は現物を見ていないし、作品自体も参加型で成長するようなので何ともいえないが、仮に不出来だったとして、「ダメなアート作品」は単に「ダメ」と評価すればいいのではないか。「アート祭り」に貧相な作品が出品されたこと自体は、建築の問題というよりも、こうした玉石混交を許容してしまう「アート祭りのシステム」の問題だろう。審査員のリテラシーの問題というべきか。ダメな作品ひとつ見ただけで「建築系はダメな作品を送り出す」なんて思い込むほど来場者がみんなナイーブじゃないと思う。作者が建築系だという理由で責められるのはちょっと気の毒だ。作者の「属性」というのは「アート作品」の鑑賞や享受においてそんなに重要なんだろうか。どうもこのへんの現代アートのプロトコルというかロジックというか、扱いの「作法」はよくわからん。

    もっとも、提案時のプレゼンテーションを見るに、それはいかにも『洗濯物と植物しか描いていない』系(@藤村龍至)のレンダリングではあって、そういう意味で、建築系の人たちとしては、近年のこうしたノリの提案が実際は建築物として実現するにはかなりアクロバティックなエンジニアリングが動員されたりもする、相当なガッツ(と政治力)がないと「具現化・物体化」しないたぐいのものであるにも関わらず、夢想提案だけはわりと簡単にできてしまうし、そういうテイストの提案が持てはやされたりするために、キッズが勘違いしてしまう、という、「建築系内部の問題」と受け止めることは可能である。というか、それのほうが深刻なんじゃなかろうか。「こたつ問題」は、「建築力を伴わないSANAAワナビーを許す建築コミュニティの問題」なのかもしれない(ラ系のパストラル症よりもたちが悪いかもしれない)。

    建築キッズたちが引き出しうる教訓としては、「むしろ、いっそ建築の国際コンペとかだったら、投下される資源が大きいために、エンジニアやゼネコンがよってたかって実現させちゃうなんてことも起きかねないが、こういう村おこしアート祭りの場合は、結構あっさりハシゴを外されて放り出されることもある」ということを覚えて、気をつけようね。ということだな。

    2009年8月 3日

    松戸一区切り。

    先週の火曜日は、千葉大の実習の最終日。ゲストもお呼びして、発表と講評会を行った。

    今年、担当した実習は前期の後半、週に1回3時間×7回分であった。終わってみるとじつにあっという間の7週間だった。これで、けっこう緊張しっぱなしだった。赤坂先生木下先生、ボランティアも含めてTAのみんな、お世話になりました。ありがとうございました。

    成果品のクオリティについて、今回の到達点は僕にとっては驚くほど完成度の高いものが出てきたと思った(ほとんど感動的であった)のだが、それはまあ、それまでの過程をずっと見ていた目での評価であって、ゲスト講師の目にはぜんぜん違ったように映ったようだ。特に、70人という、隅々まで目の行き届かないような人数の集団に対して、7週間の最後に仕上がる「成果品」の内容と品質をどのあたりに設定して実習のプロセスを組み立てるかというのは、今後とも考えねばならない課題である。べつに言いっぱなしでやらせっぱなしでも誰にも責められないだろうが、なんか、こういうの、手抜きができないのだ。性格的に。

    以下は反省。

  • なかなか「よい教師」になれない。学生の習得度を考えて、うまく段階的に内容を重ねてゆくというような「教える技術」に乏しいため、なんか、これは言っておかねばというような物事をとにかく詰め込んで喋ってしまう。おそらくレクチャーのほとんどは消化不良だったと思われる(最後の課題に、レクチャーで伝えたはずのことがほとんど応用されていなかった)。少なくとも「講義編」は、演習のコマで慌しく話すボリュームではなかった。もっとサブジェクトを絞るべきだった。申し訳ない。今後の改善課題にする。

  • 千葉大園芸学部、予想していたよりもはるかに手ごたえのある優秀なキッズ群だと思ったが、絵に描いたみたいな「やる気のない学生」もいて驚いた。もしかすると、これまでの(というか、中学までの)「学校」の延長のように勘違いしているのかもしれないが、誰もお前にそこに座っててくれと頼んだわけじゃないし、僕だって非常勤だし何の義理もないからあえて構う気はない。今年は初年度だし、他の先生方の手前、うっかりそのままにしたが、何だかんだいってやっぱり神経に障ることもわかったので、来年からは、もし似たような学生がいたら退出してもらうことにする。こっちの資源だって有限なのだ。無駄に使ってられるか。帰っていいぞ。あと、まさかとは思うが、意匠系に進むんじゃねえぞ。と言うことにしよう。

  • 園芸学部のキャンパスは良すぎる。最終課題は、対象地が、一種のくじ引きで当たるようにし、それぞれ、割り当てられた箇所を見に行って、帰ってきて「賞賛する」ことから始める、ということにした。「ダメなところを改良する」提案の課題よりも、不本意な場所をあてがわれて無理やり誉めさせられるほうが一生懸命に敷地の特徴を観察するんじゃないか、という思惑があったのだ。ところが、ワーキングの時間に赤坂先生や木下先生に案内頂いて少し歩き回ってみてつくづく実感したが、分厚い斜面林に囲まれて、農場と庭園の中にぽつぽつ建物があるという松戸キャンパスは、たいていの箇所はそのまま特に工夫もなく「ほめ得る」クオリティの環境なのだった(そして案の定、普通に手放しで既存環境を賞賛する報告がほとんどだった。まあそれはそれで『悪いこと』ではないが)。むしろ、「改良すべき劣悪な点」を探して報告せよ、という課題のほうがよかったかもしれない。事前リサーチが足りないのは僕だった。。。

    夏休みが明けると、関東学院の演習に備えなくてはいけない。松戸が終わって、金沢八景通いへ。

  • まちの断片・地図編終了

    先々週末。メディアセブンのレクチャーはお陰さまで無事に終了。

    事前に少し調べていったが、川口市は大宮台地と荒川低地にまたがっていて、なかなか面白い場所である。ということを知った。5mメッシュ標高データで描いた地図に浮かび上がる旧芝川の河道など、地図的楽しみも味わえる。もっと時間をかけて市内を歩き回ってみたい気もした。

    このシリーズ皆勤で聴講されているという磯さん、久しぶりにお会いした写真家の福田さん、鈴木雄介さん、大山さん杉浦さんたち、暑い中お運び下さった川口市民の皆様、呼んで下さった運営の佐藤さん、ありがとうございました。


    以下はちょっと余談。

    僕は、仕事でも講演会でも学校の講義でも、出先でのプレゼンテーションは全て職場で普段使っているノートPC(決してパワフルではないが、そこそこ普通に使えるHPのノート)を持参する習慣がある。

    今回、張り切って準備して、これまで発表したことのあるパワーポイントから画像ページを次々にコピーしてファイルを作っていたら、250ページあまり、ファイルサイズにして200MBくらいになった。そうしたら急にパワーポイントがハングするようになった。えらく長い時間をかけて何とか開くものの、ちょっと文字を変えるとか、内容の操作をしようとすると止まってしまう。ファイルの減量をしたり、様々な対策(僕が知る程度の対策)をしてみたが、一向に改善しない。特に非常に大きな画像ファイルを入れているわけでもないし、動画を埋め込んでいるわけでもないし、効果を多用しているわけでもないのだが。このくらい動かなくてどうするパワーポイント。

    前日の夜、データを持って帰宅して、自宅のメイン機・iMacに入ったOffice2008を使って開いてみたら、エラーは起こさなくなったものの、開けたり閉じたり保存したり、ページをコピーしたり入れ替えたりする動作がもう、意地悪されているかのようなスローモーションで、おまけに「pptx」という未知の拡張子がついたファイルが生成された(新しいフォーマットらしい)。そもそも、考えてみたら、iMac担いで川口へ行くわけにはいかない。

    素人が思いつく限りにおいて様々なことを試し、最後にダメ元のつもりで、あらためてファイルを古い形式(ppt)で保存しなおして、自宅のサブ機(プロセッサのスピードがギガヘルツ台に達していない、クラシックがちゃんと動く、OSもアップデートしていない12インチのPowerbookG4。2003年のモデル。)にコピーして、古いofficeXで開いてみたら、あっさり起動して実に普通にキビキビと動いた。結局、川口へはこの旧型Macを持っていった。古いものも、決定的に旧型に陥るまでは充分に使える場面もあるという、特に目新しいわけでもない教訓を得た週末であった。よくやった古ブック。まだ大事にするぜ。