2009年8月28日

基礎知識としての「かわ」

先日、妻が子供たちのために買ってきた絵本、「かわ」。初版は1966年、福音館の「こどものとも」シリーズのひとつとして出版された。妻が書店で見つけたのは復刻版である。ロングセラーだ。

著者は、加古里子(かこさとし)という絵本作家で、他にもいくつも有名な絵本を書いている。僕も幼いころ、「だるまちゃんとてんぐちゃん」とか「とこちゃんはどこ」とか「たいふう」とか、随分とお世話になったが、特にこの「かわ」は好きで、何度も飽かず眺めていたのを憶えている。

amazonへのリンク:
か わ (こどものとも絵本)

レビューがいくつか付いているが、どれも秀逸だ。書いている人がみんな、ほんとにこの本に鮮烈な思い出があって、いまでも好きなんだろうなという感じが伝わってくる。

手元で、あらためて開いてみるに、今にしてなお、というか今だからこそ、非常に新鮮である。子供のころは気付かなかった細かい遊びや構成上の工夫なども興味深いが、何よりも、水源地の山間部から中流域の農村、下流にある都市、河口の工業地帯と、国土の様々な風景が実にフェアにフラットに描かれているのが素晴らしい。作者の世界観の表現でもあるだろうし、河川という地形的事象が軸になっているために、物事を横断的に俯瞰する(地図的に国土を眺める)ことが可能になっているということもあるだろう。あるいは1960年代の空気というか、価値感も反映されているかもしれない。林業、農業、流通、工業(臨海部の工場の『種類』がちゃんと描き分けられている)といった、「いろんな場所で営まれているいろんな産業」へのリスペクトが感じられて、ちょっと胸が熱くなる。

  

川を手がかりに、地形的に急峻な日本の国土の「圧縮された多様さ」を見せながら、この絵本が述べているのは「私たちを取り巻く物事はすべてつながっている」という単純な事実である。土木構築物の、主にその外見上の「理不尽さ」は、それが背負っている問題の大きさと、それを一気に解決しようという技術的飛躍のせいである。たとえば、ダムはあくまでもより広域的な「利水・治水」システムのなかのひとつの装置/施設としてあるわけで、その観点が欠落していたら、ダムの是非をめぐる議論はまったく不毛だ。

でも、そんな、特に難しいわけでもない「土木リテラシー」を、実に多くの人が持ち合わせていないのは驚くばかりである。私たちの通常の生活の基盤に土木構築物があることなど、想像力ですらない。ほとんど義務教育的素養じゃないか。ダム的なシステム(都市を成立させるべく、国土スケールで地形と水系を工学的に利用するというアイデア)の技術や思想に対する批判的検討ならともかく、「自分の知識や想像力が及ばないところではきっと陰謀がうごめいている」「一部の偏執狂的支持者の『ため』に巨大な構造物が正当化されている(←ほんとうにバカじゃないのかこういう夢想)」っていう、自分の知識の浅さとイメージの射程の短さを露呈するような文章を見かけるに、「素朴なドボク教育」の大切さをあらためて思い知る初秋であるぞ。

なお、加古里子の絵本デビュー作も「こどものとも」シリーズのひとつだった。これも復刻されている。

だむのおじさんたち

現場の職人さんたちにフォーカスしながら、ダム建設の過程を追った絵本。
これ、掘削工事を山のクマやリスたちが手伝っていたりして、まったく、どうかしている本である。

2009年8月23日

みんなどうかしている

ダムマニアは美的感覚が貧しいか本質を見抜く力が無い - 長い正夢 - Yahoo!ブログ

まったくだ。ダムなんか楽しみで眺めてる連中は神経がどうかしてると思う。

あと、世の中には「水門マニア」というのもいるらしい。川や海の水の自然な流れをせき止め捻じ曲げて、水の生態系を分断する、あんなもの好き好んでマニアとか言ってる奴らの頭は病んでると思う。

あと、高速道路の「ジャンクション」とか「国道」とか。毎年一万人を死なせている大量殺人機械で、二酸化炭素排出の元凶である内燃機関車輛のシステムを面白がったり、グッとくるとか言って鑑賞したりするなんて、気がふれてるとしか思えない。信じられない事に「ガソリンスタンド」のマニアまでいるらしい。

あと、いったん事故が起きたら取り返しのつかない大惨事になってそれこそ大量殺人機械になる、原子力発電所から送られてくる高圧電線の「鉄塔」を見て回るマニアとか、高度経済成長期に急増する都市人口をともかく収容するために、住戸をニワトリのケージみたいに詰め込んだ非人間的な建物、「団地」の写真ばっか撮ってるマニアとか、人間として美的感覚が壊れてるとしか思えない。

あと、ゴミ埋め立てた湾岸の埋め立て地の「地形」とか、海岸線から美しい景観と水際の親水性を奪っている「テトラポット」とか、川の水辺を街から奪ったコンクリート三面張りの護岸とか、そういうのヤバいなんて言って好むなんて、完全にイカれてるとしか思えない。公害まき散らかす「工場」の風景を愛でて「萌え」とか言って、このエコでロハスでグリーンな時代に、どうかしちゃったのか。

大量殺人機械といえば、その最たるアメリカの軍事技術のおこぼれであるGPSを嬉しがって使ってるなんてのも許せないぜったいに。

あと、マングローブ帯を破壊して養殖場を作るために、東南アジアの海岸の生態系をメチャクチャに破壊してるエビとか、熱帯雨林を破壊して栽培されてるバナナとか、ああいうの何も考えないで美味いとか食ってるやつの味覚は壊れてるとしか思えないし、長年かけて荒らされて、自然な植生がねじ曲げられてきた里山の雑木林とか、本来の地形を造成して改変して農薬垂れ流してる棚田とか見て「きれい」なんて、どうなんだああいうの。子供によく教えとかなきゃ。

via: 速報ダム日和

2009年8月12日

ヤバ景終了:ありがとうございました

ついに会社も夏期休業期に入り、今週の日曜日は「ヤバ景」イベント(会社の休業とは関係ないが)。

大山顕の"ヤバい景観的・東京88景" TOKYO CULTURE CULTURE:@nifty

お台場カルチャーカルチャーには初めてお邪魔したが、思っていたよりはアクセスも良く、よい施設であった。店長・横山さんに、久し振りにお会いした。新宿のロフトプラスワンの「団地ナイト2」以来、3年半ぶり。考えてみたら、学校や文化施設とかでの講演や講義の機会は度々あるが、入場料払っていらしたお客さんが飲み食いしながらのトークライブというのは、「団地ナイト2」が初めてで、今回の「ヤバ景」が2度目の経験だった。

いやはや、大学の講義なんかよりよっぽど緊張した。もう数える程しかお客が入ってない寂しい会場で、外しまくったプレゼンを虚空に向けて必死でやってる、なんてことになったらどうしよう、と、事前に資料を作りながら悪夢にうなされるような数週間を過ごしたが、ふたを開けてみたら当日はチケット売り切れの満員で、遠くからも沢山の方が足を運んで下さった模様で、何よりも会場のノリと反応が知的でスピード感にあふれていて、もうなんか、幸せなひとときを過ごした。来場下さった皆様も楽しんで頂けたのだったら嬉しい。少なくとも僕が見聞きした範囲では、面白かったという感想をいくつも頂いた。たとえ演台に上っていてもこういう「トーク」は一方的なものではなく、会場との応答によってある種の「会話」になる。「かけあい」が高度に成立すると、自分でも思ってみなかったような興味深いことをうっかり口走ったりする。「準備した以上の内容を描いてしまうこと」が「ライブのよろこび」なのだった。お越し下さった皆様、会場スタッフの皆様、駆けつけてくれた友人知人の皆様、ありがとうございました。大山顕ブランドのチカラもあらためて思い知った。ご一緒する機会があるのは嬉しい。

会場で「ヤバケイTシャツ」販売して下さった小林さんご夫妻、ありがとうございました。この界隈で、この他のダムとか水門とか団地とか鉄塔とかその他のテーマはほぼ全て、小林さんらによってTシャツ化されている。スリバチ学会まで、バッジのデザインに採用されている。しかし、僕の演目がTシャツやバッジや手ぬぐいになったことは今までなかったのだ。いちおう、今回でようやく一人前というか、マニアパレル的に合格したわけである(大山さんとセットだけれども)。

それにしても詰め込み過ぎだった。最初の自己紹介などは、たとえば大山さんの自己紹介部分は「ヤバ景」のパートに混ぜてしまってもよかったし、僕の自己紹介は「どこまで東京」の一部にしてもよかったかもしれん。そもそも、今回の企画はもともと「どこまで東京」の結果をネタにして、東京って何?というような話を、イメージや地理やその他のいくつかの切り口でやってみようというアイデアだったのだが、「どこまで東京」だけでは興行的にOKが出なかったらしい。一方で「ヤバ景」はもう、ずっと以前から、一度どこかで落とし前を付けようぜ、という話をしていた題材であって、僕は建築学会誌の特集とか10+1の特集とかでそれなりにまとめた文章を書いたりしてプチ達成感を得ていたが、ご本人はそうでもなくて、ずっと機会を窺っていたようだ。というか、折に触れて何度もいろんなところでやってもいいような題材だけどな。

特に今回、最後の「ヤバ景」はもっとじっくりやるべきテーマだったと思った。予定時間を大幅に超過してしまったうえに消化不良で終わるというのは良くない。こういう、レクチャーとバラエティの中間みたいな趣旨だと、「頃合い」が難しい。もったいなかった。「どこまで東京」も、鉄道の社内の広告の地理的関係とか、道路のサインとか、ガーデニング植物の生態的分布とか、企画時に検討していて結局出さなかった興味深いサブジェクトもずいぶんあるし、ヤバ景ももっと投稿画像のシェアをやるべきだったし。店長をうまく説得して、またやろう。今度はシングルテーマで。ぜひ。ご検討をお願い致します>関係者各方面。

追追記:

ただ、ヤバ景は拾う景観の範囲が広すぎて、「ぐっとくる」感じを共有できるのか、(必要もないのに)ちょっと不安になった。団地や工場やダムといった「ドボク」は愛でる対象が限定されているから、「ぐっとくる」感じを共有し易いのではなかろうか。それこそ「水門」の佐藤さんは「ドボクサミット」で、「水門以外興味ない」って言ってるし。

jump a light @ the city lights: 懐かしのヤバい景観

たしかに、もう「なんでもあり」になってしまうと、それはまあ各々が個人的な心情として抱くものなのだという言い方はなくはないが、「ヤバ」さの緊張感というか、「ぐっと」の切実感というか、そういう「尋常じゃなさ」は失われてしまう。会場でわずかにやろうとした「ヤバい」と「イタい」の違いというか、皆さんからも「自分的にど真ん中でヤバい」と「これは周辺というか境界というか微妙」といういくつかの種類を持参してもらって、ヤバさの輪郭のようなものを探る、というのが面白かったかもしれない。というかまたやろう。これ。>各位

追記。

# @superesk や、それはまさにそのとおりでドボサミの時のように純粋に鑑賞者の視点でいてくれればそれでおkなのです。一方で、郊外論も好きなので否定はしませんが、ごっちゃにすると落とし穴ありまくりですぞ、と言いたいだけ。約18時間前 movatwitterで superesk宛

#
ヤバい景観はそもそも美しい景観のカウンターとしてうまれた概念なのだから、何も無理に東京の境界と結びつけなくてもよかったんではないかなー。変に郊外論とごっちゃになっているような。4:31 PM Aug 10th movatwitterで

#
都市の「ヤバい景観」はすでに16号線マーケット、郊外論、あるいは映画版パトレイバーあたりでずいぶん語られたような気がするのだけどね。ドボクとの比較・整理の副産物で生まれ出てきた概念といえなくもないような。ケンカ売ってるだけかな、これじゃ。もう一階層掘れそうな気も。5:17 AM Aug 9th webで

#
ドボクとヤバ景の棲み分けを定義してたのは、整理学としてはよかったけど、傍から見るとポカーンなのだろうな。商業化されてるか否か、という区分はボードリヤールっぽいですね。今さらですかね。5:14 AM Aug 9th webで

#
ヤバ景@TCC、なう12:56 AM Aug 9th movatwitterで

Tkkz SSK (s_kiichi) on Twitter

前述のようなわけなので、「どこまで東京」と「ヤバい景観」はいわば無理矢理な「2本立て」で、この二つを結びつけるのは無理があるという指摘はもっともだ。申し訳ない。深読みをして頂いて恐縮である(むろん、無意識にこの二つを併映した我々の心情を分析することは可能だが)。

ただ、「ドボクとヤバ景の棲み分け」なんてぜんぜん「定義」してないが、これはなんだろう。いや、プログラムとして無理な構成だったんだから、と言われれば返す言葉もないが、それにしたって「ドボサミの時のように純粋に鑑賞者の視点でいてくれればそれでおk」はむかつくな。「純粋な鑑賞者」って何だよ。上記の文章こそ落とし穴も油断も隙もありまくりの発言に見えるけど。公開されてるし、「ヤバ景」で簡単に検索に引っかかるから、当人が目にするとは思わなかったというわけではないだろうし、俺がどう「純粋な鑑賞者」を逸脱し、それがどう「おk」じゃないのか、話を聞かせてもらいたいな。喧嘩売ってるのなら。

# .@s_kiichi そういう意味では去年の「ドボクサミット」が武蔵美で行われたというのはとっても象徴的なのかもね。(話が脱線気味)5:58 PM Aug 10th twhirlで s_kiichi宛

#
.@s_kiichi その辺りの地方論みたいなのは彼らの意識の中には全然無くて単なるおもしろがりだからそのツッコミは野暮でないの?て思う。個人的には純粋に表層だけを愛でるという大山君の方向性はもう馴染めない所があるんだが、まぁ、それは好みだしねぇ...5:29 PM Aug 10th twhirlで s_kiichi宛

tomo iisaka (superesk) on Twitter

それこそ、こういうの拾って来てあーだこーだ書く僕は野暮天の極みかもしれないが、ひとことだけ。

「純粋に表層だけ愛でる」のは、目的ではなく「手法」なんじゃないかと思う。というのは、注意深く見ると、同じ大山さんの表現でも、対象によってその「鑑賞の作法」への固執の度合いに差が感じられる(端的には、団地と高架下建築の解説の差)からであり、その「差」はたとえば大山さん個人の枠を超えてこのへんの表現活動者一般に敷衍できる(『壁』から『ダム』まで、対象の、いわば「強度」に応じて、課す手続きの濃淡が存在する)からだ。あれを「表層だけ愛でている」と断じてしまうのは、団地に対する態度が目立っているからじゃないかと。むろん、そう思っているのは僕だけで、そう言葉にすると、大山氏ご本人はまた、ちょっと違うと言うかもしれないけれども。

2009年8月 3日

まちの断片・地図編終了

先々週末。メディアセブンのレクチャーはお陰さまで無事に終了。

事前に少し調べていったが、川口市は大宮台地と荒川低地にまたがっていて、なかなか面白い場所である。ということを知った。5mメッシュ標高データで描いた地図に浮かび上がる旧芝川の河道など、地図的楽しみも味わえる。もっと時間をかけて市内を歩き回ってみたい気もした。

このシリーズ皆勤で聴講されているという磯さん、久しぶりにお会いした写真家の福田さん、鈴木雄介さん、大山さん杉浦さんたち、暑い中お運び下さった川口市民の皆様、呼んで下さった運営の佐藤さん、ありがとうございました。


以下はちょっと余談。

僕は、仕事でも講演会でも学校の講義でも、出先でのプレゼンテーションは全て職場で普段使っているノートPC(決してパワフルではないが、そこそこ普通に使えるHPのノート)を持参する習慣がある。

今回、張り切って準備して、これまで発表したことのあるパワーポイントから画像ページを次々にコピーしてファイルを作っていたら、250ページあまり、ファイルサイズにして200MBくらいになった。そうしたら急にパワーポイントがハングするようになった。えらく長い時間をかけて何とか開くものの、ちょっと文字を変えるとか、内容の操作をしようとすると止まってしまう。ファイルの減量をしたり、様々な対策(僕が知る程度の対策)をしてみたが、一向に改善しない。特に非常に大きな画像ファイルを入れているわけでもないし、動画を埋め込んでいるわけでもないし、効果を多用しているわけでもないのだが。このくらい動かなくてどうするパワーポイント。

前日の夜、データを持って帰宅して、自宅のメイン機・iMacに入ったOffice2008を使って開いてみたら、エラーは起こさなくなったものの、開けたり閉じたり保存したり、ページをコピーしたり入れ替えたりする動作がもう、意地悪されているかのようなスローモーションで、おまけに「pptx」という未知の拡張子がついたファイルが生成された(新しいフォーマットらしい)。そもそも、考えてみたら、iMac担いで川口へ行くわけにはいかない。

素人が思いつく限りにおいて様々なことを試し、最後にダメ元のつもりで、あらためてファイルを古い形式(ppt)で保存しなおして、自宅のサブ機(プロセッサのスピードがギガヘルツ台に達していない、クラシックがちゃんと動く、OSもアップデートしていない12インチのPowerbookG4。2003年のモデル。)にコピーして、古いofficeXで開いてみたら、あっさり起動して実に普通にキビキビと動いた。結局、川口へはこの旧型Macを持っていった。古いものも、決定的に旧型に陥るまでは充分に使える場面もあるという、特に目新しいわけでもない教訓を得た週末であった。よくやった古ブック。まだ大事にするぜ。

2009年7月 1日

『まちの断片』

川口にお邪魔します。

レクチャーシリーズ『まちの断片』第五回 石川 初さん

【開催日】7月25日(土)16:00 - 18:00

知っているようで知らない身近なまち・都市のはなし。
今月の「まちの断片」では小型化した情報機器とまちとの関係を考える機会として、二人のゲストをお招きします。
7月の二人目のゲストは、携帯電話にも内蔵されるようになったGPSシステムを使い巨大な絵画を描いたり、土地の高低差を細密にビジュアル化して普段気づかない地域の文脈を探る"東京スリバチ学会"の活動など、多岐にわたりまちとかかわっているランドスケープデザイナーの石川 初さんです。
現在のまちから読み解く様々な研究者の話を聞いてみませんか。

レクチャー開催概要:
【開催日】7月25日(土)16:00 - 18:00
レクチャーシリーズ『まちの断片』第五回目は石川初さんです
ゲスト:石川 初(いしかわ はじめ)
1964年、京都生まれ。地上絵師。登録ランドスケープアーキテクト(RLA)。関東学院建築学科非常勤講師、千葉大学園芸学部非常勤講師。著書に、「ランドスケープ批評宣言」INAX出版、2002(共編著)「ドボク・サミット」武蔵野美術大学出版局、2009(共著)などがある。

レクチャーシリーズ『まちの断片』第五回 石川 初さん - コミュニティデザイン協議会 : CDC

以前、大山さんのトークイベントの告知で、この施設の存在は知っていたのだが、今回、お招きを頂いて、これまでの講師の人選に驚いた。ピクニシェンヌ伊藤さん(レクチャーのレポート見るとすげえ楽しそう)、「風景学」の中川理先生、大山総裁。いいセンス。しかも僕の回の前の週には五十嵐太郎隊長。これは、頑張って準備せねば。ご期待にそえると良いが。

2009年4月20日

物語の向こうの「ただ好き」へ。

そんなふうに思われていないかもしれないが、未だに、人前で何かを話す機会がある度にとても緊張する。今回も、前々日くらいから他のことに手がつかなくなるくらい、トークセッションの内容について考えていてしまった。というか、ここ1ヶ月くらい、さまざまな本や記事を読み返したり、あーだこーだとあらためて頭を捻りまくり、たかだか数十枚のスライド上映のために、なんかもう、ちょっとした論考ひとつ分くらいの量のメモを書いた。ポメラ大活躍。

そんなわけで、イベントが終わって緊張感がほどけて、どっと疲れた。いやはや。
しかしそれにしても(自分で言うのもなんだが)あらためての発見も多き、充実したイベントでした。

まずは、お礼を記しておきたい。

この本を企画された佐藤さんはじめ武蔵野美術大学出版局の関係者の皆様、本の一部に参加する機会を頂いて本当によかった。ありがとうございました。

当日、わざわざ会場にお越し下さって遅くまでお付き合い頂いたご来場の皆様、「ドボクサミット」および「ドボク」系関連の皆様(萩原さんの不在は残念であった)、花束持ってきてくれた副編集長、レーニン先生平塚さん長谷川さん、グループで来てくれたDS2キッズ/ラ系学生キッズ、どうもありがとうございました。嬉しかったです。

あとで聞いた話だが、会場が満員になってしまい(直前まで、案内板に「満員御礼」の札がついていなかったから、わりと空き席があるんだろうと思っていたのだが、駆け込みのお客様が多かった模様)、せっかく来てくれたのに入れなかった人たちがおられたらしい。たいへん申し訳ない。もし、差し支えなければ僕宛に申し出ていただければ、別な機会に何か特典を考えます。ほんとに。

非常に好意的な感想をありがとうございます>レーニン先生。
アセテート編集者日記:ドボクサミット紀念会に行ってみた

ドボサミ本について、鈴木さんの、これは良いレビュー。
ドボクサミット (arclamp.jp アークランプ)

僕は自分自身について、この界隈の「ご意見番」などだとは決して思っていない、というか、そんな器ではない。僕は、理論化したりしているわけではなく、たまたまこうした動きの傍にいて、これを(主に建築やラ系にむけて、問題を喚起する目的で)記録する手伝いしているだけだ。僕自身、実践者のつもりだし。

機会があれば何か、まとめてみたい。いや、そうじゃなくて、これからもなるべく続けたい。これに懲りずにまたよろしくお願いします。>各方面。

以下、頭が今回の熱から冷めないうちに書いておきたいこと:

・風景論、景観論との関係

・「ドボク」はそうとして、では「エンタテイメント」は?という話について。

・上記と関連して、大山さんのいう「笑い」と、長谷川さんの「笑い」の違い。

・上記と関連して、「笑い」の目的について(間口を広げているだけには見えないということ)。

・「ああ、アートね」問題。

以上、取り急ぎメモにて。

2009年4月 8日

ドボサミ本のおすすめ

再来週のイベントに向けて、ここ数日、出版局から送っていただいたドボサミ本を持ち歩いているのだが、あらためて読むに、つくづく、これはいい企画だったしいい本に仕上がったと思う。先鋭的な写真集に特化しちゃったわけでもなく、批評テキストで埋めちゃったわけでもない、議論の余地を差し出しまくっているユルい編集が、ネタ満載。装丁がまたかっこいい。


ドボク・サミット

騙されたと思って、じゃなくて確信を持ってぜひ、お手元にひとつ>各方面。

以下のような人には、特にお勧めです。

・土木学会の景観分科会
・「建築雑誌」の新景観特集に注目してくださった会員
・造園学会員
・生活学会員
・新スケープ周辺、および批判的工学主義者
・関東学院建築・デザスタ2履修者
・美しい景観を守る会員
・その弟子筋の先生方
・いわゆるテクノスケープ系愛好家
・鉄分の高い人
・テトぐるみ購入者、およびテトぐるみの販売紹介記事をブックマークした人
・電柱とアスファルトと街灯と自販機の明かりの何気ない日常風景がふと鮮烈に生き生きと見えたり、写真に撮りたくなったりすることがある人

2009年2月 2日

偏愛のインフラストラクチュア

@nifty:デイリーポータルZ:「テトぐるみ」がかわいい

どういう進化心理学的背景があるのか、私たちはしばしば、そのような意図で作られていない工業製品にある種の美を見出す。その美は、その対象にある操作を加えて、もともとそこに課されていた「オリジナルの意味」を払拭してみることでより際立つことがある。これは景観工学的用語の「異化」の手続きと重なっていて、その意味で「異化」は模型にしたり人形にしたりして猛獣や機械を「無害化」「愛玩物化」する行為にとても似ている。

バドン|マニアパレル:【テトぐるみ】通販開始中 - livedoor Blog(ブログ)

underconstruction: 「テトぐるみ」の作り方

ちなみに、僕はこの構想を小林さん杉浦さんから伺った際に「10個買う!」と豪語したくせに、実際のモノを手にとって「やっぱ4つ・・」と注文数を減らしたヘタレ購入者なのだった。むろん、水門・佐藤さん、スリバチ・皆川さんらもテトグルミオーナーである。

さて、我が家(自宅)はおそらく、PC消波ブロックの殺伐としたテイストからはもっとも対極にあると思われる、北多摩の武蔵野台地の、国分寺崖線の湧水の雑木林の里山な環境を享受する牧歌的なロケーションなのだが、

tetra01

裏庭の揺り椅子に置いてみました。

tetra02

この違和感のなさは、こいつは場所を選ばない、つまり、単にこのPCブロックの造形が優れてキレイなんだということを示唆しているのであろう。

つまり、この記事は、「田舎の人もどうぞ」というサポート記事なのである。

いや、違和感ないってばよ。

tetra03

コドモに人気。部屋の中では、ソファーの周りに撒いてちゃんと「海ごっこ」をするのがやや末恐ろしいのだが。

追記:

水門師匠の消波ブロック・防寒仕様:
Das Otterhaus:うちのテト
「異化」のうえにさらに「擬人化」するという斜め上への二回半捻り。

追追記:

余波がこちらにも押し寄せていて、あらためてこの大反響に驚いた。大山さんのプロデュースぢからと、デイリーポータルZの優れたマニア・メディア性に敬服。じつは大口叩いたくせに少ししか買わなかったために小林さんらにご迷惑おかけしたんじゃないかと心配していたのだが、まったく杞憂であった。

僕にお問い合わせ下さっても何もお返事できないので、以下、差し出がましいが、

  • わかる人にはわかることだが、素材から大きさ、色まで、PC消波ブロックのフォルムをうまく伝えながら、愛玩品としてひと目で一発で可愛いと感じるモノに仕上げるために、いくつもの試作を含めてかなりのエネルギーが注がれた。ヌイグルミ自体のプロダクトデザインの良さがこれの魅力である。

  • 値段に関して、少なくとも今回のこれの販売で「利益」をあげる人は誰もいない。むしろ、労力や経費を考えれば赤字である。「作った人自身がいっぱい欲しい」→「それにはある程度まとまった数を生産するしかない」→「せっかくなのでお分けしたい」という素朴なコンセプトで実現していることを、ご理解頂けると幸いである。

  • 2009年1月27日

    東京ってどこのこと?

    どこまで東京?

    これは面白い。「地図ナイト」向きのコンテンツだ。

    あらためて考えてみると、僕は自分の住む調布市を必ずしも「東京」だとは見なしていないようだ。というか、「三鷹」とか「調布」とか「深大寺」などというような生々しい地名は、僕にとってはそれぞれの個々の印象があまりに鮮明で、「東京」という抽象的な地名とは相容れないような感じがする。もっとも、「東京」を、都市の代名詞のような「抽象的な地名」だと感じる、そういう感受性は僕自身が東京出身ではないことに由来するのかもしれない。あるいはまた、育ちや出身地の違いだけではなく、東京に関する発言を「どこでしているか」ということも「東京のイメージ境界線」の描画には関わっているだろうと思う。僕は京都府宇治市の出身だが、地元では誰も「宇治」を「京都」とは言わないが、東京にいる現在、自分の出身を「京都です」と述べることには何の抵抗も疚しさも違和感もない。

    ただ、何年も前、これに似たようなことを思いついて手描きの首都圏の白地図をつくり、周囲の友人に訊き回ってずいぶんコレクションしたことがあり、東京から遠い地方の出身の若い女性は舞浜を東京にカウントするとか、多摩住民は西に甘く、千葉県民は東に甘く、年齢の高い男性ほどイメージよりも知識が先立ってしまって東京のエリアが行政区界に一致するとか、都区内出身で引越し経験のない人ほど範囲が驚くほど狭いとか、興味深い傾向も見られたのだが、面白がって職場のロッカーに「東京ってどこまでですか展」というタイトルを掲げてずらっと貼りだしておいたら、いつのまにか捨てられてしまって結構へこんだ。その後、雑誌の特集記事とか、ある美術館のオープニング展示企画とかに提案しては没になるというさらなる試練を経て、「東京ってどこまでですか」は僕の中でずっとトラウマのトラノコなのだった。

    そういうわけで、これは面白いし、こういうのを軽々とやってしまう心意気と才気には感心し羨ましくもあるが、上記のごとき屈折した経緯と記憶があるために僕はこれを冷静に見られないので、「あれ面白いですね見ましたか」とかわざわざ俺に教えたりもうしないでくれ。この件に関しては以上。

    2008年11月28日

    本日のタモリ倶楽部をチェックせよ。

    さしあたって以上。
    取り急ぎ。