2009年4月20日

物語の向こうの「ただ好き」へ。

そんなふうに思われていないかもしれないが、未だに、人前で何かを話す機会がある度にとても緊張する。今回も、前々日くらいから他のことに手がつかなくなるくらい、トークセッションの内容について考えていてしまった。というか、ここ1ヶ月くらい、さまざまな本や記事を読み返したり、あーだこーだとあらためて頭を捻りまくり、たかだか数十枚のスライド上映のために、なんかもう、ちょっとした論考ひとつ分くらいの量のメモを書いた。ポメラ大活躍。

そんなわけで、イベントが終わって緊張感がほどけて、どっと疲れた。いやはや。
しかしそれにしても(自分で言うのもなんだが)あらためての発見も多き、充実したイベントでした。

まずは、お礼を記しておきたい。

この本を企画された佐藤さんはじめ武蔵野美術大学出版局の関係者の皆様、本の一部に参加する機会を頂いて本当によかった。ありがとうございました。

当日、わざわざ会場にお越し下さって遅くまでお付き合い頂いたご来場の皆様、「ドボクサミット」および「ドボク」系関連の皆様(萩原さんの不在は残念であった)、花束持ってきてくれた副編集長、レーニン先生平塚さん長谷川さん、グループで来てくれたDS2キッズ/ラ系学生キッズ、どうもありがとうございました。嬉しかったです。

あとで聞いた話だが、会場が満員になってしまい(直前まで、案内板に「満員御礼」の札がついていなかったから、わりと空き席があるんだろうと思っていたのだが、駆け込みのお客様が多かった模様)、せっかく来てくれたのに入れなかった人たちがおられたらしい。たいへん申し訳ない。もし、差し支えなければ僕宛に申し出ていただければ、別な機会に何か特典を考えます。ほんとに。

非常に好意的な感想をありがとうございます>レーニン先生。
アセテート編集者日記:ドボクサミット紀念会に行ってみた

ドボサミ本について、鈴木さんの、これは良いレビュー。
ドボクサミット (arclamp.jp アークランプ)

僕は自分自身について、この界隈の「ご意見番」などだとは決して思っていない、というか、そんな器ではない。僕は、理論化したりしているわけではなく、たまたまこうした動きの傍にいて、これを(主に建築やラ系にむけて、問題を喚起する目的で)記録する手伝いしているだけだ。僕自身、実践者のつもりだし。

機会があれば何か、まとめてみたい。いや、そうじゃなくて、これからもなるべく続けたい。これに懲りずにまたよろしくお願いします。>各方面。

以下、頭が今回の熱から冷めないうちに書いておきたいこと:

・風景論、景観論との関係

・「ドボク」はそうとして、では「エンタテイメント」は?という話について。

・上記と関連して、大山さんのいう「笑い」と、長谷川さんの「笑い」の違い。

・上記と関連して、「笑い」の目的について(間口を広げているだけには見えないということ)。

・「ああ、アートね」問題。

以上、取り急ぎメモにて。

2009年4月 8日

ドボサミ本のおすすめ

再来週のイベントに向けて、ここ数日、出版局から送っていただいたドボサミ本を持ち歩いているのだが、あらためて読むに、つくづく、これはいい企画だったしいい本に仕上がったと思う。先鋭的な写真集に特化しちゃったわけでもなく、批評テキストで埋めちゃったわけでもない、議論の余地を差し出しまくっているユルい編集が、ネタ満載。装丁がまたかっこいい。


ドボク・サミット

騙されたと思って、じゃなくて確信を持ってぜひ、お手元にひとつ>各方面。

以下のような人には、特にお勧めです。

・土木学会の景観分科会
・「建築雑誌」の新景観特集に注目してくださった会員
・造園学会員
・生活学会員
・新スケープ周辺、および批判的工学主義者
・関東学院建築・デザスタ2履修者
・美しい景観を守る会員
・その弟子筋の先生方
・いわゆるテクノスケープ系愛好家
・鉄分の高い人
・テトぐるみ購入者、およびテトぐるみの販売紹介記事をブックマークした人
・電柱とアスファルトと街灯と自販機の明かりの何気ない日常風景がふと鮮烈に生き生きと見えたり、写真に撮りたくなったりすることがある人

2009年2月 2日

偏愛のインフラストラクチュア

@nifty:デイリーポータルZ:「テトぐるみ」がかわいい

どういう進化心理学的背景があるのか、私たちはしばしば、そのような意図で作られていない工業製品にある種の美を見出す。その美は、その対象にある操作を加えて、もともとそこに課されていた「オリジナルの意味」を払拭してみることでより際立つことがある。これは景観工学的用語の「異化」の手続きと重なっていて、その意味で「異化」は模型にしたり人形にしたりして猛獣や機械を「無害化」「愛玩物化」する行為にとても似ている。

バドン|マニアパレル:【テトぐるみ】通販開始中 - livedoor Blog(ブログ)

underconstruction: 「テトぐるみ」の作り方

ちなみに、僕はこの構想を小林さん杉浦さんから伺った際に「10個買う!」と豪語したくせに、実際のモノを手にとって「やっぱ4つ・・」と注文数を減らしたヘタレ購入者なのだった。むろん、水門・佐藤さん、スリバチ・皆川さんらもテトグルミオーナーである。

さて、我が家(自宅)はおそらく、PC消波ブロックの殺伐としたテイストからはもっとも対極にあると思われる、北多摩の武蔵野台地の、国分寺崖線の湧水の雑木林の里山な環境を享受する牧歌的なロケーションなのだが、

tetra01

裏庭の揺り椅子に置いてみました。

tetra02

この違和感のなさは、こいつは場所を選ばない、つまり、単にこのPCブロックの造形が優れてキレイなんだということを示唆しているのであろう。

つまり、この記事は、「田舎の人もどうぞ」というサポート記事なのである。

いや、違和感ないってばよ。

tetra03

コドモに人気。部屋の中では、ソファーの周りに撒いてちゃんと「海ごっこ」をするのがやや末恐ろしいのだが。

追記:

水門師匠の消波ブロック・防寒仕様:
Das Otterhaus:うちのテト
「異化」のうえにさらに「擬人化」するという斜め上への二回半捻り。

追追記:

余波がこちらにも押し寄せていて、あらためてこの大反響に驚いた。大山さんのプロデュースぢからと、デイリーポータルZの優れたマニア・メディア性に敬服。じつは大口叩いたくせに少ししか買わなかったために小林さんらにご迷惑おかけしたんじゃないかと心配していたのだが、まったく杞憂であった。

僕にお問い合わせ下さっても何もお返事できないので、以下、差し出がましいが、

  • わかる人にはわかることだが、素材から大きさ、色まで、PC消波ブロックのフォルムをうまく伝えながら、愛玩品としてひと目で一発で可愛いと感じるモノに仕上げるために、いくつもの試作を含めてかなりのエネルギーが注がれた。ヌイグルミ自体のプロダクトデザインの良さがこれの魅力である。

  • 値段に関して、少なくとも今回のこれの販売で「利益」をあげる人は誰もいない。むしろ、労力や経費を考えれば赤字である。「作った人自身がいっぱい欲しい」→「それにはある程度まとまった数を生産するしかない」→「せっかくなのでお分けしたい」という素朴なコンセプトで実現していることを、ご理解頂けると幸いである。

  • 2009年1月27日

    東京ってどこのこと?

    どこまで東京?

    これは面白い。「地図ナイト」向きのコンテンツだ。

    あらためて考えてみると、僕は自分の住む調布市を必ずしも「東京」だとは見なしていないようだ。というか、「三鷹」とか「調布」とか「深大寺」などというような生々しい地名は、僕にとってはそれぞれの個々の印象があまりに鮮明で、「東京」という抽象的な地名とは相容れないような感じがする。もっとも、「東京」を、都市の代名詞のような「抽象的な地名」だと感じる、そういう感受性は僕自身が東京出身ではないことに由来するのかもしれない。あるいはまた、育ちや出身地の違いだけではなく、東京に関する発言を「どこでしているか」ということも「東京のイメージ境界線」の描画には関わっているだろうと思う。僕は京都府宇治市の出身だが、地元では誰も「宇治」を「京都」とは言わないが、東京にいる現在、自分の出身を「京都です」と述べることには何の抵抗も疚しさも違和感もない。

    ただ、何年も前、これに似たようなことを思いついて手描きの首都圏の白地図をつくり、周囲の友人に訊き回ってずいぶんコレクションしたことがあり、東京から遠い地方の出身の若い女性は舞浜を東京にカウントするとか、多摩住民は西に甘く、千葉県民は東に甘く、年齢の高い男性ほどイメージよりも知識が先立ってしまって東京のエリアが行政区界に一致するとか、都区内出身で引越し経験のない人ほど範囲が驚くほど狭いとか、興味深い傾向も見られたのだが、面白がって職場のロッカーに「東京ってどこまでですか展」というタイトルを掲げてずらっと貼りだしておいたら、いつのまにか捨てられてしまって結構へこんだ。その後、雑誌の特集記事とか、ある美術館のオープニング展示企画とかに提案しては没になるというさらなる試練を経て、「東京ってどこまでですか」は僕の中でずっとトラウマのトラノコなのだった。

    そういうわけで、これは面白いし、こういうのを軽々とやってしまう心意気と才気には感心し羨ましくもあるが、上記のごとき屈折した経緯と記憶があるために僕はこれを冷静に見られないので、「あれ面白いですね見ましたか」とかわざわざ俺に教えたりもうしないでくれ。この件に関しては以上。

    2008年10月20日

    記録すべき秋の週末の記。

    土曜日。

    出張カボチャ彫刻ワークショップはつつがなく終了。いや、じつは当日、事前に会場入りするべく余裕を持って出かけたのに、京王線が人身事故で全面的に止まっていて、急遽バスに乗り換えて中央線にバイパスして、予定時間に大幅に遅れる羽目になった。会場は大入りで、子供たちやお母さんたちも参加してくれて、ランタン作りは楽しく遂行。しかし、大学の演習よりも緊張した。

    なんと、「ハロウィン・ジャパン・インフォ」の主催者、HAMACHI!先生がわざわざお見え下さった。初めてお会いする場がオレンジ色だという、感激のカボチャウィークエンドであった。

    まわりぶろぐ: 石川初さんのパンプキンカービングワークショップ@区民ひろば南大塚

    カボチャの穴に入りたくなるごとき過分なご紹介ありがとうございます。今度また、ゆっくりお会いしたいです。Happy Halloween!!


    日曜日。

    昼間、子供らをつれて「調布飛行場祭り」へ。

    屋台テントの並ぶ「祭り」の高揚感に加えて、ヘリコプターや消防車が並び、滑走路では小型機が空母の演習みたいに発着するという、5歳の男の子の魂を直球でワシヅカミする演出に長男はノックアウトされた。インフラの力というか、あの、空港のむき出しのドボク系のリアリティに心を奪われる様子はまさに「工場萌え」であった(でも、先日行ったディズニーランドでのはしゃぎぶりも似たような様子だったので、必ずしもドボクエンタテインメント的な見込みがあるというわけではなさそうだ)。

    夕方、ドボク系濃度100%の濃い集まりへ。

    会場では相変わらずディープで興味深い話題が飛び交った。さしあたって、たとえば「写真からはみ出すリアリティが、ともするとより深刻な既成の物語であるという陥穽」とか「今日のリサーチエンタテインメントの形式はフロッドゲイツが作った」、「Jマートの2階の半分を占めている『カントリー調』は、あれは何なのか」、「ハロウィンと浮かれ電飾の意外な関係」、「公共施設や生産施設の独特の色調は、かつての建築計画学のような『牽引する理論』があったんじゃないか説・証拠文献20円」、および「占いと料理と子育てとダイエットには手を付けたくない編集者の矜持」などであった。

    上記といささか関連して、久しぶりに腕まくりをして、苦労して書き上げた、会心のブレークスルーだったと思われた原稿のゲラが戻ってきて、あらためて読み返してみたら、もうなんというか、涙が出るほど舌足らずで稚拙なテキストであったことが判明してがっくりし、でもこれが現実なので、自分の力量と正直に向き合いつつ校正することにする。涙。

    2008年10月 8日

    バックヤードとしての港湾

    先日の「中防」ツアーの前半は、「視察船」で埋立地の周囲を一周するというコースであって、思わぬ東京湾観光をしてしまった。

    港湾というのはしかしこれもまた凄い風景で、積みあがったコンテナとクレーン群、建設中の横断橋梁、タンカーやバージやサンドポンプ船、進行中の中央防波堤外側埋立地、と、まさにドボ系が好む(傾向のある)「飾らない」というのもおこがましいような「無意識の景観」であった。

    「視察船」の船窓からそれぞれの施設や機械や建造物の規模や様子を愛でながら、風景全体として、ちょっと「空撮写真」に似ているな、という気がした。最近、Googleマップの空撮が普及して、上空からの高解像度の写真を眺める機会が増えるにつれて、建物の屋上が街のバックヤードと化していることがよくわかる。特に都心部にはほとんど「屋根の景」がない。空調の屋外機が延々と並んでいる光景は、自動販売機を後ろ側から眺めているみたいなおもむきだ。

    これが、都市のスケールでは、「海岸」がでかいバックヤードになっている。高度に近代化した都市の港湾の「海側からの眺め」というのはほんとに、都市の「裏側」である。きっと、沿岸の「栄養源」から「物資の流通媒体」へと、海岸がその価値を転換させたときから、海側は巨大な荷捌き場になっちゃったのだ。

    バックヤードの景はしかし、下手に洒落ている余裕がないため、一見とっちらかっているようでいながら、見てくれとはまた違う層の、けっこう厳しい「秩序」が感じられもする。それぞれの要素が、要素の単位で物理的に「最適化」をした結果、全体としては統率されていない混沌とした「景」が出現していて、しかし、混沌としているにも関わらず、そこにはある「系」が感じられる、と、産業景観、工業景観の特徴を羅列すると、だんだん「自然景観」の記述に似てくる。

    たとえば樹木は、なりふりかまわず必死で太陽光や雨水や土壌や地盤のコンディションに対して「最適化」してああいう様子になっているわけで、眺める人間を「いい気持ち」にさせようなんてこれっぽっちも思っていない。「機能美」の最たるものは、緑豊かな「自然風景」なのだ。。。って、いや、こんなオチにするつもりじゃなかったのだが。

    2008年10月 5日

    懐かしい島。

    またコアなメンツで、ずっと気になっていた、「中防」を見学した。

    R0022548.jpg

    中央防波堤埋立処分場にはいくつかの見学方法があるが、今回は東京都環境整備公社による個人向けの見学ツアーに参加した。
    (財)東京都環境整備公社:普及広報事業
    手配の労を頂いた「壁クイーン」杉浦さんありがとう。

    ツアーガイドの職員さんからは、いかにゴミのクリーンな処分に先端技術が投入されているか、とか、東京が排出するゴミの量が桁外れであることや、風力発電や植樹によってエコロジカルな施設を目指していること、処分場の物理的な制約によって近い将来はこのような処分にも限界が来ること、すなわち皆さんゴミの減量を心がけるべく生活様式を見直そう、というような良い話をたくさん伺ったのだが、僕らは(言うまでもないが)お話そっちのけで「中防の風景」に魅入られていた。

    R0022533.jpg

    標高30m強、すでに本郷や上野よりも高いこのゴミの島は、現在進行形の「地形の生成の最前線」である。上の写真の、帰化植物に覆われた「谷間」を見て思わず「これは谷戸だ」と叫んで大山さんに笑われたが、この、埋め立て盛り土台地の境目の谷の大きさはすでに千鳥ケ淵よりも大きい。

    R0022558.jpg

    でも実は、僕はもっと、想像を絶するような、途方に暮れるような荒々しい茫漠とした風景を予想していたのだが、いやそれは充分に、かなり荒涼とした景色ではあったのだが、なんというか、雑草の生い茂る造成中の丘に、僕はどこか懐かしいような感じさえ抱いてしまった。

    思えば、多摩ニュータウンからお台場まで、高度経済成長期とシンクロしていた僕らの世代の少年時代、都市の風景にはいつもでかい「造成地」があった。「中坊」には、近年東京から姿を消した「ナマの土地造成の現場」の風景が生きていて、これはある意味で、最後の東京の原風景である。
    そういえば、未利用の空き地にヒューム管がころがっているドラえもんたちの遊び場の風景はすごく「土木的都市風景」じゃないか。

    Das Otterhaus:東京湾岸丘陵地帯
     都内の大平原 - Future Description ‐何かからはみ出した、もうひとつの風景
    underconstruction: 30mのサンドイッチ

    2008年7月17日

    ライト・ストラクチュア(ボルネオ編)

    先週、マレーシアのコタ・キナバルという海沿いの街に出張した際に、プロジェクトの敷地近くの水上集落を見学した。

    これが、先述の大工仕事をもっとずっとプリミティブでワイルドにしたような、「野生の意匠」の権化みたいな風景だったのだ。

    物干し台の原型、というにはいささかスケールと数量が桁外れだが、こうしてみると、「大工さんの物干し台」がじつに、アジアの風景に思える。

    通路は幅1200くらいのボードウォークである。これが路地みたいに家々の間を縫って続いている。というか、順番から言うとボードウォークがまず伸びて、それ沿いに家が建てられるらしい。

    柱が不安なくらい細くてかっこいい。柱や梁はだいたいウリン材であって、この細さ。地元の木がハードウッドなのだ(ウリンの産地なんだから当然だが)。

    家々の軒が深くて勾配が浅くて、何気に窓がジャロジーだったりする。

    ちょうど引き潮だったようで、ボードウォークの下に砂の広場が出現していて、子供たちがたくさん遊んでいた。

    電気も水道もちゃんと引いてあるし、それぞれの家にはテレビの衛星アンテナがついていて、けっこう豊かな生活をしているように見えた。でも、排出系インフラの整備が駄目なようで、陸に近い箇所にはゴミが打ち寄せられていてすごいことに。

    汚水の配管もなかった。たぶん、そのまんま海に直放流なんだろう。

    住民の人たちは非常に気さくでフレンドリーで、村に踏み込む際に勝手に予想したような警戒や敵意をぜんぜん感じなかった。田舎だからかもしれないが。特に子供たちの生き生きとした様子が感動的で、むろん、こちらは旅行者的に身勝手な立場ではあるのだが、なんかこう、心が洗われるような気持ちがした。

    自分が構えたカメラのファインダーがそのまんま、リアルタイムで「ナショナル・ジオグラフィック」みたいだった。

    この村の空撮:

    大きな地図で見る
    陸地側の中央付近にモスクがあるのが見える。モスクは、周囲の区画と無関係にメッカの方角を向いているので、街路に対して振れた角度をしているため、一目でそれとわかる。


    あと、これは水上集落と関係ないけど、敷地の近くに完成したばかりのオフィスビルの地下駐車場。まだ車が全然入っていないので、なんとも非現実的な光景だった。

    ちょっと、大山さんの写真を思わせる。

    ライト・ストラクチュア(日本編)

    通勤の途上、電車内で余白のないスケジュール手帳を眺めていると、あまりのことにこのまま目的駅で降りずに乗り続けて行方不明になってしまいたい抑えがたい衝動さえ覚える昨今、それでも週末は必ず仕事を休むようにして、裏庭にデッキや雨よけ屋根なぞを自作しつつあり、そのためもあって、最近、街を歩くごとに他人様の家々のデッキやカーポートや物干し場の造作が気になる。

    そういう目で眺めると、こうした住宅の「外付け」施設には、住宅本体以上にその家の住み手の事情が反映されていたりして、そのバラエティが興味深い。

    僕が好きなのは、こういう簡素な木造に波板を乗せた、シンプルなやつである。

    これは、柱が鉄で屋根だけ木の混構造。

    これはぜんぶ鉄だが、この細い片持ちが素敵。

    これも構造はハイブリッド。接合部の仕口がよい。

    これは、柱の細さと、梁の飛ばし加減が印象的。

    これは、僕の通勤路上で最も気に入っているもの。

    反対側から。接合のディテールといい、材の太細のメリハリといい、全体のプロポーションといい、ペンキの白さといい、もう見とれてしまう。材料の大きさの単位が尺寸だからだろうが、寸法のありかたが身体的で、なんともセクシーである。

    また、屋根の上にまともに乗っている、絵に描いたみたいな「物干し」なのが素晴らしい。最近の住宅はほとんど総2階だから、こういうのは望むべくもない(我が家も同様だ)。

    これはぜんぶ鉄で、柱が通ってなくて、柱自体が筋交いみたいなことになっている。駐車スペースの確保のためだと思われる。

    これはアルミの、おそらく既製品のキットである。

    見ると、アルミの既製品にも意匠の歴史があることがわかる。古いものほど、様子が木造に似ている。

    それが、新しくなるにつれて、アルミやポリカの物性を生かした形態になってくる。

    たぶん、当初、アルミの部材は木の代替品として出てきたのだろう。それが、次第に「素材に素直な」合理的な作られ方になってきたのだろう。カーポートのモダニズム。最近のものほど部品の点数も少なそうだし。

    一方、たとえば「カーポート 木製」などと画像検索すると、2x4材を使いまくった、ウッディで極太の構造物がぞろぞろと出てくる。これら、「アルミ+ポリカ既製品」と「ウッディ極太」が、たぶん僕らが今日最も目にすることが多い「住宅の外付け施設」の姿である。

    あの、屋根の上の白い物干し台のような、「建築家なしの建築のプロ」とでもいうべき、「大工さんの仕事」はどこへ行っちゃったのだろうか。なんか、アルミ成型の工場と、エクステリア屋とが、大工さんをリプレースしちゃったような感じである。

    と、実はここまでは次の記事への長い前振りなのだった。

    2008年5月20日

    水門のエコロジー

    佐藤さんがマイマップを公開されている。
    Das Otterhaus:東京水門map(beta)
    Das Otterhaus:埼玉水門map(beta)
    これは面白い。水門のように「夥しくある」施設は、分布図にし甲斐がある。

    「マイマップ」でプロットされているポイントのデータは、Google mapの画面の右上のほうにある、「Google Earthで表示」というメニューで、KMLファイルとして書き出すことができる。そのまんまGoogle Earthで表示しても興味深いが、

    このKMLファイルを、
    GPS Visualizer: Convert GPS files to plain text or GPX
    でGPXに変換すると、Kashmir3Dで表示することが可能になる。
    ただ、このオンライン変換ツールだと、それぞれのポイントの名称がすべて文字化けしてしまうのが惜しいのだが。

    50mメッシュ標高データ+東京埼玉水門。

    同じく50mメッシュ。首都圏周辺の拡大。

    河川の地形に沿って線状に分布しているのは施設の機能上当然だが、特に周囲よりもぐっと低い「低地」を包囲するような並び方をしていることがわかる。

    5mメッシュ標高データ。

    河川の合流点や分岐点に集中していることが見て取れる。道路における信号機の分布みたいである。
    そういえば、その機能というか「対象の制御のしかた」において、信号機と水門は似ている。

    同じく5mメッシュ、都心の低地部分。

    水門は「開閉を可能にした堤防の一部」であって、つまり、この地図上の赤い水門点を繋いだラインは、「水流の行き来ができない線」が建設されてあるわけだ。
    多摩川の河口あたりから隅田川にかけての水門の分布が、近代の埋め立て以前の海岸線だったラインをキレイにトレースしているのが印象的である。