2008年4月 3日

dayz without smoke

崖線雑木林生態系的に、季節はいよいよ「新芽」から「新緑」へとシフトしつつあり、それにつれて週末大工的熱意が外部へ向きつつある昨今。

タバコを日常的に吸わなくなってから、かれこれ1ヶ月半である(まだ、『やめた』と書くにはためらいがある)。記すべききっかけは特にないのだが、これから体力的にも下り坂な年齢に差しかかってはあるし、この20年間、本気でやめようとしたことが一度もなかったことでもあるし、数年前にやめたという知人が、ニコレットを使えば簡単だというし、ちょうど風邪をひいていてタバコがうまくなかった朝、ふとやめてみようと思い立ったのだ。

はじめてみると、ぜんぜん簡単ではなかった。でも、ニコレットはたしかに有効だった。喫煙に依存するしかたにはおそらく個人差があって、さまざまな中毒のありかたがあるだろうが、僕の場合はほとんど純粋にニコチンへの薬物依存であったということがわかった。いまでも1日に2個くらいニコレットを噛んでいるので、ニコチンから完全に離脱したわけではないが(ニコレットが禁止されたら僕は間違いなく路上でヤミ買いする)、それでも「喫煙」をしなくなってからの身体的な変化は驚くほどのものがある。

僕は、20歳の誕生日が過ぎてすぐくらいにタバコを吸い始め、それからほとんど1日も休まずに20本強/日のペースで喫煙してきた、タバコを吸っていない自分の日常をうまく思い描けないほどのパワー・スモーカーであって、非・喫煙生活というのは久しぶりに味わう「未知のゾーン」なのだった。この歳になってこういう、何かがトータルに未体験な日々を送るというのはなかなか新鮮である。以下、記憶が鮮明なうちにメモ。

・最初の3日間くらいはほんとうに大変である。ニコレットで摂取できるニコチンなんか限りがある。気化させて肺から吸収するという摂取方法は相当効率がいいらしく、それに比べるとニコチンガムから入ってくるニコチンの細さと遅さは実にまだるっこしい。そのため、これに慣れるまではもう、我慢するしかない。これがキツい。

・吸わない人にはまったく実感できないと思うが(なので、そのつらさをシェアできる人がとても限られる)、海外旅行などで機上で長時間禁煙させられたあと、現地の空港へ着いてから、まだ入国手続きを通過しないと喫煙場所がない、というような状況のとき、体がニコチン切れを思い出したかのように俄に禁断症状を呈し始めてほとんど眩暈がし、うわー煙草吸いてえ、となる、あの感じが一日中続いているような感じ。

・特に初日は集中力も思考力もゼロになる。だから、最初の数日を休日にかけないと、勤め人の場合は周囲にかなり迷惑をかけることになる。いや、本当に、かなりひどい思いをする。あれを再び体験したくないので、もう吸いたくないと思うほどだ。検索すると、煙草をやめた人が開設している「禁煙の勧め」みたいなblogがいくつもヒットするが、僕はとても、他人にこんなことをお勧めする気にならない。まじで。

・「やめると、味覚や嗅覚が敏感になる」と言われるが、これは本当である。変化はすぐに現れる。インスタントコーヒーからもコーヒー豆の匂いがするし、クリスタルガイザーとボルビックとエビアンの違いが分かる。3日目くらいに自覚し(最初の2日はそんなことに注意が行く余裕がない)、数週間くらい続く。その後は体が慣れちゃうのか、それほどビビッドな入力を自覚しなくなる。

・「やめると、血行がよくなる」と言われるが、これもびっくりするほど本当である。最初の数日、鼻の中や口の中がやけに乾いてヒリヒリする。話によると、急に煙害が途絶えたために、鼻腔や口腔がほっとして「休んじゃう」ためらしい。そのあと、顔や手足がなんとなく火照ってくる。軽い風呂上がりのような案配である。全身の肌がやけにツルツルするようになり、歯茎や唇や舌がピンク色になる。

・呼吸器系の変化は劇的である。声が掠れたり痰が絡んだり熱いものを食べようとして咳き込んだり歯磨きの際に軽く嘔吐感がしたり、というのが喫煙のせいだった、ということがわかった。

・「やめると、太る」というのも僕にとっても本当だった。体重にして3キロ太った。なにしろ食う。これもタバコをやめた対価であると思って、食欲を制限せずに野放しにしているので、たぶん、以前の1.5倍くらい食っていると思う。しかも、何を食っても驚くほどうまいのだ。これが。

・僕の場合は少なくとも現在のところ、他人の煙が嫌になったりはしない。目の前で吸われると吸いたくなる、ということもない。つまり、食事や飲み会で同席者が喫煙してもなぜか平気である。しかも、タバコの匂いがかぐわしい。自分が吸わないくせに、喫煙車に行きたくなる。

・体調の変化もさることながら、タバコの心配をせずに済むようになったのは嬉しい。昨今、喫煙には気を遣う。喫煙場所を気にしたり、タバコ売り場を探したり、手持ちのパックの残量を気にしたりせずにいられるのは楽ちんだ。

・一方、仕事でもなんでも、「区切り」がつかなくなった。いつのまにかだらだらと作業していて、気がつくとぐったり疲れている、ということがよくある。考えてみたら、学生のうちに吸い始めたので、「喫煙していない社会人」という生活を経験したことがないのだ。まあそのうちに慣れるだろうが。

・自分でも理不尽で身勝手で屈折しているとは思うが、なんか、タバコを吸ったことがない人がタバコの害について喧伝しているのを見聞きするとなぜか腹立たしく思ってしまう。「喫煙は緩慢な自殺である」というが、そんなこと言うのなら「生存は緩慢な自殺」である。僕には、隣でタバコを吸われるよりも、似合わない香水や酔っ払いやしつけのなっていない電車内のガキどものほうが迷惑である。

そいういうわけで、いつか再開するかもしれないが、さしあたっていまのところ、自分のこの振る舞いがやや面白くなりつつあって、続いている。そのうちに何か、別な化学物質に依存するようになるかもしれないが。アルコールにはひどく弱いので、ありそうなのはカフェインかな。いや、カフェインはすでに中毒だな。考えてみたら。

2008年3月25日

エディトリアル田町

週明け。

建築学会の定期刊行物「建築雑誌」の編集委員会に出席すべく、建築会館へ。

ろくに発言もせずに座っているだけでぐったり消耗するくらい濃密な、長い会議であった。興味深くも刺激的な人々とまた多くお会いした。

造園学会誌も手伝っていない僕がどうしてまた建築学会の雑誌なんぞを手伝う羽目になったのかは、まあ深く突っ込まないでくれ。

2008年3月10日

四国、ウェディング、スロープ

2月26日、四国報告会。
先日の四国視察出張旅行の報告会。それぞれの個性がよく現れた、興味深い出張報告会であった。僕のレポートも、幸いにも楽しんで頂いたようで一安心。


3月1日(土曜日)、勤め先の会社の部下の結婚式。
都内の、目黒川の谷を見下ろす古い屋敷を改装したレセプション施設での、絵に描いたような麗しい結婚式だった。こう言ってはなんだが、結婚式は茶番である。けれども、お互いに茶番だとわかっていることも儀礼の儀礼たるゆえんではある。めでたい。

式は、新郎新婦が会衆に向かって「誓いの言葉」を読む、という、いわゆる「人前結婚式」だった。「人前結婚」というのは、宗教や宗派や、それに伴う形式などにとらわれない、というふれこみで普及したものだろうが、あらためて「宗教的意味」を取り去った結婚式に参加すると、「式次第」のそれぞれの行為が浮き立って見えて、どのような形式や行為が「結婚式」を成り立たせる「合意されたイメージ」として採用されているのか、という点が非常に興味深かった。

会衆が整然と座り、中央に「バージンロード」が確保され、新郎が待つ前面へと、新婦の父親が娘を連れてくる。父が娘を花婿に引き渡す。このへんは人類学的にコンサバティブである。その後、前面での指輪の交換や文書への署名、宣誓などが、「司会者」のガイドで進む。このフェーズが人前式の形式的弱点だと思った。式の形式がまるっきりキリスト教(特にアメリカのプロテスタント)と同じに設えてあるために、そこから「牧師を抜いただけ」なのが目立つ。若夫婦を会衆に紹介する代理人が不在である、ということにこっちが気づいてしまうのだ。そこで、司会者が「式場の側」というよくわからない立場から、なんとなく腰低く言い分けがましく、新郎新婦にキスを促したり、会衆に拍手を要求したりすることになる。まあ、司会者の役目として「祝い事を滞りなく進行させることを請け負った」と見れば不自然ではない。でもこれもあくまで、司会者が式場付のプロだった場合の話だ。これが、雇われ友人だったりすると、「新郎新婦を会衆に紹介して認めてもらう」という作業の責任を負える人がいなくなる。

もともと、会堂に集合した会衆へのお披露目と挨拶を兼ねているキリスト教会の結婚式は、半分「人前式」みたいなところがある。地縁コミュニティと教会が関係ない日本において、牧師を権威づける「神」に代わる、若い二人を紹介する「権威」は、特に人前式の場合、どのようにありうるか。「俺の顔に免じてここはひとつ、この未熟な二人をよろしく」と、媒酌人が仲立ちするという可能性はあるが、ちょっと負担が大きすぎるかもしれない。司会者と牧師の中間くらいの、人前式用の「汎宗教的司祭」が必要かもしれない。

お色直しのための二人の中座と再登場は、日本の伝統的な結婚式の名残りらしいが、これはバージニティの喪失のサインじゃなかろうか。

「ケーキ入刀」はアメリカでもやるが、これはなんだろう。

「花束贈呈」はたぶん日本だけだが、この、最後にいきなり脈絡なく登場する「家族内のプライベートな場面」はなんだろう。とか思いつつ、不覚にも僕はここで涙ぐんだ。ううむ。人の親になるとこういうのを冷静に見れん。ということがわかった。


3月2日(日曜日)、咄嗟にワークショップ。
来期への仕込みと、あと少し思うところもあって、「都内でいきなりフィールドワークをして、息もつかずに半日でプレゼンまで、手描きのみ」という「咄嗟にワークショップ」を誘ったところ、関東学院大・建築学科の「デザインスタジオ2」を履修した学生たち数名と、農大の造園3年(この春から4年)数名が集まってくれた。

テーマを「坂」に決め、休日の職場の会議室を占領し、まず「坂ってなに?」というディスカッションを小一時間。それから手慣しに「坂を描く」という練習を少しして、屋外へ出て1時間ほどそのへんをバラバラに歩き回り、また集合して、机上でアイデアを絵にし、ざっとレビューをしてから残り1時間でA1の紙に「成果品化」。

皆、けっこうちゃんとついてきたので驚いたのだ。これが。
まあ、農大生は今度4年だし、学院大も手を動かすにポジティブな連中が集まったから、この手応えを普通だと思ってはいけないのだが。

ともあれ、予想した以上に面白いワークショップであった。「助走」すればみんな手が動くし、それなりに描けるということもわかったし。
学院大が対象地の表層的な形態に注目して加工するアイデアが多く、農大は対象地の「環境の質」を高めて地域的貢献をしようとする(そういう意味を付加しようとする)傾向が見えて、それも興味深かった。つきあってくれたキッズ、ありがとう。

2008年2月29日

さようなら北口交番

解体中。

解体中の断面がちょっと普通じゃないのが面白い。

僕は特にこの建築家のファンというわけではないのだが、通勤時、毎日のように眺めながら、あの、既存の駅舎の仮設っぽさと妙に溶け合っているような、肩の力の抜けたチャチな感じが、なのに一方でこう何となく形と仕上げのバランスのヘンな様子が、けっこう好きであった。

しかしそれにしてもつくづく、(ある種の)建築って短命だと思う。自分の思いを託す暇がないじゃないか。

  • 妹島氏による『私の建築手法「自作について」』
  • 調布駅 - 京王線(調布駅付近)連続立体交差事業について
  • 向山建築設計事務所 「調布駅北口交番」

  • 2008年2月17日

    何の「自己責任」なんだ

    asahi.com:自己責任論にNO 女性団体、立ち上がる 米兵事件 - 社会

    その女性団体を支持する。
    ということを言っておきたい。まずは。
    (しかしなぜわざわざ「女性団体」と書くのだろう?「政治団体」でいいじゃんか。)

    「残念だが、今後は他人を疑いましょう」と「他人を疑わないやつが悪い」とはまったく異なる。

    知らない人にホイホイついて行っても無事に楽しく帰宅できるような社会が(たとえどれほど現実と乖離していても)理想だからこそ、そういう無邪気さにつけこむ奴を厳しく罰するんじゃあないのか。用心せよ、他人を疑え、というのは経験的な「悲しい処世術」であって、どんなにそれが(たまたま)広く共有されていたとしても、どのような意味においても加害者の罪を軽減する言い訳にはならないし、被害者を責める理由にはならない。以上。

    2008年2月16日

    成人年齢の見直し

    対象となっている制度の議論とは外れるかもしれないが、成人の年齢を逆に引き上げるという選択肢はないんだろうか。

    歴史的にも、就学期間は伸び、結婚・出産年齢はどんどん高く推移しているわけで、「こども時代」は以前よりも長くなっている。100年前と比べると、現代の平均寿命なんか2倍近い(もっともこれは幼児死亡率の高さが効いているのだろうが)。「成人」が、自覚的に責任をもって社会に参加する、という意味ならば、むしろ25歳くらいでもいいんじゃないかと思ったりして。

    だって、地元の成人式の様子なんか、騒いでる連中を見るとつくづく思うが、20歳なんてコドモだぜ。身体だけやけに発達しちゃった中学生という感じ。あんなのに「成人」なんかさせて大丈夫なのか地元自治体。ほんとに。本来、「成人式」というのは、「いいかげん20歳にもなったんだから、そろそろ我々の仲間に入れてやる」という儀礼であるわけで、その趣旨からすれば、式のあと、集団で「社会人になりました、よろしくお願いします」ってご近所を挨拶回りしたっていいくらいだと思うが、あの「大きな勘違い」を見るに、そんな趣旨を説いても理解するような集団には見えない。

    あるいはいっそ、「成年」を資格制にしちゃったらどうだろう。適合年齢に達したら受験するのだ。落ちたやつは、受かるまでずっと未成年。税金は払わなくてもいいが、結婚できないし会社も設立できないし選挙権もない。

    ・・・でも、考えてみたら、自分が20歳のとき、オトナ試験なんか受けたらきっと落ちたな。

    備忘録080216

    深植えしすぎたかと心配していたスイセンの芽が地上にでてきた。一安心。

    風邪をひいた。木曜あたりから何となく調子が悪かったが、週末を迎えると緊張の糸が切れるようで、なんだか一気に体調が崩れた。やらなければいけなことはいろいろとあるのだが。仕事も持って帰ってきちゃったし。

    10+1の最終号の連載記事入稿。結局3回で終わってしまった。もう少しやりたかったことがある気もするが、というのはようやく手を広げる方角が見えてきたような感じがし始めたためでもあるのだが、なんか、ほっとしているのも正直なところなのだった。僕はどうも、コンスタントに常に締め切りがあるという状態に耐えられるほど強靭な精神をもっていないのだ。ふー。

    デベロッパーズサミット」、略称「デブサミ」というイベントでレクチャーをしてきた。

    ソフトウェア開発者のための交流イベントで、ふつう、どう考えても僕が関係する余地はゼロなのだが、全体のプログラムの枠的に、異分野の人に喋らせて視野を広げる「異物混入セッション」を紛れ込ませる余地があって、そういう趣旨で呼んで頂いたのだ。仕組んだのは鈴木雄介さんという方で、じつは鈴木さんご自身もかなり面白い、地図マニアの資質を持った優秀なITアーキテクトで、最初の打ち合わせでは本題からそれて地図の話で2時間ぐらい盛り上がってしまった。鈴木さんに僕の名前を教唆したのは大川さんであった。

    ネタはいつもと同じもので、ただ、ランドスケープ的設計の思考がなぜ鳥の目を呼ぶのかという点について少し思いついたことがあったため、その辺を多少補強したプレゼンテーションを作った。会場の反応が、思った以上に非常に良くて、楽しいプレゼンになった。手ごたえがなんかこう、レスポンスが速くて、妙な言い方だが、いかにも頭の切れる人たちが揃っているという感じがした。あとで検索してみたら、「デブサミでこんなやつの話を聞いた」っていうメモをブログで公開されているのがいくつかヒットしたが、どれも簡潔で的確ですばらしい。いい人材が揃ってるなあITアーキテクチチャー業界。というか、へたに建築や造園の専門の聴衆だと、話の内容が査定されているような気がしてしまって、僕が勝手に緊張しちゃう、というのがあるのかもしれないけどな。

    鈴木さん大川さん、それから貴重なデブサミの他のセッションを見切って僕の話なんぞ聞いてくださった奇特な皆様、ありがとうございました。

    2008年2月12日

    The Pilgrim's Progress to The Great Fault

    週末。3日かけて、中央構造線に沿って四国を徳島空港から佐田岬半島の先端までレンタカーでドライブするという、「普通はその地域をそんなふうに旅行しないだろう」というサンプルのごとき出張(勤め先の業務ではないが、いちおう勤め先の会社に許可を得た副業務の一環であるので出張と呼びうる)旅行。

    高速道路は使わずに一般道を走ったが、とてもそれぞれの地域をじっくり見たとは言いがたいペースではあった。ただ、徒歩よりも車を使うことで体験できる「スケール」というのがある。ある程度以上のの距離を移動すると、バーコードをスキャンするみたいに、土地の様子の、変化のグラデーションが垣間見える。それが遠距離ドライブの醍醐味だ。今回の走行距離約600km。帰ってから地図にGPSの軌跡をプロットしてみたら、線が地形に沿って端から端まで東西に伸びていて、まるで活断層地図みたいであった。

    ドライブ中は、カーナビを「進行方向を上」にした市街地詳細図にし、ダッシュボードの上に北を上に固定したGPSMap60CSを広域表示にして立てた。こうすると、車窓のアイレベルの風景が重なって、レンタカーはめくるめく「鳥虫問題」のインターフェースになる。ランドサットのスケールで現在地を確認しながら疾走する吉野川沿いというのはなかなかの経験であった。今後、伊予街道を「断層路」と呼びたい。

    現在、自宅の机上には、先週まで読み漁っていた奈良・平城京関係の書籍の上に、四国・中央構造線の地形、地質の本が山積みで、しかもさっき、アマゾンに四国八十八箇所・遍路の関係の本を2冊注文したところ。ああ勉強しなければならないことが多すぎる。なのに、人生の時間は絶望的に限られている。誰か、僕の代わりに資料を読んで、冴えた要約を音声で吹き込んでくれないでしょうか。通勤時にiPodで聴くから。

    2008年2月 3日

    備忘メモ

    ・武蔵美にお邪魔し、水門の佐藤さんにお会いする。
    ・「ドボク・エンタテイメント」命名の瞬間に居合わせる幸運を得た。今後僕は「ドエン」あるいは「DE系」と表記するであろう。
    ・佐藤さんの、作品としての水門写真群から「恋する水門」への変化。
    ・水門の「平野性」についてと、「迂回させる水門」と「堰き止める水門」。

    ・新建築の内藤廣氏の論文と中村拓志氏の集合住宅。「緑」について。
    ・山代さんらの「路地」すげえ。

    ・原稿がやばい。が、原稿がやばいという状態に慣れて神経が麻痺しつつある。
    ・週末の出張の予定を立てねばならぬ。
    ・お返事を出すべきメールがいくつも溜まっている。ああ。もう少し待ってくれすまん。

    2008年1月29日

    これから使い込もうとしていた矢先なのだが。

    日本語変換にはそれぞれのクセがあって、いまから思うと僕がいちばんストレスなく使えていたのは漢字talk6番台のころのVJEだったような気がする。まあ、時間をかけて手なずけていけば、どれだって、たとえ「ことえり」すら、それなりに使えるようには「育つ」のだが。自宅のPowerBookにはATOKが入っている。職場のPowerBook Proがegbridgeなのだ。どうしてかというと、いつの間にかその「クセ」に慣れちゃったATOKを職場のマシンにも入れようとしたら、その時にはまだインテルMacに対応していなかったのだ。egbridgeの対応は速かった。そういうところがよかったよなあ。エルゴソフト。ようやく指が馴染んできたところだったんだけど。メモリ不足のPowerBook Duoをモバイル機器として持ち歩いていたころには、EGWORD PUREにさんざんお世話になったなあ。いや、考えてみたら、初めての日本語「ワープロ」はEGWORDだったな。そのあと、SweetJamとWordperfectっていう取り合わせ時代もあったな。いかん、これ始めるときりがないぞ。