・14.5kmの木陰。
千葉大の木下先生の主催による、港北ニュータウンの公園緑地を見学するフィールドワーク(事実上は、延々とグリーンマトリクスの緑道を行く強行散歩)に参加した。前半だけの参加だったが、「そういう目」であらためて歩きまわった港北NTについて、取り急ぎメモ。
・あとで思い出したが、もう10年以上むかし、職場の同僚が港北NTの北部に住んでいて、お邪魔したことがあったのだった。今回は、当時の、いかにもできたばかりの住宅地や公園や造成中の宅地や、なんとなく憶えているそういう印象とはまるで違う一面を目撃した。
・「グリーンマトリクス」という計画思想について、またそれに基づいた土地利用については、その気になれば夥しい資料があるので、参照されたい。少なくともラ系学生の皆さんは基礎教養として勉強し、何度か現地へ足を運んで、「マスタープランの威力が個人住宅の裏庭にまで及んだ稀有な好例」をよく見ておくといいと思う。ほんとに励みになるから。
・「ナマ・グリーンマトリクス」の凄みは、公園をつなぐ線状に伸びた緑地や歩経路をずーっと辿ってみるとよく実感できる。
・林地の多い、宅地化していない土地がうねうねと連続し、街のそこかしこでその緑が見え隠れする様子で、ある種の「地域感覚」が湧く、という、この感じは僕にはよくわかる。これは、野川や国分寺崖線のそばに住んでいる人は共有できる「感じ」なのではないかと思う。
・「グリーンマトリクス」の「グリーン」の中身は、ほとんどがクヌギコナラ系の雑木林か竹林である。いわゆる「里山」のコンテンツ。多摩丘陵南部の、農村の土地利用の遺産である。地形との関係はよく論じられるが、「農」的に見れば、あれは広い意味での「農業用地」のうち、燃料供給や肥料供給という、もう役に立たない生産部門の土地だけ切り取って残したわけだ。
・なんだかんだ言って、宅地や道路として利用しにくい形状の土地が「グリーン」に用いられている。その場その場での緑地の「局所的な形状」が湧き水の谷戸だったり尾根だったり急斜面だったりするため、多様性が高いように見えなくもないが、全体としてみるとあくまで「縦割り」の土地利用ではある。しかし、その縦割りの「無理の少なさ」によって、システムがより強度を増している、のは言うまでもない。
・緑地から逸れて住宅地の中へ入ると、住宅の建ち方に、「直接緑地に接しているか、近くに見える」場合と、「緑地はさらに1本の道路の向こうにあって見えない」場合とで、随分と違いがある。グリーンマトリクスが住宅地を横断していることで、むしろ地域を分断してしまっているように見える、という建築学生のコメントがあったそうだが、僕に言わせればどう見たって、地域を分断している最大の要素は「住宅」それ自体である。隙間なく建っている住宅群が、それよりも背後の住宅地に対して、連続する斜面林との関係を遮断している。道路や歩経路だけでなく、宅地内南側の庭や駐車スペースなども含めた「隙間」をうまくレイアウトして、住宅地の奥まで視線を通すような配置計画が有効かもしれない。と思った。
・あとまあ、以下は課題として、今後へのメモ。緑道や公園の中にある、階段やベンチや休憩所やトイレや橋や、そういう様々な施設の「意匠」の、「グリーンマトリクス的文脈」との関係なさがすごかった。それぞれの「デザイン」がいちいち、その場所と断絶している。計画のスケールが見事に機能しているだけに、余計に「設計のスケールの齟齬」が目立つ。「計画」と「設計」を二分法みたいに語るのは語弊があるけれども、例えば多摩ニュータウンあたりだと、施設の意匠の力の入れ方に、1/5000スケールでの「やり切れなかった不備」を1/100で護る、というような必死の役割を感じてしまって、それはそれで納得できなくはない。しかし港北の場合は、「計画が上々なので設計は無駄に遊んでみた」みたいな感じがしちゃうのだ。なぜだ。様々な事情があっただろうことは容易に想像できるが、そこが残念でもあり、一方で興味深くも感じた。抽象的な言い方だが、「計画レベルに遡及しうる設計行為」は確かにあるし、それは、たとえば「結果としてここに相応しい意匠はどのようなものか」という演習課題にしても面白いかも。
・ここもまた、「エッジ」が面白い。多摩ニュータウンの「エッジ」は相当に面白い場所だったが、港北ニュータウンも、計画範囲の縁と、すぐ外側の農業専用地域あたりの「ニュータウン尽きるところ」が面白い。
・次回は多摩ニュータウンではなくて、千葉ニュータウン見に行ってみたいな。

