瀝青会(れきせいかい)のフィールドワークに久しぶりに参加。といっても、1週間に渡る北陸方面調査のうち、最初の2日間の「糸魚川編」だけをお手伝いに行ったのだ。瀝青会の調査旅行は平日にかかることも多く、それもあって最近はサボり気味だったのだが、今回、事前勉強会で見た糸魚川の漁村の舟小屋の写真があまりに衝撃的で、これは実物を目撃せねばならないと思い、無理を言って糸魚川調査を週末にセットして頂いた。詳しい調査の成果はいずれ、「住む」の連載などに発表されるのだが、以下は個人的なメモ。
十日町も松代も通過して着いた糸魚川駅は、赤レンガの大きな車庫が残る、なかなか味のある駅であった。富山と新潟の県境近くなんて、こちら(北多摩)からはほとんど地の果てみたいな感じがするが、上越新幹線と特急「はくたか」を乗り継いで行くと、調布 からでも3時間半くらいで着いてしまう。近い。
事前の勉強会で見た糸魚川の舟小屋群はちょっと凄い様子だったが、実物は期待をはるかに上回る、ブリコラージュの権化であった。乾久美子さんがどこかで「設計された住宅と比べて民家は現在の形になるまでの『判断』の数が桁違いに多い」というような冴えたことを述べておられたが、船小屋なんてまさにそういう、「判断とパッチ」のテクスチュアに覆われた、物体的リアリティ満載の建築物だった。
「民家のみかた調べかた」(第一法規出版、1967年)という本の存在を知らなかった。相変わらず無知きわまる>自分。参考図書として持参されていたコピーを借りて見て目から鱗が滝のごとくザラザラと落ちる。これは実によくできた、興味深い本だ。絶版になって久しいのが残念。1960年代、日本全国から伝統的な民家が急速に失われつつあった、それに対する危機感から、ともかくもできるだけ多くの人が短期間に多くの民家を調査し記録することを可能にするべく、素人でもわかる「原理」と「手順」を記載したフィールドガイド兼リサーチマニュアルが書かれた、ということらしい。
これを読むと、民家の調査は単に現況を測量するということではなくて、経験的に獲得・定型化されているある手続きを踏むことで、「家なるもの」を支える普遍的なルールと、そこから逆に透けて見える地域的固有性を抽出して記述することなのだ、ということがわかる。
一見、朽ちかけの材木とゴムシートと石ころの寄せ集めみたいな小屋に、調査班が入って実測して図化すると、方眼紙に「間」のモジュールが抽出されていて驚嘆した。小屋は、それこそ夥しい判断の積み重ねの歴史によって、構造体まで含めてどれがオリジナルかわからないくらい、様々な材料に入れ替わっている。さらに、四車線のバイパス道路と防波堤とテトラポットによって浜/海と断ち切られた現在、舟小屋群は当初の用途を失って、農機具小屋として使われたりしている。素材もプログラムも大きく変わった小屋を、「小屋」たらしめているのはまさしく「ルール」の存在である。そして、このルールは空中にあったものじゃなくて、小屋的構築の過程で、木材と建築者との関係として「出ちゃった」もの、という感じがするのだ。電柱を転用した小屋の柱なんか触っていると、うっかり、建築(語弊があるなら「住宅」)とは何か、みたいな深遠な問いを立ててしまうぞ。教育的効果は抜群。若者よ民家を実測せよ。
海岸の砂丘地形と船小屋と集落の母屋とに、なかなか面白い地形的関係が見られた。砂丘が個人所有されていなかったのは、その地形が海から集落を守るインフラだと見なされていたのか、あるいは単に不毛の土地だったからか。
「半農半漁」だった集落の後背地は水田地帯。宅地化されている場所も多い。圃場整備された農地だった地区の街並みは、街路がものすごく真っ直ぐでキレイにグリッドで、道路からは住宅地と農地の境目が見えないため、東西南北にビスタが通った眩暈がするような風景になる。
iPhone のGPSとGoogleマップはそれなりに使えるツールである。測位のスピードが速いし、地図が詳細だ。コンパスも優秀。ただし、用途はあくまで「現在地を素早く確認する」ためだ。ログを取りながら、地図と地面を重ねながら移動、というような使い方は厳しい。電池ももたないし。
iPhone といえば、間抜けにも、先月以来メールの署名に書き入れていた新しい携帯の番号が間違っていたことを、レーニン先生のご指摘で知る。わざわざ「新しい番号です」といって皆に間違い電話を強いていたわけで、たいへん失礼いたしました。慌ててその番号にかけてみたら、幸いにも「使われておりません」メッセージが流れた。いきなり知らない人たちから電話がかかってくるようになった、という迷惑な事態だけは回避した模様。いやはや、冷や汗をかいた。
土曜日、まだ先の長い調査に向かう参加メンバーの皆様にお別れを告げてひとり先に帰宅。お世話になりました。>瀝青会および関係者の皆様。
コメント
瀝青会糸魚川調査ではお世話になりました。瀝青会内郷村再訪以降の大調査だったのではないでしょうか。特に防波堤の建造によってインテリア化された船小屋まわりの周辺環境200mブロックにおかれたモノを記録した図面は白眉のものとなるでしょう。
明治大学元神代研究室の『日本のコミュニティ』の到達地点にはまだまだですが、きわめて現在的な状況であったことは確かですね。
面白かった小屋の外観の様子ぐらいはアップしていただいてもよろしいかと。(→あ、これは情報制限というわけではなく、調査に協力していただいた方々の個人にかかわる情報を特定されないための配慮です→他の方々へ)
何日か後に菊池暁さんがこられましたが、恐山の現在の様子を撮ってきた写真で見せていただいて、まだまだすごいところであることを実感しました。
東北に早く行きたい!
Posted by レーニン at 2009年9月10日 11:06
学生のころ、糸魚川駅には何度も降り立ちました。長野県にバイトに行くとき、大阪発の夜行列車「北国」にのり、糸魚川で大糸線に乗り換えていました。
乗り継ぎ時間が2分だったか4分だったかで、いつもスキー板など大荷物を抱えて階段を走り、ぎりぎり お向かいのプラットホームへ!
結局、駅を外側から見たことはありません。 それでも糸魚川駅は、あの頃の私たちにとって、なくてはならない駅でしたvv。
この記事を読み、いつか、ゆっくり、糸魚川を見せていただきたいと思いました。 「住む」も 読ませていただきますね。
Posted by keixxx at 2009年9月13日 23:01
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