2009年8月12日

ヤバ景終了:ありがとうございました

ついに会社も夏期休業期に入り、今週の日曜日は「ヤバ景」イベント(会社の休業とは関係ないが)。

大山顕の"ヤバい景観的・東京88景" TOKYO CULTURE CULTURE:@nifty

お台場カルチャーカルチャーには初めてお邪魔したが、思っていたよりはアクセスも良く、よい施設であった。店長・横山さんに、久し振りにお会いした。新宿のロフトプラスワンの「団地ナイト2」以来、3年半ぶり。考えてみたら、学校や文化施設とかでの講演や講義の機会は度々あるが、入場料払っていらしたお客さんが飲み食いしながらのトークライブというのは、「団地ナイト2」が初めてで、今回の「ヤバ景」が2度目の経験だった。

いやはや、大学の講義なんかよりよっぽど緊張した。もう数える程しかお客が入ってない寂しい会場で、外しまくったプレゼンを虚空に向けて必死でやってる、なんてことになったらどうしよう、と、事前に資料を作りながら悪夢にうなされるような数週間を過ごしたが、ふたを開けてみたら当日はチケット売り切れの満員で、遠くからも沢山の方が足を運んで下さった模様で、何よりも会場のノリと反応が知的でスピード感にあふれていて、もうなんか、幸せなひとときを過ごした。来場下さった皆様も楽しんで頂けたのだったら嬉しい。少なくとも僕が見聞きした範囲では、面白かったという感想をいくつも頂いた。たとえ演台に上っていてもこういう「トーク」は一方的なものではなく、会場との応答によってある種の「会話」になる。「かけあい」が高度に成立すると、自分でも思ってみなかったような興味深いことをうっかり口走ったりする。「準備した以上の内容を描いてしまうこと」が「ライブのよろこび」なのだった。お越し下さった皆様、会場スタッフの皆様、駆けつけてくれた友人知人の皆様、ありがとうございました。大山顕ブランドのチカラもあらためて思い知った。ご一緒する機会があるのは嬉しい。

会場で「ヤバケイTシャツ」販売して下さった小林さんご夫妻、ありがとうございました。この界隈で、この他のダムとか水門とか団地とか鉄塔とかその他のテーマはほぼ全て、小林さんらによってTシャツ化されている。スリバチ学会まで、バッジのデザインに採用されている。しかし、僕の演目がTシャツやバッジや手ぬぐいになったことは今までなかったのだ。いちおう、今回でようやく一人前というか、マニアパレル的に合格したわけである(大山さんとセットだけれども)。

それにしても詰め込み過ぎだった。最初の自己紹介などは、たとえば大山さんの自己紹介部分は「ヤバ景」のパートに混ぜてしまってもよかったし、僕の自己紹介は「どこまで東京」の一部にしてもよかったかもしれん。そもそも、今回の企画はもともと「どこまで東京」の結果をネタにして、東京って何?というような話を、イメージや地理やその他のいくつかの切り口でやってみようというアイデアだったのだが、「どこまで東京」だけでは興行的にOKが出なかったらしい。一方で「ヤバ景」はもう、ずっと以前から、一度どこかで落とし前を付けようぜ、という話をしていた題材であって、僕は建築学会誌の特集とか10+1の特集とかでそれなりにまとめた文章を書いたりしてプチ達成感を得ていたが、ご本人はそうでもなくて、ずっと機会を窺っていたようだ。というか、折に触れて何度もいろんなところでやってもいいような題材だけどな。

特に今回、最後の「ヤバ景」はもっとじっくりやるべきテーマだったと思った。予定時間を大幅に超過してしまったうえに消化不良で終わるというのは良くない。こういう、レクチャーとバラエティの中間みたいな趣旨だと、「頃合い」が難しい。もったいなかった。「どこまで東京」も、鉄道の社内の広告の地理的関係とか、道路のサインとか、ガーデニング植物の生態的分布とか、企画時に検討していて結局出さなかった興味深いサブジェクトもずいぶんあるし、ヤバ景ももっと投稿画像のシェアをやるべきだったし。店長をうまく説得して、またやろう。今度はシングルテーマで。ぜひ。ご検討をお願い致します>関係者各方面。

追追記:

ただ、ヤバ景は拾う景観の範囲が広すぎて、「ぐっとくる」感じを共有できるのか、(必要もないのに)ちょっと不安になった。団地や工場やダムといった「ドボク」は愛でる対象が限定されているから、「ぐっとくる」感じを共有し易いのではなかろうか。それこそ「水門」の佐藤さんは「ドボクサミット」で、「水門以外興味ない」って言ってるし。

jump a light @ the city lights: 懐かしのヤバい景観

たしかに、もう「なんでもあり」になってしまうと、それはまあ各々が個人的な心情として抱くものなのだという言い方はなくはないが、「ヤバ」さの緊張感というか、「ぐっと」の切実感というか、そういう「尋常じゃなさ」は失われてしまう。会場でわずかにやろうとした「ヤバい」と「イタい」の違いというか、皆さんからも「自分的にど真ん中でヤバい」と「これは周辺というか境界というか微妙」といういくつかの種類を持参してもらって、ヤバさの輪郭のようなものを探る、というのが面白かったかもしれない。というかまたやろう。これ。>各位

追記。

# @superesk や、それはまさにそのとおりでドボサミの時のように純粋に鑑賞者の視点でいてくれればそれでおkなのです。一方で、郊外論も好きなので否定はしませんが、ごっちゃにすると落とし穴ありまくりですぞ、と言いたいだけ。約18時間前 movatwitterで superesk宛

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ヤバい景観はそもそも美しい景観のカウンターとしてうまれた概念なのだから、何も無理に東京の境界と結びつけなくてもよかったんではないかなー。変に郊外論とごっちゃになっているような。4:31 PM Aug 10th movatwitterで

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都市の「ヤバい景観」はすでに16号線マーケット、郊外論、あるいは映画版パトレイバーあたりでずいぶん語られたような気がするのだけどね。ドボクとの比較・整理の副産物で生まれ出てきた概念といえなくもないような。ケンカ売ってるだけかな、これじゃ。もう一階層掘れそうな気も。5:17 AM Aug 9th webで

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ドボクとヤバ景の棲み分けを定義してたのは、整理学としてはよかったけど、傍から見るとポカーンなのだろうな。商業化されてるか否か、という区分はボードリヤールっぽいですね。今さらですかね。5:14 AM Aug 9th webで

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ヤバ景@TCC、なう12:56 AM Aug 9th movatwitterで

Tkkz SSK (s_kiichi) on Twitter

前述のようなわけなので、「どこまで東京」と「ヤバい景観」はいわば無理矢理な「2本立て」で、この二つを結びつけるのは無理があるという指摘はもっともだ。申し訳ない。深読みをして頂いて恐縮である(むろん、無意識にこの二つを併映した我々の心情を分析することは可能だが)。

ただ、「ドボクとヤバ景の棲み分け」なんてぜんぜん「定義」してないが、これはなんだろう。いや、プログラムとして無理な構成だったんだから、と言われれば返す言葉もないが、それにしたって「ドボサミの時のように純粋に鑑賞者の視点でいてくれればそれでおk」はむかつくな。「純粋な鑑賞者」って何だよ。上記の文章こそ落とし穴も油断も隙もありまくりの発言に見えるけど。公開されてるし、「ヤバ景」で簡単に検索に引っかかるから、当人が目にするとは思わなかったというわけではないだろうし、俺がどう「純粋な鑑賞者」を逸脱し、それがどう「おk」じゃないのか、話を聞かせてもらいたいな。喧嘩売ってるのなら。

# .@s_kiichi そういう意味では去年の「ドボクサミット」が武蔵美で行われたというのはとっても象徴的なのかもね。(話が脱線気味)5:58 PM Aug 10th twhirlで s_kiichi宛

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.@s_kiichi その辺りの地方論みたいなのは彼らの意識の中には全然無くて単なるおもしろがりだからそのツッコミは野暮でないの?て思う。個人的には純粋に表層だけを愛でるという大山君の方向性はもう馴染めない所があるんだが、まぁ、それは好みだしねぇ...5:29 PM Aug 10th twhirlで s_kiichi宛

tomo iisaka (superesk) on Twitter

それこそ、こういうの拾って来てあーだこーだ書く僕は野暮天の極みかもしれないが、ひとことだけ。

「純粋に表層だけ愛でる」のは、目的ではなく「手法」なんじゃないかと思う。というのは、注意深く見ると、同じ大山さんの表現でも、対象によってその「鑑賞の作法」への固執の度合いに差が感じられる(端的には、団地と高架下建築の解説の差)からであり、その「差」はたとえば大山さん個人の枠を超えてこのへんの表現活動者一般に敷衍できる(『壁』から『ダム』まで、対象の、いわば「強度」に応じて、課す手続きの濃淡が存在する)からだ。あれを「表層だけ愛でている」と断じてしまうのは、団地に対する態度が目立っているからじゃないかと。むろん、そう思っているのは僕だけで、そう言葉にすると、大山氏ご本人はまた、ちょっと違うと言うかもしれないけれども。

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