2009年8月30日
2009年8月28日
・基礎知識としての「かわ」
先日、妻が子供たちのために買ってきた絵本、「かわ」。初版は1966年、福音館の「こどものとも」シリーズのひとつとして出版された。妻が書店で見つけたのは復刻版である。ロングセラーだ。

著者は、加古里子(かこさとし)という絵本作家で、他にもいくつも有名な絵本を書いている。僕も幼いころ、「だるまちゃんとてんぐちゃん」とか「とこちゃんはどこ」とか「たいふう」とか、随分とお世話になったが、特にこの「かわ」は好きで、何度も飽かず眺めていたのを憶えている。
amazonへのリンク:
か わ (こどものとも絵本)
レビューがいくつか付いているが、どれも秀逸だ。書いている人がみんな、ほんとにこの本に鮮烈な思い出があって、いまでも好きなんだろうなという感じが伝わってくる。
手元で、あらためて開いてみるに、今にしてなお、というか今だからこそ、非常に新鮮である。子供のころは気付かなかった細かい遊びや構成上の工夫なども興味深いが、何よりも、水源地の山間部から中流域の農村、下流にある都市、河口の工業地帯と、国土の様々な風景が実にフェアにフラットに描かれているのが素晴らしい。作者の世界観の表現でもあるだろうし、河川という地形的事象が軸になっているために、物事を横断的に俯瞰する(地図的に国土を眺める)ことが可能になっているということもあるだろう。あるいは1960年代の空気というか、価値感も反映されているかもしれない。林業、農業、流通、工業(臨海部の工場の『種類』がちゃんと描き分けられている)といった、「いろんな場所で営まれているいろんな産業」へのリスペクトが感じられて、ちょっと胸が熱くなる。

川を手がかりに、地形的に急峻な日本の国土の「圧縮された多様さ」を見せながら、この絵本が述べているのは「私たちを取り巻く物事はすべてつながっている」という単純な事実である。土木構築物の、主にその外見上の「理不尽さ」は、それが背負っている問題の大きさと、それを一気に解決しようという技術的飛躍のせいである。たとえば、ダムはあくまでもより広域的な「利水・治水」システムのなかのひとつの装置/施設としてあるわけで、その観点が欠落していたら、ダムの是非をめぐる議論はまったく不毛だ。
でも、そんな、特に難しいわけでもない「土木リテラシー」を、実に多くの人が持ち合わせていないのは驚くばかりである。私たちの通常の生活の基盤に土木構築物があることなど、想像力ですらない。ほとんど義務教育的素養じゃないか。ダム的なシステム(都市を成立させるべく、国土スケールで地形と水系を工学的に利用するというアイデア)の技術や思想に対する批判的検討ならともかく、「自分の知識や想像力が及ばないところではきっと陰謀がうごめいている」「一部の偏執狂的支持者の『ため』に巨大な構造物が正当化されている(←ほんとうにバカじゃないのかこういう夢想)」っていう、自分の知識の浅さとイメージの射程の短さを露呈するような文章を見かけるに、「素朴なドボク教育」の大切さをあらためて思い知る初秋であるぞ。
なお、加古里子の絵本デビュー作も「こどものとも」シリーズのひとつだった。これも復刻されている。

現場の職人さんたちにフォーカスしながら、ダム建設の過程を追った絵本。
これ、掘削工事を山のクマやリスたちが手伝っていたりして、まったく、どうかしている本である。
2009年8月26日
・残された「気配」
アクセスログ話題のついでに。
もう5年以上も前、まだrssリーダーとかよりも「はてなアンテナ」をよく使っていたころ、自分のサイトやブログをアンテナでチェックしてくれている人なんて数えるほどで、そのうちの何人かとは、コメントの記入やイベントへのお誘いメールなどを通して実際に知り合う機会を得たりもしたが、多くは特に直接やりとりするきっかけもなく、というか、いまだって別にアクセス数なんて知れているのだが、当時は特に、わざわざ自分のページを登録してくれているというだけで、なんだか嬉しい貴重な存在だったのだ。
そういう、アンテナ逆探知系の一人に、toshimというidの方がおられた。toshim氏の日記へたどり着いて、ご本人が大学の先生で、マーク・デイビスの「要塞都市LA」の訳者の一人だということを知った。これもご縁だと思って、単著で出された本を買って読んでみたりし(迂闊に感想なぞ書けないくらい難しかった・・・)、いつの間にかご本人の日記を読みには行かなくなっちゃったが、たまに眺めるアクセスログにtoshim氏のアンテナが記されていて、ということは新着のテキストを読みに訪れて下さっているのだ、という、「気配だけ受信するゆるい親近感」を一方的に抱いていた。
一昨年だったか、何かの拍子にふと、氏の日記(はてなダイアリー)を見てみた。そのときの驚きというか、衝撃は忘れられない。なんと、ご本人が亡くなってから一年も過ぎていた。日記のトップページに残されていたのは、奥様による急逝のお知らせであった。オーナーが更新を止めてからも日記は存在し続け、アンテナは自動的にリンク先を探知して表示を入れ替え続け、たまたまそのページを閲覧して、そのアンテナ経由で僕のブログにアクセスした人が「リンク元」としてtoshim氏のidを記録し、僕は勝手にそれを「toshimさんが読んでくれているサイン」だと思い続けていたのだ。
ネットに残る「跡」は劣化しないために、ちょっと独特の存続をする。無料サービスのホームページやブログなど、もしかするとご本人が亡くなった空き家のようなサイトがそろそろあるかもしれない。いま、toshim氏の日記を見ると、トップのエントリーにスパムコメントがいくつもついていて、それこそ空き家に心無い落書きがされているような感じがして寂しいが、中には友人らしい方による、まるで墓前のメッセージみたいな最近のコメントも残されていたりもする。そして、いまでも僕のブログのアクセス記録には時々、a.hatena.ne.jp/toshimというリンク元が記録される。
1967年生まれ。1994年、筑波大学文芸言語研究科博士課程中退。2005年、筑波大学人文社会学研究科博士号取得。成蹊大学文学部助教授。2006年10月肺塞栓症で急逝。享年38歳。
村山敏勝とは - はてなキーワード
・Googleに「質問」したってダメでしょうよ。
ここ数日のサイトのアクセスログは、「こたつ」と「ダム」を含む検索キーワードで埋まっている(考えてみたらこれ自体けっこうマニアックなキーワードである)のだが、そのなかに混じって並んでいたログ(抜粋)。いずれも同じIPから。
130920 8/24 (月) 14:43:51 [検索] Google : 石川初 作品なし? WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
130940 8/24 (月) 14:44:03 [検索] Google : 石川初 作品 WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
130960 8/24 (月) 14:44:34 [検索] Google : 石川初の作品見たことない WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
130970 8/24 (月) 14:44:46 [検索] Google : 石川初の作品見てみたい WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131000 8/24 (月) 14:44:58 [検索] Google : 石川初の作品見てみたい WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131010 8/24 (月) 14:45:04 [検索] Google : 石川初の作品見てみたい WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131030 8/24 (月) 14:45:22 [検索] Google : 石川初の作品 WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131040 8/24 (月) 14:45:36 [検索] Google : 石川初の作品 WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131060 8/24 (月) 14:46:56 [検索] Google : 石川初の作品ってどうよ WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131090 8/24 (月) 14:48:20 [検索] Google : 石川初 作品ってどうよ WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131100 8/24 (月) 14:49:07 [検索] Google : 石川初 作品ってどう WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
131110 8/24 (月) 14:49:12 [検索] Google : 石川初 作品ってどう WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
133760 8/24 (月) 22:10:43 [検索] Google : 石川初 単なるカウンター目指し WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
133780 8/24 (月) 22:12:25 [検索] Google : 石川初 変わってると言われたい人 WinIE 8.0 [WinXP]1024 x 768
・・・あのなー(笑)。
期待に応えられなくて申し訳ない。でもその、しつこく検索してもお目当ての情報がヒットしなかったからって、最後のほうのその当てこすりみたいな言いがかりはいったいなんだ。
2009年8月23日
・みんなどうかしている
ダムマニアは美的感覚が貧しいか本質を見抜く力が無い - 長い正夢 - Yahoo!ブログ
まったくだ。ダムなんか楽しみで眺めてる連中は神経がどうかしてると思う。
あと、世の中には「水門マニア」というのもいるらしい。川や海の水の自然な流れをせき止め捻じ曲げて、水の生態系を分断する、あんなもの好き好んでマニアとか言ってる奴らの頭は病んでると思う。
あと、高速道路の「ジャンクション」とか「国道」とか。毎年一万人を死なせている大量殺人機械で、二酸化炭素排出の元凶である内燃機関車輛のシステムを面白がったり、グッとくるとか言って鑑賞したりするなんて、気がふれてるとしか思えない。信じられない事に「ガソリンスタンド」のマニアまでいるらしい。
あと、いったん事故が起きたら取り返しのつかない大惨事になってそれこそ大量殺人機械になる、原子力発電所から送られてくる高圧電線の「鉄塔」を見て回るマニアとか、高度経済成長期に急増する都市人口をともかく収容するために、住戸をニワトリのケージみたいに詰め込んだ非人間的な建物、「団地」の写真ばっか撮ってるマニアとか、人間として美的感覚が壊れてるとしか思えない。
あと、ゴミ埋め立てた湾岸の埋め立て地の「地形」とか、海岸線から美しい景観と水際の親水性を奪っている「テトラポット」とか、川の水辺を街から奪ったコンクリート三面張りの護岸とか、そういうのヤバいなんて言って好むなんて、完全にイカれてるとしか思えない。公害まき散らかす「工場」の風景を愛でて「萌え」とか言って、このエコでロハスでグリーンな時代に、どうかしちゃったのか。
大量殺人機械といえば、その最たるアメリカの軍事技術のおこぼれであるGPSを嬉しがって使ってるなんてのも許せないぜったいに。
あと、マングローブ帯を破壊して養殖場を作るために、東南アジアの海岸の生態系をメチャクチャに破壊してるエビとか、熱帯雨林を破壊して栽培されてるバナナとか、ああいうの何も考えないで美味いとか食ってるやつの味覚は壊れてるとしか思えないし、長年かけて荒らされて、自然な植生がねじ曲げられてきた里山の雑木林とか、本来の地形を造成して改変して農薬垂れ流してる棚田とか見て「きれい」なんて、どうなんだああいうの。子供によく教えとかなきゃ。
via: 速報ダム日和
2009年8月21日
・55広場
最近、ちょくちょく新宿に用事があって、これの前を通過する。しかしまあ、こんなに長い間、魅力を失っていない、ここは相当によくできた、かつ幸せに使われている施設である。背後の三井ビルも、少なくともこの界隈ではまだ一番かっこいい、と、実は思ってしまうのだった。
2009年8月19日
・おしらせ。
今週日曜日(8月16日)より、僕の携帯電話が不通です(解約しちゃったので再開しません)。
ご不便をおかけして恐縮ですが、ご連絡の際には、職場の直通電話か、メールでお願いします。
gmailは以前よりも頻繁にチェックしています。なるべく早くお返事差し上げるようにします。
よろしくお願い致します。
・仕事中
仕事中に見ている風景。
2009年8月18日
・建築系ラジオ&村おこしアートの悲しみ2
建築系ラジオアップリンク公開収録「東京論」
10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト|
この末席に加えて頂いた。
じつに、僕の持ちネタが音声メディア向きではないということをあらためて思い知った。視覚偏重型のプレゼンテーションを上映しながら、ほとんど慌ててなんとかして言葉で説明しようと四苦八苦したため、あれが音声だけになっても、何か意味のあることを述べているように聞こえるかどうか、はなはだ自信がない。うう、配信が恐ろしい。
しかし、イベントそのものは、収録後の打ち上げも含め、非常に楽しいひとときでした。お誘い下さったラジオのコアメンバーの五十嵐さん松田さん南さん山田さん(50音順)はじめ、今回ご一緒した杉浦さん山中さん学生の皆さん、公開収録にお運び下さった諸姉諸兄、アップリンクのスタッフのみなさま、ありがとうございました。
それぞれのプレゼンテーションの内容は、それぞれの回の番組を聞いて頂きたいが、今回、渋谷中のビルに登って「空中地形」を体験しようとしたり、ママチャリで坂道を走り回ってフトモモで地形を記述(いや擬音語だった)したり、都心の地下を徘徊したりした学生さんらの発表を見聞きしつつ、熱心で冴えたキッズは居るところには随分居るじゃないかとなんか嬉しくなってしまった、ということを記しておきたい。素晴らしい。
さて、こういうわけで、これは他の回も聴いておかねばなるまいと思い、「建築系ラジオ」を初めて拝聴したのだったが、それがいきなり「こたつ問題」の番組だった。
35A: 建築系ラジオ緊急謝罪会見「『こたつ問題』欠席裁判」 - 建築系ラジオ-2部
ディテール侍節が冴えわたる(あとで気付いたが、何気に壁嬢もいるじゃないか)話は面白いが、なんというか。
趣旨はわからなくはないが、「建築」関係者がこれを「建築界の問題」として謝ってみせたりしなければならないのか、という点は、よくわからない。
僕自身は現物を見ていないし、作品自体も参加型で成長するようなので何ともいえないが、仮に不出来だったとして、「ダメなアート作品」は単に「ダメ」と評価すればいいのではないか。「アート祭り」に貧相な作品が出品されたこと自体は、建築の問題というよりも、こうした玉石混交を許容してしまう「アート祭りのシステム」の問題だろう。審査員のリテラシーの問題というべきか。ダメな作品ひとつ見ただけで「建築系はダメな作品を送り出す」なんて思い込むほど来場者がみんなナイーブじゃないと思う。作者が建築系だという理由で責められるのはちょっと気の毒だ。作者の「属性」というのは「アート作品」の鑑賞や享受においてそんなに重要なんだろうか。どうもこのへんの現代アートのプロトコルというかロジックというか、扱いの「作法」はよくわからん。
もっとも、提案時のプレゼンテーションを見るに、それはいかにも『洗濯物と植物しか描いていない』系(@藤村龍至)のレンダリングではあって、そういう意味で、建築系の人たちとしては、近年のこうしたノリの提案が実際は建築物として実現するにはかなりアクロバティックなエンジニアリングが動員されたりもする、相当なガッツ(と政治力)がないと「具現化・物体化」しないたぐいのものであるにも関わらず、夢想提案だけはわりと簡単にできてしまうし、そういうテイストの提案が持てはやされたりするために、キッズが勘違いしてしまう、という、「建築系内部の問題」と受け止めることは可能である。というか、それのほうが深刻なんじゃなかろうか。「こたつ問題」は、「建築力を伴わないSANAAワナビーを許す建築コミュニティの問題」なのかもしれない(ラ系のパストラル症よりもたちが悪いかもしれない)。
建築キッズたちが引き出しうる教訓としては、「むしろ、いっそ建築の国際コンペとかだったら、投下される資源が大きいために、エンジニアやゼネコンがよってたかって実現させちゃうなんてことも起きかねないが、こういう村おこしアート祭りの場合は、結構あっさりハシゴを外されて放り出されることもある」ということを覚えて、気をつけようね。ということだな。
2009年8月12日
・ヤバ景終了:ありがとうございました
ついに会社も夏期休業期に入り、今週の日曜日は「ヤバ景」イベント(会社の休業とは関係ないが)。
大山顕の"ヤバい景観的・東京88景" TOKYO CULTURE CULTURE:@nifty
お台場カルチャーカルチャーには初めてお邪魔したが、思っていたよりはアクセスも良く、よい施設であった。店長・横山さんに、久し振りにお会いした。新宿のロフトプラスワンの「団地ナイト2」以来、3年半ぶり。考えてみたら、学校や文化施設とかでの講演や講義の機会は度々あるが、入場料払っていらしたお客さんが飲み食いしながらのトークライブというのは、「団地ナイト2」が初めてで、今回の「ヤバ景」が2度目の経験だった。
いやはや、大学の講義なんかよりよっぽど緊張した。もう数える程しかお客が入ってない寂しい会場で、外しまくったプレゼンを虚空に向けて必死でやってる、なんてことになったらどうしよう、と、事前に資料を作りながら悪夢にうなされるような数週間を過ごしたが、ふたを開けてみたら当日はチケット売り切れの満員で、遠くからも沢山の方が足を運んで下さった模様で、何よりも会場のノリと反応が知的でスピード感にあふれていて、もうなんか、幸せなひとときを過ごした。来場下さった皆様も楽しんで頂けたのだったら嬉しい。少なくとも僕が見聞きした範囲では、面白かったという感想をいくつも頂いた。たとえ演台に上っていてもこういう「トーク」は一方的なものではなく、会場との応答によってある種の「会話」になる。「かけあい」が高度に成立すると、自分でも思ってみなかったような興味深いことをうっかり口走ったりする。「準備した以上の内容を描いてしまうこと」が「ライブのよろこび」なのだった。お越し下さった皆様、会場スタッフの皆様、駆けつけてくれた友人知人の皆様、ありがとうございました。大山顕ブランドのチカラもあらためて思い知った。ご一緒する機会があるのは嬉しい。
会場で「ヤバケイTシャツ」販売して下さった小林さんご夫妻、ありがとうございました。この界隈で、この他のダムとか水門とか団地とか鉄塔とかその他のテーマはほぼ全て、小林さんらによってTシャツ化されている。スリバチ学会まで、バッジのデザインに採用されている。しかし、僕の演目がTシャツやバッジや手ぬぐいになったことは今までなかったのだ。いちおう、今回でようやく一人前というか、マニアパレル的に合格したわけである(大山さんとセットだけれども)。
それにしても詰め込み過ぎだった。最初の自己紹介などは、たとえば大山さんの自己紹介部分は「ヤバ景」のパートに混ぜてしまってもよかったし、僕の自己紹介は「どこまで東京」の一部にしてもよかったかもしれん。そもそも、今回の企画はもともと「どこまで東京」の結果をネタにして、東京って何?というような話を、イメージや地理やその他のいくつかの切り口でやってみようというアイデアだったのだが、「どこまで東京」だけでは興行的にOKが出なかったらしい。一方で「ヤバ景」はもう、ずっと以前から、一度どこかで落とし前を付けようぜ、という話をしていた題材であって、僕は建築学会誌の特集とか10+1の特集とかでそれなりにまとめた文章を書いたりしてプチ達成感を得ていたが、ご本人はそうでもなくて、ずっと機会を窺っていたようだ。というか、折に触れて何度もいろんなところでやってもいいような題材だけどな。
特に今回、最後の「ヤバ景」はもっとじっくりやるべきテーマだったと思った。予定時間を大幅に超過してしまったうえに消化不良で終わるというのは良くない。こういう、レクチャーとバラエティの中間みたいな趣旨だと、「頃合い」が難しい。もったいなかった。「どこまで東京」も、鉄道の社内の広告の地理的関係とか、道路のサインとか、ガーデニング植物の生態的分布とか、企画時に検討していて結局出さなかった興味深いサブジェクトもずいぶんあるし、ヤバ景ももっと投稿画像のシェアをやるべきだったし。店長をうまく説得して、またやろう。今度はシングルテーマで。ぜひ。ご検討をお願い致します>関係者各方面。
追追記:
ただ、ヤバ景は拾う景観の範囲が広すぎて、「ぐっとくる」感じを共有できるのか、(必要もないのに)ちょっと不安になった。団地や工場やダムといった「ドボク」は愛でる対象が限定されているから、「ぐっとくる」感じを共有し易いのではなかろうか。それこそ「水門」の佐藤さんは「ドボクサミット」で、「水門以外興味ない」って言ってるし。
jump a light @ the city lights: 懐かしのヤバい景観
たしかに、もう「なんでもあり」になってしまうと、それはまあ各々が個人的な心情として抱くものなのだという言い方はなくはないが、「ヤバ」さの緊張感というか、「ぐっと」の切実感というか、そういう「尋常じゃなさ」は失われてしまう。会場でわずかにやろうとした「ヤバい」と「イタい」の違いというか、皆さんからも「自分的にど真ん中でヤバい」と「これは周辺というか境界というか微妙」といういくつかの種類を持参してもらって、ヤバさの輪郭のようなものを探る、というのが面白かったかもしれない。というかまたやろう。これ。>各位
追記。
# @superesk や、それはまさにそのとおりでドボサミの時のように純粋に鑑賞者の視点でいてくれればそれでおkなのです。一方で、郊外論も好きなので否定はしませんが、ごっちゃにすると落とし穴ありまくりですぞ、と言いたいだけ。約18時間前 movatwitterで superesk宛
Tkkz SSK (s_kiichi) on Twitter
#
ヤバい景観はそもそも美しい景観のカウンターとしてうまれた概念なのだから、何も無理に東京の境界と結びつけなくてもよかったんではないかなー。変に郊外論とごっちゃになっているような。4:31 PM Aug 10th movatwitterで
#
都市の「ヤバい景観」はすでに16号線マーケット、郊外論、あるいは映画版パトレイバーあたりでずいぶん語られたような気がするのだけどね。ドボクとの比較・整理の副産物で生まれ出てきた概念といえなくもないような。ケンカ売ってるだけかな、これじゃ。もう一階層掘れそうな気も。5:17 AM Aug 9th webで
#
ドボクとヤバ景の棲み分けを定義してたのは、整理学としてはよかったけど、傍から見るとポカーンなのだろうな。商業化されてるか否か、という区分はボードリヤールっぽいですね。今さらですかね。5:14 AM Aug 9th webで
#
ヤバ景@TCC、なう12:56 AM Aug 9th movatwitterで
前述のようなわけなので、「どこまで東京」と「ヤバい景観」はいわば無理矢理な「2本立て」で、この二つを結びつけるのは無理があるという指摘はもっともだ。申し訳ない。深読みをして頂いて恐縮である(むろん、無意識にこの二つを併映した我々の心情を分析することは可能だが)。
ただ、「ドボクとヤバ景の棲み分け」なんてぜんぜん「定義」してないが、これはなんだろう。いや、プログラムとして無理な構成だったんだから、と言われれば返す言葉もないが、それにしたって「ドボサミの時のように純粋に鑑賞者の視点でいてくれればそれでおk」はむかつくな。「純粋な鑑賞者」って何だよ。上記の文章こそ落とし穴も油断も隙もありまくりの発言に見えるけど。公開されてるし、「ヤバ景」で簡単に検索に引っかかるから、当人が目にするとは思わなかったというわけではないだろうし、俺がどう「純粋な鑑賞者」を逸脱し、それがどう「おk」じゃないのか、話を聞かせてもらいたいな。喧嘩売ってるのなら。
# .@s_kiichi そういう意味では去年の「ドボクサミット」が武蔵美で行われたというのはとっても象徴的なのかもね。(話が脱線気味)5:58 PM Aug 10th twhirlで s_kiichi宛
tomo iisaka (superesk) on Twitter
#
.@s_kiichi その辺りの地方論みたいなのは彼らの意識の中には全然無くて単なるおもしろがりだからそのツッコミは野暮でないの?て思う。個人的には純粋に表層だけを愛でるという大山君の方向性はもう馴染めない所があるんだが、まぁ、それは好みだしねぇ...5:29 PM Aug 10th twhirlで s_kiichi宛
それこそ、こういうの拾って来てあーだこーだ書く僕は野暮天の極みかもしれないが、ひとことだけ。
「純粋に表層だけ愛でる」のは、目的ではなく「手法」なんじゃないかと思う。というのは、注意深く見ると、同じ大山さんの表現でも、対象によってその「鑑賞の作法」への固執の度合いに差が感じられる(端的には、団地と高架下建築の解説の差)からであり、その「差」はたとえば大山さん個人の枠を超えてこのへんの表現活動者一般に敷衍できる(『壁』から『ダム』まで、対象の、いわば「強度」に応じて、課す手続きの濃淡が存在する)からだ。あれを「表層だけ愛でている」と断じてしまうのは、団地に対する態度が目立っているからじゃないかと。むろん、そう思っているのは僕だけで、そう言葉にすると、大山氏ご本人はまた、ちょっと違うと言うかもしれないけれども。
2009年8月 3日
・松戸一区切り。
先週の火曜日は、千葉大の実習の最終日。ゲストもお呼びして、発表と講評会を行った。
今年、担当した実習は前期の後半、週に1回3時間×7回分であった。終わってみるとじつにあっという間の7週間だった。これで、けっこう緊張しっぱなしだった。赤坂先生木下先生、ボランティアも含めてTAのみんな、お世話になりました。ありがとうございました。
成果品のクオリティについて、今回の到達点は僕にとっては驚くほど完成度の高いものが出てきたと思った(ほとんど感動的であった)のだが、それはまあ、それまでの過程をずっと見ていた目での評価であって、ゲスト講師の目にはぜんぜん違ったように映ったようだ。特に、70人という、隅々まで目の行き届かないような人数の集団に対して、7週間の最後に仕上がる「成果品」の内容と品質をどのあたりに設定して実習のプロセスを組み立てるかというのは、今後とも考えねばならない課題である。べつに言いっぱなしでやらせっぱなしでも誰にも責められないだろうが、なんか、こういうの、手抜きができないのだ。性格的に。
以下は反省。
夏休みが明けると、関東学院の演習に備えなくてはいけない。松戸が終わって、金沢八景通いへ。
・まちの断片・地図編終了
先々週末。メディアセブンのレクチャーはお陰さまで無事に終了。
事前に少し調べていったが、川口市は大宮台地と荒川低地にまたがっていて、なかなか面白い場所である。ということを知った。5mメッシュ標高データで描いた地図に浮かび上がる旧芝川の河道など、地図的楽しみも味わえる。もっと時間をかけて市内を歩き回ってみたい気もした。
このシリーズ皆勤で聴講されているという磯さん、久しぶりにお会いした写真家の福田さん、鈴木雄介さん、大山さん杉浦さんたち、暑い中お運び下さった川口市民の皆様、呼んで下さった運営の佐藤さん、ありがとうございました。
以下はちょっと余談。
僕は、仕事でも講演会でも学校の講義でも、出先でのプレゼンテーションは全て職場で普段使っているノートPC(決してパワフルではないが、そこそこ普通に使えるHPのノート)を持参する習慣がある。
今回、張り切って準備して、これまで発表したことのあるパワーポイントから画像ページを次々にコピーしてファイルを作っていたら、250ページあまり、ファイルサイズにして200MBくらいになった。そうしたら急にパワーポイントがハングするようになった。えらく長い時間をかけて何とか開くものの、ちょっと文字を変えるとか、内容の操作をしようとすると止まってしまう。ファイルの減量をしたり、様々な対策(僕が知る程度の対策)をしてみたが、一向に改善しない。特に非常に大きな画像ファイルを入れているわけでもないし、動画を埋め込んでいるわけでもないし、効果を多用しているわけでもないのだが。このくらい動かなくてどうするパワーポイント。
前日の夜、データを持って帰宅して、自宅のメイン機・iMacに入ったOffice2008を使って開いてみたら、エラーは起こさなくなったものの、開けたり閉じたり保存したり、ページをコピーしたり入れ替えたりする動作がもう、意地悪されているかのようなスローモーションで、おまけに「pptx」という未知の拡張子がついたファイルが生成された(新しいフォーマットらしい)。そもそも、考えてみたら、iMac担いで川口へ行くわけにはいかない。
素人が思いつく限りにおいて様々なことを試し、最後にダメ元のつもりで、あらためてファイルを古い形式(ppt)で保存しなおして、自宅のサブ機(プロセッサのスピードがギガヘルツ台に達していない、クラシックがちゃんと動く、OSもアップデートしていない12インチのPowerbookG4。2003年のモデル。)にコピーして、古いofficeXで開いてみたら、あっさり起動して実に普通にキビキビと動いた。結局、川口へはこの旧型Macを持っていった。古いものも、決定的に旧型に陥るまでは充分に使える場面もあるという、特に目新しいわけでもない教訓を得た週末であった。よくやった古ブック。まだ大事にするぜ。



