・雨季の週末の記。
雨季の週末。
建築雑誌編集委員会の、小淵沢での合宿というか慰安旅行に、土曜日の夕食と2次会だけ参加することにさせてもらい、僕は家族旅行を兼ねて、金曜の夜から親子で清里にある叔父の別荘に宿泊。
土曜日。
朝、レンタカーで蓼科へ。途中、清里の駅前の荒廃ぶりに驚愕する。僕はこの年齢なので、八ヶ岳周辺の「高原」をめぐる生活スタイルや商品が流行し、ことに清里がプチ原宿化し、周囲の女の子たちがグループで清里へ旅行しては、ペンションに泊まって、丸文字のロゴと漫画チックな乳牛のイラストが描かれた木製のコースターをお土産に買って、小海線の駅の看板を背に記念写真とってきた、そのころのことをよく覚えている。というか、ここ10年以上清里などへ足を踏み入れてはいなかったので、僕の清里のイメージはそれ以降更新されていなかった。
高原の農村と別荘地の観光地なんて、狂騒のブームが去って静か、というくらいのほうが環境としては良くなるんじゃないかとも思うが、こういう「かつて栄えたことがある町」はその栄えた時期がいつだったかによって、風景の痛さに差がある。清里駅前はちょっと気の毒である。仮にこのまま駅周辺の建物が取り壊されずに残り続けたとしても、「昭和60年代の街並み」が古街道の宿場町のような資産になるとも思えないし。いや、なるのかもしれないが。
途中で母親をピックアップして、蓼科の恵泉ガーデンへ。この、恵泉の園芸研修センターとして作られた施設は一般公開されていないのだが、僕の母が恵泉女学園の卒業生なので、その伝手で見学させて頂いたのだ。
いや、維持管理の繊細さと植栽への配慮と知識と趣味のよさが敷地中に横溢する、素晴らしい庭園であった。いいものを見た。
ガーデンは、その土地の固有な自然環境と、庭師の介入が引き起こす生態学的攪乱との拮抗である。僕ら鑑賞者は庭師の手の痕跡を通してその場所の潜在的自然を透かし見る。庭師のイメージが単に外部化するだけでなく、その場の既存状況とがっちり「関係してしまう」のがガーデンの特徴である。緑と付き合うというのはそういうことである。つまり、その場所のベタにローカルな状況に向き合う腹を括るということだ。何が言いたいかというと、そういうスピリットが欠如している場合は造花を(以下略
日が暮れてから、家族を別荘に残して小淵沢へ向かい、建築雑誌編集委員会の食事会に合流。楽しいひとときであった。
ところで僕は飲めないくせに、周囲が飲むとそれにつれて灰になって、じゃなくてハイになって余計なことを喋りまくる悪癖があり、近年の植物つき建築が神経に障る旨を五十嵐隊長に向かってしつこく主張し、そんなに言うんなら今年の暮れにこのテーマで討論するシンポに出ませんかとオファー頂いて、あわわ、速攻で前言撤回してお断りした。危ねえ。そういえば先日、佐藤師匠からお電話頂いて、同じ趣旨の申し出をもらってお断りしたところだった。それはそれとして、もう少し説明できるように言葉を整理すべく、考えておかないといけないのだが、さしあたってもっと自重しよう>自分。
日曜日。
朝、息子の咳がひどくなり、調べても清里周辺などには救急で受け入れてくれる小児科などがなく、結局甲府市内の病院まで行くことになって急行。吸入したり点滴したりしてもらい、また清里へ戻って、予定していたレジャーはぜんぶ切り上げて帰ることにし、午後すぐに出発したのに帰路の中央高速は駐車場のように渋滞していて、帰宅したのは午後8時。
おまけに自宅についてから別荘に僕の鞄をひとつ置き忘れたことに気がついた。やれやれ。急いで必要なものは特に入っていないが、洗濯物満載の鞄なのだった。次にいつ、取りに行けるかわからないが、中身はカビだらけのシャツやパンツだろうと思われる。うげ。

