結婚のプロトコル
週末、友人の結婚式/披露宴にお招きいただいて出席。よい結婚式であった。おめでとうございます。
いかにも月並みな感慨だが、娘を持って以来、キリスト教式の結婚式の、あの、父親が花嫁を連れてきて花婿に引き渡すあれ、あれがやばい。
新郎の属性からして、世界のギークが集合するデジタル先端技術系カンファレンスの打ち上げパーティのごとき様相なんじゃないかと、それなりの覚悟をしていったのだが、式場は五十嵐太郎隊長がフィールドワークしそうな徹底的な「結婚式教会」であったし、式も披露宴もとても真っ当で、むしろそうした「いわゆる結婚式・披露宴」への出席経験の浅い地図メカが、いちいち物珍しそうに式次第に感心している様子が面白かったりした。
チャペル内部はゴシック風の、カトリック教会を模したもので、しかし司式は「牧師(日本語が非常に上手な、白人の牧師先生だったが)」が行う。牧師先生は「ひとりバイリンガル」で、フレーズごとに日本語と英語で話される。中西さんによるとこれはおそらく、あまりに日本語がペラペラなので、そのままでは「外国人牧師のありがたみが薄れてしまう」から。
チャペルを飾る大きなステンドグラスの下端部に、「DONATED BY JOSEPH HARTZ AND FAMILY」という文字が入っていて、こりゃあきっと、これを作るときに取材したオリジナルの教会のステンドグラスにあれが入っていたのを、そのまま入れちゃったんだろうな、律儀なコピーだぜ、と思っていたのだが、あとでウェブサイトを見たら、英国のどこかの教会堂のものをそのまま移設したものであった。
キリスト教式だから、牧師が神様の名において、二人の結婚を「宣言」し、会衆に紹介する、という形式である。本来、キリスト教会は地縁コミュニティの象徴である。日本のキリスト教式結婚式がモデルにしているアメリカの教会は特にそうだ。教会での結婚は「神に誓う」という側面もさることながら、地縁共同体の構成員に「これから仲間になる若い二人をよろしく」と仁義を切る、挨拶の場でもある。だから、アメリカの教会では、会衆に向かって牧師が「この結婚に異議のある人はいますか」と尋ねる手続きがある。日本の結婚式教会での式では、この部分が省かれている。
まあ、新郎新婦が式に呼びたい知り合い=お世話になっていると感じている友人知人たちがかつての地縁共同体に代わるものであるわけで、そうであるなら、地域の文脈というか、その土地の場所性から思い切り切り離された「フィクション教会」を会場とするのは正しいプロトコルなのである。
施設のデザインや素材、ディテールは、もうネタ満載というか、細部にいたるまで僕はかなり楽しく拝見した。そして、フィクションの景、ということに関連して、LD誌の「テーマパーク特集」について、後ほどに。