2009年5月19日

尻軽ケーブル

先日、知人の結婚式からの帰路、地図メカとの話のメモ。

・iPhotoは、もうOKである。

最近、やや忸怩たる思いもしていたのだが、地図メカもiPhotoユーザーだと聞いてちょっと安心。

実は昨年秋、久しぶりに自宅用にiMacを購入した(我が家のメインマシンの更新は5年ぶり)のだが、これにプリインストールされてきたiPhotoがあまりに使い心地が良く、ついに軍門に下ったというか、この便利さ手軽さに降伏したというか、デジカメデータ群をそっくりiPhotoに「委ねる」ことにしちゃったのだ。ささやかなクラウド化。

僕はべつに情報技術に詳しいわけでも何でもないし、ツールとしてのデジタル機器は深く考えずに(できればマニュアルも読まずに)容易に使えればそのほうがいいと本当に思っているのだが、一方でできることなら『中の様子』をぜんぶ把握しておきたい、という抜きがたい欲望を抱えていて、ハードディスクの中のファイル群は必ず何かの分類で、自分の手でフォルダーに分けて階層化しておかないと落ち着かない。タグをつけてフラットに投げ出しておくgmailのようなノリが駄目なのだ。写真ファイルも、「オリジナルの所在」が明確でないとイヤで、フォルダの作成やファイル名の変更やなにやら、画像ファイル整理ソフトに任せておけず、全部自分で整理していた。おそらく、フィルム写真のネガやプリントを整理するようにしようとする傾向があるのだろう。

でも、「ファイル」とか「フォルダ」も、「例え話」である。「どこに保存した」の「どこ」がすでに、比喩でしか語れない。しょせん、僕のレベルの知識では、中身を把握しているような気がしているだけで、それはあくまでもグラフィックインターフェース的世界の中で辻褄があっているように見えるだけだ。要は、どこで見切るというか、諦めるというか、開き直るかである。

僕は時代的年齢的に、かつてウィンドウズが登場したときとか、システム7が登場したときとか、ブログが登場したときとか、見かけ上の「例え話」が巧妙になるときは必ず、機器や回線の速度が追いついていかずに、コマンド打ったほうが速いとかHTML書いてるほうが軽いじゃんか、というストレスを味わう、という目にあってきたのだが、最近はなんか、ハードウェアの性能の更新が早くて、そういう「込み入った仕組み」がさっさと背後に退いてしまうため、以前よりはずっと諦めやすくはある。箇条書きのテキストをわざわざdocファイル添付してメールで送られてくるのにも、いい加減に慣れないといけないのだろう。


・アナログ写真のデジタルアーカイブ化

上記に関連して。

我が家は世紀の変わり目くらいに「デジカメ期」に入り、数年前からまったくフィルムカメラを使わなくなった。

それ以前の「アナログ期」の写真群は、妻が几帳面にも、ネガのロールごとにIDを振って、プリントと一緒にアルバムに分類して保管していた。この、「リアル写真データベース」のディレクトリ構造とアクセスが非常に良かったため、むしろ手軽に素早く「一覧」できないデジカメのデータ(PowerBookのハードディスクがすぐに一杯になるため、主にMO(!)に保管していた)のほうが「死蔵」され気味になってしまい、しかも気付いたら我が家にフロッピーディスクを読み取る機器がもはや不在だとか、デジタル化されることで開放されたような気になっていた「物体の制約」が実は意外に強く、かつ脆い、などと思ったりしたのだが。

ここへ来て、またぞろ、手元のアナログ写真群のデジタル化について考え始めている。というのは、そのiPhoto的状況の変化のために、デジカメ写真ファイル群の閲覧が飛躍的に容易になったからだ。

たしかに、デジタルアーカイブ化は必ずしもそのデータの永続性を保障しない。しかし、デジタル化の意義というか、データがデジタルになることで開ける可能性はそこではない。

それでも消えるものは消えるでしょう。それは仕方がない。でも、やり方次第で紙の書物よりもはるかに多くの情報を残せる「可能性」がある。その可能性は消したくない。
そのためには結局のところ、みんなが「アーカイブ」の意識を持つようになればいいんだ、というのがいまのところの結論で、若者にもそれを刷り込みたいなあと思って先日の発言に至りました。

jm@foo: 記録と移動

地図メカによれば、キモは、データの「ケツを軽くしておく」ことである。ハードウェアの性能とインターフェースの巧妙化とネットワークの速度とが向上すればするほど、ケツの軽いデータは情報網の中で「ツルツル」になってゆく(そして、ツルツルとGoogleに集まってくる...)。

しかし、ツルツルに浮かせるには、最低限、データがそのような「様態」になっている必要がある。いま、世界中の住宅の地下室や押入れで色あせていきつつある膨大な人類の記録画像のケツを軽くするポイントは、あまり心理的な抵抗感なく、簡単にツルツルと35mmフィルムをスキャンできる装置なんじゃないだろうか。

僕の個人的な記録について言えば、70年代くらいまでの、両親が節約して大事に撮っていた写真群は、あるいはそれなりのフィルタリングのすえに、丁寧に保存されている。21世紀のぶんはすでにデジタルだ。80年代、90年代の写真、特に中途半端に古くて、感慨も抱かないために、アーカイブ化しようという動機が薄い80年代後半の写真が最も危ない。もしかしたら今は、アナログ写真をデジタルアーカイブ化する最後のチャンスかもしれない。今なら、デジカメになる前の写真アルバムの「記憶」と、デジタル化のガッツが辛うじて残っている。やっぱりスキャナ買おう。

2009年5月12日

結婚のプロトコル

週末、友人の結婚式/披露宴にお招きいただいて出席。よい結婚式であった。おめでとうございます。

いかにも月並みな感慨だが、娘を持って以来、キリスト教式の結婚式の、あの、父親が花嫁を連れてきて花婿に引き渡すあれ、あれがやばい。

新郎の属性からして、世界のギークが集合するデジタル先端技術系カンファレンスの打ち上げパーティのごとき様相なんじゃないかと、それなりの覚悟をしていったのだが、式場は五十嵐太郎隊長がフィールドワークしそうな徹底的な「結婚式教会」であったし、式も披露宴もとても真っ当で、むしろそうした「いわゆる結婚式・披露宴」への出席経験の浅い地図メカが、いちいち物珍しそうに式次第に感心している様子が面白かったりした。

チャペル内部はゴシック風の、カトリック教会を模したもので、しかし司式は「牧師(日本語が非常に上手な、白人の牧師先生だったが)」が行う。牧師先生は「ひとりバイリンガル」で、フレーズごとに日本語と英語で話される。中西さんによるとこれはおそらく、あまりに日本語がペラペラなので、そのままでは「外国人牧師のありがたみが薄れてしまう」から。

チャペルを飾る大きなステンドグラスの下端部に、「DONATED BY JOSEPH HARTZ AND FAMILY」という文字が入っていて、こりゃあきっと、これを作るときに取材したオリジナルの教会のステンドグラスにあれが入っていたのを、そのまま入れちゃったんだろうな、律儀なコピーだぜ、と思っていたのだが、あとでウェブサイトを見たら、英国のどこかの教会堂のものをそのまま移設したものであった。

キリスト教式だから、牧師が神様の名において、二人の結婚を「宣言」し、会衆に紹介する、という形式である。本来、キリスト教会は地縁コミュニティの象徴である。日本のキリスト教式結婚式がモデルにしているアメリカの教会は特にそうだ。教会での結婚は「神に誓う」という側面もさることながら、地縁共同体の構成員に「これから仲間になる若い二人をよろしく」と仁義を切る、挨拶の場でもある。だから、アメリカの教会では、会衆に向かって牧師が「この結婚に異議のある人はいますか」と尋ねる手続きがある。日本の結婚式教会での式では、この部分が省かれている。

まあ、新郎新婦が式に呼びたい知り合い=お世話になっていると感じている友人知人たちがかつての地縁共同体に代わるものであるわけで、そうであるなら、地域の文脈というか、その土地の場所性から思い切り切り離された「フィクション教会」を会場とするのは正しいプロトコルなのである。

施設のデザインや素材、ディテールは、もうネタ満載というか、細部にいたるまで僕はかなり楽しく拝見した。そして、フィクションの景、ということに関連して、LD誌の「テーマパーク特集」について、後ほどに。

頑張れヒラドくん。

東京都町田市木曽東の市道わきで、電柱を支えている鉄線を保護する黄色いカバーの上からツツジが満開の花を咲かせ、近所の話題となっている。

"ど根性"ツツジ満開、道路わきのカバーからニョキ : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

おお、ストリートビューに写っている。

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関東学生ランドスケープデザイン作品展・2008

関東学生ランドスケープデザイン作品展2008の運営委員会から、まとめ冊子を送って頂いた。

これは首都圏のラ系学科の大学生らが主催して行っている作品展で、今年で4回目である。僕は今回、会期中に行ったワークショップのお手伝いをした。

誰に命じられたわけでもないのに、学生たちで自主的に継続しているところが素晴らしい。今年は、講評会に栗生明さんや佐々木葉二さんなど、これまでと違って「外部」の先生を招いていて、この心意気は買う。その「効果」がちゃんと出たというべきか、講評会の記録を読むと、たぶんこれまでの作品展で一番、厳しいことを言われている。議事録でこうなんだから、当日、実際はもっとずっと辛辣なクリティークを受けただろう。

先生方の指摘に共通してるのは、「提案が中途半端だ」ということである。リサーチが具体的な場所の提案に結びついていない。というか、そのジャンプがなく、提案の「具体」がないまま、なんとなくプレゼンが終わってしまう(どこかで聞いた話である)。

キッズの作品展として、もっと歯ごたえのある、のけぞるようなプレゼンテーションを持って来い、という叱咤激励ならば、それは僕も同意する。僕も立場が違えば、あるいは講評会とかに居合わせれば、似たようなことを発言したかもしれない。

掲載されている「作品」群を眺めて感じるのは、ひとつには、その抽象度の高い安易なもっともらしさである。

地形や植生や土地利用など、国土の基盤デジタルデータが容易に入手できるようになり、パソコンの画像処理能力が向上したために、地域解析の真似事をして、写真をコラージュして、それ風のプレゼンテーションに仕上げるのがとても楽にできてしまう。楽にできる事自体は別にいいんだけど、というか、ここで、それってあんたがいつもやってる事でしょう、という突っ込みには返す言葉もないのだが、キッズの「練習」として問題なのは、なんか、それだけで何か意味のあるものを作ったような気がしてしまうことである。

もうひとつは、提案の「動機」が希薄というか、つまり何がやりたくてわざわざ「提案」しているのか不明なことだ。

通りいっぺんの「良いこと」を、既存の都市空間に挿入することが、ラ系的「善」の実現であるというような、「木植えて解決!」みたいなやりかたを、都市や地域レベルのスケールでやっている、という感じのパネルが多いように見える。近年の土木や建築にしばしば見られるような、「エコロジズムとエコノミカルとエコロジーの混乱」に対して、ラ系キッズこそ敏感にそれらを峻別して欲しいと思うし、自分がどうしても見たい「場所像」の構築のためのバックアップ理論としてそれらを使いまわすくらいのクールさがあってほしい。講師の先生方の歯がゆさが伝わってくる。

でもしかし、一方で、そういうのに辟易してしまった現代の若い連中の気分にも共感してしまうのだ。

講評のテキストにあった、大量消費主義の論理で「風景なるもの」が粗製乱造されている、という言い方はわからなくはない(まあこれも議論の余地がある言い方ではあるが)が、そこに含まれている、「真に優れたデザイナーの関与が不在だからだ」という危機感(たぶん)に、素直に添うことはできない。だって、「消費主義的風景」を「デザイン」してるのも「デザイナー」だぜ。真に優れた連中と、劣悪なデザイナーたちを分ける線なんか引けないだろう。無関係だとは言わせない。

宮城さんの、ランドスケープは「非・建設的な方法で作られる」という試論からもう10年だが、まだしかし、私たちは「建設する」以外の冴えた方法を見出していないんじゃないだろうか。というか、学生展に横溢している「決め打ちへのためらい」というか、この逡巡は、「非・建設フェーズ」への過渡期の序章としての混沌なのかもしれないぞ。って、あまりに良く言いすぎだとナカツ先生あたりに突っ込まれそうだが、学生メンバーと一緒にやったGPSワークショップがあまりに楽しかったので、LDSE2008については僕は心情的にかなり学生サイドに立っているのである。お疲れ様でした。よくやった。

あと、次からは、イベントのタイトルから「関東」を取ったらどうだろういっそ?「関東」なんていう手がかりを出すから、京阪神近畿からの先生とかに関西と比べてどうの、というような面倒なことを言われてしまうんじゃないだろうか。いいけど。

それとあと、それこそ京阪神で活躍している若手ラも、いわゆる「デザイン」とはいささか異なる、それこそ「非・建設」的な方法を模索しているようにも見えるぜ?いーけど。

2009年5月 8日

iGPS


Garmin Oregon 550t

タッチスクリーンのオレゴンシリーズの最新版。3.2メガピクセルのカメラが内蔵された。ジオタグのついた写真が撮れる。3次元電子コンパス、タッチスクリーン、ワイヤレスデータ転送・共有機能、マイクロSDカードスロット。550tはアメリカの詳細地形図が最初から入っている。

カメラ使うかな?ちょっと場面が想像しにくい。内蔵する心意気は買うけれども。というか、こうなってくると初期のeTrexのシンプルさがむしろ好ましく感じてしまう。

なんだかしかし、電話もオーディオプレイヤーもGPS受信機もカメラも、「持ち歩く装置」がそれぞれ、お互いの機能を取り入れあって統合されて、似たような様子になってきたな。形態が何となく無特徴な、「ネオテニーなデザイン」になっているのが興味深い。

(下の図版は記事本文とは直接関係ありません)

2009年5月 7日

君の知らないメロディ、

僕はこれまでの人生の「区切り」を、その当時住んでいた場所に強く結び付けて憶えていて、小平に居たときとか田端新町に居たころというような「場所の記憶」が個人的な思い出の「タグ」になっているような気がする。

こういう「記憶の見出しのつけ方」は、たとえば自宅の蔵書の検索と似ている。僕は書棚を家中のいろんな部屋や場所に散在させる癖があって、特定の本を探すときの記憶のタグは「家の中の場所」である。たしか、このへんの薄暗いところに、探している図版の入った本があったよな・・・という感じで。僕は「あらゆる事物には固有の位置がある」という前提から抜け出せない「空間1.0」な人間なので、近年、ますます弱りゆく自分の脳のバックアップ体制としても、まだこうした「物体的に展開した」状態でないとダメなのだ。

もっとも、これは僕がこれまで割と頻繁に引越しをしてきた(住所変更は17回、高校と大学の寮の「部屋換え」を含めると30回近く「引越し」をした)ために、僕の個人年表では「住所」が時代区分として便利だという事情があるのかもしれない。留学した3年間を除けば、結婚するまでずっと同じ場所の同じ家に両親とともに住んでいた妻の場合は、時代区分は「学校の学年とか」だそうで、それはまあ真っ当な区切り方であるのだが、生まれてこのかた、「幼馴染の友達とかもずーっとそのへんに普通に居る」という、移動のない「地続きのメモリー」が育む感受性というか世界観も、これはこれで興味深い。

と、こんなことを考えたのは、ここ数日、急に流れるようになった「雨あがりの夜空に」とか「トランジスタ・ラジオ」を耳にすると、いきなり登戸の寮の部屋のイメージが鮮やかに頭に浮かぶから、なのだった。

ところで、妻は「西暦で話されるとわかんなくなる」という。年号でないと駄目だということではなく、個人史の年表的に、時代を自分の「学年」や「年齢」で記憶しているため、「1987年に」とか言われても咄嗟にそれがいつごろのことだったか、把握できないというのだ。

道行きのシークエンシャルな記憶と地図上の座標的把握との齟齬に似てる。「時制の鳥虫問題」である。というか、時間は空間だということだなたぶん。

2009年5月 6日

天ケ瀬ダム、1960's

連休中に帰省した実家で、かつての自分の部屋の荷物を片付けていたら、古い写真アルバムがたくさん出てきた。

家族で通っていた教会のエントランスで。捕虫網を持ってやけに嬉しそうな顔で写っているのは僕。1968〜69年頃。
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同じ場所で息子(6歳)を立たせて撮ってみた。
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時差40年、2世代。

僕が生まれてから40年以上、街を離れてからも30年近く、さすがに街の風景はずいぶん変わったが、驚くほど変化していない一角もあったりし、この教会の会堂はそのひとつである。この教会と僕の家族との関わりは祖父の代からである。戦前、父がまだ幼いころの写真が残っている。
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1937年。時差70年。レンガ積んだだけの壁がよく保っている。


こんな写真もあった。
僕が1歳くらいのようだ。一緒に写っているのは母。
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場所は天ケ瀬ダム。天ケ瀬ダムができたのは昭和39年で、僕と同い年である。
このダムは、その規模と周囲の渓谷の急峻さのために、写真に撮るとちょっとした山奥のダムのように見えるが、実は宇治の市街地に割と近い所にあり(平等院から2kmぐらいしか離れていない)、幼い頃から、学校の遠足や休日の家族レジャーや友人と連れ立ったサイクリングやらと、何度も訪れた記憶がある。僕のドボク原体験である。ということを再認識した。どうやら僕はダムだったようです>ダム系の皆様。