2009年1月27日

デッ記/バックヤード

久しぶりに爽やけき好天の週末。

思い立って、ポーチスイングを製作。
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材が2x4なので、なんかこう全体がごついというか、野暮ったくなってしまうのが、最寄のホームセンターでなるべく安い材料を仕入れて作る素人の週末大工の限界だ。
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参考にした事例:住宅のポーチに吊った、ブランコ状のベンチ。アメリカの東南部によくありそうな(勝手な)イメージ。サウスカロライナとか。このへんで「porch swing」と検索するとぞろぞろ出てくる。

東京ってどこのこと?

どこまで東京?

これは面白い。「地図ナイト」向きのコンテンツだ。

あらためて考えてみると、僕は自分の住む調布市を必ずしも「東京」だとは見なしていないようだ。というか、「三鷹」とか「調布」とか「深大寺」などというような生々しい地名は、僕にとってはそれぞれの個々の印象があまりに鮮明で、「東京」という抽象的な地名とは相容れないような感じがする。もっとも、「東京」を、都市の代名詞のような「抽象的な地名」だと感じる、そういう感受性は僕自身が東京出身ではないことに由来するのかもしれない。あるいはまた、育ちや出身地の違いだけではなく、東京に関する発言を「どこでしているか」ということも「東京のイメージ境界線」の描画には関わっているだろうと思う。僕は京都府宇治市の出身だが、地元では誰も「宇治」を「京都」とは言わないが、東京にいる現在、自分の出身を「京都です」と述べることには何の抵抗も疚しさも違和感もない。

ただ、何年も前、これに似たようなことを思いついて手描きの首都圏の白地図をつくり、周囲の友人に訊き回ってずいぶんコレクションしたことがあり、東京から遠い地方の出身の若い女性は舞浜を東京にカウントするとか、多摩住民は西に甘く、千葉県民は東に甘く、年齢の高い男性ほどイメージよりも知識が先立ってしまって東京のエリアが行政区界に一致するとか、都区内出身で引越し経験のない人ほど範囲が驚くほど狭いとか、興味深い傾向も見られたのだが、面白がって職場のロッカーに「東京ってどこまでですか展」というタイトルを掲げてずらっと貼りだしておいたら、いつのまにか捨てられてしまって結構へこんだ。その後、雑誌の特集記事とか、ある美術館のオープニング展示企画とかに提案しては没になるというさらなる試練を経て、「東京ってどこまでですか」は僕の中でずっとトラウマのトラノコなのだった。

そういうわけで、これは面白いし、こういうのを軽々とやってしまう心意気と才気には感心し羨ましくもあるが、上記のごとき屈折した経緯と記憶があるために僕はこれを冷静に見られないので、「あれ面白いですね見ましたか」とかわざわざ俺に教えたりもうしないでくれ。この件に関しては以上。

2009年1月22日

新大統領の就任演説直前の混雑の図

鳥の目。解像度50cm。

This gorgeous satellite view of the ceremony was taken at 11:19am (Eastern) by the GeoEye-1 satellite as it passed overhead.

via: Google LatLong: Satellite image of DC on Inauguration Day

KMLファイル(Google Earth用)

すげえな。議事堂に向かって波みたいに移動しつつある(のだろう)人々が、本当にアリみたいだ。
しかしまた、こんなのを速攻で入手してリリースできる私企業Google。

2009年1月16日

敵は工学・工学版

ああ。今年度のデザインスタジオ2が終了。

ここ数年、この時期は毎年そうなのだが、現在、精神的な抜け殻状態である。キッズ全員にハグをして、慰労して励まして送り出したかった。あいつにはああ言ってやりたかったとか、あの場面で厳しいことを言ったのは失敗だったとか、もっと引き出してやれたはずなんじゃないかとか、そういう忸怩たる思いばかり浮かんでもう、しばらく立ち直れない。未熟な講師ですまん。でも、この半年が無駄じゃなかったことだけは保証する。まだ先は長いが、あっという間でもある。健闘を祈る。そのうちまたフィールドで会おう。

さて、最終講評会のゲストクリティークには、藤村龍至さんをお呼びした。

これはいろんな意味で大正解だった。僕らに遠慮してか、個々のプレゼンテーションに対する講評はやや控えめだったが、総評後に上映してもらった藤村さんの近作を含むプレゼンテーションが非常に面白かった。これまで、いろんな場所で断片的に見聞きしていたことが繋がって腑に落ちた。いや、良いものを拝見した。ネタ満載。話題もスタジオの趣旨に大いにかぶっていたし、みんな良い刺激を受けたはずだ。

ご本人によれば、彼の現在の思想というか姿勢は、「希薄な風景を自動的(としか言いようがない)に生産し続けるシステムへの抵抗」であって、つまり藤村さんはエンジニアリングに喧嘩を売っているのである。本気で。それもエンジニアリングの土俵で。でもそれは単なるアンチ工学ではなくて、なんというか、「工学の『動機』をこっちに引き戻す試み」なのである。

その実践が、空調設備を抱え込んだ「垂直のバックヤード」をもつ建築物だったり、その『固有で濃密で複雑なカスタムビルド』を、『量産型』の速度とコストで作ることだったり、「ブログに記事を書いてネットで発表する速度」で、リアルタイムに「紙の新聞」を発行しちゃったりすることなのだった。

「建築ではない何か」が建築の良さや正しさを支えてくれるというナイーブな夢想が建築化したみたいな、伐採しそこねたヒョロヒョロの雑木の枝をよけた小部屋が地球環境にどうのこうのとか、床に並べたプラ鉢の観葉植物の名前を平面図に書き並べた建築物が外部と内部の境界がなんだんだ、とかいうような建物が称揚されたりする昨今(考えてみれば、空調の「屋外機」という装置を作り出している「思想」は、きわめて楽観的な自然観に基づいている)、ラ系として真に注目すべきは建築の問題を建築で落とし前をつけようと頑張っている建築家のほうだぞ。

むろん、ではその意匠の復権の主張そのものを支える動機は「プロの矜持」以外には何ですか、と突っ込む余地はあるだろう。たとえばビルディングKの外観をして「隣接するダメ建築」との差が歴然としている、と享受できるのは、それなりに訓練を積んだ、「建築的リテラシー」のある人だけなんじゃないか、という気もするからだ(実際に見学しないと何とも言えないけど)。エンジニアリングを逆手に取る「逆手具合」というか、「批判的工学主義」の「批判度」こそが実はとても「作家的」だったりするのである。逆説的に。

あと、「作家性を非作家的に実現する」手法として鍛えたメソッドが、「もっと平明でシステマチックな建築(教育)へ参加できるプログラム」たりうるというお話も興味深かった。これもいいネタだ。ちょうど別件の授業計画を考えないといけないところだったのだ。ふっふっふ。

2009年1月 5日

横浜中華街の街区が周囲から振れていることで輪郭をなしている件

去年、暮れも押し迫った12月27日(日曜日)。レーニン中谷氏らと、横浜の関内元町中華街付近を散探索した。

中谷さんも僕もそれぞれ、学生に声をかけてみたのだが、さすがに時期が災いしてか、早稲田からも関東学院からも、参加者はゼロで、開港記念広場に集合したのは中谷夫妻と石川親子(僕と、長男6歳)のみというエッセンシャルなメンツなのだった。しかし、お陰でじつに効率の良い街歩きだった。話は通じるしポイント押さえるのに迷いがないし開港資料館での資料収集も速くて無駄がないし。

それにしてもしかし、都市に向かう視点として、「先行形態論的」「環境ノイズエレメント的」「東京の自然史的」は文字通り「三種の神器」だなという思いをあらたにした。それらの「実践編」として、元町・中華街周辺はじつに、とても良い教材だった。やっぱり来ればよかったのに。お前ら。