・地図アフタヌーン@メディアテーク
実は仙台には古い友人も親戚も在住していて、何度も訪れたことがあるし、思いかえせばこの20年、何回か仙台近郊で仕事をしたこともあり、最近はお誘いを頂いて某設計コンペの手伝いをしたりもし、まったく知らない土地というわけではないのだったが、それにしても、いかに自分の守備範囲というか、手持ちネタ群が、「東京」という特定の地域に根ざし偏っているか、ということを今回、レクチャーの準備のためにスライドを編集しながら、あらためて思い知った。
東京に長く居るとどうしても「東京」という都市がいつのまにか「都市」という普遍的な環境ででもあるかのような思い込みに無自覚に陥るが、他の都市で東京の話をしようとすると、やっぱり東京はあくまで固有名詞の「東京」という「地域」なのだということを思い出す。もっとも、これは僕が東京の「普遍的都市性」ではなく、べた地域な「東京地方の地表環境」に目を向けがちなせいかもしれないが。
そいういうわけで、東京の具体的な地名に対する反応があんまり鮮やかでないというハンディを感じつつも、手ごたえのある楽しいひとときを過ごした。ほぼ満席状態に集まって頂いた仙台市民のみなさま、企画して呼んでくださった運営の皆様、学生さんら引き連れてご足労下さったもとえ先生、クリスマスの行事ぶっちぎって来てくれたおりう、その他ご来場くださったみなさま、ありがとうございました。
以下、午後半日しか居れなかったが、仙台で感じたこと:
メディアテークがじつに「ちゃんと使われている」ということに感心した。1階のカフェや店舗もそれなりに賑わっていたし、階上のフロアもよく使われている様子だった。あの建物は、部屋とは呼べないような、通路が幅広く軽く区切られたという趣の「なんとなくこのへん」的小スペースに満ちているのが特徴的だが、そういう「コーナー」が何気なく使われている(僕のレクチャーもそうした一角のひとつで行われた)。
一方で、「設計者の存在」が忘れられている、つまり、これが「有名建築家」によってデザインされた建物であるという意識がまったくなくなっているかというと決してそうではなく、1階のショップには伊東氏の作品写真集やらが売られていたりもし、そのへんの「頃合い」がなかなか嫌味でなくて良い。運営側の話も少しうかがったりしたが、この手の、建築的に話題になった地方都市の公共施設のなかでは、もしかするともっともよく、ある意味では幸せに使われている建物のひとつなんじゃないだろうか。
あと、これはまあ僕の個人的嗜好だが、「メディアテーク」というネーミングはよかったなと思った。コンペの成果の一つだと思う。これがもし「せんだい市民プラザ・けやきん」とかいう痛い名前だったらと思うと。
(もちろん、カタカナ名前じゃなくて、『定禅寺通市民会館』なんていう名前だったらそれはそれでかっこいいと思うが)
仙台は都市の規模も手ごろで把握しやすい。新幹線のホームから見える市街地の風景には、目の届く範囲の先に「街のエンド」がほの見える。アメリカとか中国とかの都市でしばしば感じるこういう「都市の輪郭」感は、東京では味わえない風景だ。全体に落葉樹が多いからか、冬の景色が透明感があって空が広い。扇状地に展開している都心部は、そのつもりで見回すとけっこう起伏があり、道路が地形を描いている。周囲には急峻な丘陵があって、地形の多様性も大きい。空撮で見ると、いかにも城下町ふうの地割から、サンディエゴの郊外みたいな曲線道路の住宅地開発まで、街のバリエーションも様々である。
事前に地形図を眺めていたら、仙台の土台の扇状地の様子がちょうど武蔵野台地に見えた。そこで、無理に東京の地図をゆがめて当てはめて、
・七北田川(ななきたがわ)が荒川に見え、広瀬川は多摩川に見える。
・榴ヶ岡が皇居の位置だとすると、扇状地のスケールを合わせると、仙台駅が渋谷である。
・卸町が墨田区や江東区の下町。メディアテークが千歳烏山。
・東北大学の工学部や宮城教育大学のキャンパスあたりは多摩ニュータウン。
・八木山の住宅地は、多摩丘陵南の東急田園都市から港北ニュータウンにかけてに相当する。
・東へは、東北線が常磐線のように、仙石線がちょうど総武線のように出てゆく。
・利府が松戸、多賀城は船橋、仙台港は千葉、七ヶ浜は木更津である。
というようなツカミ話をでっちあげて、これはけっこう腑に落ちる符合で僕は一人で心理的に盛り上がったのだったが、(特に八木山と田園都市とか、七ヶ浜と木更津)当日はまったく受けなかったため(ほぼ全敗)、最初の3項目くらいを話したところで諦めて、話題を次に進めた。とほほ。
まあしかし、それなりにちゃんとリサーチし始めたらきっと面白い土地だろう予感がする仙台、機会をあらためてまた行かねばならん。牛タン食い忘れたし。