2008年10月 8日

バックヤードとしての港湾

先日の「中防」ツアーの前半は、「視察船」で埋立地の周囲を一周するというコースであって、思わぬ東京湾観光をしてしまった。

港湾というのはしかしこれもまた凄い風景で、積みあがったコンテナとクレーン群、建設中の横断橋梁、タンカーやバージやサンドポンプ船、進行中の中央防波堤外側埋立地、と、まさにドボ系が好む(傾向のある)「飾らない」というのもおこがましいような「無意識の景観」であった。

「視察船」の船窓からそれぞれの施設や機械や建造物の規模や様子を愛でながら、風景全体として、ちょっと「空撮写真」に似ているな、という気がした。最近、Googleマップの空撮が普及して、上空からの高解像度の写真を眺める機会が増えるにつれて、建物の屋上が街のバックヤードと化していることがよくわかる。特に都心部にはほとんど「屋根の景」がない。空調の屋外機が延々と並んでいる光景は、自動販売機を後ろ側から眺めているみたいなおもむきだ。

これが、都市のスケールでは、「海岸」がでかいバックヤードになっている。高度に近代化した都市の港湾の「海側からの眺め」というのはほんとに、都市の「裏側」である。きっと、沿岸の「栄養源」から「物資の流通媒体」へと、海岸がその価値を転換させたときから、海側は巨大な荷捌き場になっちゃったのだ。

バックヤードの景はしかし、下手に洒落ている余裕がないため、一見とっちらかっているようでいながら、見てくれとはまた違う層の、けっこう厳しい「秩序」が感じられもする。それぞれの要素が、要素の単位で物理的に「最適化」をした結果、全体としては統率されていない混沌とした「景」が出現していて、しかし、混沌としているにも関わらず、そこにはある「系」が感じられる、と、産業景観、工業景観の特徴を羅列すると、だんだん「自然景観」の記述に似てくる。

たとえば樹木は、なりふりかまわず必死で太陽光や雨水や土壌や地盤のコンディションに対して「最適化」してああいう様子になっているわけで、眺める人間を「いい気持ち」にさせようなんてこれっぽっちも思っていない。「機能美」の最たるものは、緑豊かな「自然風景」なのだ。。。って、いや、こんなオチにするつもりじゃなかったのだが。

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