2008年3月25日

インダストリアル千葉

22日(土)。
千葉県からの委託による「大学と連携した魅力ある観光地づくり推進事業」のひとつで、京葉臨海コンビナートの工場景観の観光資源としての可能性を探るプロジェクト、「テクノ・ツーリズム・プロジェクト」の報告会/シンポジウムに、ゲストコメンテーターとして呼んで頂いて出席。呼んで下さったのは八馬先生で、もうひとり呼ばれたコメンテーターは大山さんであった。

うららかに晴れた土曜日。僕は千葉への時間距離を見くびって、予定よりも25分も遅く着いてしまった(シンポジウムには遅刻しなかったが、事前打ち合わせをしくじった)。千葉大の最寄り、西千葉駅までは、新宿から総武線で1時間と少しかかる。これは遠い。新宿から中央線で同じ時間、西へ向かえば青梅に着いちゃう。品川から京急で行けば横須賀中央だ。いや、頭では地図的には理解しているつもりだったんだけど、千葉県のなかの地理に疎いものだから、「江戸川越えたら千葉じゃんか」と、千葉「県」の大きさをついナメてしまうのだ。市川からさらに30分以上も奥へ行かないと千葉シティにたどり着けないなんて思わないものだから。

シンポジウム自体は、予想を遥かに上回って非常に楽しいものだった。半年間、参加した学生は中国からの留学生も含めて16人。京葉の現役の工業景観が観光の対象となりうるか、という調査、分析と、観光プログラムや観光地づくりの提案まで含めたプレゼンテーションのあと、小1時間のディスカッション。さすがに、リサーチも提案も駆け足というか、底の浅さは否めないものではあったものの、参加メンバーの熱意と、何よりも「工場景観に惚れちゃった」雰囲気の横溢に心打たれた。単位に関係ないワーキングだったにも関わらず、半年でこんな報告をまとめたガッツは素晴らしい。ラ系の学生に声をかけて、聴衆として参加させればよかった。失敗した。スコキノシタ先生も呼べばよかった。参加学生の何人かは、このまんまそれぞれの担当項目を卒論にしたり修論にしたりする(した)そうだが、この委託プロジェクトで終わらせずに、ぜひ、何かの形で継続してほしい。「テクノツーリズムの研究なら京葉臨海コンビナートのある千葉の千葉大」なんてのはかっこいいぞ。

・その場でも言ったが、リサーチで「京葉コンビナート独自の特徴」のような分析が浅かったのが残念であった。これの冴えが、そのあとの「提案」の冴えを左右する。提案対象の性格上、何かをリセットして建設しなおすのではなく、「すでにあるものを新しいやり方で使い倒す」提案が望ましく、そのためには既存の土地のキャラや要素の発掘・発見(読み替えもふくめて)が重要だ。

・大山さんも何度か述べていたけれども、ある対象物の「観光」をいきなりビジネスに乗せるのはなかなか困難だろう。この土地の地域性を再発見することで、時間をかけて、住民のいわば「千葉愛」に寄与する、というくらいの長大で緩い目的でもいいんじゃないだろうか。

公開シンポジウムであったため、スポンサーの千葉県観光課の方や、指導教官の先生方のほか、学生や一般市民が詰めかけていて、会場は満席状態だった。が、「一般市民」には、工場萌え男、恋する水門家、住み団長、壁クイーンをはじめ、スリバチ散歩の常連たちまで、ドエン系がごっそり集合していた。こんな、「工場観賞」にうるさい聴衆を前に、よく発表したな。千葉大キッズ。よくやった。

ブルーミング調布

ついに深大寺元町・城山にも本格的に春の訪れであって、お春うございます>各方面。

球根はどれもすべて順調に芽出し、スノードロップとクロッカスとハナニラは咲き、ヘレボラスが次々に咲き、ホスタが葉を出し、タガネソウが地味な花を咲かせ、庭の先、崖線へ続く空き地では雑木林の予感が濃く、自然に実生した、2年もののイヌシデの幼木や、僕が移植したコナラの幼木が芽を吹き、コナラの新芽はイッチョマエにコナラの葉の形をしていて可愛らしく、蒔きまくったシラカシやクヌギのドングリがいくつも発芽している、そういった春分の日周辺。

ここ半年の懸案事項であった、2X4材と構造合板を木ねじで貼り合わせた、キッチン周りの「素人制作ローコスト週末大工造作家具」製作の第1期が終了。第2期ではこれの食器棚部分に開き戸を付ける予定。あと、洗面所周り、特に、勢いで買い替えたドラム洗濯機の周辺をなんとかせねばならぬ。というわけで、デッキを含む外部空間にいまだ着手できずにいる。春になっちゃったというのに。

2008年3月11日

無理が通ってドボク出っ張る

現在発売中の「AXIS」の特集が「土木の真髄」。
「篠原先生と内藤先生の巻頭対談」みたいな、いかにもありそうな「土木デザインの現在」になっていないのがよい。
とはいえ、どうしてこの文脈で熊本アートポリスが引き合いに出されて伊東豊雄氏がインタビューを受けているのかわからん。AXISのノリなのか。ちょっと何というか、惜しい感じもしてしまう特集なのだった。

でも、御代田さんの登場は嬉しい。御代田さんは、土木は好むと好まざるとに関わらず都市の風景に大きく関与してしまうものであり、でもその「評価」は時代につれて変化する相対的なものだったりし、しかしだからこそ、本当は土木構造物のデザインには時代を超える「思想」が必要なのだ、という。

「トーキョー・ドボク・ソサイエティ」(←誰なんだ)は、私たちは実は土木にびっしり囲まれて生きているが、それが当然であるために土木を意識して眺めることをしていない、私たちの都市生活を可能にしているこの基盤技術をもっと「意識化」しよう、という。

「土木は実は身近にあって、しかもその気で見ると面白い」という趣旨には全面的に賛同。
ただ、「土木の存在論」的には、話が逆なんじゃないか、という気はする。土木が先にあったわけではなく、都市的な事態を支えるために「土木」ができちゃったのである。

「土木が都市生活を支えている」というのは「結果の風景」である。むろん、一旦強固なシステムが立ち上がってしまったために、その後はそれを前提として物事が発達するという「相互関係」もある。たとえば、「車輌・道路系」が強固なために、その規格と構造に沿って新しい車輌や交通計画が進んでいく、というように。でも、高速道路網が用意された地域に東京が発達したわけではないし、堤防と水門があらかじめ建設されたところに河川水が流れたわけではない。土木の本質は「問題解決のエンジニアリング」である。そして、その「エンジニアード物体」がしばしば超寿命時間スケールに結像するのは、多くの場合、問題が集積したところに「一気にまとめて」解決が試みられるからである。そうしたエンジニアリングを私たちは「土木」と呼ぶ、というわけなのだ。

と、こんなことをことさらに考えるのは、先日の水門ツアーで佐藤さんに頂いた「水門ツアーガイドブック」(参加者プレミア、非売品)が手元にあるからである。間近に目撃した、働く水門群の説得力というか存在感は、「要請に対する技術の素直さ」ではとても説明しきれない、「無理やりねじ伏せた」暴力の匂いを強烈に発してもいた。ドボク的センス(エンジニアリングのセンスというよりも、ドボクに深くエンタテインされる感性というか)は、それが可能にしている都市のありようを遡及的に解読するだけではなくて、それが巨大化・強固化することで無理やり辻褄を合わせた「非本来的架橋」とでもいうべき断絶の跳躍に眩暈を覚えることでもあるのではあるまいかと。

と、そう考えると、宮本佳明さんのいう、技術的な解像度が上がれば、もっと繊細な問題解決の設えが可能になって、新しい土木になりうるかもしれない、という話は興味深い。遍在するプチ・ドボクの風景。いや、そうした「ブリコラ場当たりエンジニアリング」はじつはそれこそいっぱいあって、僕らがそれをドボクに分類していないだけかもしれないけどな。

追記:

Tokyo Doboku Society

「土木の意識化」をテーマに活動する組織。日々の暮らしを支えている「土木」を意識することで、暮らす街、暮らす環境がより良いものへと変化することを広く伝えるため、ジャンルや媒体を越えたアプローチを行なう。

profile | 東京土木

なんだ、御代田さんご本人であった。

 土木発・ドボク再発見 - Future Description ‐何かからはみ出した、もうひとつの風景 経由にて。

2008年3月10日

ドボク追記メモ

・AXISの今号の土木特集について。

2008年3月 4日

さようなら北口交番2

いよいよ、残りの壁の最後の日になりそうな朝。

記録のため。

ロータリー越しの眺め。

近くに寄ると、遠景よりも小さく感じる、この「スケール違和感」は取り壊し中も同じだ。

こうして見るとたしかに、もったいねえなあ。
単純な形だから、このまんま引っこ抜いて公園にでも据えてプレイロットにするとか、新しい駅前広場にぽつんと残して、いっそ横倒しにして中に土を詰めて、でっかいプランターにするとかね。

日本中の「駅前」のほとんどがそうだろうが、調布駅前も僕が記憶する限りずっと「工事中」で「仮設」だった。FRPのプランターを置いてタクシープールを「成形」したりして。「完成形」はつねに、市役所のパンフレットの絵にしか存在しなかった。

そういえば思い出したのだが、この交番ほど話題にならなかったが、かつて、駅の反対側、南口には象設計集団がデザインした「くすのきサロン」という可愛いポケットパークがあった。それが撤去されたときのほうが僕にはショックだったな。