・まっすぐ海へ行く
僕が勝手にライバル視しているDPZなのだが、
これは久しぶりにやられた。すばらしい。
ああ、できれば思いつきたかった。
地図上の位置の表示を同時に見たい。画面の横にキープランみたいに置きたい。
これ、応用編で、地下鉄の軌道の上の風景をコマ撮りしておいて、地下鉄の運行速度にシンクロした動画に編集して、地下鉄に乗りながらその動画を「潜望鏡」みたいに観賞する、っていうのもあるな。
こちらは、石川初(いしかわはじめ)のweblogです。
2008年3月27日
僕が勝手にライバル視しているDPZなのだが、
これは久しぶりにやられた。すばらしい。
ああ、できれば思いつきたかった。
地図上の位置の表示を同時に見たい。画面の横にキープランみたいに置きたい。
これ、応用編で、地下鉄の軌道の上の風景をコマ撮りしておいて、地下鉄の運行速度にシンクロした動画に編集して、地下鉄に乗りながらその動画を「潜望鏡」みたいに観賞する、っていうのもあるな。
2008年3月25日
週明け。
建築学会の定期刊行物「建築雑誌」の編集委員会に出席すべく、建築会館へ。
ろくに発言もせずに座っているだけでぐったり消耗するくらい濃密な、長い会議であった。興味深くも刺激的な人々とまた多くお会いした。
造園学会誌も手伝っていない僕がどうしてまた建築学会の雑誌なんぞを手伝う羽目になったのかは、まあ深く突っ込まないでくれ。
22日(土)。
千葉県からの委託による「大学と連携した魅力ある観光地づくり推進事業」のひとつで、京葉臨海コンビナートの工場景観の観光資源としての可能性を探るプロジェクト、「テクノ・ツーリズム・プロジェクト」の報告会/シンポジウムに、ゲストコメンテーターとして呼んで頂いて出席。呼んで下さったのは八馬先生で、もうひとり呼ばれたコメンテーターは大山さんであった。
うららかに晴れた土曜日。僕は千葉への時間距離を見くびって、予定よりも25分も遅く着いてしまった(シンポジウムには遅刻しなかったが、事前打ち合わせをしくじった)。千葉大の最寄り、西千葉駅までは、新宿から総武線で1時間と少しかかる。これは遠い。新宿から中央線で同じ時間、西へ向かえば青梅に着いちゃう。品川から京急で行けば横須賀中央だ。いや、頭では地図的には理解しているつもりだったんだけど、千葉県のなかの地理に疎いものだから、「江戸川越えたら千葉じゃんか」と、千葉「県」の大きさをついナメてしまうのだ。市川からさらに30分以上も奥へ行かないと千葉シティにたどり着けないなんて思わないものだから。
シンポジウム自体は、予想を遥かに上回って非常に楽しいものだった。半年間、参加した学生は中国からの留学生も含めて16人。京葉の現役の工業景観が観光の対象となりうるか、という調査、分析と、観光プログラムや観光地づくりの提案まで含めたプレゼンテーションのあと、小1時間のディスカッション。さすがに、リサーチも提案も駆け足というか、底の浅さは否めないものではあったものの、参加メンバーの熱意と、何よりも「工場景観に惚れちゃった」雰囲気の横溢に心打たれた。単位に関係ないワーキングだったにも関わらず、半年でこんな報告をまとめたガッツは素晴らしい。ラ系の学生に声をかけて、聴衆として参加させればよかった。失敗した。スコキノシタ先生も呼べばよかった。参加学生の何人かは、このまんまそれぞれの担当項目を卒論にしたり修論にしたりする(した)そうだが、この委託プロジェクトで終わらせずに、ぜひ、何かの形で継続してほしい。「テクノツーリズムの研究なら京葉臨海コンビナートのある千葉の千葉大」なんてのはかっこいいぞ。
・その場でも言ったが、リサーチで「京葉コンビナート独自の特徴」のような分析が浅かったのが残念であった。これの冴えが、そのあとの「提案」の冴えを左右する。提案対象の性格上、何かをリセットして建設しなおすのではなく、「すでにあるものを新しいやり方で使い倒す」提案が望ましく、そのためには既存の土地のキャラや要素の発掘・発見(読み替えもふくめて)が重要だ。
・大山さんも何度か述べていたけれども、ある対象物の「観光」をいきなりビジネスに乗せるのはなかなか困難だろう。この土地の地域性を再発見することで、時間をかけて、住民のいわば「千葉愛」に寄与する、というくらいの長大で緩い目的でもいいんじゃないだろうか。
公開シンポジウムであったため、スポンサーの千葉県観光課の方や、指導教官の先生方のほか、学生や一般市民が詰めかけていて、会場は満席状態だった。が、「一般市民」には、工場萌え男、恋する水門家、住み団長、壁クイーンをはじめ、スリバチ散歩の常連たちまで、ドエン系がごっそり集合していた。こんな、「工場観賞」にうるさい聴衆を前に、よく発表したな。千葉大キッズ。よくやった。
ついに深大寺元町・城山にも本格的に春の訪れであって、お春うございます>各方面。
球根はどれもすべて順調に芽出し、スノードロップとクロッカスとハナニラは咲き、ヘレボラスが次々に咲き、ホスタが葉を出し、タガネソウが地味な花を咲かせ、庭の先、崖線へ続く空き地では雑木林の予感が濃く、自然に実生した、2年もののイヌシデの幼木や、僕が移植したコナラの幼木が芽を吹き、コナラの新芽はイッチョマエにコナラの葉の形をしていて可愛らしく、蒔きまくったシラカシやクヌギのドングリがいくつも発芽している、そういった春分の日周辺。
ここ半年の懸案事項であった、2X4材と構造合板を木ねじで貼り合わせた、キッチン周りの「素人制作ローコスト週末大工造作家具」製作の第1期が終了。第2期ではこれの食器棚部分に開き戸を付ける予定。あと、洗面所周り、特に、勢いで買い替えたドラム洗濯機の周辺をなんとかせねばならぬ。というわけで、デッキを含む外部空間にいまだ着手できずにいる。春になっちゃったというのに。
2008年3月11日
現在発売中の「AXIS」の特集が「土木の真髄」。
「篠原先生と内藤先生の巻頭対談」みたいな、いかにもありそうな「土木デザインの現在」になっていないのがよい。
とはいえ、どうしてこの文脈で熊本アートポリスが引き合いに出されて伊東豊雄氏がインタビューを受けているのかわからん。AXISのノリなのか。ちょっと何というか、惜しい感じもしてしまう特集なのだった。
でも、御代田さんの登場は嬉しい。御代田さんは、土木は好むと好まざるとに関わらず都市の風景に大きく関与してしまうものであり、でもその「評価」は時代につれて変化する相対的なものだったりし、しかしだからこそ、本当は土木構造物のデザインには時代を超える「思想」が必要なのだ、という。
「トーキョー・ドボク・ソサイエティ」(←誰なんだ)は、私たちは実は土木にびっしり囲まれて生きているが、それが当然であるために土木を意識して眺めることをしていない、私たちの都市生活を可能にしているこの基盤技術をもっと「意識化」しよう、という。
「土木は実は身近にあって、しかもその気で見ると面白い」という趣旨には全面的に賛同。
ただ、「土木の存在論」的には、話が逆なんじゃないか、という気はする。土木が先にあったわけではなく、都市的な事態を支えるために「土木」ができちゃったのである。
「土木が都市生活を支えている」というのは「結果の風景」である。むろん、一旦強固なシステムが立ち上がってしまったために、その後はそれを前提として物事が発達するという「相互関係」もある。たとえば、「車輌・道路系」が強固なために、その規格と構造に沿って新しい車輌や交通計画が進んでいく、というように。でも、高速道路網が用意された地域に東京が発達したわけではないし、堤防と水門があらかじめ建設されたところに河川水が流れたわけではない。土木の本質は「問題解決のエンジニアリング」である。そして、その「エンジニアード物体」がしばしば超寿命時間スケールに結像するのは、多くの場合、問題が集積したところに「一気にまとめて」解決が試みられるからである。そうしたエンジニアリングを私たちは「土木」と呼ぶ、というわけなのだ。
と、こんなことをことさらに考えるのは、先日の水門ツアーで佐藤さんに頂いた「水門ツアーガイドブック」(参加者プレミア、非売品)が手元にあるからである。間近に目撃した、働く水門群の説得力というか存在感は、「要請に対する技術の素直さ」ではとても説明しきれない、「無理やりねじ伏せた」暴力の匂いを強烈に発してもいた。ドボク的センス(エンジニアリングのセンスというよりも、ドボクに深くエンタテインされる感性というか)は、それが可能にしている都市のありようを遡及的に解読するだけではなくて、それが巨大化・強固化することで無理やり辻褄を合わせた「非本来的架橋」とでもいうべき断絶の跳躍に眩暈を覚えることでもあるのではあるまいかと。
と、そう考えると、宮本佳明さんのいう、技術的な解像度が上がれば、もっと繊細な問題解決の設えが可能になって、新しい土木になりうるかもしれない、という話は興味深い。遍在するプチ・ドボクの風景。いや、そうした「ブリコラ場当たりエンジニアリング」はじつはそれこそいっぱいあって、僕らがそれをドボクに分類していないだけかもしれないけどな。
追記:
Tokyo Doboku Society
profile | 東京土木
「土木の意識化」をテーマに活動する組織。日々の暮らしを支えている「土木」を意識することで、暮らす街、暮らす環境がより良いものへと変化することを広く伝えるため、ジャンルや媒体を越えたアプローチを行なう。
2008年3月10日
・AXISの今号の土木特集について。
3月6日(木曜日)。
朝からなんだかお腹の調子が悪く、起き抜けにいきなり二度ほど嘔吐し、珍しく会社を休む。病欠なんて何年ぶりだろう。一日中自宅で横になって呻く。
翌日(金曜日)。
朝、北多摩病院に立ち寄って、胃腸炎の発症を診断され、薬をもらって昼前に出社。滞った仕事を片づけ・・・ようとするうちに、まるでスイッチを入れたみたいに急激に体調が悪化。グループのスタッフに「すまんがやっぱり帰る」と言い置いて、夢遊病者みたいに会社を出て、赤坂病院へよろめき入る。待合室で体温を測ったらほとんど39度。点滴を受けながら病院のベッドで爆睡。目が覚めたら夕方の5時。病院からタクシーで帰宅した。
その翌日(土曜日)。
上記のようなわけなので、参加を予定していた、佐藤さんのガイドによる「恋する水門ツアー」へは行けそうにないと言ったところ、連れてゆく約束をしていた子供ら(特に長男)が声を上げて泣いたため、やむなく意を決し、あきらかに投薬で辛うじて平衡状態をなしている身体にむち打って「水門ツアー」に参加した。ぜーはー。
ツアーの様子は、大山総裁のオフィシャルなレポートを待ちたい(と、みんなこうして大山さんに預けるのだった)が、非常に興味深く、新鮮で印象的だったことはまず記しておきたい。僕は生まれも育ちも「台地の子」なので、小名木川周辺のような「平坦な低地」では非常にアウェイな居心地がするため、あまりあっちへ行ったことがなかったのだが、荒川放水路ゼロメートル地帯、なかなか奥深いエリアだということを学んだ。
僕が抱いていた「水門」のイメージは、地形のようなでかい堤防にどかんとはめ込まれた「ドボク構造物!」という感じの施設であって、あんなふうに、街と水門が近く接している場面をまじまじと目撃したのは初めての体験だった。この地域では、住宅の向こうに立ち上がるカミソリ堤防や、連続する橋のトラス構造のシルエットや、「角を曲がると水門」が、街のいわば風景の基盤としてある。僕の目にはこれはドキドキするような眺めだが、もし僕がこの地域出身だったら、多摩のあの「角を曲がったら擁壁」な風景は異様に見えるかもしれない。これにも関して、「問題解決の物体スケール」というようなことを考えたのだが、長くなりそうなのでまた。
佐藤さんが感じられただろう、「ツアーにしちゃった際のガイドとオーディエンスの齟齬」はしかし、団地総裁も住み団長もスリバチ会長もダムマニアも壁女王も工場萌え王も地上絵師も、たぶんみんなに「わかる」話だと思う。水門に限らない、ドボクをドボク・エンタテイメントにする際について回る悩みなんじゃないかと。
ともあれ、佐藤さん、楽しいひとときをありがとうございました。また機会をあらためてぜひ。
ウチの同行者(5歳)は相当強烈に享受したようで、帰宅してから翌日も、何枚も「水門の絵」を描いていた。
以下はそのうちの1枚。佃水門、タグボート通過中。

左側ではパワーショベルが砂利を運搬船に積載中で、その向こうには屋形船らしき船影。右上隅には貯木場跡地の構造物(本人の説明による)。
水門が3連ゲートなのは、この前に見た新小名木川水門と混同しているためだと思われる。
「水門が治水や防潮という面的なシステムの一部である」という点については、いちおう何度か言って聞かせたが、理解しているかどうかは不明。

↑こいつも含め、幼児2人の相手をたびたびしてくださった「おちみ姉ちゃん」はじめ皆様、お世話になりました。
2月26日、四国報告会。
先日の四国視察出張旅行の報告会。それぞれの個性がよく現れた、興味深い出張報告会であった。僕のレポートも、幸いにも楽しんで頂いたようで一安心。
3月1日(土曜日)、勤め先の会社の部下の結婚式。
都内の、目黒川の谷を見下ろす古い屋敷を改装したレセプション施設での、絵に描いたような麗しい結婚式だった。こう言ってはなんだが、結婚式は茶番である。けれども、お互いに茶番だとわかっていることも儀礼の儀礼たるゆえんではある。めでたい。
式は、新郎新婦が会衆に向かって「誓いの言葉」を読む、という、いわゆる「人前結婚式」だった。「人前結婚」というのは、宗教や宗派や、それに伴う形式などにとらわれない、というふれこみで普及したものだろうが、あらためて「宗教的意味」を取り去った結婚式に参加すると、「式次第」のそれぞれの行為が浮き立って見えて、どのような形式や行為が「結婚式」を成り立たせる「合意されたイメージ」として採用されているのか、という点が非常に興味深かった。
会衆が整然と座り、中央に「バージンロード」が確保され、新郎が待つ前面へと、新婦の父親が娘を連れてくる。父が娘を花婿に引き渡す。このへんは人類学的にコンサバティブである。その後、前面での指輪の交換や文書への署名、宣誓などが、「司会者」のガイドで進む。このフェーズが人前式の形式的弱点だと思った。式の形式がまるっきりキリスト教(特にアメリカのプロテスタント)と同じに設えてあるために、そこから「牧師を抜いただけ」なのが目立つ。若夫婦を会衆に紹介する代理人が不在である、ということにこっちが気づいてしまうのだ。そこで、司会者が「式場の側」というよくわからない立場から、なんとなく腰低く言い分けがましく、新郎新婦にキスを促したり、会衆に拍手を要求したりすることになる。まあ、司会者の役目として「祝い事を滞りなく進行させることを請け負った」と見れば不自然ではない。でもこれもあくまで、司会者が式場付のプロだった場合の話だ。これが、雇われ友人だったりすると、「新郎新婦を会衆に紹介して認めてもらう」という作業の責任を負える人がいなくなる。
もともと、会堂に集合した会衆へのお披露目と挨拶を兼ねているキリスト教会の結婚式は、半分「人前式」みたいなところがある。地縁コミュニティと教会が関係ない日本において、牧師を権威づける「神」に代わる、若い二人を紹介する「権威」は、特に人前式の場合、どのようにありうるか。「俺の顔に免じてここはひとつ、この未熟な二人をよろしく」と、媒酌人が仲立ちするという可能性はあるが、ちょっと負担が大きすぎるかもしれない。司会者と牧師の中間くらいの、人前式用の「汎宗教的司祭」が必要かもしれない。
お色直しのための二人の中座と再登場は、日本の伝統的な結婚式の名残りらしいが、これはバージニティの喪失のサインじゃなかろうか。
「ケーキ入刀」はアメリカでもやるが、これはなんだろう。
「花束贈呈」はたぶん日本だけだが、この、最後にいきなり脈絡なく登場する「家族内のプライベートな場面」はなんだろう。とか思いつつ、不覚にも僕はここで涙ぐんだ。ううむ。人の親になるとこういうのを冷静に見れん。ということがわかった。
3月2日(日曜日)、咄嗟にワークショップ。
来期への仕込みと、あと少し思うところもあって、「都内でいきなりフィールドワークをして、息もつかずに半日でプレゼンまで、手描きのみ」という「咄嗟にワークショップ」を誘ったところ、関東学院大・建築学科の「デザインスタジオ2」を履修した学生たち数名と、農大の造園3年(この春から4年)数名が集まってくれた。
テーマを「坂」に決め、休日の職場の会議室を占領し、まず「坂ってなに?」というディスカッションを小一時間。それから手慣しに「坂を描く」という練習を少しして、屋外へ出て1時間ほどそのへんをバラバラに歩き回り、また集合して、机上でアイデアを絵にし、ざっとレビューをしてから残り1時間でA1の紙に「成果品化」。
皆、けっこうちゃんとついてきたので驚いたのだ。これが。
まあ、農大生は今度4年だし、学院大も手を動かすにポジティブな連中が集まったから、この手応えを普通だと思ってはいけないのだが。
ともあれ、予想した以上に面白いワークショップであった。「助走」すればみんな手が動くし、それなりに描けるということもわかったし。
学院大が対象地の表層的な形態に注目して加工するアイデアが多く、農大は対象地の「環境の質」を高めて地域的貢献をしようとする(そういう意味を付加しようとする)傾向が見えて、それも興味深かった。つきあってくれたキッズ、ありがとう。
2008年3月 4日
いよいよ、残りの壁の最後の日になりそうな朝。
記録のため。
ロータリー越しの眺め。

近くに寄ると、遠景よりも小さく感じる、この「スケール違和感」は取り壊し中も同じだ。

こうして見るとたしかに、もったいねえなあ。
単純な形だから、このまんま引っこ抜いて公園にでも据えてプレイロットにするとか、新しい駅前広場にぽつんと残して、いっそ横倒しにして中に土を詰めて、でっかいプランターにするとかね。

日本中の「駅前」のほとんどがそうだろうが、調布駅前も僕が記憶する限りずっと「工事中」で「仮設」だった。FRPのプランターを置いてタクシープールを「成形」したりして。「完成形」はつねに、市役所のパンフレットの絵にしか存在しなかった。
そういえば思い出したのだが、この交番ほど話題にならなかったが、かつて、駅の反対側、南口には象設計集団がデザインした「くすのきサロン」という可愛いポケットパークがあった。それが撤去されたときのほうが僕にはショックだったな。