2008年1月 9日

地図の上下、地面の南北

「地図の上は北で下は南」??あきれた教師、分限免職(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

ニュースの内容とはぜんぜん関係ないのだが。

私たちは地図を、北を上にして眺める習慣があって(これは社会的に浸透している習慣であるし、壁に貼った地図ではなく、たとえ机の上に水平に置いた地図であっても、私たちの身体のありかたとして、遠いほうを「上」手前を「下」と呼ぶことは不自然ではない)、通常はそのように地図を「読む」強い傾向がある。私たちはだから、北を上にした地図の「鳥瞰情報」を、頭の中で実際の空間に当てはめながら自分の位置を把握しようとする。

地図が「読めない」というのは、地図に記載されている事項が「理解できない」ということではなく、地図が示す実空間のレイアウトと、自分が目にしている景観とを結びつける「翻訳」の能力、というか、センスの問題だ。

道行きの途上で地図を水平にしてぐるぐる回しながら見る人を指して、地図の読解力が弱い、と揶揄することがあるけれども、「地図が読めればもう迷わない」の村越真先生によると、オリエンテーリング競技などのエキスパートは、地図をくるくる回しながら見るそうだ。これは、地図と実際の地面との向きを一致させることで、鳥の目・虫の目の「行き来」をスムーズにするテクニックであって、慣れてくると、地図は磁気コンパスのように地面に対して一定の方向に固定され、いわば「小さく縮小した地面の像」として手元にあり、その周囲を自分がぐるぐると方向を変えて回っている、という感覚になるという。

この「感じ」はわからなくもない。僕も、GPSで地図を表示して歩き回っているとき、そこが地元の街の場合は、道を良く知っていることと、あまりに「北が上」の地図を眺めすぎたせいで、北を上に表示しないとかえって混乱してしまうことが多いのだが、知らない地域を移動しているときは、しばしば、カーナビの地図のように「進行方向を上」にセットする。しばらく歩いていると、そのうちに地図が一種の「窓」になって、地図を通して周囲の道を「感じる」ようになってくる。

だから、地図を回す人のほうが、「地図と地面とを仲良くさせている」とも言えるのだ。

ただし、これはスケールによってちょっと違う。僕は、街ごと表示するくらいの大きな縮尺で地図を見るときは北を上にする。そうしないと、「地域的な位置関係」がわかんなくなっちゃうのだ。細かい縮尺では、地図を地面に「引き寄せて」、より「実空間」っぽく表示したほうが使いやすい。

「地図を読む」という行為に関する平易な本:
地図が読めればもう迷わない—街からアウトドアまで (岩波アクティブ新書)

人と「地図」の関わりについて:
野生のナヴィゲーション—民族誌から空間認知の科学へ

日本のオフィシャルな地図の「ルール」について書かれたもの:
地図に訊け! (ちくま新書 663)
「地図には風が吹いている」など、ネタ満載。

近代的な「地図」という媒体そのものの社会的・政治的な意味:
地図の想像力 (講談社選書メチエ)
これは非常に面白い、いい本なのだが、絶版みたいだ。

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コメント

北を上にしておきながら、
建築物や樹木のシャドウを右下向きの落とす習慣というのも不思議なものですね。
あの影の方向って、何を起源としているのでしょう・・・。

(エントリと関係なくてすいません)

「地図に訊け!」という新書が、そのあたりのことについて書いてあって興味深いです。

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