2008年1月18日

Dear Kids @ Design Studio 2

毎年この時期になると、僕はつくづく講師に向いていないなと思う。
学生の反応や成果品の出来不出来に本気で一喜一憂するし、演習や講義の趣旨を忘れて自分で率先して作ってしまいたくなるし、質問されたらどうしようと思い始めると居ても立ってもいられなくなって、下手すると演習前日に徹夜で勉強しちゃうし(蓄積がないためだ。本来の意味で一夜漬け)、アドバイスも批評も言うことをころころ変えるし、最終講評では恥も外聞もなく全員を褒め倒して送り出したくなる。長期的・教育的な洞察も構想も欠落しているわりには、精神的に手抜きができずに、終わるとひとりでぐったり消耗している。心理的コミットメントの深さを抑制できないのはたぶん、精神年齢が低いからだきっと。

僕はいつも、何事によらず、おおむね「本番」が終わってから色んなことを思いついて、ああすればよかったとかこう言えばよかったといつまでもぐだぐだと考えることが多いのだが、この時期は特にそうである。履修学生の顔を思い浮かべて、ああ、あいつにはこう言ってやればよかったなあとか、あのグループの失速を防ぐには、あのときもうちょっとだけ時間をかけて見てやればよかったんじゃないかとか、課題の設定の仕方をこうすればもっと冴えたアイデアが生まれたんじゃないかとか、そもそも僕自身の経験や知識やノウハウが不足しているんじゃないか、モノを教えるなんておこがましい(それは根源的な問題で、かつ深刻なのだが)などと、脳内は後悔と逡巡で溢れかえる。身がもたない。

それにしてもまあ、週1回で半年なんて実に、あっという間だ。終わってみると、がっくりと力が抜けちゃうが、逆に言えば9月に始まってからこっち、演習が続いている期間はけっこうずっと緊張していたんだなあと思う。終わってしまうとほっとするが、なんだか寂しい。

まあ、あれだ。何だかんだ言って、よく頑張ったよな。みんな。厳しいこともさんざん言ったけど、最後はちゃんと、こっちの言いたいことが通じているという手応えは充分にあったし。役に立つプラクティスだったことは請け負う。これが単なる美辞麗句じゃないことは、そのうちに(もしかすると仕事をするようになって何年もしてからとか)わかってもらえるだろう。いや、まじでだ。来年、新2年生が途方に暮れているのを見かけたときに、まずは自分自身の成長(というか変化)を実感すると思うが、そうしたらちょっと見てやってくれ。

次はフィールドで会おう(新橋以外の場所で)。誘うぞ。

今年は、2年前に初めて演習をお手伝いしたクラスが卒業である。いまはまさに卒業設計の追い込み、というか、最後の必死の仕上げ段階。信じられん。おまえら、講評でボコボコに言われて涙ぐんでたガキどもじゃあなかったのか。この春にはもう、「プロ」として肩を並べるわけだ。しっかりやれよ。おまえらは大丈夫だ。その大丈夫さに、神楽坂やら横浜やらを歩き回ったり、キャンパスの前の川をどう考えるか議論したりした、あの経験が寄与していると嬉しい。スタジオが終わって、翌年、3年生になったみんなの顔を見かけて、その成長ぶりに驚いて、それだけでなんかもう感無量だったのに、今度は卒業ですか。もう泣いちゃうね。俺は。

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コメント

こ、こ、こんなに強く思ってくれる「先生」、どこをいないと思います。

どこを「探しても」が抜けてました。

>学生の反応や成果品の出来不出来に本気で一喜一憂するし

専任になっても、ソレをやってる俺の方がもっとヤバいのよん(涙)
いつも妻に「学生に近づき過ぎじゃない?」と。
・・・だよね。ごめんよー、家族。

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