2008年1月29日

起伏の街、

(あるいは地形はいかに認知され受容され利用されるかということ)

こんなところに何かを書いたりしている暇がぜんぜんないが、ここ数日、駄文書きの下調べの一環で10+1の48号と49号を通勤電車の中で読み返しているのだが、48号の南さんらの「多数性としての東京」と、49号の青山霊園オリンピック施設とへのメモを書いておきたい、と、書いておきたいということだけさしあたって書いておきたい。

2008年1月18日

手を横に。アラ危ない。頭を下げれば大丈夫。

忘れないうちにメモ。

1月8日(火曜日)。
ナカツ不良講師先生に命じられて、関東学院で建築学科の1年全員を前に講義。持っていったラップトップと講義室のプロジェクターとの接続がうまく行かず、30分くらい四苦八苦してしまった。でもその間、学生たちはちゃんといい子で待っていてくれた。そのかわり、講義後に提出してもらった短文レポートに「すいません寝てました」と書いた奴がいた。。。少なくとも反省している点は許す。

1月12日(土曜日)。
上智大学で、上智の比較文化研究所主催の、「巨大都市東京を描き直す」と題したプチ国際会議に出席し、あろうことか英語でプレゼンテーション(10分間)。
・陣内先生がおられた。最初に陣内先生がスピーチをされると、それだけでその場が急に「オフィシャルな東京の研究会議」という感じがするようになる。ということがわかった。
・森川さんの秋葉原のプレゼンを初めて直接見た。すげーかった。
・これは実は、中谷レーニン先生の差し金なのであった。
・しかし、会場には田島さん太田さん佐々木葉さんもいらっしゃって、東京キャナルかと思った。

1月17日(木曜日)。
「デザスタ2」の最終講評会に、ゲストクリティークとして、ゼロスタジオの松川さんをお呼びした。講評会を始める前に、松川さんに、最近の仕事などを中心に、プレゼンテーションしてもらった。

・・・すごいものを見た。

コンピュータを介する、というと、僕なんかつい、単に物事をデジタルに置き換えるみたいなことを想像しがちなのだが、それは僕のパソコン1.0な思い込みであって、アルゴリズム的なアプローチというのは、いささか気障な言いかたをするなら、世界の複雑さや多様さを多様なままに受け取ろうとする誠実な態度なのだ、と思った。話を聞きながら、ずーっと、「豊饒なツリー」の最小ピクセルのモノの可能性を「いくつか」しかないと逆説的に論じたアレを思い浮かべていた。とても似ている。というか、きっと同じことを違う表現で述べているんだと思う。エッセンシャルに記述された、エレガントなアルゴリズムはセヴェラルネスにほかならない。

演習のありかたに対しても有用なアドバイスをもらったし、非常に楽しい、エキサイティングな講評会であった。松川さんありがとう。

追記:
松川さんのプレゼンテーションにあった、松川さん設計の美容院に関する記事。

・東北大の本江先生による見学記:
http://www.motoelab.com/blog/20051230161304.html

・佐藤師匠によるインタビュー記事:
http://www5c.biglobe.ne.jp/~fullchin/iru/sho/01/01.htm
松川さんのプレゼンを見たデザスタ2履修生は読むべし。それにしても佐藤師匠のインタビュー術は天才的だ。

Dear Kids @ Design Studio 2

毎年この時期になると、僕はつくづく講師に向いていないなと思う。
学生の反応や成果品の出来不出来に本気で一喜一憂するし、演習や講義の趣旨を忘れて自分で率先して作ってしまいたくなるし、質問されたらどうしようと思い始めると居ても立ってもいられなくなって、下手すると演習前日に徹夜で勉強しちゃうし(蓄積がないためだ。本来の意味で一夜漬け)、アドバイスも批評も言うことをころころ変えるし、最終講評では恥も外聞もなく全員を褒め倒して送り出したくなる。長期的・教育的な洞察も構想も欠落しているわりには、精神的に手抜きができずに、終わるとひとりでぐったり消耗している。心理的コミットメントの深さを抑制できないのはたぶん、精神年齢が低いからだきっと。

僕はいつも、何事によらず、おおむね「本番」が終わってから色んなことを思いついて、ああすればよかったとかこう言えばよかったといつまでもぐだぐだと考えることが多いのだが、この時期は特にそうである。履修学生の顔を思い浮かべて、ああ、あいつにはこう言ってやればよかったなあとか、あのグループの失速を防ぐには、あのときもうちょっとだけ時間をかけて見てやればよかったんじゃないかとか、課題の設定の仕方をこうすればもっと冴えたアイデアが生まれたんじゃないかとか、そもそも僕自身の経験や知識やノウハウが不足しているんじゃないか、モノを教えるなんておこがましい(それは根源的な問題で、かつ深刻なのだが)などと、脳内は後悔と逡巡で溢れかえる。身がもたない。

それにしてもまあ、週1回で半年なんて実に、あっという間だ。終わってみると、がっくりと力が抜けちゃうが、逆に言えば9月に始まってからこっち、演習が続いている期間はけっこうずっと緊張していたんだなあと思う。終わってしまうとほっとするが、なんだか寂しい。

まあ、あれだ。何だかんだ言って、よく頑張ったよな。みんな。厳しいこともさんざん言ったけど、最後はちゃんと、こっちの言いたいことが通じているという手応えは充分にあったし。役に立つプラクティスだったことは請け負う。これが単なる美辞麗句じゃないことは、そのうちに(もしかすると仕事をするようになって何年もしてからとか)わかってもらえるだろう。いや、まじでだ。来年、新2年生が途方に暮れているのを見かけたときに、まずは自分自身の成長(というか変化)を実感すると思うが、そうしたらちょっと見てやってくれ。

次はフィールドで会おう(新橋以外の場所で)。誘うぞ。

今年は、2年前に初めて演習をお手伝いしたクラスが卒業である。いまはまさに卒業設計の追い込み、というか、最後の必死の仕上げ段階。信じられん。おまえら、講評でボコボコに言われて涙ぐんでたガキどもじゃあなかったのか。この春にはもう、「プロ」として肩を並べるわけだ。しっかりやれよ。おまえらは大丈夫だ。その大丈夫さに、神楽坂やら横浜やらを歩き回ったり、キャンパスの前の川をどう考えるか議論したりした、あの経験が寄与していると嬉しい。スタジオが終わって、翌年、3年生になったみんなの顔を見かけて、その成長ぶりに驚いて、それだけでなんかもう感無量だったのに、今度は卒業ですか。もう泣いちゃうね。俺は。

2008年1月 9日

地図の上下、地面の南北

「地図の上は北で下は南」??あきれた教師、分限免職(スポーツ報知) - Yahoo!ニュース

ニュースの内容とはぜんぜん関係ないのだが。

私たちは地図を、北を上にして眺める習慣があって(これは社会的に浸透している習慣であるし、壁に貼った地図ではなく、たとえ机の上に水平に置いた地図であっても、私たちの身体のありかたとして、遠いほうを「上」手前を「下」と呼ぶことは不自然ではない)、通常はそのように地図を「読む」強い傾向がある。私たちはだから、北を上にした地図の「鳥瞰情報」を、頭の中で実際の空間に当てはめながら自分の位置を把握しようとする。

地図が「読めない」というのは、地図に記載されている事項が「理解できない」ということではなく、地図が示す実空間のレイアウトと、自分が目にしている景観とを結びつける「翻訳」の能力、というか、センスの問題だ。

道行きの途上で地図を水平にしてぐるぐる回しながら見る人を指して、地図の読解力が弱い、と揶揄することがあるけれども、「地図が読めればもう迷わない」の村越真先生によると、オリエンテーリング競技などのエキスパートは、地図をくるくる回しながら見るそうだ。これは、地図と実際の地面との向きを一致させることで、鳥の目・虫の目の「行き来」をスムーズにするテクニックであって、慣れてくると、地図は磁気コンパスのように地面に対して一定の方向に固定され、いわば「小さく縮小した地面の像」として手元にあり、その周囲を自分がぐるぐると方向を変えて回っている、という感覚になるという。

この「感じ」はわからなくもない。僕も、GPSで地図を表示して歩き回っているとき、そこが地元の街の場合は、道を良く知っていることと、あまりに「北が上」の地図を眺めすぎたせいで、北を上に表示しないとかえって混乱してしまうことが多いのだが、知らない地域を移動しているときは、しばしば、カーナビの地図のように「進行方向を上」にセットする。しばらく歩いていると、そのうちに地図が一種の「窓」になって、地図を通して周囲の道を「感じる」ようになってくる。

だから、地図を回す人のほうが、「地図と地面とを仲良くさせている」とも言えるのだ。

ただし、これはスケールによってちょっと違う。僕は、街ごと表示するくらいの大きな縮尺で地図を見るときは北を上にする。そうしないと、「地域的な位置関係」がわかんなくなっちゃうのだ。細かい縮尺では、地図を地面に「引き寄せて」、より「実空間」っぽく表示したほうが使いやすい。

「地図を読む」という行為に関する平易な本:
地図が読めればもう迷わない—街からアウトドアまで (岩波アクティブ新書)

人と「地図」の関わりについて:
野生のナヴィゲーション—民族誌から空間認知の科学へ

日本のオフィシャルな地図の「ルール」について書かれたもの:
地図に訊け! (ちくま新書 663)
「地図には風が吹いている」など、ネタ満載。

近代的な「地図」という媒体そのものの社会的・政治的な意味:
地図の想像力 (講談社選書メチエ)
これは非常に面白い、いい本なのだが、絶版みたいだ。

2008年1月 5日

404 NOT FOUND

新しいレンタルサーバーにMT4をインストールしてから、以前のブログの記事群を「エクスポート」して、それを読み込んで再構成したのだが。
むかつくことに、ほとんどの記事の個別パーマリンクが変わっていた(ことに昨日気がついた)。
一部の、記事のタイトルが個別アーカイブのファイル名になっているケースを除いて、「番号」のやつは、ナンバリングが根本的に異なっている。いままで個別記事に張られていたリンクの大部分は「リンク切れ」になっちゃったのだ。
事前に知っていたら何とかしたのになあ。もう振りなおす気力も知力もない。残念。

2008年1月 4日

年末年始月光メモ。

12月19日(木曜日)。
ある地域の、地域振興のためのブレインストーミング会議に出席。
未踏の地、というほどではないものの、ほとんど土地勘のない地域が対象であったので「地図を眺めて、こんな場所かも知れないという想像を勝手に膨らませてみました」というばかなプレゼンテーションをしたら、お前の担当としてはそれで面白い、という捩れた評価をもらい、年明けには現地を視察旅行することになった。旅程を作って提出しなければならないのだが、帰りに「るるぶ」でも買おう。

12月22日(土曜日)。
「地下&電飾ツアー」に参加。
仕事があふれ、間抜けにも土曜出勤してしまったので、前半の「地下」には間に合わず、日暮れ後の「電飾」だけご一緒した。
地下では、皆川スリバチ会長の「方位を身体的に感知する能力」が遺憾なく発揮されるのを観察できたそうで、行きたかった。残念。

大山総裁のご案内で見学した「浮かれ電飾地帯」はちょっとしたミモノであった。すこし引いて見れば、単に皮肉な笑いのタネというだけではなく、様々に論じうる対象であるだろうが、ひとつ、そこで思ったのは「環境への関与の手応え」のようなものだった。「電飾」は、景観に対するインパクトとして、電飾の「対行為効果」が非常に大きい、複数がまとまるとその質ががらりと変化する、あくまでも仮設である、年中行事として「季節物」である、近隣への配慮と自己顕示との拮抗がある、空間デザインのセンスがもろに顕出する、という特徴がある。面白そうなんだけど。

12月26日(水曜日)。
IT関係の、プロ向けのセミナーという、どう逆立ちしても僕の仕事や興味と重層しないジャンルからお声掛け(といっても、東風意匠計画の大川さんの差し金だったのだが)をもらい、下打ち合わせ。大川さんに久しぶりにお会いした。

12月28日(金曜日)。
東京ピクニッククラブ(TPC)のコアメンバーの忘年会。今年も、TPCはすでに様々な場所での活動がぎっしり予定されていて、主催のピクニシャンなんか、ピクニックを仕事にしないとスケジュールが消化できないんじゃないかと思うほどなのだが、それとは別に、なんと学位論文に着手したそうだ。リトリートであるはずのピクニックが忙しすぎて、本末転倒の「過ピク死」しないといいが。いや、原稿の締め切りぶっちぎって旅行に出かけたりしているらしいから大丈夫だなきっと。
帰路、終電に揺られつつ、僕の頭の中ではずーっと「Sweet Memories」が流れていた。なぜかというと、下記のYoutubeのビデオ参照。うそうそ。内輪受け失礼。

12月29日(土曜日)。
新宿滝沢の跡地にて、K下先生、T橋さんらと、造園学会誌掲載の論文の打ち合わせ。ネタはある。ということがわかったし、そんなネタを堂々と「学会誌」に載せるという面の皮の厚さも充分ある。不足しているのは時間とガッツだけだ。

年末年始は、自宅の掃除やら年賀状の仕上げやら球根の植え付けやら発芽した苗の移植やら、祖父母の家への年始やらで暮れて明ける。

差し当たって今月の「月光仕事」の宿題:
・ナカツ・不良講師先生にお呼ばれた、関東学院のゲスト講義の準備。
・調査旅行の旅程の作成。
・いつの間にか末席に加わることになった、プチ国際会議でのプレゼンの仕込みと準備。
・学会誌論文。
・10+1連載原稿。これは、これから題材を決めねばならん。どどど、どうしよう?(←ピグレット風に)

10+1(テン・プラス・ワン)といえば、年末に発売された49号(INAX出版、2007.01)、大山さんも紹介されていたが、BaLi(Bad-scape Lover's Institute、悪い景観を愛する学会)方面の人もぜひ。なぜなら、総裁の団地写真が見開きで掲載されているからである。というのは、10+1に大山さんを載せるために、今さら感のある「美しい景観」批判を僕が書いたのだ。僕の駄文はともかくも、パキパキの団地のモノクロ写真すばらしい。

田中純先生が、これまでの連載の「まとめ」に入っておられる。なんか、いよいよこの雑誌も終わりなのか、という感じがするな。
「日本の民家再訪」では、レーニン先生が、「建築」が壊れてなくなっても、一種のインフラである民家はしぶとく残る、という、ヤバい事例報告を書いている。

同号に、今井公太郎さん今村創平さん日埜直彦さん吉村靖孝さんらによる「東京オリンピック計画」が掲載されている。
これはちょっと、turn-onされたぞ。青山霊園には僕もチェックを入れていた。
都市計画・構想的な視点からの批判や、建築の意匠に既視感を覚えるという感想を聞いたりもしたのだが、話のきっかけとしてはなかなか、面白い題材なのではないかと、これは長くなりそうなのであらためてまた。


元旦、自宅の窓から、国分寺崖線の向こうに上ってくる初日の出を眺め、その後両親の家へ移動して、正月料理満杯でひっくり返っていると、長男(5歳)がどこからか百人一首を持ってきて、ねえスイセイショクブツやろうよー、という。
水生植物?なんだそりゃ?と、よく話を聞いてみると、カードひっくり返して、ふたつが合ったらもらえるやつ、という。

息子よ、それは「神経衰弱」だ。
なんだその、言語習得過程的に興味深い取り違えは。

明けましておめでとうございます。

昨年中も、出会いと収穫の多き、かけがえのない1年間でした。
ほんとうに毎年、年があらたまるごとに、一昨年よりも昨年のほうが充実していたという実感を抱いているような気がする。これは、あらゆる現状をきわめてハッピーだと思い込んで確信する僕自身の現実逃避的能天気傾向のためばかりではなく(それは大いに関与していると思われるが)、様々な機会に出会った多く方々や、僕ごときを相手にして下さった何人もの方々や、何よりも妻や子供たちからデザスタ2のキッズまで、僕を励まし支えて下さっている多くの人たちからの賜物である。ありがとう。世界には課題が山積みだが、今年もみんな、溌剌と行きましょう。
・・・差し当たって、このMT4をなんとか手懐けねばならぬ。