2007年12月19日

卒業設計で考えた糊塗

世界は師走であって、各地の大学では卒論・卒制の作業がピークである。この季節になると、非常勤でお手伝いしてる大学や、お邪魔したことのある大学の四年生の卒制の経過に、請われてアドバイスめいたことをする機会が増える(意味のあることができていると良いのだが。たいてい、不要に混乱せしめているだけの気もする)。ここ三年くらいは、造園学科よりも建築学科のそれを見る機会が多くなった。どうしてだか、そうなっちゃったのだ。

そういうなかで、エコロジカルな事象をテーマに据えたプロジェクトを拝見すると、なんというかこう、建築や都市に関わる生態学的環境の概念が、いわば外側からどういうイメージを持たれているのか、ということが見えて興味深い。造園学科の学生の場合、決して特にエコロジーの「内側」にいるわけではないが、計画・構想の際にエコロジーの「主要な登場キャラクター」を「要素」として用いる場合が多いために、むしろそういう事象に対して割り切った、クールな接しかたをしていることがある(べたべたに寄り添っている場合も多いけど)。

逆に、「外側」から描かれるエコロジーはしばしば「ラブコール」である。あまりに素朴に楽観的だったりして、微笑ましいこともある。エコロジカルな事象はしばしば、コンセプトのクローゼットというか、アイデアのバックヤードとでもいうか、解決の困難さや矛盾をとりあえずそのまんま放り込んで蓋をすれば「表側はキレイ」になる、というようなものとして引っぱり出されている。これ自体、多くのサンプルを集めたら面白い分析対象になるかもしれない。卒論になるかもしれないぞ。「建築において『自然』や『生態系』という概念領域が期待される役割と、引き受けている『要素』の時代的傾向:卒業制作を例に」。

僕は、個人的には、建築学科の卒制では、建築教育を四年間も受けちゃった落とし前として、課題に対して建築的に立ち向かうガッツが見たい、などと思ってしまう。「非解決」を緑の海に投げ込んじゃうのはぎりぎりまで我慢して、「非解決破綻建築物、辛うじて地平線の向こうに森の救いの予感」くらいの緑の入りかただとかっこいいと思うんだけどなあ。うむ、じつに抽象的すぎて何を言っているのか不明な文章だな。これ。というか、こんなサブジェクトになる予定じゃなかったのだが。

僕自身は大学時代、母校のあらゆる先生方に顔向けできないくらい勉強せず、卒論もどさくさに紛れて提出してきた恩赦卒業生であって、その点については今でも深く後悔しており、大学の演習の「仕上げ」に没頭している学生さんたちが心底羨ましい。みんな頑張れよ、という応援が書きたかったのだ。

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コメント

その思いのタケを、1月8日にブツけて頂ければ・・・と、期待しつつ。

>僕自身は大学時代、母校のあらゆる先生方に顔向けできないくらい勉強せず、卒論もどさくさに紛れて提出してきた恩赦卒業生であって

わはははははは!(大爆笑)
いや全く、「大学的には本当は卒業させたつもりの無い学生リスト」の昭和62年造園学科版には、イシカワの次にイマイが載っているだろうよ。

いや、ほんともう一度卒論書きたいねえ。(などとのんきな寝言をほざいていられるのも、実際はもう書かなくていいからなんだろうけどね)

>僕自身は大学時代、母校のあらゆる先生方に顔向けできないくらい勉強せず、卒論もどさくさに紛れて提出してきた恩赦卒業生であって

いやはや、ぼくもそうですよ。工場構造物のリノベがテーマでしたが。「工場萌え」の出版は10年かかって卒業論文を提出した感じ。ほんとに「遅くなりました」って言って教授に献本しました。

考えてみたら、卒論のトラウマが、現在の自分をして学会で発表したり雑誌に寄稿したりという活動を継続せしめているのではないか、という気もしてきました。。。代償行為。

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