2007年11月30日

恐れるな。主はあなたと共にある。

(あるいは、決まり文句の罠。)

1時間以上遅れて大学に駆けつけ、デザインスタジオのフィールドワークの中間発表を聞いて、全グループがほぼ例外なく既成概念の壁にブチ当たっていることに唖然としつつ、その強さを思い知る。

以前、田島さんらの「東京キャナル」をお手伝いした際、参加学生のフィールドワークのフォーマットとして、最初に「プライマリー・ファンクション」に注目すること、という項目を入れた。というのは、フィールドワークの対象の性格上、みんな都市河川や運河や堤防や護岸を見てくるわけで、ほとんどの学生がその「意匠性の無さ」や「アメニティの欠如」のような感想を持ち帰ってくるだろう、ということを予想したからだ。流路をコンクリートで固められた、いわゆる3面張り護岸の神田川を見て、それを「地域から川が暴力的に疎外されている」とノートに記した時点で、そのあとの提案の射程距離は決まってしまう。たとえ最終的な提案が「都市に水辺を取り戻す」というようなものであっても、まずは現在の都市河川の状態が「悪い」とかいう思い込みをいったん払拭して、そこには何がどのようにあるのか、ということを観察しなければ、現在の河川がそんな様子でそこにあるという事態が潜在的に持っているかもしれない可能性(それ自体を愛でるという態度も含めて)に気がつくことはできない。およそあらゆる建設行為はリノベーションである、と言い得る。ことに、「都市」においてはそうである。(もっとも、東京キャナルワークショップのときは、そのあと、街で採集した「要素」について、「拡大する」「統合する」「反転する」というような、テレデザイン一流の、AAスクールの演習みたいな、斜め上に行く「操作」が要求されて、学生グループは混乱に巻き込まれた。というか見ている僕が混乱した。)

駐車場を「駐車場」と記述したところでフィールドワーカーとしては負けである。駐車場を「駐車場」にしているのは、私たちがいつのまにか合意している「ルール」でしかない。このルールに合意していない存在、たとえばコドモの駐車場での振る舞いを想像してみればわかるだろう。コドモらはルールを無視して駐車場を使い倒す。路面にチョークで落書きをしたり、ボール遊びをしたりする彼らが見ているのは、「人の気配が希薄であまり車の来ない固くて平坦なひろがり」という物体が誘発する「いくつかの有用性」である。私たちが白地図に「駐車場」と記入したとたん、その潜在性は封じられてしまうし、その後のフィールドワークは、目に映るものをぜんぶ「駐車場、その隣は車道、こっちは歩道、ガードレール、オフィスビル、公園、・・・・」と、「売っている地図に書いてある名前」を街の要素に当てはめる作業と化してしまう。物心ついてから10数年しか経っていない(←履修学生の話ね。ここで突っ込まないように)のに、いつのまにか、私たちは街を「ルール」でしか眺めなくなってしまったのである。

少なくともそれを自覚することから始めよう。コンビニが目に入ったとき、それを咄嗟に「コンビニ」だと思うのはなぜか?そのとき、自分は何を見聞きしているのか?歩道と車道をほとんど無意識に「分けて」見ているのはなぜか?私たちは何を見て、何に気付くことで、「勝手に歩いていい地面」と「勝手に踏み込んではいけない地面」を分けているのか?

それこそ「コドモの目で」見てみるとか、「外国人観光客のように」「宇宙人が見るように(@坂口トモユキ)」「ホームレスになったつもりで」というような、「私ではない誰か」のふりをして見てみるということもひとつの方法ではあるだろうし、いつもとは違う変なやりかたで写真を撮りまくってあとで見直す、というのも方法の一つかもしれないし、目を閉じるとか耳を塞ぐとかして歩いてみる(個人的には街のサウンドスケープみたいな採集はあまり感心しないが、まあいいや)という、普段とは違う「感覚のモード」になってみるのも手かも知れない。

街の「本質」を説明しようとか、何か社会的に「良いこと」を提案しようとかいう姑息な願望はあきらめろ。まずは自分をスキャナーだと思え。そのうえで、街を移動する自分の反応を観察してみろ。わかったか。総員出撃。神のご加護あれ。


あとそうだ、ちなみに、昨夜、キッズのひとりが講評のあとで泣いていたが、僕が泣かしたんじゃないぞ。ほんとだってば。

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コメント

従軍牧師に5分間

すばらしくよいお話をいただきました。
なんだかそういう感じを忘れていた自分を反省です。
なんだかちょっと元気な気分を取り戻しました。ありがとうございます。

そしてまた、タイトルがとてもとても素敵です。そしてまた、学生の皆さんを「キッズ」と呼ぶその優しい視線も石川さんらしくていいなあ。

最後から2段落目なんかは、読み返して「うるうる」しちゃった・・・ぜ(恥


フィールドワークだけじゃなく、駐車場だけじゃなく、例えば、私のお仕事でも、なんとなく「リビング」とか平面図に書いて、納得した気になってしまいがちです。もっと言えば「DK」なんて図面に書き込んで、何か生活像をイメージしたような、生活空間を作ったような気になってしまうことの怖さ。そんなことを改めて思いました。

皆が納得しやすい便利な概念にしがみついて、それ以外の可能性を切り捨てていたら、いつになっても「奇麗」なもの「美しい」もの「正しい」ものしか作れない。
それよりも、あらゆる可能性をみんな引き受けて、そこから何かを生み出すような、そんなアプローチがしたいものです。

いや、何の話だったっけ?(恥

演劇のワークショップでは人の動作を演技する際に、いったん動物の動作に置き換えて真似をする、という手法がとられるとか。道路に落とした荷物を拾うおじさんをオラウータンの動作に置き換えると演技できる、など。

つまり「団地は住宅だ」という機能面を保留して「南砂団地って歳とった女優みたい」って思うことではじめて「見える」ってこと。

ちがうか。

なるほど。都市の地形も、服の上からヌードを想像する、と思えば(以下略)

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