2007年10月15日

「西東京いこいの森公園」に行ってきた。

以下はこれの続きである。

「公園日和」とでもいうべき、うららかな秋の土曜日の午前中、件の、西東京市いこいの森公園へ「検証」に出かけた。
僕を含めて、こうした公共の外部空間の設計に関わる仕事をしている現役5名が同行し、加えて僕は公園の典型的利用者のサンプルとして、ウチの3歳&5歳の「純粋ノイズエレメント」を連れて行った。

調査(というか見学)のポイントは、当該公園は「設計ミス」と言えるか、という点であった。もちろん、今回の件をめぐっては、「子供」とか「地域社会」とか「都市居住と住環境」とか「権利」とか「個人と公共」とか「寛容と憎悪」とか、この件が喚起するいくつもの議論がありうる。が、それらはあくまでこの件が「喚起する」ものである。今回の措置の主旨は「騒音被害を訴えた住民の住居で基準値を超える騒音が観測され、それが認められた」というものであって、音源がコドモだろうとボードだろうとウマだろうとそれはこの件に関しては関係ないし、訴えた住民が一人だろうと100人だろうと健康だろうと何だろうと関係ない(新聞が、『女性が』『女性が』って書くのもなんか気に入らない)。そのへんの話をややこしくしないために数字を明記した条例があるのである。「その条例の妥当性」についてどういう言うことは可能だが、それはレベルが異なる議論である。

そこで、僕らが関心を抱いた点は、こうした問題は、公園の設計の内容によって回避が可能であったのか、ということだったわけだ。もし、まあ多少至らなかった点はあるにせよ、それなりに考えて作ってはある、という印象を受けるような公園であれば、議論は次のレベルへステップアップできるわけである。

しかし、公園の入り口に立った我々は唖然として、文字通り言葉を失ったのだった。
んもう笑っちゃうくらいダメな設計であった。学生を連れてきて、ダメな事例としてフィールドワークしたら教育効果があるんじゃないか、という話が出たくらいであった。というか、こう言ってはなんだが、ダメな物件のほうが、一緒に見回っているときに話が弾むので盛り上がるような気がする(シモダ君は『来なけりゃよかった』と呟いていたけれども)。案内図を見ながら議論をはじめると、大々的な改善案はいくらでも湧き出るので、学生の課題としていいサブジェクトかもしれない。ほんとに。

すでにいくつか、ご一緒したメンバーから報告が掲示されているので、こちらも参照されたい。指摘事項に付け加えることはあまりない。

スケッチ・オブ・ザ・デイ 「西東京いこいの森公園」について
Aquilo - Blog:ミス以前の問題でした…。

ツクイさんが書いているような具体的な不具合や、キノシタ先生が記している計画上の不備は議論の余地のないものだったけれども、僕は何より、公園全体に満ちている「適当さ」と「外し具合」に眩暈がした。今回の騒音裁判と仮処分決定は、この公園が具体的・潜在的に抱えている計画上/運営上の問題の一部が、極端にわかりやすく不幸な形で噴出露呈したに過ぎない、とすら思える。

加えて、仕事柄、民間の物件を見慣れているためか、「公園」のデザインやディテールの「ゆるさ」や、記号の強い既製品の羅列には愕然としてしまう。いや公園クオリティなんてこんなもんですよ、とキノシタ先生やタケダ君がしきりにフォローしていたけど(ツクイさんは、そんなことはない、公園としてもダメだ、と繰り返していたけど)。

公園を一回りしてのち、近くのファミレスで昼食を摂って解散。僕は子供らのリクエストでふたたび公園に戻って、プレイロットで子供らを遊ばせた。砂場の近くのベンチでは、常連らしいお母さん達がお喋りに興じていて、話題はやはり今回の騒音問題であった。しばらくしたら、ネクタイをした、どうやら市議らしい初老の男性が回ってきて、「いま、利用者の市民の声を聞いているんですがね」と、今回の件について質問された。隣に腰掛けていたお母さんたちは、マンション住まいだと普段から気を遣うので、自宅で子供らを遊ばせられない。ここは広くていい公園なので、残念だ。その住民のかたの気持ちはわかるけど。難しいですよねーこういうのは、人によって感じ方も違うし、と、穏やかに困惑しているという感じの応答だった。うがち過ぎなのかも知れないが、僕はその市議(だと思う)の、「1年半前からの陳情に答えて植木を足したり看板を出したりいろいろ対策をとってきたんだけど」とか「他の住民や、あの病院からはなんにも出てなくて、そのお宅だけなんですよ」とか、なんか、言い分けがましく、かつその訴えた住民の特殊性を示唆するような物言いにちょっとむかついたため、「公園のほうで何とかするしかないでしょうどう考えても。防音壁が一番効果的で安いんじゃないでしょうか」と提案した。

子供たちにせよ、スケートボーダーたちにせよ、少人数で汗かいて草刈りしておられた公園ボランティアの人たちにせよ、多くの市民にとってすでにここは取り換えのきかない場所になりつつある。さっさと遮音措置が行われて、噴水やボードの利用が再開することを祈るね。


追記。

子供の声「騒音」の時代、自治体への苦情増加 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

「部活の練習がうるさい」「児童館で遊ぶ声が騒がしい」——。学校や公園などで、子供の声を巡って、周辺住民との摩擦が生じるケースが増えている。

 最近では、東京都西東京市にある公園の噴水で遊ぶ子供の声を東京地裁八王子支部が騒音と認定し、市が噴水を止める事態に発展した。

 読売新聞が全国の県庁所在地、政令市、東京23区の計73自治体を対象に調査を行ったところ、各地の自治体が、子供の声や部活動で生じる様々な音に対する苦情の対応に追われている実態が浮かび上がった。

話を一般化するんじゃねーよ。まったく。

コメント

その方が市議だとしたら、がっかりですね。
私は設計の専門家ではないのですが、非常に興味を持ちまして、西東京市市議会の議事録を洗ってみました。あきらかな「設計ミス」をするような業者に発注したプロセスを問いたいと思い。
http://hidetox.com/blog/2007/10/16/西東京いこいの森公園(合併記念公園)に関する/

よく調べて頂いたエントリー、ありがとうございます。
これ、発注の仕組みもさることながら、追って考えていくと、公園というものの供給のシステムそのものの「構造」にまで及ぶ問題だと思います。それはなんというか、けっこう根が深いというか、一言では片づけられないような問題でして。それはそれとして様々な角度から考えなければならない話ではあるのですけれども。