2007年8月28日

「カントリー調」

週末素人木工プロジェクトは、屋内・屋外を含めて順調に遅々として楽しくもストレスフルに進行中であるのだが、周囲を見渡しても僕の近隣にはあまり真似したくなるような先行事例が見当たらないため、ことあるごとに書店に立ち寄って「参考図書」を探してみたりしている。

都心の大きな書店はまだしも、そのへんの書棚に並んでいる本のラインアップはどこへ行ってもほとんど同じだが、本の並べかたというか、グルーピングの仕方とその配置が書店によって少しずつ違う。

住宅系建築雑誌と、デザイナー住宅消費雑誌と、ハイセンス家具カタログ雑誌と、「なんちゃらスタイルで住む」不動産広告雑誌と、「すてき」系お部屋装飾生活情報雑誌と、「男の書斎」と、「スローライフ古民家藍染め有機野菜陶芸一家」と、アウトドア丸太小屋2X4系DIY雑誌との乖離と断絶(新スケープ的に書店に接近するなら、「GA HOUSES」と「素敵な部屋」は等価で並んでいる。でも、書店は「思わず」これを分けて別なコーナーに並べている)。

ことに、「カントリー調」という、無視できない「ジャンル」の文化人類学的意味について考える。あれはいったい。

2007年8月27日

シンスケ。

新スケープ—都市の異風景
中央アーキ、誠文堂新光社、2007.8
4416807015

これはやられた。
いろいろと考えていた矢先に。
しかもなんというか、飄々と冴えたやりかたで。

微妙に納得できないところもあるにはあり、後ほどもう少し詳しく書いておきたいが、とりあえず推す。

・「速度」は冴えてる。
・「自然と人工に差はない」に留保。
高架の高速道路をして「自然」としか呼びようがない、という心情には共感する一方で、それはそれこそ「速度」、というか規模の問題なんじゃないか、とも思う。僕が地面に立って眺める高速道路はたしかに巨大で、その「成り立ち」は手の届く範囲の理解を絶していて、ほとんど「背景の山々(自然)」に重なっている。しかしたとえば高速道路自体を計画しているとき(計画したことはないが)、その目線から見る「背景の山々」と高速道路はぜんぜん違う。どこから「先」を、「自然」とひと括りにしてしまえるかは、視点の「支点」をどこに置くかによって異なる。もちろん、これが風景論のキモでもあって、その部分が、風景を語っている「私」の「個人的な」立ち位置の表明でもある。だから、それは私が見て感じたことなのだ、と言い募ることはできる。でも、風景の本質は個人的な事態である、と強調してしまうと身もふたもない。「風景」を(読ませるほど面白く)語るとき、そのへんの、身と蓋の加減というか、個人的な告白と一般的な議論とのさじ加減が難しいが、それはもう、語り手の「芸」の範疇だ。

2007年8月23日

城山の微気候

以下は、調布周辺の地勢に多少とも通じている人以外にはほとんど意味をなさないテキストであることは請け合いです。

深大寺北町から深大寺元町へ移ってみてわかったこと:元町よりも北町のほうが気温が低い。

北町にいた8年間、夏中、ほとんどクーラーを使わなかった。特に夜間、空調のスイッチを入れたためしは全くなかった。なにしろ、北町は涼しかったのだ。そのかわり、冬は実に寒かった。調布駅の近くの路上のプランターでランタナが元気に越冬しているような暖冬の年でも、北町の家の庭には霜柱が立った。
夜、駅方向から自転車で帰宅すると、野川を越えて崖線を上ってしばらく北上したあたり、大沢1丁目と北町7丁目の境目あたりで、「空気の断層」とでもいうべき「線」があり、そこを通過すると、まるで寒冷前線が通ったときのようにいきなりがくっと気温が下がった。何度か走り回って確かめた結果、おおむね国立天文台と航空宇宙研を結ぶラインに「冷断層」があることがわかった。「大沢ー下連雀寒冷線」と呼ぼう。

あれと比べると、元町2丁目はあまり涼しくない。駅前から武蔵野市場あたりまでは、なんとなく同じような「温さ」が続く。野川を渡り、崖線を上ってもそれほど気温の差がない。試しにそのまま深大寺門前まで足を伸ばしてみると、門前の谷間では湿度が上昇して、その「湿った感じ」で多少の涼しさはあるが、北町のあのガツンと来るような涼しさはない。

これはしかし、どういう事情の複合によるのだろう。大沢ー北町の周辺はたしかに緑は多いが、植物公園から深大寺、城山までの凸凹地帯だって、相当な緑の量がある。中央高速が「ヒーター」になってるのだろうか。あるいは、多摩川から吹いてくる風が大沢の谷に行っちゃう、とか。

大気汚染地図情報(速報値)「気温」を見ると、調布周辺が多摩地区のなかでも目立つ、一種のクールスポットになっていることが示されていて驚く。調布市内に注目すると、市の中央よりもやや北東に寄ったポイントに、繰り返し「低気温点」が現れる。地図と重ねてみると、佐須町、カニ山のふもとの、ちょうど柏野小学校のあたりである。なるほど。あの谷戸地形の、絵に描いたみたいな「里山地帯」のあたりが「北多摩の冷涼のツボ」なのだ。今度、夜に行ってみよう。浴衣に雪駄で団扇持って夕涼み。子供らはジンベエを着てちょろちょろ走り回り、おお、ホタルでも飛んでればもう、テーマパーク的に非の打ち所のない絵になるんだが。しかし、このグラフが正しければ、北町よりも元町のほうが涼しいはずなのだ。この温度分布は、地表の実感とはずいぶん違う。どのくらいの密度で、どこに設置した、どういうセンサーで計測しているのだろう。

Google Above

Google Earth
うーん。

Mitaka
こっちだよなあ。

2007年8月22日

本のレイアウト

転居後、少しずつ片づいてきたものの、住環境整備上の課題は山積みである。
なにしろ、「ここはまあ、あとで自分で高い棚でも作って仕切ればいいか」というような見込みを立てまくって、建具や間仕切りを外して実にざっくりした「間取り」にしちゃったので、早くその「見込み」を実現しないと、もう家じゅう様々な場所が不便だし格好がつかないのだ。

屋外では、庭のデッキ&屋根の製作と、玄関前と、バックヤード(物置や水栓や屋外コンセントが集中する一角)の整備がある。散水の配管もやりたい。植物の再配置と、新植する植物の選定や配置もやりたいのだが、これはかなり時間をかけて、場合によっては四季をひとまわり経験してからでないと「適所」が見極めにくいという経験則もあり、時間がかかりそうだ。

屋内では、妻の仕事スペース周りと、浴室/洗濯機周辺と、天井裏収納の棚と、玄関周りと、キッチンと、階段周辺の「週末大工仕事」がある。

あと、大きな課題として「本の配置」がある。僕は、「書庫」のように、ある一箇所に書籍が集中しているのが嫌で、家のいろんな場所本棚があって、それぞれの本棚に少しずつ本が分散している、というような状態にする習慣がある。そうしないと、うまく本が探せないのだ。

多様な場所に分散配置することで、それぞれの本が、家の中の、その本のある「場所」のイメージと結びつく。日常、その本の前を通過するときに何となく背表紙が目に入ったりすることで、家の中での、ある特定の行動と結びついたりもする(たとえば、毎朝トイレに行くときに見かける、というような)。こういうふうに、ある本に「固有の場所/時間タグ」をくっつけるのが、「そーいえばあの本に書いてあったな、たしか」というような時、効率良く素早くその本にアクセスする最良の方法なのである。僕の場合。

「多様な場所」といったって、狭い家だから座標的位置は限られてはいるんだけど、それでもたとえば、本棚の最上段と最下段では明るさも違うし「見かけかた」も違う。以前の家でそれなりに時間をかけてチューニングして、それぞれの本にある程度固有な「場所の雰囲気」タグをつけちゃったものだから、家自体のレイアウトが変わってしまうと、ぜんぶ「やり直し」になってしまうのである。なんか、どうもこう、すべての本がなんとなく据わりが悪くて落ち着かない。

そういうわけで、帰宅するたびに、ふと目に付いた本をあっちへ動かしてみたり、こっちへ持ってきてみたりと家中をうろうろとし、そのうちに、うーむ、もしかしてここに書棚を作ったほうがいいかもしれないぞ、とか、この棚は作ってみたものの、やっぱりやめにして絵でもかけたほうが、などと「週末大工構想」が頭をもたげたりし、もしかして僕はこの先もずっとこのように、終わりなき素人増改築の無間地獄を歩むのであろうか。きっとそうであろう。

2007年8月21日

テンプレートとしての実世界

Motoe Lab, TU

この問題は、3D CADでつくるBIM (Building Information Model) と、平面図や断面図の関係と通じるところがある。3D CADでは、まずBIMを電子的に構築しておけば、任意の位置で切ればたちどころに平面図でも断面図でも作ることができるのです!という。しかし、「まずBIM」というのが、思考の順序として可能なものなのか。

これは最近の鍵課題(キーイッシュー)だ。

生まれて初めて「CAD」というものをまともに触ったとき(それは、HOK社のオリジナルのHOK-Drawというやつだったのだが)、画面の向こうには無限大の「空間」が広がっていて、その中で設計が「実物大」で組み立たってゆく、というコンセプトに眩暈がし、電源を入れるたびにその「よすがのなさ」に、思わずキーボードの端っこにしがみついてしまうような不安を感じていたときのことや、しかしそれに慣れちゃったあと、MacのMiniCADを見て、なんだ、CADのくせに印刷用紙を先に決めるのかよ、と思ったときのことを思い出す。

最近、このあたりのことは、駅の階段を駆け登っているときも、2X4材をノコギリで切ってるときも、頭を離れないのだが、なんかこう、いまひとつうまく言葉にできず、いい言い当てがなくて、もどかしい。

「セヴェラルネス/先行デザイン/環境ノイズ」系の知見や、「グラウンディング」の「ゲニウス君とギブソン君の握手からダーウィン君へ」とかで、ずいぶん輪郭を得てきたよーな気はするんだけどな。

怒濤の梅雨明けから残暑まで(抄)。

  • 6月30日:新居の引き渡しと、妻の事務所の撤収。
    調布駅前に借りていた、妻の事務所を引き払った。ワゴン車を借りて、僕独りで荷物をぜんぶ運んだ。荷物のほとんどは段ボール箱に入った本と書類であって、腕が抜けるかと思った。他に、作業机にしていた分厚いコンパネ板とか、スチールの本棚とか。下手に休憩したら続かなくなると思い、午前中に一気に片づけた。ワゴン車で新居へ運び、荷物を部屋へ運び入れて、そのまんま床にひっくり返って1時間ほど仮死状態のごとき昼寝をした。
  • 6月末日:建築雑誌原稿締め切り。
    短い連載コラム記事で、当初、元永さんが相談を受けたものだったのに、メールで田中さん佐々木さんらとあーだこうだやり取りしていたら、磯さんからご指名が来た。文字数の制限と、無理なコジツケを文章にするのに七転八倒した。「以前の記事を送ってください」とお願いしたら、本江さんが書かれた「オフィスからワークプレイスへ」という冴えた文章が来て、それ読んでますます進まなくなった。
  • 7月5日:SFCデザイン言語総合講座。
    田中浩也さんらからまたお声かけ頂いて、去年と似たようなネタで「出張スライドショー」。ただ、聴講する学生は入れ替わっているとはいえ、まったく同じだと僕自身が飽きるし、なんか失礼なので、今回は事前に「複数のGPSで、青山霊園を一気にグリッドでトレースする」という「仕込みワークショップ」を6月16日に行った。
    講義当日、用意したスライドが予定枚数を大幅に上回ってしまったため、少し速めのペースで喋ったら、大幅に時間が余ってしまい、造園学会で使った出し物を見せたりした。大汗かいてしまった。
    脇田玲さんには初めてお会いした。
    去年もそうだったが、講義が終わってからカフェで田中さん、中西康人さんたちと雑談するのが非常に楽しいのだった。「ビッグブラザーの知ろしめす社会に出現する、オープンで穏やかなランドスケープ」。
  • 7月7日:「環境ノイズ」トークイベント。
    彰国社の神中さんからお知らせを頂いて、速攻で予約して行った。楽しい企画であった。実は、宮本さんにお会いするのは初めてであった(いや「実は」もなにもないんだが)。イベント終了後、興奮した僕は、宮本さんGPSですよGPS!と押し売りして、辟易させてしまった。廊下で、デニムのオーバーオールの巨漢から声をかけられたら、中村謙太郎さんであった。「コンフォルト」の豊永さんとか、「東京人」の田中さんとか、「10+1」の飯尾さんとか、やけにエディター率の高い会場だったなそういえば。
  • 7月中旬、「ファイバーシティ」原稿締め切り。
  • 7月21日、引っ越し。
    引っ越し業者をいくつか当たったすえに、地元経済に貢献すべく、キューピー引っ越しセンターに依頼した。会社のウェブサイトを見たら、この運送会社は調布に工場がある「キユーピーマヨネーズ」とはぜんぜん関係なく、そればかりか、商標をめぐって裁判まで起きていた、ということを知った。
  • 7月23日、City & Life誌取材。
    次号の特集が「地図」なのだそうだ。
  • 7月28日、庭の引っ越しと旧居の掃除。
    「家財」の引っ越しの1週間後、知り合いの造園業者に頼んで、旧居の「庭」の植物群のいくつかを新居の庭へ引っ越し。移植には最も悪い季節で、実際その後、数本は枯死してしまったが、まあ仕方がない。
  • 7月末、借家の退去・立ち会いと鍵の返却。新建築住宅特集原稿締め切り。
    さようなら深大寺北町草庭亭。楽しい8年間をありがとう。
    「新建築住宅特集」の原稿は、先日の環境ノイズのイベントのレポートを書け、というもので、宮本さんご本人から電話を頂いてご指名があり、ううむ、お引き受けし、いかにも僕が書くような調子でカジュアルに書いていいでしょーかと先に言い訳しておいて書いた。
  • 7月30日、忽那裕樹氏にインタビュー。
    というか、別な原稿のネタにすべく、先日行って面白かった展覧会や、そこに忽那さんが出展していた作品など(これについてはまた日をあらためて書いておきたいことがいろいろとある)について電話で話を聞いていたら、実はいま、東京に出張しているので、今夜、食事でもしながらどうです、という展開になり、新宿で落ちあって、なぜか「調布市民」ほかURの新鋭たち(2人)が同席し、結局大阪行きの新幹線がなくなって忽那さんが帰れなくなるまで話し込んだ(あのあと、彼はどうしたのだろうか)。飲み会後半、忽那さんが、石川はいろいろ言うけど実際にどういうものを作ってるのかぜんぜん見えないと「上のほうの人たち」を含めて関西ではもっぱらの評判である、もっと自分の作品を大々的に発表して批評に晒せ、とテーブル越しに詰め寄り、僕はいつものように、どうしておまえは酒が飲めないんだと責められた時と似たような気分になって、うるせえ、俺は自分が設計に関わった仕事を「作品」とか呼ぶようなスタンスで仕事してねえんだよ、それぞれやり方も違うだろう、文句があるんだったらその「上のほうの人たち」を連れてきて表へ出ろ、というような趣旨の答えを(ずっと穏やかな言い方で)し、忽那氏は、ダメだ、それは「逃げ」だ、若い連中にこの分野への希望を持たせたいんだ、と言い、僕は、やだね、俺はこの分野と心中する気はゼロだね。もう住宅ローンもあるし。と答え、忽那氏は「一度大阪へ来い」と言い、「おう、いつでも呼べよ」と僕は答えつつ、死んでも行くもんかと心に誓った(←ま、それはウソだけどよ)。
  • 8月3日、徒歩帰宅。
  • 8月7日、10+1誌連載原稿締め切り(提出は大幅に遅れてしまった)。
    「徒歩帰宅」は、この「連載」のネタなのだった。連載のオファーをもらったのはもう数ヶ月前だったのだが、いやー、連載してまで誰かに伝えたいような思いなんて、ないです最近、などと言っているうちにいつの間にか「そういう話」になってしまっていて、これからいったい僕はどうしたらいいのでしょう。さしあたって、次は自宅のキッチンのうしろの棚を土曜大工しなきゃ。

  • 2007年8月 8日

    All I need is...

    昨夜、帰りの京王線のなかで僕の前に座っていた若い女性(メガネをかけていてショートカットで、ちょっとリサ・ローブみたいな可愛い女性だったが)が着ていたグレーのTシャツの胸元に印刷されていたテキスト:

    I've got my f. c. and k.
    All I need is u.

    ・・・お嬢さん。
    いったい誰を挑発してるんだ。

    2007年8月 3日

    歩いて帰宅。

    本日、午後5時頃を目標に(仕事の関係でもっと遅くなる可能性はあるけれども)出発します。

    時々刻々の位置は、http://twitter.com/homecomer/で確認できます。
    上記のページのリンク先をクリックするとGoogleMapが表示されます。
    移動中の石川にメールしてくださるような奇特な方は、hajimebs@gmail.comまで。

    2007年8月 2日

    「HOMEへ戻る」

    いやー、いろいろと記録しておきたいことはあるのだが、忙しさにかまけてつい、なおざりにすると、それが習慣になってしまって、ぜんぜん更新なんかしなくなってしまう。

    のだが、以下、取り急ぎお知らせ。

    明日(8月3日金曜日)、赤坂の職場から調布の自宅まで、災害時のトレーニングを兼ねて、「災害時帰宅支援マップ」を携えて、徒歩で帰宅してみることにしました。日中は普通に仕事をして、夕方に出発します。

    いつものごとく、地図メカに突発的にご協力頂いて、GPSケータイを利用した、ほぼリアルタイムの位置情報閲覧ができるような仕組みを使います。つまり、ウェブで僕の現在地を見ることが可能。

    現在のところ、可能性のある参加人数は僕を含めて2人。途中参加・途中離脱含め、飛び入りも歓迎。ただし、僕の位置を把握しておいて、災害になりすまして待ち伏せして襲う、とかいうのは勘弁してください。