2007年5月23日

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メディアとしてのインターネットと10年の意味

リンク先のクマガイさんの文章の趣旨とはいささか話がずれるけれど、「twitterはお手軽ロギングツールなのだ」という話は腑に落ちる。なるほど、「ロガー」に「ツボ」なツールなのだ。あれ。それはよくわかる。

だがしかし、「ログを取る喜び」とは、何なのだろうか。「ロガー」は「一部」なのだろうか。

インターネットも含めて、「新しいツール」というのは、多くの人がもともと潜在的にやりたかったことを促すという形でしか出現しないんじゃないか、と思う。というのは、人間の身体的「仕様」なんて、10年はおろか、1000年単位の時間が経っても、ほとんどまったく変わりないだろうからだ。ある地域で、栄養状態が改善するとともに、その集団の身体の平均サイズが大きくなる、というような変化はあるが、それはもともと潜在的に有していた特徴のひとつが現れたというだけだ。サボテンだって、ちゃんと水をやって育てると、原産地で見られるよりもずっと大きく立派に育つ。

ガリア戦記から家族アルバムまで、人は自分の生のログを取り続けてきた。そういう集積を思うに、我々には、外付けの外部記憶装置にアイデンティティの一部を預けようとする傾向がある、としか思えない。人類はどうしてか、文字を発明せずにはいられなかったのだ。

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