2007年5月 9日

たとえば代筆するケータイ

日本語壊滅 (内田樹の研究室)

世代を追うごとに語彙力の低下が進行している、という感じは僕も抱くことがあるが、それが「ケータイメール」のせいかどうか、についてはよくわからない。まあ少なくとも、ケータイ「だけ」のせいではあるまい。

「現在のケータイ」が、考えを言語化するという意味で文章を綴るツールとしてきわめて不十分であるという点にはとても賛成だ。ただ、あれも一面では慣れの問題でもあって、時々びっくりするほど複雑でちゃんとした文章のメールを短期間に送ってくる人もいる。僕はぜんぜんダメだ。バイオやザウルスの両手親指キーボードですら、鬱陶しい。パソコンのキーボード並に容易いモバイル・テキスト入力装置がほしい。

思うに、現在のケータイはちょっと中途半端なんじゃないだろうか。ポケベルなんか、いまのケータイよりもずっと機能的に限定されていたが、むしろそのために独特の暗号文的お喋りの「文化」が発達した。いまのケータイは、下手に複雑なテキストを送れる能力があるくせに、入力インターフェースが貧弱であるところが何ともストレスフルである。

「相手に悪く思われないためには、30秒以内に返信するのが暗黙のルール。送受信の頻度は上がり、極端な場合、1文字だけのメールがやり取りされることもある」(田中教授)のが実情だ。(中略)「言葉足らずなやりとりなので、送受信回数は増える。結果として、読書などの時間が削られ、語彙力の低下を招いているのではないか」
友人関係の維持のために、素早くメールのやり取りを続ける必要があり、そのせいで「短文化」が進行し、かつ「読書などの時間が削られる」ことが問題であるならば、「メール代理人機能」でも作ったらどうだろう。受信したメールの文章を解析し、適度に単語を引用しつつ、当たり障りのない文面を自動的に作成して返信してくれるエージェント機能。送られてくる相手はある程度決まっているわけだから、それぞれに「親密さ」とか「引用頻度」とかをオプションでアサインして、あとは「緊急のヘッダが含まれるメール以外はエージェントが応答」という機能にチェックを入れておく。友達関係は安泰に維持され、こちらは心ゆくまでゆっくり「読書」できる。

いや、もしかしてこういう機能が普及したら、お互いに「自動応答」がオンになっていて、ケータイのエージェント同士が「当たり障りのないお喋りメール」を(素早い応答で)延々と送受信し続けている、という事態にもなりうるな。本人たちは「読書」していて、それぞれのケータイが激しく「短文の会話」を応酬し続けている。「この間は楽しかったね」「楽しかったね。また遊ぼうね」「そうだね。また遊ぼうね」「本当だよね。楽しかったよね」「ほんとにね」。メールの送受信履歴だけがガンガン溜まってゆく。それで、寝る前に履歴をチェックして、「ずいぶんおしゃべりしてたなあ。おまえ。ご苦労さま」とケータイに話しかけるのだ。


ところで、じつは僕は最近、ケータイのメールの作成・送信はほとんど、こういう風にやっているのだった。
 
文字入力はスムーズだし速いし、グラフィックもOK。他言語対応で文字化けもない。おまけにGPS位置情報も付加できるぞ。

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コメント

これは、反則だべ!
それとも超越ワザというべきなのか。

テキスト情報として蓄積されないっていう欠点はあるな。
ケータイ用のOCRできねえかな。

なんかねえ・・・むかーーーーし、ショートSFだったかひとコマ(SF)マンガだったかで、そんな状況が描かれていたような気がする。押し黙った二人が持っている「携帯用『電子頭脳』」が、延々と楽しそうにお喋りしているという・・・。
何だったかなあ?石川覚えてない?

星新一の「肩の上の秘書」のことじゃない?
肩の上のロボット・オウム同士が(ご主人たちに代わって)会話してるやつ。

店員「(ぼそっと)買えよ」
店員のオウム「お客様、こちらの品物、大変お買い得ですよ」

客「(ぼそっと)いらね」
客のオウム「いやあ、今はちょっと持ち合わせがなくてね」

みたいのですよね

# カードの時代に「持ち合わせがない」は死語か

>星新一の「肩の上の秘書」のことじゃない?

ソレダ!

・・・といいつつ、アジモフでもなかったっけ?公園のベンチか何かで、並んで腰掛けてる二人の・・・みたいな。ちがったかなあ?気のせいかな?・・・って、じゃあなんで俺は、読んだこともない文章を知っているんだ?????(→B級SFの始まり始まり・・・)

 こんにちは。

>「この間は楽しかったね」「楽しかったね。また遊ぼうね」「そうだね。また遊ぼうね」「本当だよね。楽しかったよね」「ほんとにね」

 これを見て「小津安二郎の脚本のようだ」と思いました。
 考えてみれば映画「お早う」にも出てきますが、人間関係というのはそういう無駄な話によって築かれているものだったのですよね。昔の世界は無駄な情報であふれていた。

 しかし経済の発展と共にコミュニケーションの効率化が進んで、携帯とか、メールっていうのはその最たる物だと思うんですが、しかしそのツールを使ってまた「無駄な情報」がやりとりされる、というのは面白いです。
 Web2.0とか言われているものも、実はその肝は「無駄な情報」にあるとも思えますし。そういう「無駄の可能性」に目を向けずにメールの悪口ばかり書くってのも、想像力がないように思います。個人的には携帯メール嫌いですが。

そういえば、僕も、新婚ほやほやの頃、妻と「いまから帰る。はらへった」「いま、天神通り通過中」みたいな、どうでもいいCメールのやりとりを頻繁にしてたのを思い出しました(笑)。

>すべての情報技術の革新は、まず、コミュニケーションのコストを下げようとする。
>それが達成されてから、低いコストを持ったままで、コミュニケーションの強度を上げようとする。
(本江正茂、中西泰人「没場所性の物質的豊かさと場所の最良の質とをつなぎあわせる情報技術の使い方はあるだろうか?」2006)
http://www.moba-ken.jp/activity/msr/pdf/vol.06_motoe_nakanishi.pdf

もっとラクに他愛ないおしゃべりができるように進化せよ。>ケータイ。

ケータイから脱線しますが、Skypeが他愛ないおしゃべりに良いです。仕事しながらつなぎっ放しで、特になにも話さない。大半はキーボードの音や周囲の音が聞こえているだけ。ときどき下らないことを思いついたらぼそっと喋る。相づちくらいは返ってくる。つないだままトイレに行って戻ってくる。向こうのテレビの音が聞こえてくる。あ、何か飲んでるな。おれもコーヒー飲もうかな。てな使い方を続けていると、遠隔環境の共有領域みたいなものがグニャッと出現してきてなかなか面白いです。キモは、専用の受話器だとかヘッドセットは使わないこと。無指向の内蔵マイクにヘッドフォンが環境の共有に最適です。

松川さんの「Sync Office」がそういう感じでしたねそういえば。

電話でも、ときどき、暗くて広い「電話空間」みたいなものの気配を感じることがありますよね。

AERAに全く同じようなことが書いてあってビックリ>Skype。
設定がいかにもアエラっぽくナイーブな感じですけど。別に恋愛に限定しなくてもねえ。引き戸を半分開けたとはなかなかうまい言い方ではあるけど、でもそういう既存の空間とはやっぱり異質のものが立ち上がってる気がします。

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