三丁目の首都高
http://www.always3.jp/
おお。こ、これは強烈だ。
夕陽に映える、「首都高なし日本橋」。
いままで僕が目にした中で、ある意味では最も「説得力」のある、日本橋の景観シミュレーション画像だぞ。
都市風景論的には、かなり効果の高い視覚装置だと言えるんじゃないでしょうか五十嵐隊長。
まさに、囲い込み型ノスタルジー攻撃。なにせ、コピーが「日本の空は広かった」だ。べつに今だって広い空くらいどこにでもあるぞ。空が狭くなったのは、好きこのんで高層ビルや高架道路の陰を歩くからだろうがよ。


コメント
この「説得力」。
なんとまあ、かなり力技ですね。いろんな意味で。
この風景プロパガンダのために国家予算から1億円ぐらいこの映画に投じられている。というまことしやかなウワサが流れていたら私は信じるな。たぶんだけど。
Posted by あさみ編集長 at 2007年4月16日 21:48
いやー確かに。
日本橋の絵を背景に「日本の空は」と言いくるめているところなんか、きわめて巧妙。
Posted by 石川初 at 2007年4月17日 01:15
その映像を見て、似たような構図の朝焼け版があるのを思い出したのでTBしてみましたが、失敗したようなのでコメントいたします。
「日本"橋"の空は」の誤植でしょうかね・・・とあえて書いてみたり。
Posted by mitu at 2007年4月18日 20:10
おおお。
フツウに美しいですね(笑)。朝の日本橋。
ノスタルジーについては、最近のわきた先生の記事に、なるほどと。
>個々人の経験・記憶が、流動的で多様な現実を含む「生きられた世界」のそれではなく、メディアの影響等もあり、もっと固定化された客体、言い換えれば定型的な語りとともに説明されるモノ的な世界に置き換えられていく
http://blue.ap.teacup.com/wakkyken/594.html
「工場萌え」を読んで(というか眺めて)つくづく思ったのですが、「ノスタルジー」という心情それ自体がどうのこうの、というよりも、本来、ノスタルジーは非常に個人的なもので、だからそれが吐露されるときは一種の信仰告白というかカミングアウトというか、とてもパーソナルな心象と経験の語り口になるはずのものなんじゃないかと。それが、たとえば「教条としての美しい景観」や「商品化のためのストーリー」のようにして定型的な語りに翻訳されるときに、(特に自分がその定型に収まらないときに)反発や違和感を抱くんじゃないでしょうか。
Posted by 石川初 at 2007年4月18日 20:53
そういう極めて個人的な感情に基づくものだとすると、市場に出す商品として成立させる過程で作り手自身も「いや実は違うんだよなあ」と思いつつ、ウソをつく部分がどうしたって出てきますよね。
三丁目の夕日に一見存在しているかのような「ノスタルジー」が信じられないのは、そういうところです。作り手はそもそもノスタルジーなんか感じちゃいないか、感じているとしたらウソをついている、と。ならばウソを認めた上でどこまで行けるか。
ウソノスタルジーを割り引いた上であらためて見ると、それほどでもないんだよなあ。少なくとも第一作は。
Posted by もとなが at 2007年4月19日 03:03
そうですね。
何にたいしてノスタルジーを抱くかは非常に個人的なものですね。
実は、私にとってノスタルジーを抱く対象は、たぶん何もなくて、教条あるいは定型化されたものをファンタジーとして受け止めるくらいで。
教条化の先にありそうな絶対的なものを感じると、オロオロしちゃうんでしょうね。
ファンタジーだと思えばRPGなんかの世界も同列になるわけで、FF(やったことありませんが)も三丁目的な世界もハリポタも並列で・・・。
リンク先の紹介ありがとうございます。
少しずつ読んでみます。
Posted by mitu at 2007年4月19日 12:24
コメントする