2007年3月26日

屈折した片思いとしての団地愛

先日のスリバチ学会は、もちろんフィールドも面白かったのだが、いったん路上で解散してから、残った連中でAXISのカフェに入って、団地妻(小林さんの奥様)も飛び入りお迎えして2時間つぶした、「そのあとの雑談の時間」が非常に興味深かった。その席上で教えてもらったこの本:

僕たちの大好きな団地—あのころ、団地はピカピカに新しかった!

小林さんも編集協力された、「団地愛」なムック。早速購入した。
予想していたよりもずっと手堅くまとめた、資料性もある、よい本であった。「日本における集合住宅の歴史」をざっと知るにもいい入門書だと思う。これからマンションの購入を考えている人にもおすすめ。少し視野を広げたり、マンションの広告にあたりまえに記されているプランの「由来」について考えてみたりするきっかけになるのではないかと。

小林さんいわく、こういう「団地愛」が本になって出る、というのは、少なくとも出版社がそういうテイストというか、ノリに対してポジティブな評価を下した(一定の数のマーケットがあると踏んだ)わけである。時期をほぼ同じくして、「整理公団」の大山総裁らによる「工場萌え本」も出た。これら、団地や工場ばかりでなく、ダムその他、これまで「悪者」「嫌われ者」扱いされてきた施設群に照明があたりつつあるように思う。最近まではこうした施設のファンの「偏愛ぶりを笑う」という受け方がされていたが、ここ近年はその対象物への「愛」自体が共感を呼びつつある(と小林さんは実感されている)。これは、より広い意識や価値観の変化への端緒なのではないか、と。

なるほど。「風景観の変容」自体は、「ポスト工業時代の風景」とか「インダストリアル・バナキュラー」とか「3次自然」とか、景観工学や都市計画やランドスケープの分野でこれまでも議論されてきたサブジェクトではあるが、小林さんらの主張や実践は、それがより具体的で切実であるだけ、議論もイメージもきわめてビビッドである。

ここで、思うことは2つあって、ひとつは「団地的なもの」がどのようにダムや工場のそれと通じているのかということと、もうひとつは、「団地的なもの」がメジャーにポピュラーになってゆくことが、団地愛系の鑑賞者にとってほんとに嬉しいことなのか、ということだ。

団地本にも顕著なのだが、「団地愛」系が注目する物件や建物は、1970年代とそれ以前の物件にほぼ限られているのが特徴的である。各時代の集合住宅を時系列に一望できる資料、たとえば集合住宅博物館あたりを見てみると、その理由が何となくわかる。1980年ごろを境に、建設される集合住宅の「様子」がびっくりするくらい一変している。

端的にいうと、80年代以降、集合住宅は「デザイン」されはじめた。いや、それ以前の物件に「デザイン」が不在だったわけではないが、その用いられ方がずいぶん違う。おそらく、80年代以降、集合住宅が「商品」になっからだ。すごく乱暴に括るなら、それ以前、住宅は「売れよう」とする必要なんかなく、ともかくもある量を供給することがミッションだったのであり、デザインはそのミッションを追うように、その「質」を向上させることに動員されていた(いわゆるモダニズムの『趣旨』はまさにそういうことであるわけで)。団地は「インフラ」だったのだ。

それ以降の「デザイン」を「商品としての付加価値」とか言うといささか語弊があるが、団地的インフラの需要がいったん収束し、集合住宅が「あえて売る」ものになった以上、供給側にとっての「デザイン」はあくまでも「投資」の一部でしかない。一旦そうなっちゃったらもう、後には戻れない。我々はもう、「団地」を建設することはできない。かつての団地のような様子の集合住宅をデザインすることは可能だが、それはあくまで「団地風マンション」である。デザイナーズ物件の流行以降、現代の団地風とも言いうるような、クールなモダン集合住宅が多く売られたが、それは結局、他の選択肢もあったうえで選ばれた「意匠」であり、商品としての「近代的な様子」なのだ。建築家やデザイナーがどんな能書きを垂れようと、それは、見方によってはあからさまな装飾的な記号に溢れた建物よりもずっと巧妙な「媚び」である。団地愛系鑑賞者は、そういう「商品としてのデザイン」にきわめて敏感であって、だから80年代以降の物件にはまったく見向きもしない(大山さんが東雲の住宅をああいう方法で撮影することは考えにくい。それなりに端正な美しい写真になるだろうが)。

インフラ団地が有しているのは、先方が「必ずしもその様子によって愛されようとしていない」という、一種の「素っ気なさ」である。それが、工場や鉄塔やダムやガスタンクにも通じる、「媚びのない佇まい」なのだろう。おそらくこれがキモである。団地愛系鑑賞者は、「団地的なもの」を「風景」として見ている。つまり、「団地愛」はあくまでも「片思い」だということだ。

だとすると、団地的なものを愛でるメンタリティがポピュラーになってゆく、というのは、硬派な団地愛系にとっては、実はなかなか微妙な事態なんじゃないだろうか。なぜなら、ポピュラリティを得た「愛圧」に晒されていると、愛される側がいつまでもそれに無自覚ではいられなくなってくるだろうからだ。

タワークレーンにキリンのペインティングがされたり、工事現場の仮囲いが緑化されたり、橋梁の桁に色が塗られたり、ダムが擬石仕上げになったり、ドコモの鉄塔が擬木化したりと、近年、インフラの「景観配慮型」の「媚び」が甚だしいが、これも無自覚からの目覚めではあれ、それは「団地愛圧」によるものではなくて、小林さんの言う「悪者」「嫌われ者」視に対するリアクションである。
これはこれで団地風景的には大きなダメージではある。マンホール・コレクターの飯田さんなんか、「化粧蓋は敵だ」と言っていた。

でも、団地的存在が団地的風景への熱いまなざしを自覚しちゃうと、化粧蓋的な「嫌われ者からの反省のラブコール」よりも、ずっと深刻なことになってしまうような気がする。件の「団地本」はよく踏み留まっているが、団地的風景はつねに、特にここ最近、昭和三十年代・三丁目の夕陽的ノスタルジーに乗っ取られる危険を孕んでいる。ことに、ポピュラリティを獲得してメディアを通ったりすると、この手の趣味はしばしばそういう安易な物語に還元・回収されてしまう。

団地が団地愛風景的に存続する唯一のありかたは、「無自覚に現役でい続ける」ことであって、それ以外にはない。「三十年代風団地のテーマパーク」なんて、団地愛系がもっともキライなものじゃないだろうか(小林さんのリフォームも、大山さんの撮影も、そういう安直な物語を排除するような方法で実践されている)。無自覚に現役で居続ける物件はそのうちに全部建て替えられちゃうだろうが、テーマパーク化を拒否する限り、それは硬派な団地愛的には仕方ないことである。そしてその跡地には「デザインされたもの」が建ってしまうわけだ。

むろん、無自覚な存在が有する美は、様々なものに見出すことができるだろうけれども、そうやって「片思いを維持する」っていうのは、ちょっとした苦行である。それも楽しみのひとつだったりもするけどな。

とまあ、単なるマニア本ではなく、「風景はデザインしうるか」という古くて新しい問いをふたたび喚起する本でもあって、ラ系の若手諸君はぜひ、手元に一冊どうぞ。なんだったら工場本とセットで。

工場萌え
大山 顕 石井 哲

448780163X
東京書籍 2007-03

(↑こっちはまだ買ってないけど)

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コメント

見ることが作ることに直結できないのは、バナキュラーにしても考現学にしても、結局いっつも同じですね。
それはそれとしてデザインされたものがイヤになる、というのは、面倒ですよねえ。
「デザイン=付加価値」であることがあからさまなデザインケータイがイヤで、かといって現代のプロダクトに「無自覚」なものがあるはずもなく、最後のチョイスとしてわざわざ格好悪い「デザイン」のケータイを選ぶしかなかったりして、もう、わけわからないです。
デザインが特別な付加価値にならない世の中になれば変わるのかなあ。しかしそんな世の中への途上、デザインのインフレ化が進む過程では恐ろしい光景が広がりそうです。

ああそうか、最近の団地や工場や、そういう「オフなものへの接近」は、「デザインのインフレスパイラル」への反動なのかもしれないですね。

インフレの結果「その辺にあるものが当たり前のようにフツーにカッコイイ」てことになるならいいんですけど、どうも「あたり一面が、わざとらしさ、あざとさに埋め尽くされる」てなことになりそうで。オシャレな人ってダサいし、デザインってちょっと格好悪いよね、などと非生産的なことを思ってしまいそうになりますです。

「あたり一面が、わざとらしさ、あざとさに埋め尽くされる」ってのは、それは急速にかつ大規模に進行中だなあ。北京で。

>「団地愛」系が注目する物件や建物は、1970年代とそれ以前の物件にほぼ限られている

多分、ナウい(w)方々にとって、独特のカッコ悪さに満ち溢れてるんでしょうね。

>我々はもう、「団地」を建設することはできない。かつての団地のような様子の集合住宅をデザインすることは可能だが、それはあくまで「団地風マンション」である。

実に結構なことですよ。
団地を見ると、
「ああ、昔の日本って、実は”東側”の国だったんだ」
と思うね。心の底から。

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