2007年2月19日

フリープランの「フリー」

今回、建築家によるプロジェクトを断念して僕らが選んだのは、土地を造成して販売する会社がセットで建ててくれる、「ご一緒にポテトはいかがですか」という感じの住宅である。
この「バリューセット」の利点は、なにしろ全体の費用が激減し、住宅の値段がそれ以外の方法では実現しないくらい廉価になる、という、その点に尽きる。土地の値段も下がるし、土地と住宅と、別個に支払うはずだった様々な経費が軽減される。ローンの支払いと現在の賃貸住宅の家賃と二重払いする期間もほぼ発生しない。地盤調査も確認申請もその他もろもろの諸手続も「込み」になる。これは、経済的にも心理的にもかなりの負担軽減である。

一方で、この選択によって決定的に失うものがある。

僕らは、自分たちがいま、どういう場所にどう住んでいるか、これからどうしたいと考えているか、という最低限のプログラムと、僕らなりに把握した、地域の環境を含む敷地の状況とを建築家に預けて、あとはどんなアイデアが出てくるか、それをこそ、楽しみにしようと思っていた。

よく書店の住宅関係のコーナーで見かける「こんなに安価に、夢の自宅を新築した」系の「施主本」には、建築家に任せておかないで、ほんとうに自分が欲しいもの、やりたいことを明確にして、積極的に関与せよ、というような主張がしばしば書かれている。もちろん、施主が設計に関わる度合いというのは様々にありうるし、それについてとやかく言うつもりは毛頭ないんだけど。でも、別に特に持ち上げて言うわけじゃないが、やはり、建築家は僕らの知らないことを知っているし、僕らに見えないものが見えているし、僕らに届かない「飛躍」をする。少なくとも僕の見知る範囲で建築家を自称する人たちはほぼ例外なくそういう資質を持っている。僕らが建築家に期待したのは、その「解釈」と「飛躍」の物体化を目撃し体験したいということだった。僕らの場合、必要なのは「住宅建築のリテラシー」ではなく「自分たちが依頼してみたい建築家を見出すリテラシー」なのだった。というか、新居プロジェクトの「建物の部分」についての期待はほとんどこの一点でしかなかったため、これを断念した段階で、自宅の「建築物」に対する、その側面での情熱はほぼ完全に消滅してしまった。

ただまあ、そうは言っても小さい買い物ではないし、これからけっこうな期間住むわけではある。
今回の物件は、厳密には「建て売り」ではなく、「条件付きフリープラン」という、いわゆる「売り建て」である。当初、「参考プラン」という平面図が販売パンフレットに描かれていて、それが建物の値段の「基準」になる。
仲介している不動産会社のエージェントに電話。いったい「フリープラン」というのは、どこまで「フリー」なのか。

先方:「えーそれは、法令の範囲であれば」
僕:「法令ってのは、建築基準法?」
先方:「えー、そうですね」
僕:「ということはつまり、建築基準法にのっとっていて、当初の構造にのっとっていて、標準の仕様を使っていれば、基本的にどういう間取りでも平面でも可能だ、とそういうこと?」
先方:「えー、基本的にはそういうことですね」

言ったな。エージェント。それがどれほど選択肢を広げるか、おまえには想像がつくまい。(←これは、実際は結局、きわめて限定された選択肢しかありえないことを、すぐ後に思い知る羽目になった)

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://fieldsmith.net/mt/mt-tb.cgi/614