2006年9月18日

移動図書館的鞄

ここ数ヶ月、主に雑誌の記事の執筆依頼を立て続けに頂いていて、ずっと隙間なく「締め切り前」という状態が続いていたため、電車や飛行機の中で本を読む機会がほとんどなかった。どれもたいそうな論文なわけじゃないが、小さくても締め切り前の原稿を抱えていると、なんだか緊張してしまって、空き時間があるとメモやPDAを開けて考え込んでしまうのだ。それでも、書店(オンライン/オングラウンド両方とも)の前は素通りできず、つい、ほとんど定期的に本は買うので、自宅の書棚と通勤用のカバンには、記録も整理もないままに、あとで読むつもりの本と少し読んだ本と忘れかけの本と読み中の本が錯綜している。毎日、拷問のように重い。移動図書館になったような気持ち。

・四方田犬彦「「かわいい」論」ちくま新書、2006

これは一気に読んだ。これはネタ満載だ。それと、著者の四方田氏の文章が感動的にうまい。真似したくなる。ちょっと間を置いて再読しないと。

「かわいい」に関しては、以前、ガーデニングに関する文章を書く必要があったときに、少し調べようとしたことがある。もともとの意味ではなく、90年代半ば以降に日本でいささか変容した意味での、いわゆる「ガーデニング」が帯びている独特のスタイルについてである。イギリスのコテージガーデンとアメリカのコロニアルスタイルを模して混ぜたみたいな記号が散りばめられ、コビトの置物が出現したりする、あれはデザイン論というより文化人類学的題材なんじゃないだろうか、と思ったのだ。

こういうの、少し真面目に考え始めると止めどないが、僕がたまたま読んだ中では、イーフー・トゥアン「愛と支配の博物誌」と、「美術手帖」96年2月号「かわいい」特集に掲載されていた、松井みどり「偏愛のマイクロポリティクス 逸脱の記号としての「かわいらしさ」」が面白かった。

それで、その「美術手帖」を引っ張り出してきて開いてみたら、その特集に原研哉氏がコラムを寄稿されていた。

 僕は「かわいい」をデザインするのが苦手である。こういうふうにいってはなんだが、僕がやるとどうしても「かっこいい」になってしまう。「かっこいい」でいいじゃないのと思われるかもしれないが、ある意味で「かっこいい」は嫌われ者である。だってかっこいいんだもの。
 デザインというのはそもそもベクトルが「かわいい」のほうに向いていない。「スルドイ」とか「厳しい」のほうにはときどき向くのだけれども。・・・しかし近頃ではこの「かわいい」がいつのまにか幅をきかせはじめていて、「かっこいい」が「かわいい」に負けたりすることもしばしばである。「かわいい」には「かっこわるい」が少し含まれているわけで、穿った見方をするならば、これは実は姿を変えた「かっこわるい」の陰謀ではないかと考えることもできる。
 ある筋の情報によると「かわいい」は平安時代に発明されたものであるらしい。その当時は「をかし」と呼ばれていたということだそうだ。・・・

「枕草子」については、四方田氏がおんなじことを(それが起源だとは言っていないが)書いている。
いやまったく冴えてる原研哉さん。

・神門善久「日本の食と農 危機の本質」NTT出版、2006

全国のラ系諸姉諸兄に心から告ぐが、これは必読だ。特に里山族。
またのちほど。

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コメント

はじめまして
僕は「かわいい」は「崇高」の対概念だと思ってます。
そう考えたら、いろんな整理がつきました。

なるほど。そういう言い方も確かにありますね(これだけだとちょっと抽象的ですが)。

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