2006年7月25日

日本橋2.0

日曜日。
東京ピクニッククラブの、恒例「アニュアル・ピクニック」@皇居外苑。
週末の雨天が続いたため、期日が延びに延びて、異例の「夏ピク」になった。
しかしまあ、アニュアル・ピクニックの案内をもらうと「ああ、もうそんな季節か」と思う。花見や花火大会みたいに、なんだかすっかり「風物詩」になった。

ピクニシャン・太田浩史さんに、10+1最新号「都市景観スタディ」について、ちょっと話を伺った。

太田さんの論文、「景観の先を見よ」は、特集記事の最後に掲載されている。

太田さんは、たとえば五十嵐太郎さんもしばしば論じている、日本橋を跨ぐ首都高の移設問題について、これを景観の美醜の問題として(醜いと断じるにせよ、それに反発するにせよ)捉えるのは見当違いなんじゃないか、という。いささかでも東京を「よく」しようという気概のもとに日本橋へ向かうなら、課題は何よりもまず、リアルな日本橋川がどのようであれば都市空間と環境と生活を豊かにするか、ということであるはずであって、それをイメージできるのがプロ(の建築家)ってもんだろうと。

それはそうだ。「東京キャナル」だって、それをやろうとした(している)のだし(成功しているかどうかはともかく)。たとえ「自分が生まれたときからそこにある」高架道路であっても、その先に「こうだったら素晴らしい」を思い描いて、それを伝達可能な形に表現できる、そういうスキルを建築やラ系は持っている、はずなのだ。

議論が逸れてしまいつつある原因として、首都高の整備計画や景観法に関する基礎的な知識の不足だとか、「日本橋」というベタにリアルな場所の話を「国家が強いるオフィシャルな美への批判」というメタな話にしてしまう「心理」だとか、を太田さんは挙げている。そして、結語で「都市の設計に参加しよう」と呼びかける。

論旨は明快、というか、きわめて「まとも」な主張である。しかし、特集を頭から読み進んでいくと、最後にこれが出てきて、目がさめるような思いがする。僕は思わずコピーして、職場の若い連中やバイトに来ている学生たちに配ってしまった。反響がすごい。一人なんか、夜中にケータイに「感動しました」というメール送ってきた。

「(景観の)美は方便である」と太田論文にはある。たしかに、目指すところは「美しい廃墟」ではないだろう。でも、ベタな日本橋の「地元さ」も、そこが「天下の日本橋」なのだという誇りを抜きにしては成り立っていないし、実際の物事はけっこう複雑である。僕自身は、五十嵐太郎さんが「景観を笑う」や、今回の10+1掲載の「景観は記号ではない」で述べている危惧は理解できるし、共感するところも多分にある。ことに、僕らのような「屈折ラ系」は、「パストラルの古傷」がカユくて、心情的に、つい相対化に加担する傾向がある。そのへんの「開き直り加減」が僕自身の問題ではある。でも、太田さんも、今回は五十嵐論文を「足がかり」にしてはいるけれども、その趣旨を否定しているわけではない。たぶん、むしろ太田さんが不甲斐なく感じているのは、「景観を笑う」を読んで景観法を理解したと思っていたり、篠原先生の首都高論を読んで交通システムを把握したと思っているような人たちであり、何も声をあげようとしない同世代や、もっと若い建築家たちに対してである(声が上がらないことに焦れているのは五十嵐さんも同じだと思う)。

そういうわけなので、特にラ系諸姉諸兄、ぜひ10+1最新号を買ってください。上記だけでなく、面白い記事満載。中谷さんの「民家」も始まったし。(書店の本棚に、前号が置いてあったら、ついでに買ってもいいし)

テフロン・キッズ

職場に泊まり込む(もう『徹夜』というのはできない)ような1週間が過ぎて週末。

土曜日。新しく担当することになった物件の敷地の視察に、都内某所へ出かけた。

その地区は、コミュニティがタイトというか、地元住民の皆さんが地域の環境・風致に対する高い関心と鋭敏な神経を共有していて、新しく建設されるものに対して非常に口うるさく介入することで有名である。このプロジェクトは、反対運動までは起きていないものの、すでに概要は近隣に周知されていて、敷地は事実上、地元住民の「監視下」にある。そういう場所へ、デジカメなんか首から提げてのこのこ出かけてゆくという。

サメの海へボートを漕ぎ出すような気分。

そこで、子供(長男3歳10ヶ月、長女2歳1ヶ月)を連れて行くことにした。

娘を抱っこして息子の手を引き、建設予定地の周りをぐるぐる歩きながら、通行人とすれ違うたびに、「お、これはシラカシだぞ。あの高いのはケヤキだな。生け垣がドウダンだなあ。ちょっと写真撮るから、そこに立ってくれ」

2006年7月17日

地しるべ図

Motoe Lab, TU: 地図と道標

地図と道標が一枚の画面に共存しているサインをデザインしている。 たいへんに難しい。

おなじ道案内であっても,地図と道標とでは表象の形式が全く異なっているってことをあらためて思い知る。

これは悩ましい。というか面白い。というか、期待大。
これはそのまんま、「グラウンディング」の中心課題のひとつだ。

最もシンプルで端的な道標は「右・上野、左・本郷」みたいなやつである。現代の都市では、最も普及していて頻繁に目にする「道標」はたぶん、道路の交差点にある、地名と矢印の入った標識だ。「道標」は「道」を媒体にした、その地点における土地と「私」とのシークエンシャルな関係を示唆する装置である。だから、道標は現実の地表にあって、それが「どこ」にあるかということが重要である。その「地点」の固有性こそが、道標を「道標的」たらしめている。本質的にメタ情報であり、携帯可能な「地図」と道標が異なるのはそこである。

カーナビでは、交差点の拡大透視図みたいな画面と、現在地を地図上に表示した画面に分かれて表示するものがあるが、「道標」と「地図」を無理にくっつけると、あの見にくい「フレーム表示」みたいな画面になるのだろう。

いや待てよ、駅前広場や地下鉄の出口によくある「現在位置」が示された地図はどうだろう。あれは「地図」だが、けっこう「道標側」に寄ってるな。道路標識も、首都高の入り口にある、高速の路線図のダイアグラムに近いものはわりと「地図」的だ。

関東学院のデザインスタジオの課題にしてもいいくらいだなあ。
「対象となる街区について、そこを案内する、地図的なものと道標的なものを同時に表示するサインをデザインせよ」
・・・いやこれは課題にするには難しすぎるな。

「調布ブログ」

オプトハウジング・プリゼンツ、調布ブログ

調布を探検し紹介するblogはいくつかあり、たけ@ちょうふがその筋では(どの筋だよ)有名なのだが、こちらの「調布ブログ」は調布駅近くで営業している不動産屋さんのスタッフが交代で書いているもの。
実は、僕が現在住んでいる借家はここの仲介で借りた。
特に、庄司崇さんというスタッフの記事が、僕ら方面の興味に通じるものがあって、注目中。

2006年7月15日

man/hole on a sidewalk

山東省煙台市にて。

いつものように、歩道と対決するマンホールを眺めながら進む。
↓マンホールと設備の蓋と街路樹の三つどもえの戦いのため、歩道上に人が歩く余地が消えてます。
しかたなく、「マンホールと街路樹をよけて」車道を歩く羽目に。


と、いきなり、下水道マンホールの「水源」にあるべき装置が路上に。


(何かがぎっしり入っている様子でしたが、コンテンツを確認するガッツがありませんでした)

坂道煙台

火曜日から金曜日まで中国へ。

今回は、珍しく一人でなく、(組織表上はいちおう『部下』という体裁の)K池くんと2人。いやしかし、プレゼンテーションにしろ、実施設計の打合せにしろ、こちらが「2人いる」というのはほんとに楽だ。仕事の効率がぜんぜん違う。とはいえ、それにしてもやはり時間が足りない。どーしてこう、したいこととしないといけないこととできることとのバランスは、常に合わないのであろうか。いや、仕事を頂けるのは有り難いことだ(←泣き言の社会人的表現)。

出張2日目、天津のホテルをチェックアウトしようとして、財布が見あたらないことに気がついた。
前の日、ホテルにチェックインするときには手に持っていた記憶があるが、そのあとどうしたか、まったく覚えがない。部屋も荷物の中もひっくり返して探したが、出てこない。同行していた通訳嬢が、もしかしたらエレベーターで掏摸に遭ったかも、という。30分ほど探した末に、半ば諦めて、カスタマーサービス番号へ電話してクレジットカードを止めてもらい、さらに妻に国際電話をかけて、銀行カードを停止してもらった。

そうしたら、夕食を摂ったホテルのレストランのテーブルの下、テーブルクロスに隠れて落ちていたのを、従業員が見つけてくれた。なんという間抜けな。やれやれ。
ほとんど総出で探してくれたんじゃないか、と思うほどの対応をしてくれた天津のホテルの皆さんありがとう。カードを無駄に止めちゃったが、まあ仕方ない。三井住友ビザの電話対応も迅速で的確で助かった。銀行カードも素早く処理してくれた。でもこれで、大学生のとき、生まれて初めて自分の名義で銀行口座を開設して以来、20年以上も使っていた、クマのパディントンのイラストの入った、ほとんど年代物のバンクカードともおさらばだ。

今回は、初めて「煙台」という沿岸の街を訪れた。海岸に向かって傾斜する土地。中国の仕事では、これまで、ほぼ平らな土地の都市しか見ていなかったので、坂道がやけに新鮮だった。ここも対外経済開放都市で、都心部では激しく再開発が進んでいる。それに荷担しておいて言うのもなんだけど、共産党時代(いや、いまでも共産党時代ではあるんだけど)に建設された、埃っぽい古めかしい集合住宅が密集している、歩道にテーブルと椅子が出されて、シャツ姿の老人達が昼間から座り込んでお茶を飲んでる、そういう地区の方が、外タレ建築家を使って派手に作ったショッピングモールやタワーマンションの並ぶ大通り沿いよりもずっと魅力的に見えてしまうのだった。いや、ありきたりな結語だな。

2006年7月11日

時間が足りん。ぜんぜん。

■コンフォルトの最新号、特集「庭のめぐみ」

を編集部から送っていただいた。特集記事のひとつ「駐車庭」を執筆したので。

今号は表紙からして、もう全編まともな「庭!」という感じの特集であって(プランタゴとか、もとイデーの塚田さんとかが手掛けた庭がずらっと掲載されている)、どのページも渋くしっとり湿っている。僕の記事の非・まともさがちょっと浮き上がっているが、ううむ。しかし、僕自身の今回のヒットは、編集部から問い合わせてもらったら、速攻で写真を送ってきてくれたザハ・ハディドさんであった。ザハ・ハディドさん万歳。

■10+1最新号、「都市景観スタディ」

特集記事のなかの「キーワード」をお手伝いしたのだが、それはまあそれとしても、今号は「買い」だぞ。各方面。とりいそぎ。

■シライくん、トシコさん、おめでとう。

よい結婚式でした。

スピーチを頼まれて、「映像を上映する、みたいのでオッケーならやるよ」と安請け合いし、披露宴でまるで2次会にやるみたいなパワーポイントのプレゼンをしてしまった。冷や汗をかいた。新郎新婦も含めて、会場が笑ってくれたので助かった。。

あとから、「あの人、ちゃんと仕事してるのかな」と言ってたやつがいた、という話を聞いたが、仕事は仕事でちゃんとやりつつ、役に立たないシャレみたいな作業も手を抜かずにやるのがプロなんだよ。こんなバカなことに時間を費やしていたら、きっと仕事に差しつかえているはずだ、と思ってしまうのは、お前のキャパシティが「そこまで」だからだよ。わかったか。(←居直り)

■明日からまた、中国大陸へ出張してきます。再見。

2006年7月 3日

男女不同席。

久しぶりに、朝の通勤ラッシュ時間帯に京王線に乗る羽目になって、ふと、それまで乗ったことがなかった「女性専用車両」に乗ってみた妻によると、車内の様子は、「網棚の上に、ずらっと可愛いバッグがキレイに並んでいて、まるでデパートの売り場みたい」で、「けっこう混んでいたのに、すごく静か」で、さらに「みんなハイヒールを履いてるから、電車が揺れるたびに、カタカタカタ、カタカタカタ、と車両中でヒールの音がした」そうである。うう。乗ってみたい。

「優先座席」の存在が、逆に「非優先座席におけるマナーの低下を招く」という議論もあるが、いや、というか、そもそも乗客に「見ず知らずの他人と身体を押し付けあって1時間」という「苦行」を強いているくせに、車内のトラブル回避を乗客の「道徳的振る舞い」に期待するのは何か根本的に間違ってるんじゃないか、という議論もありうるが、僕自身は、「女性専用車両」の存在意義はそれなりに認める。そういうのがあることで、非常なストレスから解放されて電車に乗れる人がいるなら、それはそれでいいことだ。

いっそ、「痴漢専用車両」というのも作ったらどうだろう。運賃に5,000円くらい上乗せしないと乗れないが、車内には高給で雇われた「プロ」の女性があらかじめ何人も乗っている。日替わりで「OLの日」とか「お金持ち奥様の日」とか「外国人女性の日」とかがあって(略)

個人的には「酩酊者専用車両」があって、酔っ払いがみんなそれに乗ってくれると有り難い。車内でさらに飲んでもいいし、吐くのも可。「ガキ専用車両」があってもいいな。乗っていいのは10代後半から20代前半まで。大音量ヘッドホンも、電話もゲームも飲食も何でもOK。座席はなし。床に座ってよい。駅に到着しても、ドア際に立っていたりしてよい。お互いに突き飛ばしあって乗り降りする。金曜日の夜とかに、ぜひ運行してほしい。明大前ー調布間あたりで。

ところで、渋谷昌三「人と人との快適距離—パーソナル・スペースとは何か」(NHKブックス、1990)によると、同じ型のエレベーターに人を詰め込んだ実験で、男性だけが入った場合よりも、男女が混ざっているほうが、より多くの人数を収容できたそうである。それは、多くの男性の体形が、横断面的に「横に広く」、女性は「円筒形」だからなのではないか、ということそうだ。つまり、大豆と米を混ぜたほうが2種類を別々に袋に入れるよりも多く入るのと同じ理屈。たぶん。