2006年6月29日

世界の中心を眺めた福沢先生

七転八倒のすえ校了した「セヴェラルネス」書評が掲載されました。

10+1 web site|テンプラスワン・ウェブサイト

いやしかし、僕はほんとに「書評」なんぞ書く柄じゃないな。ということを再び自覚した先週であったのだが、このためにまたこの本を持ち歩いて、何度も読み返す機会を得たのは収穫だった。最初に、いかに杜撰な読み方をしていたかということもわかったし。この件、もうすこしフォローをこちらに書く予定。


木曜日。
田中浩也さんに呼んで頂いて、慶應義塾大学・湘南藤沢キャンパスで「デザイン言語」講義。

音楽ホールみたいな大教室で、スクリーンに画像を映しながら、マイクで喋る。履修学生は、少なくとも200人くらいは居たんじゃないかと思う。ほとんど全員が卓上にノートPCを広げて受講してる。SFCならでは、というか、ちょっとした光景だ。

「講義」の内容は、10+1「グラウンディング」のために仕込んだネタ(理論編)と、団地ナイト向けに作ったネタ(実践編)に、先々週の「SFCフィールドワーク」の成果を加えた、つまり、いつものとおりの「持ちネタの組み合わせ」。でも、学生さんたちの反応も(少なくとも演壇から見る限り)上々だったし、楽しんでもらえたようで、ほっと胸をなで下ろした。やれやれ。

講義の後、担当教官の田中さん、中西康人さん、(脇田さんがたまたま不在だった。残念)それと他の講義でちょうど来塾してた佐々木一晋さんも合流してくれて、なんかいかにも「そっち系」のメンツ4人で、キャンパスのカフェで一息入れて帰ってきた。

この講座は、履修者は毎回、出席票に講義の感想を書いて提出して帰るということになっている。回収した出席票の「山」を見せてもらった。なかなか好評で、しかもたまに、こっちが期待した以上に「掴んでる」子を発見したりもし、「先生業の醍醐味」の片鱗を味わった。ふっふっふ。田中さん中西さんありがとうございました。帰路、駅まで佐々木さんが車で送ってくれて、竹林コンサートのお話を伺った。うう、聴いてみたい。

以下、追加伝達。

  • GPS受信機は、楽天で「GPS」と検索するとぞろぞろ出てくる。手軽なお勧めはGarmin社製の「GEKO 201英語版」なのだが、これはPCとUSB接続ができない。8千円ほど高くなるが、GPS60英語版のほうがいいかも。
  • Kashmir3Dは必携。ただし、ソフト単体をインストールしても、表示する地図/地形データがないと何もできない。基本的な地図データが入った付録CDつきの「オフィシャル」入門書があるので、これを買ってインストールし、その後オンラインでソフトだけ最新バージョンにアップデートするとよいと思う。
    Amazon.co.jp:カシミール3D入門—山と風景を楽しむ地図ナビゲータ: 本
  • 「福沢先生は世界の中心に目を注いでいる」はぜひ、SFCのトリビアに。
  • 感想文に「福沢輪吉」と書いた何人かのキッズは、塾生として深く恥じ入るように。

    追記:いや、
    講義中にブログ書いてても
    いいんだが、せめて「過去形」で書いてくれ。

  • 2006年6月22日

    いくつかのメモ。

    火曜日。
    夜、日建にお邪魔して、「新建築・ランドスケープ連載」会議。遅い時間にしていただいたにも関わらず、その前の仕事の会議が長引いてしまい、1時間以上遅刻した。

    いろんな話が出たが、なんか、「建築雑誌にランドスケープのタイトルで書く」という気構えのもとにいると、なんとなく自分たちが「ランドスケープ代表」として「いいこと」を言わないといけないような気持ちになってしまい、実に政治的に正しい発言をやたらとしてしまった。。。

    編集長に、今月号に掲載されたプロジェクトの「批評」記事の執筆のオファーを頂いた(即座にお断り申し上げた。。)。ともかく、「赤字」を解消してゆかないと、俺の人生スケジュールは破綻するこのままでは。

    会議後、居酒屋へお誘い頂き、メジャーな建築メディアの、いろいろと面白いお話を伺える予感もしたのだが、現在、自宅では水疱瘡に罹患した乳幼児が2人も寝ているために、失礼して帰宅。


    木曜日。
    締め切りから35日遅れで原稿をひとつ提出。
    遅れた割には、ううむ。「冴えた知的なテキストがすらすら書ける飲み薬」がほしい。
    (原稿が表に出たら、『フォロー』をこっちに掲示することにしよう)


    スケッチ・オブ・ザ・デイ:「けやきひろば」再考

    御意。
    そうなんだよな。僕も、あれはちょっとどうかと思うところもあるが(なんか、コンペ時、W御大はケヤキをして、ローカストか何かみたいな明るい木陰の樹木をイメージしてたんじゃないかと邪推したり)、生き物を扱う作法に悖る、なんぞという、聞いたような風なことを若い奴が言うのを聞くと、黙れ、てめーが言うことじゃねえ、と思ってしまう。またそれで、描けない奴に限ってそういうことを言うしな。

    とはいえ、将来のいつか、ケヤキを「交換」する、樹木の世代交代のときが、あの広場(と名付けられた施設)の「第2の試練」になるだろうなあ。と思う。たしかに「使う人に開かれた」空間の作り方ではあるけれども、「多目的という厳格なプログラム」になっちゃっていないかどうか、は微妙なところかもしれない。クリスマスの飾り付けなんか、けっこう苦労してる様子だったし。植栽の更新や部材の取り換えが「アナスチローシス」を召喚するような事態にならないといいけど(←頭の中が完全に「セヴェラルネス」化している昨今)。


    ■追記。

    作品メモランダム - セヴェラルネス

    中谷さんのblogで紹介されていた書評。
    これはまた冴えた書評。いい文章だなあ。
    みんな読んで、買いたくなるといいなあ。
    と思ってサイトを辿っていったら、おお、「心脳問題」の著者のお一人じゃないか。
    チェックが遅い>自分

    2006年6月19日

    フジグラ(グラウンディング@湘南藤沢キャンパス)

    先週後半。
    「コンフォルト」の記事の校正を返送。
    その後、別な編集部の編集長から、締め切りを一旦1ヶ月も延ばしてもらったうえに、更に遅れている原稿の催促の電話をもらう。加えて、また別な企画案の相談。
    「新建築」の記事の当番もそろそろ回ってくる。
    もういい加減、こういうのやめにしないと、こんなペースで秋から大学の演習が始まっちゃったらもう、ほんとに身動きが。>自分

    日曜日。
    再来週の、SFC「デザイン言語」の講義資料(というか演目ネタ)の収集のため、慶應・湘南藤沢の田中研へお邪魔した。小雨降るなか、田中さん、池田さん、および飛び入り参加してくれた履修学生さん2人、GPS受信機やノートパソコンや加速度センサーやデジカメを身にまとってSFCをぐるりと歩き回った。お付き合い下さった皆さんありがとう。

    もともと、わりと深い谷津が入り込んだ丘陵であった土地に、槇文彦氏が注意深く、敷地の起伏を活かしつつ建物を配置した、SFCはなかなか面白い地形をしている。今回は、ここが開発・造成される前の、1978年の航空写真「だけ」を地図にしてキャンパスを歩くことにした(グラウンディング用語でいう「時間差散歩」)。

    写真を表示してGPSを接続し、リアルタイムで現在位置と軌跡を描画しながら、空撮に写っている農道を辿る。地表に時間の厚みが加わって見える。行く手を阻まれ、建物をよけて回り込んだりすると、パソコンに映った「30年近く昔の地面」のうえに現在の施設の輪郭が浮かび上がってくる。歩き回る自分を介して、土地の過去と現在、実際の地面と地図、といういくつもの「重層」がスパークするような、不思議なフィードバック体験ができる。これは、技術や手法をもっと洗練させたら、とても面白いワークショップになりそうだ。ただ、SFCという場所柄、それほど奇異に見られなかった(と思う)が、装置の「身につけかた」をもう少し工夫しないと、街を歩く格好としてはかなり怪しいことに。

    2006年6月16日

    いくつかの通勤本。

    先々週。
    朝、現場に立ち寄ってから出社すべく、電車に乗ろうとしていたら、千葉大のキノシタ先生からいきなり電話がかかってきた。「お薦めされた、中谷礼仁さんの『セヴェラルネス』買って読みましたが、素晴らしいですね!あれ。」というのが用事だった。おお。そーでしょうそーでしょう、どの章がお気に入りです?「弱い技術」ですか。僕は「自尊心少年」ですねえ。桂離宮もいいですよね。そーだ、今度ラ系の有志集めて読書会しましょうよ、などと、盛り上がってしまった。。。朝の川崎駅のホームで。

    今週。
    久し振りに、いつもより少し早めに仕事を終えた平日、帰路、思わず書店に立ち寄った(締め切りすぎてご迷惑をおかけしている原稿もあるんだけど。。。本屋が呼ぶのだ)。

    建築のコーナーに、「マゾヒスティック・ランドスケープ—獲得される場所をめざして(学芸出版社、2006)」が出ているのを発見。
    「LANDSCAPE EXPLORER」というグループが編集した本。

    大阪での造園学会のおりに、グループのひとり、クツナさんから「進呈します」というメールを頂いていたのだが、当日、うっかりもらい損ねて帰ってきてしまった。せっかくなので、関西のラ系集団の熱心な活動にいささかでも貢献すべく、一冊購入。帰りの電車でざっと読む。

    ・・・こ、こりゃダメだ。これはつまんないぜクツナさん。どうしてこんなことに。

    「前書き」のテキストは、ほとんど意味不明(理想に燃えてるっぽい『確信』だけは伝わってくる)。フィールドワークも、提案されているプロジェクトも、惜しいというか、なんか学部2年くらいの課題みたいだ。

    「マゾヒスティック・ランドスケープ」なんていう扇情的なタイトルは、こう、たとえば都市に痛めつけられる、けどそれを倒錯的に嬉しむ、みたいな、ちょっとキレたランドスケープ論か何かかと思わせるが、そういうことではなく、使い手の関与によってその意味や形態を変容させもするような場所のありかたのこと、のようである。逆に、一義的に使い方を強いる空間のデザインを「サディスティック」と呼んでいる。

    それはいくら何でも、用語の使い方が変じゃないか?というか、どうして普通に「ランドスケープ」じゃいけないのだろう。だって、「ランドスケープ」って「そういうもの」だろう。そもそも。問題意識はわからなくもないが、それっていま、そんなに「問題」なんだっけ?

    使い手に対して、ある行動を強いるとか、制限する、というような観点からなら、近年の「環境管理型権力」の議論だとか、「ランドスケープ的スキル」がそういう環境の創成と洗練に「荷担してしまうこと」だとか、もっと掘り下げるに足る話があるだろうし、「使い手の関与」に関してだって、それこそ「弱い技術」的に、もっと「作り手」と「使い手」なんていう区分けを揺さぶるような事例の発見や考察があるだろうと思うが。

    いや、集まってわいわいやってる議論の場では、もっと面白い話題や視点がバシバシ出ているのかもしれない。えてしてそういうものだけど。でも少なくとも、「今さら」感漂うこの本には落胆した。と記録しておきます。
    今後に期待、ということで。

    2006年6月14日

    あるまじき人間。

    とりいそぎリンク。
    ほんとうのアルマジロ人間
    小野弘人氏ご本人によるログ。

    中谷礼仁・記録・2004-, Nakatani's Blographyで知る。

    決して無関係ではない分野で仕事している者として、ここで問題になっているようなことが、下手をするとまかり通るような、そういう「空気」は想像できる。こういう議論が喚起されることは良いことだ。一方の言い分しか読んでいないわけだから、本当は迂闊には言えないが、といいつつ書いてしまえば、小野氏支持。

    掲載されている、岡崎乾二郎氏の「意見書」が素晴らしい。不謹慎だが、このテキストだけ読ませたい人がいっぱいいるな。

    街中、イングランドの旗だらけだったな。

    ほぼ1週間のイギリス出張。

    ある仕事で、主に庭園の事例見学と資料収集に、空港でレンタカー(VOLVOのステーションワゴン)を借りて、850マイル走破。東京から福岡くらいの距離。ほとんど、ラリーのごとき旅行であった。

    以前に見に行ったこともある庭も含めて、個人邸のコテージガーデンから地平線まで拡がる風景式まで、8つくらい見学した。あらためて訪れるに、やはり「風景式クラシック」は良いと思った。ケントのオリジナルのRousham houseとか、ブラウンがダムで湖を作っちゃったBlenheim Palaceとか、その雄大な規模や構成もさることながら、庭園の作る風景に横溢する「本気さ」に打たれる。

    あと、久し振りに、文字通り鳥肌が立ったのはHestercombe Gardens。20世紀初頭の、ジキルとラッチェンズの傑作。庭園のサイズとディテールのさじ加減も絶妙だし、あれは素晴らしい(あそこでずっと生活していたらちょっと疲れちゃうかもしれないけど)。

    それらに比べると、近年、イングリッシュガーデン・ファンのほとんど巡礼地になっているヒドコート・マナーなんて、こう言っちゃなんだけど、やはり所詮イギリス・コンプレックスのアメリカ人の素人が作った庭である。ボーダー花壇はキレイだが、様式なんか折衷で、やたらとノスタルジックで、全体になんとなく「思わせぶり」な感じがするし。

    もっとも、僕らが(特に日本で)「イングリッシュ・ガーデン」という場合、通常はこの「ヒドコート以降」のコテージガーデンのことを指す。この、中産階級好みの個人庭園のスタイルは、もしかすると200年前に自然風形式が与えたのと同じくらいの影響を世界中に与えているかもしれない。ラ系の造園史では、ヒドコート以降はばっさり無視されている。もし、「コテージガーデンて何?」というラ系学生がいたら、赤川裕著「英国ガーデン物語」(研究社出版、1997)を参照のこと。

    イギリスは左側通行だし、高速道路は無料だしおおむね空いているし、街と街の間の風景は大らかで快適だし(つまり『移動』があまり苦痛じゃない)、車で旅行するのが楽しい国である。でも、ラウンドアバウトの罠に何度も引っかかって道を間違えた。なんとかならんのか。あれ。

    帰国してから、在ロンドンの若者・TAKから「ロンドンで会いませんか」というメールが入っていたのを発見。すまん。TAK。でもどっちみち、ロンドンには30分くらいしか居なかった。

    あと、ヒースロー空港のあのロビーはなんだ。間違ってショッピングモールへ紛れ込んだかと思ったじゃないか。。。