2006年5月31日

走り書き

うう、忘れないうちに走り書留め。

・農大、演習

先週、農大の造園、学部3年の設計演習の中間発表会へ、ゲスト講評者として読んで頂いた。他に「民間/若手」として、日建の平賀さん、オンサイトの戸田さん。なんか、「いつものメンバー」化しつつあるような。

プレゼンテーションはまあ、それなりに玉石混淆。冴えたものになりそうなグループも、顔洗って出直してこいグループもあり。多くのグループが地形解析にKashmir3Dを使っていたのが印象的だった。誰が普及させたんだ?農大で。

・ニコ通

中谷さんから(アセテートから)「ニコニコ通信」を送って頂いた。
これは驚くべき本で、中谷さんの警告どおり、僕は電車の中で何度も声を出して笑ってしまった。
なんというかこう、じつに励みになる本だ。「セヴェラルネス」に続いて「ニコ通」のセールスマンになってしまいそうな予感。国分寺のお店に行きたい。

考えてみたら、「古道具」というのは、まさに「転用」の「事物」であって、国分寺のニコニコ堂の店先にはセヴェラルネス・ガス出しまくりのジブツが所狭しと並んでいるに違いない。単体で「愛でる」ものを買うんじゃなくて、2つか3つの小道具の「意外な組み合わせ」を見つけて、セットで買うのがコツだなきっと。いくつか性を味わうためには。

・イギリス

英国へ出張の準備中。行きがかり上、僕が旅程のアレンジをしているので、旅行代理店になったような気分。

旅程をあーだこーだ考えつつ地図を眺めてみると、イギリスというのは、狭い国土に、多様な、それぞれキャラの立った都市や地域がひしめいているという点で、なんか九州に似ている。日本は狭いと思いがちだが、イングランドの「密度と濃さ」に比べると、関東平野なんてスカスカだ。

2006年5月25日

メモ

・大阪。造園学会。「東京郊外撤退計画」。
・大阪。中谷氏とお会いし、お手伝いすることになったプロジェクトの打合せ。ゼミの学生さんらは皆優秀そうな聡明な感じで、接していると嬉しくなる。僕は持参した「セヴェラルネス」にサインをもらった。セヴェラルなパスのイラストつき。「建築は国家より古い」。
・大阪の空気について。

・来月も海外出張が続く予定。
・なんだか、自分の寿命を縮めてるみたいな忙しさ。
・でも忙しいときに限って、会社の業務以外の頼まれごとも増えたり。

・コメントスパムがすさまじい。まったく面倒くさい。

2006年5月22日

グラセン(Grounding in Sendai)

くんくん。(←東北方面からの香ばしい匂いを嗅ぐ様子)

2006年5月14日

神宮前、表参溝

今月の「新建築」誌、表参道ヒルズの記事のページに、明治神宮方面に向いて表参道を空撮した写真が見開きで掲載されていて、これがなかなかお目にかからないようなアングルで、ちょっと新鮮だった。


この「ヴォイド」ぶり。

なんだか、表参道の部分だけ、街をがりっと削り取ったみたいだ。都市の「溝」。
まっすぐなケヤキ並木が神宮内苑の緑に繋がっているように見えるために、余計にそう感じるのかもしれない。

もちろん、実際の順番としては、表参道が先にあって、それ「以外」のところに建物がひしめき建ったためにこういう様子になったのだ。いや、でも、そもそも表参道が地形や既存の農地や集落を無視して「がりっ」と作られたわけだが。

しかし、こういうアングルで街を眺めると、最近の建物が、「建物内環境」を維持する設備が屋上に載せられている(地上部からは隠されている)ために、なんだか、「屋根がバックヤード」みたいなことになっている、というのがよくわかる。空撮が街の裏を最も露呈する、という。

2006年5月12日

HOT PEPSI


勤め先の事務所のあるビルの、地下にある自販機。
たぶん、見本の缶か、HOTのサインかのどちらかが間違っているんだろうとは思うが、怖くてボタンを押せない。

城市中国

全国的には連休最終日の日曜日。
夕方の飛行機で北京へ。今回は誰の迎えもなく、なんとか独力で(筆談で)タクシーを駆ってホテルに辿り着く。その夜はそれ以上の仕事の予定はなかったため、チェックインして荷物を置いて、OMAに勤めるシライ氏に電話して、建外SOHOまで、また筆談タクシーで行く。北京なのに、やけに美味しいという寿司屋へ連れて行ってもらい(たしかに評判通りだった)、次いで、夜を徹して作業が進む、斜めの鉄骨が立ちまくってタワークレーンが傾いでるみたいに見える、土木的に巨大なCCTVの現場を見せてもらって目眩を起こし、そのあと「OMAの連中はみんな会員になってる」というマッサージルームに行って全身ぐにゃぐにゃになってホテルへ帰って眠。

月曜日。朝早く空港へ取って返して、山東航空という国内線で黄河沿いの都市へ飛んで終日是設計方案提示会議。

火曜日。北京へ戻って、クライアントの本社でプレゼンテーションをし、日が暮れてからまたシライくんに付き合って頂いて、地元で流行ってるというトマトベースの火鍋のお店に食事に行き、シライ邸にちょっとお邪魔して、夜中過ぎにホテルへ一人で帰って、一階にあったマッサージルームがまだ開いているのを発見して、うかうかと入ってみたら「お持ち帰りの小姐」を勧められ(日本人/男性/独り、と3拍子揃ったカモ視されたのかもしれない)、部屋へ逃げ帰って眠。

建外SOHOがすごいことになっていた。

中華街ファサードとでも言いましょうか。
こういうアクティビティ、というか、建物のハードウェアに積極的に関与することをためらわない中国のユーザーのガッツも凄いが、もともと、こういう事態を予想して作られていたのだったとしたら、この白い箱高層は、なかなか強烈な「景観誘発建築」だと思った。

シライ氏が寄稿した、「城市中国(アーバン・チャイナ)」という雑誌を一冊頂いて、驚いた。中国の現代の都市をスタディする雑誌なんだけど、グラフィックも秀逸だし、記事も非常に面白い。本文のほとんどが中国語なので、易々と読めないのが残念。近々、ドムスとタイアップして中英併記になって世界へ売り出すそうで、それは楽しみ。

2006年5月 6日

North Faces

北海道へ行ってきた。家族で。

主な目的地は2箇所。ひとつは大学以来の友人とその夫人、および北海道犬一匹が在住する千歳。
イマイ家は千歳郊外の住宅地の外れにあって、ほとんど国有林の中に埋没しているような地所で、事前に調べたGoogleMapの衛星写真が目を疑うような画像で、住所を間違えたかと思って何度も確認してしまった。
実際に辿り着いてみると、もとはイタリア料理のシェフが住んでいた家を改装したその2階建ては、まるで旧軽井沢の別荘のごとき「森の家」であった。家の前には中古のランドローバー。玄関を入ると吹き抜けのリビングに薪ストーブ。窓の外には地平線まで続く落葉樹林。北海道で見る落葉樹林は、実にネイティブな樹林に見えるが、あとで調べると、そのあたりでも自然林はほとんど残存していないらしい。林床にササが優占するミズナラやシラカンバ林は二次林のようだ。しかしそれにしてもその広さというか、森林の「厚み」の風景は圧倒的である。ランドローバーで恵庭まで出て、イマイの勤め先の会社が経営するレストランで夕食をご馳走になり、またイマイ「森の家」邸に戻って、夜中まで「デザインとは何か」「良いものを作るとはどういうことか」みたいなコアな話に興じ、千歳のANAホテルへ引き返して宿泊。

翌日、モエレ沼公園に立ち寄って、レンタサイクルで公園をぐるぐる回ってから(外気温5度で強風という、真冬のような天候だった。寒かった)、次の目的地、日本海沿いの瀬棚へ、4時間のドライブ。道央自動車道は空いてるし、高速を降りても車は疎らだし信号はたまーにしか出現しないし、ほとんど走りっぱなしで、予想を上回る早さで着いてしまった。
瀬棚には、先月、牧場を購入して、伊那から引っ越してきて就農した実妹一家が住んでいる。谷間の斜面林(ニセアカシアの樹林だったけど)のなかに、家や牛舎が点在する、んもう絵に描いたみたいな「牧場!」という趣のクラタ農場で、牧草地の丘を登って海に沈む夕陽を眺めたり、無謀にも畑作りを少し手伝って筋肉痛になったり、さっき絞ったばかりの牛乳を飲んだり、夜に訪ねてきてくれた、近くで牧場を営む高校時代の後輩と、無農薬有機農業のビジネスから高校時代の思い出話まで、つもる雑談に興じたり、薪割ったりウシなでたりイヌと走ったり、これは毎年、夏休みに自分のコドモらを研修に寄越さないといかん、と決意したりして3泊。

いやじつに、120%、北海道を満喫した小旅行なのだった。

北海道は決して初めて行ったわけではなく、函館から利尻島までいちおうは訪れたことがある。しかし、久し振りに東京からいきなり北海道へ飛ぶと、あらためてその、なんというか、街も人も物も、人工物の密度の「疎ら」なことに驚く。とにかく、モノとモノとの距離がいちいち大きい。気候の制約があるために、建物をはじめとする構造物がどことなくストイックな様子をしていて、それがある種の風景の統一を見せている。みんな車で移動するため、路上にはほとんど人影がないが、スーパーやレストランの内部は驚くほど賑わっている。そのノリも様子も、アメリカの都市、特に中西部あたりの内陸の都市によく似てる。恵庭から札幌へ向かう高速道路沿いの風景なんか、日本語のサインさえ無ければ、「シカゴ(あるいはミネアポリス、あるいはセントルイス、あるいはクリーブランド)へ向かっている」と言われたらそのまま信じただろうと思われるくらい。北海道の近代のキックオフに関与した、農業系アメリカの遺伝子がなんとなく残っているんじゃないだろーか。

帰宅してから、そういえば締め切り迫る原稿が数本あったことを思い出す。いや、旅行にはちゃんとラップトップ持参していたのだが、なんか、結局あまり手が着かなかったのだ。だってさあ。。。

連休明け、というか日曜日の午後からまた中国へ出張だし、うう、やばいぞこれは。