2006年2月 5日

地図アフタヌーン

土曜日午後。
調布市北部公民館へ、公民館から「大声で呼べば聞こえるくらいの距離」在住の地図メカ元永さんとともに、我らがヒーロー今尾恵介さんの講演会「生まれる地名、消える地名」を聞きに。
平成の大合併を引き合いに、地名の話だけで2時間ぶっ続け。話のネタがぜんぜん尽きない。2時間まるごとが氷山の一角に思える、そのリソースの膨大さに圧倒される講演会であった。久々に、こう、「脱線の凄味」も味わった。

今尾さんのお話を伺うと、明治以降、良くも悪くも日本の地名は「フラット化」を進めてきたのだ、ということがよくわかる。今尾さんの主張、「行政府についた名称と『地名』はわけて考えるべきだ」「地名はその土地の過去と未来を接続するタグだ」には強く共感。地名は一種の先行形態だ(中谷氏)。

来場者には地図帳を持参していた人や、今尾さんの著作を持ってきていた人たちもいて、講演後、サインをもらう列ができた。ほとんどはいかにも郷土史に興味のありそうな白髪市民っぽかったが、ちらほらと若い人もいたりして、会場は超満員。やるじゃねーか調布市民。

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コメント

石川さん、こんばんは。
私は今尾さんの著作を拝読したことがありませんが、今尾のさん主張には、同じように強く共感します(例によって誤解しているかもしれないけれど…)。過去の意味が充満した「場所性」、そして、歴史性に根拠をおいたローカル発の「正統性/正統性」って、近代化を推し進める側、統治する側からするとやっかいな存在なのでしょうね。

最近は、旧町名を復活させようという地域もありますね。金沢などは、市長が率先してやっているようです。
http://www.city.kanazawa.ishikawa.jp/kyuchomei-f/index.html

ところで、講演のタイトルにある「生まれる地名」に関しては、どんなお話しが展開されたのでしょうか。よろしければ、またご教示ください。

「生まれる地名」は、合併によってできた行政区に命名された新しい「地名」のことです。今尾さんによれば、明治の地租改正以来、何度かの「地名大統合時代」があったが、これまでの「新しい地名」には、「合成地名(谷津+久々田+鷺沼=津田沼)」「瑞祥地名(晴海、浦安)」「ブランド地名(銀座の拡大)」「名産地名」「観光地名(南アルプス市)」「広域地名(西東京市)」など、命名にいくつかのパターンがあり、今回の平成大合併にも同様な傾向が見られるということです。

あと、興味深かったのは、地名の「点、線、面」。「日本橋」という「点の地名」や「銀座」という「線の地名」が、「面」に変化していったのが「地名の近代」である、と言えそうです。

駄文ですが、そういえは以前、こんなのを書きました。
http://fieldsmith.net/scrap/archives/2004/03/where_the_stree.html

石川さん。「生まれる地名」について、どうもありがとうございました。「Where the Streets Have no Name」、たいへん興味深く拝読しました。面白いですね~。京都の話しは、関西人ではありますが、あまり深く考えたことがありませんでした。「固有名詞をもった座標系」や、「街路の名によって私たちは、~地図上の位置と、自分が身を置いているその場所とを接続して、街への共感の回路を手に入れる。」っていうところ、いいですね~。気に入りました。

以前、農村地域で、圃場整備前の図面をひろげて、農家の皆さんに過去の“田んぼ”のお話しを伺ったことがあります。身体・労働を通して“田んぼ”という土地にかかわってきた人たちの記憶というのはスゴイものがありました。湯水のようにあふれてくるといいますかね。“田んぼ”は、あのような土地の記憶を保存する装置でもあったわけです。“田んぼ”を効率的な稲作生産装置に変換していく圃場整備事業を進めるにあたって、農水省はそんなことは、微塵も考えなかっただろうけど。

北海道(東北・関東もそうらしいですが)の地名の大半が、アイヌ語由来であることは、皆さんご存知と思います。

アイヌ語地名は、地形や植生など、その場所の特色を表現したものが多く、アイヌ語を理解する人にとっては、「地名」を聞くだけで、その場所の概要が思い浮かぶらしいです。うらやましいですね。(そのせいで、離れたところに同じ地名がたくさんあって、混乱することもあるのですが・・・)

明治以降、開拓を進める和人によって再定義された地名が、基本的に今に至っているのですが、変に改変せず(かなり無理矢理ではありますが)漢字を当てたのは、ナイスな選択だったと思います。
難読地名も多いのですが。

これら現在の地名よりも、はるかに多くのアイヌ語地名があることが知られていますが、これは、和人よりもきめこまかに土地の状況を読み(文字は持たずとも)文化的に記述していたということなのかもしれませんね。
逆に、そういう意味では「土地」に「名前」をつけるというような情緒的なものではなく、結構ドライに割り切った記号的なものだったのかも。(って、地名はそもそも記号なのでしょうけれど)

古い地名の中には「どう考えてもアイヌ語じゃねーな」というものもありますが、これらの土地(そして地名)の歴史には、開拓期の入植者たちのドラマが隠されていることが多いのです。

しかし、最近の新地名では「○○台」「△△が丘」「◇◇野」が増えていますし、合併した自治体が新名称を選ぶ場合も、これまでの由来と関係の無い和人の言葉になることも多いようです。あえてそうしている部分もあるのでしょうけれども、そこにはあまり物語を感じませんね。

「制度としての地名(行政区の名称)」と、「土地の呼び名」は「次元が異なる」んだよなあ。ということなんだろうな。それをわかっていれば、それぞれを区別してキープする(行政区の名称が変化しても『地名』そのものは無関係に保持される)ことが可能なんじゃないかと。「オフィシャル」なものにならないと残存しない、ということになっちゃってるために、地名が残るためには「行政区」に用いられて地図に記載される必要がでてくるわけで。

札幌を筆頭に、北海道内には、碁盤の目の区画で○条○丁目という地名(?)システムを採用している街が多い。知らない場所でも住所がわかれば(そして、その基点と方位を理解していれば)大体の位置が分かるのだ。
これに対し、函館や小樽などの古い街では、○○町△丁目◇番地・・・で、知らない地名を訪ねる場合は地図が不可欠となる。(中心部を外れると、札幌も同様なのだが)

ところが、(他の都市のことはよくわからないが)札幌の「条里制エリア」内にも、地区を表わす固有名詞的な地名が存在するのだ。これらの「隠れ地名」は、今は行政区の名称からは完全に姿を消しているが、いまだに学校など各施設の名称によく使われたりしている。
そして「南15の西9」というより「山鼻(やまはな)の屯田(とんでん)通りからちょっと入ったところ」などと表現したほうがしっくりくる場合があり、無意識のうちに使い分けているような気もする。しかし「じゃ、山鼻ってどこからどこまで?」と聞かれても、はっきりと答えられなかったりするのだ。

その一方「条里制エリア」内の街路は、街路名があるものも多いのだが、数少ない例外をのぞいて圧倒的に「○○条通り」と切って捨てられている場合が多い。

「土地の呼び名」をどこに「保持」するといいんでしょうね。普通はなんとなく地域の人で共有される記憶みたいなものなんでしょうけど、人の入れ替わりの激しいところでは簡単に制度地名で上書きされるんですよね。

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