2006年2月28日

時空をバイパスする迂遠な表現としての「よろしかったですか」語

保育園へ持ってゆく「日誌」のフォルダーに、娘のものではない、別な園児の日誌が紛れ込んでいたのを妻が見つけ、保育士さん宛に「○○ちゃんの日誌が入っていました」という付箋をくっつけた。

そうしながらいわく、「『○○ちゃんの日誌が入っています』と書くと、ちょっと冷たい、ぶっきらぼうな感じがするけど、『入っていました』と過去形にすると、ちょっとソフトな表現になる。最近、お店で『○○でよろしかったですか』という言い方が多いのは、もしかしてこの『過去形効果』のためじゃないだろうか」。

なるほど。たしかに、過去形のほうがダイレクトな感じがしない。なぜだろう。

「入っています」というのは、相手と自分の間、双方の「目前」にある「事実」の指摘である。一方、「入っていましたよ」というのは、単に「過去形」なだけではなく、「入っている」という事実がこちら側によってまず確認・解釈された後に、その「私が認識したこと」を相手に伝える、という形式になっている。英文だったら主語が入れ替わるところだ。

『○○ちゃんの日誌が入っています』→あなたは○○ちゃんの日誌を入れました
『○○ちゃんの日誌が入ってました』→私は○○ちゃんの日誌が入っているのを見つけました

つまり、間違いの発生の原因が相手にあることはお互いに了解していつつも、その「明言」を避けているわけだ。

そう考えるなら、「○○でよろしかったですか」という言い回しは、響きは奇妙だが、コンセプトとしては理解できる。「よろしいですか」が、たったいまこの場に提出された注文内容について、注文主のあなた自身は了解しているか、という有責「確認」であるのに対して、「よろしかったですか」は、注文された内容の責任を、お客からいったん引き取って、引き受けてみせる、「私はあなたの注文は○○であると理解したのだが、この解釈は妥当だったか?」という設問、責任が「わたしに移った」というポーズなんじゃないだろうか。

やるじゃないか。意外にも(何がだよ)。

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コメント

そっか。だから(俺は)あんまり違和感が無かったのかもしれない。

おー、面白かったぞ、これは。やるじゃないかだぞ、確かに。
でも、現状を面白がったり肯定するだけが「のう」ではないので、思わず書いちゃいました。相変わらず、Linklogからのトラックバックがこちらに効かないので、こちらから貼付けさせて頂きます。
http://blog.archivelago.com/index.php?itemid=145474
時間のある時、どぞ。

なあるほど。
「使い方まちがってる」と、世間に指摘され続けても、
「よろしかったですか」語を さらに使い続けるお店の言い分を拝聴したかのようです。
あのファミレスや、あのハンバーガーショップ、
喜んでると思います、やっと気づいてくれたか!と ?!

上記、リンク先のenteeの文章による「展開」がまた面白いので、ご参照下さい>みなさま

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