あ。
という間に1週間が経ってしまった。
金曜日。
夜、渋谷のNHK放送センターへ立ち寄った。
今度放送されるテレビ番組の収録(記すまでもないことだが、地図/GPSネタである)のため。
この収録はいわば「仕込み」で、2週間後に「本編」の収録がある。仕事上がりでくたくたに疲れていたし、えらく寒い中を渋谷駅からNHKまで(意外に遠いのだ。これが)重いカバンを背負って歩いたし、もうテレビ出演なんていうノリじゃなかったのだが、スタジオに着いて、でかく引き延ばした地図を前にしたとたん、いきなり心が浮き浮きして舞い上がってしまい、ハイになって喋りまくった。いや、なかなか楽しい収録だった。
土曜日。
朝、住宅都市整理公団の大山総裁と打合せ。
はじめてお会いした。わざわざ、遠いところ、調布までご足労頂いた。
「団地ナイト2」のための、これも「仕込み」の段取りのための打合せだったのだが、なんだか話が盛り上がり(というか僕が興奮してしまって)、二時間近く、調布パルコ3階のカフェでノートパソコンを開いて「伝えにくいことをどう伝えるか」という話に興じてしまった。なにしろ、総裁はものすごく「話が通じる」。きっと、同じようなものを「見ている」んだろうと思う(むろん、僕が勝手にそう思いこんでいるという可能性は否定できない)。そういう人に出会う機会というのは貴重なのである。ふっふっふ。
ネタの「内容」のこと以外に、総裁と話して共感したのは、「メディアに載る」ということについてだった。
伝達力のある媒体に取り上げられるのは、それはそれでとても嬉しい。思わぬ人とつながることがあるし、こちらもそれなりに準備するので、あらためて自分の思いを整理したりカタチにしたりする機会にもなる。でも、メディアにはメディアの論理がある。取材と編集の過程で、こちらの言葉はメディアの「作法」というか、「定型句」に翻訳されてしまう。
いや、考えてみればそれは別にマスメディアに取材されるということに限ったことではなくて、自分で文章を書いたりウェブサイトを開設したって、「伝達できるカタチに押し込む」ことで取りこぼしてしまう部分というのは必ずある。自分の思いを完全に表現することなんて不可能だ。とはいえ、そうやってカタチに押し込むことで発見することもあったりするし、言語化できない(と自分で思っている)思いつきと、言語化することは、相互関係的でもある。行ったり来たりだ。冴えたインタビュアーに取材されたりすると、自分でもうまく言えていなかったことがいきなり面白い表現になって出てきたりすることもある。それは悪いことばかりではない。
でも、テレビという媒体は、とりわけ、そういう「カタチ」というか「型」に押し込むやりかたが極端に甚だしい。テレビは基本的に、フォーマットだけでできている。複雑な(ように見える)この世界は、実は5種類くらいの常套句に分けることができ、テレビの役割は切り取ってきた複雑な情報(の一部)を、これはタイプ1です、これはタイプ3です、と分けて整理して見せてあげることであり、受け手はそうやって世界の事情を納得する。あるいはその、既に知っているタイプの「組み合わせ」の趣向を楽しむものだ。と、少なくとも送り手はそう考えている。どこまで自覚的かどうかはともかく、テレビというシステムが、そういう風にしか情報をプロセスできないような構造になっているように見える。「いや、実際は様々に割り切れない複雑なものであることはわかっていますが、それだとテレビ電波には乗らないんで」というのが、「取材」と「編集」の基本的な姿勢である。それは一度でもテレビに取材されれば誰でも実感すると思う。
一旦、そういう目でテレビを眺めると、昨今の事件・事故の際の「担当者/責任者」の記者会見の「怒号の詰めより(それは結局、騙したってことですね!?みたいなやつ)」なんか、要するに、複雑で割り切れない事情を切り落として既知のタイプに分類することで、それぞれのタイプへの決まった「報いのフォーマット」を選んでいるようにしか見えなくなる。受け手はそんなにバカでナイーブじゃない、わかってて、あえて定型句を楽しんでるんだ、という議論もありうるが、ほんとかなあ。血液型とか四柱推命とか、複雑で個別で割り切れない事態の代表選手みたいな「人の性格や生き様」を「いくつかの型」に押し込んで把握したような気になる「思考の負荷の軽減手法」が、みんな結構好きだからな。
でも、テレビに出ることで、逆に「ああ、これはテレビじゃ伝わりにくい部分がキモだったんだなあ」と再発見することもある(総裁も同じことを言っていた)。というか、こうして書いているこの文章も、もっと複雑で生々しい事情を乱暴に単純化して、どこかで聞いたような、言われているような常套句に押し込んでいるわけで、ええと、この文章のオチはどこへ行くのでしょう。つまり、できるだけ1次情報に近いものを目撃した方が、その「メディアじゃ伝わりにくい部分」にある味わい深いほんとの「面白さ」に触れることができることもあるのであって、要するに「団地ナイト2」を見に来てくれっていうことだ。本日の結論としては。