2006年1月29日

都市の「外部」は足元に。

やるべき仕事がものすごい勢いで、我々の処理能力を超えて積み上がってゆくのを、もはや涙と笑いを浮かべて眺めているような、そんな一週間なのだった。が、天の助けか、中国が旧正月の休暇に突入した。それで何か解決したわけじゃないが、少なくとも関係者の大きな一部がごそっと休んでいるというのは、マラソンの給水所に来たような気にはなるような。今週のキーワードはしーぱーみー(18m)だ。Oクボくん。

金曜日。
天ぷらスワン(じゃなくて10+1)の特集の一環で、tEntのお二人(田中さん久原さん)とともにリビングワールド(西村佳哲・たりほ夫妻)を取材。なんかこう、ネジが巻き戻ったような1時間であった。

たとえば、「東横線のホームで、列車を待つ人がみんなケータイの画面に没入している、その向こうに凄い夕焼けが広がっている」。リビングワールドが開けようとする「窓」は、「都市で私たちを包囲している『2次情報の壁』に穿たれる」という。

そこで僕の質問。
いまや都市は全域であって、都市の「外部」には出ることはできない、という議論もある。どこかに手つかずの美しい「自然」がある、というのはロマンチックな幻想だ、というわけだ。でも、リビングワールドの「窓」は都市の「外部」へむけて開かれるわけで、そこには「都市のそと」に「都市ではないどこか」がある、という確信があるのだろうか?

西村いわく「(あっさりと)うん、あるよ」

まあ、そういうわけだ。たぶん、僕が同じことを誰かに聞かれたら、やっぱり同じように「あるよ」と答えただろうと思う。「都市」「包囲」というようなタームを使うと、まるで2次情報のレイヤーを作っているのは自分とは関係ない「誰か」のような響きを帯びてしまうが、実はそれは僕自身にほかならない。窓の外に映って見えるのは自分自身であったりする。

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