2006年1月10日

見知らぬ場所へのアプローチ

六本木から新宿まで17kmを越える「グラウンディング」のあと、都庁の展望台に上り、素晴らしく晴れた冬の夕空に、房総半島から富士山までくっきりと見える展望を楽しんだあと、三井ビルの近くの茶店で「まとめ」のディスカッションをした。

(都庁の入り口では、警備員が手荷物検査をしていたが、バッグを開けるとパソコンやらケーブルやらアンテナが出てくる人や、スキーのストックを抱え、バックパックにローラーブレードをぶら下げた人、一眼デジカメを2つも首から下げた人などの集団(僕ら)も難なく通過した。)

その席で、たぶん田中さんが発したんだったと思うが、たとえば街で、明らかに河川の名残りだとわかる谷地形に出くわしたとき、「上流」と「下流」と、どちらへ向かうか?という話題が出た。

僕は即座に「上流!」と答え、元永さんは「下流」と言い、佐々木さんと田中さんは考えた末に「下流かもしれない」。

これは面白い。この違いは何だろうか。

いろんな分析ができそうだが、そのときに出たのは、これは街(の地表)を探求する「姿勢」の差なんじゃないか、ということだった。

上流へ向かうのはおそらく「この場所がもとはどういうものだったのか」という、「由来」を見たいというメンタリティである。一方で下流へは、「この先がどうなっているのか」というような、現在の街の「有様」を見に行く。上流には水源があったりし、その先には尾根があって、振り返ると歩いてきた谷が一続きに見える(こともある)。下流には、あまり「ゴール」がない。特に市街地では、河川の気配は下流へ向かうにつれて希薄になる。元永さんによると、ちょっとした勾配を探したりしながら歩みを進めるに、次第に感覚が鋭敏になってゆくペースと、河川の気配が薄くなってゆくペースがうまくシンクロするのだそうだ。上流では、「こういうわけだったのか」というような、原因を突き止めたような(突き止めてないけど)達成感がある。下流では、「こんなふうになっていたのか」という、「現在の姿」を目撃する喜びがある。

佐々木さんいわく、たぶん我々は、上流へ向かう人と下流へ向かう人がすれ違った時に、そこで共有できるプラットフォームを作ろうとしているのである。上流派と下流派に共通しているのは、どちらも川筋を「歩いている」ということである。そして、我々をして川筋を歩かしめる動機というのは、「都市には我々の知らない(地図に描かれていない)場所が(その角を曲がると)ある」という確信なのだ。

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コメント

上流に向かうに一票。砂防屋の性として、上流の土砂発生源の状況を把握した上で、待ち受ける施設を計画するもので。

それと、読んで思い出したのは横断図の描き方です。
(以下、ちょっとややこしい話のので、長くなります。)

一般的に河川の横断図は、下流からナンバリングして、上流から見た断面図(作図上、右岸が右)を書きます。一枚の図面内では、連続性を見えるように若い番号が上になります(下流が上、上流が下。現場に立って下流方向を見ると、横断図の順に河川横断が見えることになる)。

対して、河川の中でも砂防の横断図は、下流からナンバリングするのは同じですが、下流から見た断面図(作図上、右岸が左)を書きます。一枚の図面内では、連続性を見るために、若い番号が下になります(現場では上流方向を見上げて、横断図の連続性が見える)。

理由は、砂防えん堤は土砂が溜まると下流からしか見えなくなるからだといわれています。でも、土砂をためない施設(護岸等)であっても、下流から見た横断図を描くので、河川専門の人は、イヤそうな顔をします。

砂防に慣れていない人が作ると、往々にして横断図がひっくり返っていて、次に作業する人がミスを犯す要因となっています。(私は逆に河川の図面が見づらい・・・砂防は少数派なので、コッチが苦労することの方が圧倒的に多いのだ)

ちなみに、道路も基点側(若いナンバー)を下に書く(はず)。これは、基点に立って横断図の連続性を見ると考えればわかりやすい。

こんにちは。僕は今和次郎の民家の描写のように縦横に視点を上から下へ横から斜めへとずらしつつ鳥のように飛びたいです。10+1で何か書けとI氏から言われました。全体像が見えてないので、なにか教えてくれませんか。あるいは鳥のように勝手気ままに書いてもいいのでしょうか。ちょっとだけでも止まり木があるとどっちへ飛び立つかわかりやすいのですが。私信でお願いします。

これは面白い。

縦断図も逆?それとも、縦断は同じで、横断の見方だけ変わるのかな。

なぜ、「ゼロ」を左下に置くのか、というのも、僕らが空間を認知する「しかた」として面白い。なぜなんだ。

おお、メールお送りします>中谷さん

縦断図は、河川も砂防も同じで、左が起点で下流です。
たぶん、道路も基点が左だと思うけど・・・確かじゃないな。

縦断図が逆、つまり左が上流になるのは、下水道です(20年前の知識なので、変更がなければ・・・ですが)。
下水道の横断図は、左右がどっちに書くのかは、記憶にない・・・

ゼロを左におくのは、数学の数直線が左から右だから・・・でないかい?

なるほど。
なるほどね。

でも、じゃあどうして数直線は「左から」なんだろ?

そ、それは・・(汗)・・まったくもって、わかりません・・


動物の絵を描く場合、頭を右に尾を左に書いたほうが落ち着くよね(たぶん)。きっと、右に進むほうが納得できるように、人間の頭は出来ているんじゃないか・・・関係あるのか知らないけど。

あれ、逆かな?
なんだか、屁理屈、考えてるうちにわからなくなったぞ??

たいていの人は、左が頭に書く・・・のかな???
これも、不思議だよね。

子供の頃、そういう算数の「暗黙の」ルールがうまく理解できず、算数の世界ではどこからどこまでがルールなのかサッパリわからなかったことを思い出しました。もちろん、当時はそこが理解できていないという事すらわからなかったわけですが。

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