2005年12月21日

What Lies Beneath

「G系」へのメモ。

たとえば東京湾岸の埋め立て地の地形図には、埋め立ての歴史が年輪のように刻まれている。空間的な「位置」がそのまんま「時間」である。お台場の建物は「昭和の地面」に建っているし、月島の高層マンションは明治の地面に、銀座の建物は江戸の地面に建っている。

埋め立て地は、新しいものほど高く造成されている傾向がある。以前の海岸線の海抜にはそれほど変化はなく、そこから水際へ向けて傾斜が逆転している。だから、東京の海岸はまるで環礁か、火山のカルデラの外輪のような地形を描いている。

「時間が空間」なのは、たとえば「地層」もそうだ。高層ビルの基礎の杭は、下手をすると数万年前の氷河期の地面に食い込んでいる。

揚水によって地盤が大きく沈下した下町低地は、単に地面が沈んだだけでなく、埋没地形を「あぶり出しつつある」。

あちこちの「ヒルズ」は谷間を埋めて平坦にしつつあるが、ヒルズの内部に入るとそういう「埋没地形」が残存している。泉ガーデンやアークヒルズや六本木ヒルズのエスカレーター。

下町低地は、頑丈な防潮堤防と水門でその「外周水面」から守られている。だから、下町を横切る小さい運河や河川の水はすでに「外部の自然な水面」からは切り離されて、「死んでいる」。だが、逆に言えば、「内部の小水面」は、外部の水面の潮汐や海流や波からもはやフリーである、わけでもある。だから、海面下のゼロメートル地帯では、むしろ水面に非常に近い、高い親水性のある住居や公共施設を作りうる状況が整っている、わけでもある(辻野さんに伺った話)。

渋谷や五反田の、「渓谷に架かる鉄橋」のごとき「地形体験」。3階に到着する「地下鉄」銀座線。

立ち止まっているとそれは単に「傾斜」や「勾配」でしかない。見渡すと「斜面」になる。歩きはじめて「坂」になり、「歩き回る」ことで「谷」や「台地」になる。移動することであらわれる。キャプチャーでなく「スキャン」である。いや、レコードと針の関係のような。凹凸が「メロディ」を奏でるという点でも、レコード針としての「ジオウォーク」はよい比喩かもしれないぞ。

そういう意味で、地図なし「eTrex」は、動きを誘う。あれは、なにしろ動かないと何も起きないから。ケータイGPSはあくまで「立ち止まって測位」するものだが、eTrexは「動くこと」によって位置の「変化」を記録する。微分的位置情報と、積分的位置情報というか。そうだ、地形を「地形」たらしめているのは、現象学的な意味では、空間じゃなくて「時間」である。だいたい、地形そのものが「時間の物体化」だし。

都心部の、都市化した土地のほうが、たとえば多摩丘陵などよりもずっと原地形が残存している。それは、都市として開発された年代が古いからで、造成の面積的単位が比較的小さいからだ。地形図には、都心の谷地形は細かい宅盤に区切られて「デジタル化」しているが、地図の縮尺を大きくして解像度を下げると、もとの谷や岡の「脈絡」がはっきり残っている。それに比べると、近代土木が結集して造成した、多摩ニュータウンや、土地区画整理事業でずたずたになった田園都市の「原地形」を追うのは困難だ。というか、多摩丘陵は地形が急峻なので、大きく造成しないと「都市基盤としての平坦面」を確保できなかったという事情もある。ということは、下手にデコボコしているよりも、「微妙なアンジュレーション」のような「かすかな地形」のほうが、先行形態としては存続する強度があったりするわけだ。奈良盆地の「数十センチの段差でできたグリッド」みたいに。いうなれば、「ささやき声のほうが伝達力があることがある」。

上水は「加圧タンク」で、下水は「見えない河川」。地下放水路は「都市の化粧枡化」。

空き地に生えてくるのは「森の予感」。

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