2005年12月30日

「東京の凸凹地図」

東京地図研究社「地べたで再発見!『東京』の凸凹地図」技術評論社、2006

地元の書店の地図コーナーで見つけた。
奥付には「平成18年1月15日初版第一刷発行」とあるが、Amazonにも先週から出ている。定価1,680円。

1冊丸ごと、東京都市部の「地形」に関する本である。専門書でなく、「東京の地面の意外な相貌を再発見し、街へ見に行ってみよう」というような、いわば「地形フィールドワーク入門」。
空撮写真をアナグリフにした「立体視地図」や、5mメッシュ標高データを使った陰影図による都内各地のユニークな地形の解説など、じつに秀逸だ。陰影図は普段から自分で作ってさんざん眺め回しているが、都心のアナグリフは新鮮だった。土地の起伏と建物や土木構造物の立体的な錯綜のこのザラザラ感は、森ビルの都市展の模型でも味わわなかった、初めての体験。これは面白い。

本文は、単なる「凸凹観察」ではなく、地理学用語や自然史(潜在自然植生に関する記述まである)の解説まで添えられていて、けっこう「硬派」である。巻末の参考文献に、貝塚先生の「東京の自然史」と並んで鈴木理生氏の「江戸・東京の川と水辺の事典」が挙げられている。フィールドワークの目の付け所も浅くない。東急のビルと地下河川・渋谷川の拮抗状態の観察など、とてもスリリングだし。

残念な点は、まず、「全体図」がないことだ。『原宿「竹下通り」は川底だった』とか『「大森」の台地に谷が多いわけ」とか、視覚的に工夫された陰影地形図が解説記事とともにいくつも掲載されているのに、東京全体の地形図がない。東京の地理を熟知していないと、それぞれの場所の関係もわからないし、武蔵野台地全体くらいの地形も見えない。どこかに見開きでインデックス地図くらいあってほしい。惜しい。

それと、図版を作成した「もとデータ」の入手方法とか、加工方法に関する記事がない。メッシュ標高データは市販されているし、空中写真も国土地理院のサイトで閲覧できるし、それこそカシミールを使ったりすれば「地形図を自作して加工する楽しみ」は素人にも簡単にできることだ。あるいは、パソコンを使わずに「1万分の1地形図の等高線を色分けしてみよう」でもいい。「簡単に入手可能な情報をすこし加工するだけで、東京の意外な『プロファイル』が浮かんでくるよ」というのも、こういう「都市地形入門書」の面白くなりうるところであるわけで、惜しいな。

まあしかし、そういうのを差し引いても、いい本が出たぞ。
内容もさることながら、このテーマが「本」になっちゃうところが驚きだ。
これはもしかして、これから「地形」が「来る」徴候なんだろうか。
と、本日、たまたま我が家へeTrexを取りに来られた地図メカ・元永氏に話したら、いや、「来る」はないでしょうが、ここ最近、いままで潜行していたところの「こういう本を待っていた人たち」が表に出てきやすい雰囲気になってきた、というのはあるでしょうね、ということであった。

東京地図研究社のウェブサイト:
http://www.t-map.co.jp/
この、何とも言えない「堅さ」が頼もしい。やるじゃないか東京地図研究社。

2005年12月27日

Operation "Potential Orange"

振り返るに、いや、ぜんぜん振り返っている場合じゃなく、今年もまだやることは山のようにあるのだが、今年の最大にして最後の収穫(のひとつ)は、自分がいったい何を見ようとしているのかということが、おぼろげながらわかってきたこと、だったかもしれない。

僕はおおむね、地面やそこに生えてくるものや、河の流れてゆく先や雨が降ってくる上を眺めているが、それはおそらく、そうした「地上のインターフェース」の先に、なにがしかが潜在することへの確信、というか期待というか祈りというか、そういう衝動に動かされているのだろう、と思う。

そして、僕がほとんど反射的に惹き付けられた思想や実践は、街にざわめく人々の中にある共同への希求を「場所」に結びつけることができるかもしれない、というオプティミズムだったり、どんな土地にも形態は「すでに」そこにある、というオプティミズムだったり、電子回路は自然と断絶しているわけではなく、いわば解釈系の差異による「表現の違い」に過ぎない、というオプティミズムだったりし、それはすべからく「潜在への確信と期待」(だと僕が勝手に解釈した)なのだった。

そういうわけで、本年を締めくくるキーワードは「ポテンシャル」。

「ケイパビリティ・ブラウン」に対抗して(対抗してどうする)、「ポテンシャル・オレンジ」とでも呼んでくれ。(オレンジに深い意味はありません)

land-discape

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20051227k0000m010114000c.html

「日本橋首都高景観問題」は「撤去すべきもの」として、ついに「オフィシャライズ」されたようです、五十嵐『景観を笑う』隊長。

「美しい景観を創る会」のウェブサイト(うかつにも、昨日までこれの存在を知らなかった)にも、「悪い景観100選(70件を先行公開)」というのが公開された。事例写真につけられていた「寸評」とあわせて、それこそ笑えるというか、これは何かのメタメッセージなんじゃないかと勘ぐるような、そういう意味では興味深いページだったんだけど、その後、「創る会」のサイト自体がアクセス不能になっている(27日お昼現在)。どうしちゃったんだ。美しい景観を創る会。
http://www.utsukushii-keikan.net/

「はてな」のブックマーク群。『卒論』ていうタグつけてる奴がいるな。。。いいけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.utsukushii-keikan.net/10_worst100/worst.html

僕は、こと「景観問題」に関しては、まったく腰が引けている。
これについて書き始めるときりがないので、また。

K-2 建築ツウ日記:1月5日「“悪い”景観」1月14日「粘菌生活者」参照。

のぞみ、京都、アマゾン

土曜日。クリスマスイブ。
家族4人で京都(宇治)の実家へ。「のぞみ」に乗った息子は大喜び。おかげで妻と僕は大汗で大疲れで、家にたどり着いてあっという間に眠る。

日曜日。クリスマス。
京都府京都市伏見区桃山羽柴長吉西町(すげー住所だ)にある、日本キリスト教団・伏見東教会で、クリスマス礼拝に出席。この教会は、僕の祖父の代から縁もゆかりもある教会である。牧師の先生はずいぶん歳をとられたが、まだとてもお元気であった。礼拝後、祝会にも参加させていただき、帰りに京都駅ビルの階段で家族写真を撮影し、「なんでこんなに階段あるのー?」としごく真っ当な質問をした息子に、原先生にきいてくれとこちらも真っ当な答えをし、また「のぞみ」で東京へ帰る。ふー。

週明け。
先週、Amazonの「ショッピングカート」に入れたままにしてあった本を、「今年も終わりだし」と、購入ボタンを押して一気に注文した、それがドサドサと届く。年末および正月休みにまとめて読んで勉強もしようと。

貝塚爽平「発達史地形学」東京大学出版会、1998
高橋学「平野の環境考古学」古今書院、2003
中村和郎編「地図からの発想」古今書院、2005
鷲谷いづみ、矢原徹一「保全生態学入門」文一総合出版、1996
中尾佐助「栽培植物と農耕の起源」岩波新書、1966
中尾佐助「花と木の文化史」岩波新書、1986
中尾佐助「料理の起源」NHKブックス、1972
中尾佐助「分類の発想」朝日選書、1990
池田清彦「新しい生物学の教科書(文庫版)」新潮文庫、2004

・・・こんなに読めるわけないんだけど。

2005年12月22日

原風景としてのカンブリア紀の浅い海

地形そのものが「時間の物体化」であるということについて。

「体験」もしくは「認知」という水準で。

そして、堆積や浸食、隆起、沈下というような、地質学的な水準で。地形は変化の「途中」である。きわめて緩慢は変化でもあり、時として地震のように目に見える急激な変化をすることもある。「埋め立て」などは、非常に高速な「地形の生成と変化」であるわけだし。

 人間は一般に平地に住んでいるので、土地が平らであるのは当然だと思っている。しかしどうもそうではないらしいのである。地球上にあるすべての平面はほぼ海面と同じ高さにできたものであり、海面の高さ以外ではできないらしい。もっとも海面と限定することはなく、湖面でもよいが、ともかく水面の高さであり、長い時間を通してみれば、土地の高さは水面の高さに近づいてくる。
 海面より低ければ、水中に物がたまってだんだん浅くなる。一方、海面より高ければけずられてだんだん低くなる。そうすると地球上には平面しかのこらなくなるはずだが、このような「平地化する自然力」より「土地の動き」(隆起・沈降)の方が早いので、山や丘陵ができるのだろう。もちろん断層や褶曲をつくる力も土地の上下に影響することはまちがいない。物がたまって海面直下にできる地形平坦面を堆積面といい、土地がけずられてできる地形平坦面を浸食面という。
 このようにしてできた平地が全体的に隆起して、そこに谷が入りはじめると段丘となる。段丘や隆起準平原のような地形上の平坦面を、一般に「地形面」といっている。(横山卓雄「地図のみかた」保育社、1978)

なるほど。

つまり、地球はそもそも「丸くなろうとする」。きっと、水面の下に浅い平たい海底がどこまでも広がるような、メリハリのない穏やかな「ツルツルの球体」が、地球の「夢」なのだ。デコボコしてるのは、地球にとってはいわば「不本意」な状態で、だから水と土を擦り合わせて「スーパーフラット(という名の球体)」へと「自己生成」するのだ。きっと。

親指ポエム:八潮湯沸かし器よろしく

妻のケータイより。

あれから行かなくては受け取り園終わった
が今日クリスマス現場ごめんなさい
残念しかすごーく先生送金
頼まれ中月出て渡嘉敷
ないんですにしています又ね。乗った
ばかりの博子深い別の方が
ました皆向かう目眩もう
八潮湯沸かし器よろしく
来春林檎留守電連絡六月
私のをん

西本氏のところも増えていて詩集になりつつあるが、
:www.taro.st:->:blog:->: [親指ポエム]やばいゆっくり夜リンクリンクれれロマン。

追加された『アフロがいっこうえだから』とか『様々な消極的に少なく接客。』なんか、すごい。
ほんとに詩みたいだ。
予測変換の性能が向上してるのか。あるいは、もっと日常的にケータイでテキストを入力してるから、普通の会話調の単語がどんどん出てくるのか。なんか、一見、意味の通じそうな文なのに、支離滅裂なのが、かえって不思議な感じだ。

「誠にみんなでむしろ目立ちました。」

おお。目眩が。

2005年12月21日

What Lies Beneath

「G系」へのメモ。

たとえば東京湾岸の埋め立て地の地形図には、埋め立ての歴史が年輪のように刻まれている。空間的な「位置」がそのまんま「時間」である。お台場の建物は「昭和の地面」に建っているし、月島の高層マンションは明治の地面に、銀座の建物は江戸の地面に建っている。

埋め立て地は、新しいものほど高く造成されている傾向がある。以前の海岸線の海抜にはそれほど変化はなく、そこから水際へ向けて傾斜が逆転している。だから、東京の海岸はまるで環礁か、火山のカルデラの外輪のような地形を描いている。

「時間が空間」なのは、たとえば「地層」もそうだ。高層ビルの基礎の杭は、下手をすると数万年前の氷河期の地面に食い込んでいる。

揚水によって地盤が大きく沈下した下町低地は、単に地面が沈んだだけでなく、埋没地形を「あぶり出しつつある」。

あちこちの「ヒルズ」は谷間を埋めて平坦にしつつあるが、ヒルズの内部に入るとそういう「埋没地形」が残存している。泉ガーデンやアークヒルズや六本木ヒルズのエスカレーター。

下町低地は、頑丈な防潮堤防と水門でその「外周水面」から守られている。だから、下町を横切る小さい運河や河川の水はすでに「外部の自然な水面」からは切り離されて、「死んでいる」。だが、逆に言えば、「内部の小水面」は、外部の水面の潮汐や海流や波からもはやフリーである、わけでもある。だから、海面下のゼロメートル地帯では、むしろ水面に非常に近い、高い親水性のある住居や公共施設を作りうる状況が整っている、わけでもある(辻野さんに伺った話)。

渋谷や五反田の、「渓谷に架かる鉄橋」のごとき「地形体験」。3階に到着する「地下鉄」銀座線。

立ち止まっているとそれは単に「傾斜」や「勾配」でしかない。見渡すと「斜面」になる。歩きはじめて「坂」になり、「歩き回る」ことで「谷」や「台地」になる。移動することであらわれる。キャプチャーでなく「スキャン」である。いや、レコードと針の関係のような。凹凸が「メロディ」を奏でるという点でも、レコード針としての「ジオウォーク」はよい比喩かもしれないぞ。

そういう意味で、地図なし「eTrex」は、動きを誘う。あれは、なにしろ動かないと何も起きないから。ケータイGPSはあくまで「立ち止まって測位」するものだが、eTrexは「動くこと」によって位置の「変化」を記録する。微分的位置情報と、積分的位置情報というか。そうだ、地形を「地形」たらしめているのは、現象学的な意味では、空間じゃなくて「時間」である。だいたい、地形そのものが「時間の物体化」だし。

都心部の、都市化した土地のほうが、たとえば多摩丘陵などよりもずっと原地形が残存している。それは、都市として開発された年代が古いからで、造成の面積的単位が比較的小さいからだ。地形図には、都心の谷地形は細かい宅盤に区切られて「デジタル化」しているが、地図の縮尺を大きくして解像度を下げると、もとの谷や岡の「脈絡」がはっきり残っている。それに比べると、近代土木が結集して造成した、多摩ニュータウンや、土地区画整理事業でずたずたになった田園都市の「原地形」を追うのは困難だ。というか、多摩丘陵は地形が急峻なので、大きく造成しないと「都市基盤としての平坦面」を確保できなかったという事情もある。ということは、下手にデコボコしているよりも、「微妙なアンジュレーション」のような「かすかな地形」のほうが、先行形態としては存続する強度があったりするわけだ。奈良盆地の「数十センチの段差でできたグリッド」みたいに。いうなれば、「ささやき声のほうが伝達力があることがある」。

上水は「加圧タンク」で、下水は「見えない河川」。地下放水路は「都市の化粧枡化」。

空き地に生えてくるのは「森の予感」。

2005年12月20日

Going Grounding

日没前。

中国から、以前に提出していた案が気に入られたので、新しい仕事を発注したい旨、メールが届く。
スタッフを集めて設計料とスケジュールの見積もり。
(たまにこういうことを書くと、いかにも仕事をしている感じ。)


日没後。

「ランドスケープ批評宣言・増補第二版」の著者校正を送る。編集部からの、内容に関する指摘は特になく、ひと安心(単に締め切りに間に合わないため、修正を控えただけかもしれないが)。

建築学会のシンポジム資料用の原稿に、本江先生より合格の返信をもらってひと安心。
って、いや、べつに査読じゃないんだけど、どんな文章であれ、原稿の提出はいつも、緊張してしまうのだ。

GPS地上絵に関係した企画の準備があって、久しぶりに白地図を(そのつもりで)眺める。
いまひとつ冴えない、無理っぽい形をなんとかひとつ見つけた。ううむ。

1月に開催される展示会の、オープニングのシンポジウムに出席して、「地形」について喋れ、という依頼をもらう。安請け合いする。電話を切ってから胃痛(←まったく学習しない俺)。

現在進行中の、雑誌の企画をめぐって、やりたいことをいくつも思いついたのだが、なにせ時間がない。
誰か、事務所で「仕事をしている石川のふり」をしてくれないかなあ。2週間ほど。時給1000円くらいで。

2005年12月19日

年は暮れてゆき。

金曜日。

以前、福島の佐藤師匠のお宅で、建築あそびに読んで頂いた際にお会いした、Keiさんが職場に来訪され、お土産のフルーツケーキを頂いた。これから、離島でお店を開かれる。ううむ。遊びにいきたい。亜熱帯の離島へ。それで、歪んだ身体と精神をまともに戻してもらうのだ。

日没後。T工大のK野先生のところのT本さんが、東京キャナル関係の作業で、納期ぎりぎりになっちゃった画像を作成すべく、K野先生から緊急の特命を受けて職場へ来る。結局、終電ぎりぎりまで僕の隣で作業していた(僕もつき合う羽目になった。なんというナイスな人間なのであろう>自分)。K野先生からは、カルビを含む焼肉をゴチソウしてもらうという確約を得た。と記録しておく。ちなみにKは「久」のK。

土曜日。

午前中は保育園の「お楽しみ会」で、娘がよたよたと舞台に出て回ったり、息子がネズミ帽子をかぶって「おむすびころりん」を踊る様子をビデオにおさめ、駅へダッシュして金沢八景へ向かって、午後は大学の演習。今回は、これまでのリサーチの成果を踏まえて「提案」をするというもの。提案への跳躍は、特に、かえって緻密で冴えたリサーチをしていたグループほど、その乖離が痛いものが多くて、なんかこう、無理を承知で叱りつけているみたいな、いささか心苦しい演習時間だった。・・・頑張ってくれ。みんな。

日曜日。

妻の仕事もちょっと手伝いつつ、のたうち回りながら原稿を2本書く。年明けへ向けての「仕込み」はまだあるが、これらを出してしまえば差し当たって今年中に終わらせなければいけなかったMoonlightingは終了。あ、そーじゃなくてキャナルとRLAがあるんだった。。。と思いつつ、子供らに絵本を読んでいるうちに寝落ち、そのまま朝まで眠るのだった。ぐー。

2005年12月15日

分水嶺としての理科大野田キャンパス2号館

ピクニシェンヌ伊藤香織さんに呼んで頂いて、理科大の建築学科で特別講義。
学部2年生。科目は「都市計画2」。

理科大の野田キャンパスの最寄りは東武野田線の「運河駅」である。
野田は「未踏の地」だし、駅名も気になったので、地形図を眺めてみた。

これはびっくり。衛星写真に輪郭が写るくらいの規模の運河が、利根川と荒川(←訂正訂正。江戸川。)を結んでいる。

(たぶん)地元にお住まいの方のサイト:利根運河物語

明治時代に、地元の有志が会社設立して、外タレ技術者を雇って「私設」した(のに短命だった)運河だったのだ。もともと、関東の大豆生産地を控えた、大消費地江戸への水運の要所、というロケーションが、野田をして「醤油ランド」ならしめたらしい。

運河駅は運河の南にあり、キャンパスは北にあるので、大学へは橋を渡ってアプローチする。運河は想像を超えて大きい。荒川の土手の大きさを変えずに、川幅だけぐっと狭めたみたいなプロポーション。ちょっとした眺めだ。地形図を見ると、運河の東半分は既存の谷戸地形が利用されているが、西半分は台地が思い切り掘削されている。理科大の付近は標高が最も高い部分で、だから運河もここでは横断面的に一番深い。「プチお茶の水」という感じ。

運河。

正門から入ると、(伊藤研究室のある)2号館前の車寄せへは上り坂。2号館を過ぎて中庭に入ると、地面は東へ向かって下り傾斜になる。2号館はちょうど、この台地の「尾根」の上にある。江戸川と利根川の水系の分け目だ。ここに降った雨水は、2号館の西に落ちるか東に落ちるかで、東京湾へ流れ出るか、銚子から太平洋へ出るかが決まるのだ。もっとも、東京の上水は利根川からも取水してるから、東へ落ちた水も浄水場経由で神田川あたりへ流れるかも知れないけどな。意外と。(←なにが「意外と」なんだ)

大きな教室で、学生が150人くらい、ぎっしりと座っていて、最初、ちょっとたじろいでしまった。でも、部屋を暗くしてもらって、プロジェクターをつければ、150人と向き合って話すわけでもないし、学生さんたちの反応もそこそこ良かったし、楽しい講義でした。スライドの枚数が多くなっちゃったので、飛ばしたら、時間が余ってしまった。もっとのんびり話せばよかった。

ピクニシェンヌは若々しくて、かつ「偉そう」にしないので、なんか、ぜんぜん「先生」という感じがしない。学生に混じっていると、普通に「先輩」みたいな様子。中庭の駐車スペースには、芝生柄のピクニックカー。そういえば、我が家にSmartのミニカーがあるのだが、息子はSmartを完全にピクニシェンヌと結びつけて記憶しており、「いとうさんおおたさんのブーブー」と呼んでいる。。。

2005年12月14日

高度2万キロのナイアガラ。

ほほう。

「絶対的な方位を相手と共有しておく」という意味じゃないでしょうか(わかんないけど)。

先日のG系グループセラピー、じゃなくて打ち合わせの際に告白されたことだけど、GPSオタクにも重度があり、「共時的に現在位置が表示された電子地図が手放せない」→「近所へ出向くにも軌跡が記録されていないと不安になる」→「受信機が衛星電波を捉えて測位した瞬間、友達(ナブスターくん)と繋がったような喜びをおぼえる」→「現在位置探索中のGPSの悩ましい様子がカワイイ」という順番で重症。

2005年12月12日

「教祖」の軌跡。

こ、これは。

伊能大図彩色図<試作版>

「伊能図」を原色で閲覧できる。
拡大範囲が限られているのが残念だ。
ウオッ地図みたいにしてくれれば、伊能図上にGPS軌跡プロットするのに。。。

索引図

すごい。これ、半分隠居したみたいな親父さんが歩いて測量しちゃったのだ。

彼は、日本で初めて、自分の位置を自覚してプロットしながら歩き回った人物なのであって、僕らは伊能忠敬の子供たちなのである。敬礼。

「他人事でない世界」の豊かさのために。

木曜日。
元永さんのご厚意でfooの会議スペースをお借りして、田中浩也さん岩嵜くん、編集長、Y田さん、I尾さんに集まって頂き(といって、僕だけ大遅刻してしまった。深省。)、某誌の(仮称)G系特集企画のための打合せ。

あらためて議論の遡上に載せてみると、我々の興味と関心はじつに、言葉にして他人に伝えるのが難しい(というか、日頃はそんな努力をあまりしていない)ということがわかった。「このあたりの事を、何と名付けてどう説明すればいいのか」なんて話し合っていると、なんだか、特異な嗜好の偏執狂者によるカミングアウト集会をしてるみたいな気持ちになってくる。いや、むろん僕自身は楽しみにしてはいるんだけど。

あと、差し当たって実感したのは、「先行デザイン宣言」がじつに良くできてる、ということと、「コミュニティウェア」がじつに網羅的に多くの試みを紹介しちゃってる、ということなのだった。

土曜日。
関東学院へ。フィールドワークの成果のまとめの発表と、「提案」課題の通知。
みんな頑張っている。成績をつけるとすれば辛い点をつけざるを得ないものもあるにはあるが、少なくともやる気のない学生はいないし、どのグループも確実に進歩している(こればっか書いてる気もするけど)。

調布から六浦への通勤片道1時間半(つまり往復3時間)の友は、元永さんにお借りしてきた、本江正茂さんの学位論文「環境情報デザイン論  場所へのコミットメントを支援する情報技術の使い方に関する研究」(2005.03)の製本。

これは面白い。

論文は、大きく、理論編と実践編の2部構成になっている。

理論編では、まず問題意識として、現代に生きる私たちが、利便性と引き換えに急速に「世界」から疎外されつつある、というような事態への批判と危機感が、「場所性の凋落」というキーワードで述べられている。これに抗うに、世界の中の私のありかたを、世界に対して切実なものにすることによって、世界をふたたび意味のあるものとして構築する、「場所へのコミットメントの回復」が掲げられる(ややこしい言い方だが、意味のある世界と、世界を意味あるものにする、はいわば双方向なので)。その手段として、急速に場所性を凋落せしめつつある主犯人のごとき「情報技術」を、いわば逆手に取ることが思いつかれる。そして、情報環境の構想やデザインにおいて、「(再解釈されて拡大した意味においての)建築的思考」が有効に使える。と本江さんは主張する。

実践編は、「時空間ポエマー」が典型するような、個人のささやかな営みを「共有」へ巻き込んで、「コミットメント・スパイラル」の生成を目論む、様々なプロジェクトの試行錯誤の記録と考察が並んでいる。

全編通じて、論旨は明快で、きわめてポジティブだ。ことに、冒頭の問題意識に対して、現代性をすべて否定したり、どうせ変わらないと悲観的になったり、皮肉っぽくなったりしても始まらない、という態度に、とても好感を持ってしまう。主題としての設問は、引用されているレルフのこの一文に尽きる。

「没場所性の物質的豊かさと場所の最良の質とをつなぎあわせる地理学はあるだろうか。」

「ま、いろいろとやってみますよ」と本江さんはいうのだ。「コミットメント・スパイラル」の生成を支えるものとして想定されているのは、誰だってどうしたって生を意味あるものにしようとするものだ、という、人の本性へのオプティミズムである。じつは、僕にはこれが「肝心」なところなのだ。さしずめ、ラ系なら、「自然の回復力」なんぞという語を入れるような箇所である。こればっかりは検証しようがないので、畢竟、「ハイデガーもこう言ったし」みたいな話にはなるんだけど、これが「言わずもがな」のこととして「見えない」論文は、僕は信用できない。

A4で300ページ強。博士論文を読み比べたりしてるわけではないので相対的なボリュームは知らないが、けっこうすごい量である(折々の講義ノートや別個に発表されたテキストがひとまとめに継ぎ合わさっている、という感じもするけど)。でも、あっという間に読んでしまった。本江さんが繰り返し考えている「搦め手から攻める戦法」は、素朴な真っ向勝負の多いラ系の諸姉諸兄が読んでも、とても啓発されると思う。読めば、本江さんの方法論が「(理念としての)ランドスケープデザインの方法」にきわめて似ていることに気がつくだろう。「建築にできることはまだまだあるぜ」という箇所に躓く必要はない。いろんな「係」がいていいのだ。

それと、これは「論旨」とは関係ないが、「口調」がなんとも面白いのだ。固く厳密な文章に、ときおり「プロバイダがタコでも」なんていう表現が混じる。なんか、書いてある発表原稿を読み上げながら、ふと手をおいて聴衆に向かって顔をあげて冗談をいう、みたいな感じ。後半の実践編に行くに連れて参考・引用文献がなくなってゆくのも、いかにもカティングエッジに連れて行ってもらったみたいでスリリングだし。

読み終えて、以前、新潟へ出張した折に、乗車した上越新幹線が、関越トンネルの中央で停電して停止したときのことを思い出した。電波から遮断された数十分。車内中のスーツ姿が、ケータイを手にしたまま一斉に中腰になり、顔を見合わせて苦笑した。逆説的で、かつ一瞬ではあったけれども、あれは確かに「ケータイを媒介にした共同性」だった。ささやかでも「ポテンシャル」は僕らの中にある。かつて、近藤くんや鶴島くんらが「歩きづらい危ないスロープのほうが、ここ歩きづらいよねえ、と会話が生まれる」という提案をしていて、思わず笑っちゃったんだけど、今にして思えば、多目的広場の中央にステージと丸いベンチを据えてコミュニティなんちゃらなんて名付けるセンスよりもずっと「誠実」なアイデアだったなあ。

というわけで「環境情報デザイン論」お勧め。
でも「どこで入手できますか?」と僕に問い合わせないでください(笑)。

■追記:


「環境情報デザイン論」(PDFファイル)

本江さんのご厚意で閲覧可能になっています。
ラ系の諸姉諸兄もぜひ、読んでみてください。
特に前半の、没場所性に関する考察と、あらたな「場所への誘い」。

2005年12月 8日

親指ポエム:頑張ってきちゃったよ苦戦今朝合格

青山リスの作者、恵月庵より、「親指ポエム」の投稿がありましたので掲載します。

ありがとういます嬉しい駅送ります
頑張ってきちゃったよ苦戦今朝合格
さんは仕事進み先日その
頼んで着々つけば、とりました
なにか日又狙ってので
番日毎分変歩道も
。ミニむっちゃん名もう
康子有楽町よろしく
乱入旅行ルート連絡六月
わいてきますをん

なんかこう、暖かくも穏やかな人柄や日々を思わせる予測変換詩。
家族友人との待ち合わせ連絡が多いのではないかと思われます。
「頑張ってきちゃったよ苦戦今朝合格」はおめでたい。
でも、そこかしこに「又狙ってので」「乱入旅行ルート」と、したたかな一面も。
有楽町よろしく。

あとは植物に任せろ、と?

今月の新建築誌に、新建築住宅設計競技2005「ACTION for SUSTAINABILITY」の結果が掲載されている。

1位はまあ、いいだろう。野暮なことを言い始めるときりがないが、まあいいや。

2位がふたつある。

ひとつは、「5×緑」みたいな、金属のメッシュにツル植物を絡ませたユニットを組み合わせて住宅にする案。設置すると、ツルが成長してユニット同志を結束する一方、家に「根が生えて」地面に固定される。これをして「地球と一体化した建築」と称している。

「比喩」としてはわからなくもないが(かなり安直な気もするが)、ツル植物のカタマリを置いたことで、「荒廃した生態系の再生」「生態系の再生による地質循環の復活」ってのは、言い過ぎにしてもあんまりだ。どこが生態「系」なんだよ。

建築物を植物で「装う」手法としては、屋上緑化よりはツル植物などを絡ませるやりかたのほうが、ずっと良いとは思う。もともとツル性の植物は「自立」しないで、構造系を他の樹木や岩肌に依存するものだ。

でも、提案にある「つる性樹木」ってのは、何を想定してるんだろう?熱帯性のシメコロシクワノキとかか?「鉄骨と組むことで、強度をもつ」とあるから、やわなヘデラとかイタビカヅラとかじゃ駄目だよな。いっそ、ツルでなく、ヤナギのような、幹が柔らかくて可塑性のある樹木をエスパリエのように仕立てるか、若い幹を編んでしまうというやり方もあるかもしれない。実際、ヤナギを編んで「生きた」椅子やテーブルを作る実例はある。そうすれば、鉄骨なんか不要かもしれない。でもそれだったら、小さい家の周囲に樹木をいっぱい植えるのと、どっちが「地球の生態系と共生する建築」か、微妙なところだ。

もうひとつの2位は、将来、石油が枯渇して不要になるところの巨大タンカーを「森の船」に仕立てる、というものだ。いわく、
「将来の石油資源の枯渇により、タンカーの多くは本来の役割を終えることになる。そのようなタンカーを利用して、環境保全の象徴としての森として再生する。船は世界中を巡り、行く先々で人々から種を得て、一つの美しい森を作り上げる。環境への意識を高め、美しい地球を願う気持ちを育てることが、我々の提案である。」

なるほど。プレゼンテーションには「航路」も描かれていて、アラスカからアフリカまで、世界中の港を巡る「森」のコースが示されている。マレーシアの森がアンカレッジにやってきたり、シベリアの森がクウェートに入港したりする、のかもしれない。それと並んで、温帯性落葉樹林ふうの樹群を満載したタンカーが南欧ふうの港町にいたり、たぶん北欧だろうか、北のほうの海に見える海岸に、あきらかに熱帯雨林のジャングルを乗せて浮かんでいたりする風景が大きく描かれている。

・・・枯れるっちゅうに。

だいたい、樹木が「いっぱい生えている」からって、それは「森」ではない。その土地の固有の自然条件によって遷移した植生、さらには土壌微生物から動物のたぐいまでの生態システム全体を「森」というのだ。アラスカにはアラスカの森があり、屋久島には屋久島の森がある。そんなの、ちょっと考えればわかることだろう。植物がきわめて「環境」に「依存」してることなんか、専門知識ですらない。ベランダでハーブでもちょっと育ててみれば実感することだ。

どうしてこう、緑色に塗った途端にそれ以上の思考が停止して、何もかも解決するかのように思いこんで恥じないのだろう。これが2位ってのはちょっとあんまりじゃないでしょーか。両先生。。。

■追記:

九州大学の先生、高口洋人氏による「的確」としか言いようのない評を見つけたので。

2等は美建設計の石井先生の建物を思い起こされる緑化建築。どうやって住むのか、メンテナンスは・・・・。未完成なところが逆に評価されるという結果に。もう一つの2等は要らなくなった石油タンカーをみんなで緑化して世界を巡ろうという、緑化ピースボートみたいな計画。シンボルだね。と片付けられていたが、真剣に考えると、日本を出航したとすると、赤道直下のマラッカ海峡を通る頃には、殆ど枯れているだろうし、たとえ枯れていなかったにしても、受け入れてくれる港は何処にもない。船ごと燻蒸すれば別だが。ここもサステイナブルの重要な要素の一つである、生物の多様性や現状における検疫システムに対するどうしようもない無知が感じられる。つまり、幼稚なのだ。

なるほど、「検疫」のことは思い至らなかったが、たしかに、どことも知れない土地の植物やら土壌やらバクテリアを満載した巨大船が入港してくる、というのは、「生物多様性」的見地からすれば「悪夢」であって、結果的に「サステナブル」のスピリットからはかけ離れた思いつきだ。いま既に、バラスト水を一生懸命フィルターしたりしてるくらいだし。

いや、別に、アイデアコンペの案に対して、「現実的」な破綻を指摘して文句つけようと言うのではないんだけどさ。

でも、リアリティの「湯加減」がコンペの醍醐味じゃんか。(しつこいけど)「地球を傷つけない→人工的な基礎を作らない→ツタに根を張らせる」なんて、建築の案としても駄目なんじゃないのか?「住む」が「建築化」した途端に、「大規模なシステムが供給する水や電気やガスや物流や、その他の様々なエネルギーの偏り」を前提としたモノになってしまう、ということが、住宅の「サステナブル的問題」なわけだろ。「根を生やす」ならそこだよ。


■追追記:

建築雑誌オールレビュー [新建築]12月号

 入選を果たしたそれぞれのプランは、我々素人が見ても実効性の高そうな内容が殆どで、理想主義に偏ったり、トリッキーな手法に終始する主張は、極めて少数派に感じられた。それゆえに「このプランがすぐに実現すればいいのに…」というもどかしさを感じてしまったほどだ。

・・・え?

2005年12月 7日

この案さすが新宿、進む線掃除中。

会社帰りの電車の中で、僕もやってみた。

あ・赤坂  い・いてきます  う・ウェルカムコモン  え・英語  お・置いて
か・金沢  き・基準  く・空港  け・京急  こ・この案
さ・さすが  し・新宿  す・進む  せ・線  そ・掃除中
た・溜池山王  ち・調布  つ・机  て・です  と・都庁前
な・なのだ  に・にでも  ぬ・ヌ  ね・ねが  の・蚤
は・八景  ひ・評論家  ふ・付近  へ・別名  ほ・ホチキス
ま・まだ  み・皆川  む・六浦  め・メモリー  も・モクセンナ
や・休み  ゆ・祐天寺  よ・横浜
ら・来週  り・了解  る・るってことだ  れ・連絡  ろ・六月
わ・忘れる  を・ヲ  ん・ン
地名が多いのは、僕がケータイを主に「乗り換え時間調べ」に使っているからだ。 ほとんど味気ない単語群だけど「評論家」ってのはなんだ?記憶にない。

作文。

赤坂いてきます、ウェルカムコモン。
英語置いて、金沢基準空港京急。この案さすが新宿、進む線掃除中。
溜池山王調布机です。都庁前なのだ。にでもぬねが蚤八景。
評論家付近、別名ホチキス。
まだ皆川、六浦メモリー、モクセンナ。
休み祐天寺横浜、来週了解るってことだ。連絡六月忘れるをん。

追記:

これは「親指ポエム」と命名されました。
この、生活やキャラが見えるような見えないような微妙な加減が面白い。
本日まだミディアム。
:www.taro.st:->:blog:->: [親指ポエム]やばいゆっくり夜リンクリンクれれロマン。

2005年12月 5日

destructural engineering

初冬の中国東北部。
春になると日本までやってくる黄砂がすでに舞っていて、街がなんとなく薄く埃っぽい。
空気がパリッと寒く、この乾燥した、いかにも内陸性の冷涼な感じは、アメリカの中西部の冬に似ている。

中国の都市はどこもかしこも、街全体が工事現場みたいな様子である。ビルが立ち上がり、高架のハイウェイが延び、敷石が貼られ、苗木がびっしり植えられ、とにかくもう、すさまじい勢いで様々なものが建設されつつある。特に、オリンピックに狙いを定めた北京では、見たことのないような「ものすごいもの」がいくつも建設されていて、たじろぐばかりである。こんな環境で育ったら、生半可なことでは吃驚しないような人間になるんじゃないだろうか。

スタジアムとか空港とか、公共の大規模な施設は、たしかに意匠はクレイジーだが、それを支えるエンジニアリングに力が注がれてもいる様子はなんとなく伝わってくる。つまり、単に迫力ある奇妙で斬新なカタチをしてるだけじゃなく、アラップのお兄さんたちがよってたかって3次元CADを駆使して「壊れない」ようにしてるんだろうなこれは、という感じがするのである。

危なっかしいのは、もっと規模の小さい、しかし夥しい数が建設されている事務所ビルや集合住宅である(すなわち、僕のクライアントが手がけているたぐいの建物群である)。地下の駐車場なんかに入ると、柱はいかにも細いしスパンは大きいし、日本の建物を見慣れている目にはいかにも「弱そう」に映る。慌てて沢山つくると、たいていろくなことにならないぞ。北京の近くには活断層もあって、ほんの30年前、大地震で多くの犠牲者を出した「実績」もあったりするのだ。

で、担当の薛さんという女性と夕食を摂りつつ、つい、日本を賑わせているマンションの構造設計偽造問題に話が及んでしまった。薛さんはたいへん驚き、なぜ、建設技術が先進している日本でそういうことがあるのか、と言った。「いや、建設技術の問題じゃなくて、短期間に多量に集合住宅を建設して販売するやりかたの歪みというか(ここで、このサブジェクトは、話せば話すほど薛さんの会社への批判みたいに聞こえる、ということに気がつくも、手遅れ)・・・いまの住宅の需要がいつまでも続くとは誰も思っていないから、いまのうちに素早くたくさん売って、えーと、いや、日本の市場の話ですよ、つまり限られた工事や設計予算のなかで、・・だからその、彼らの場合、限られた予算で、請け負った側もなんとか利益を出そうと思ったら何かを抜くよりほかないと、・・・えーと、彼らはそう思ったと」とほほ。

2005年12月 4日

武器は位置図と詳細図。

何を食べても美味しいとはいえ、中華料理の連続にフェドアップしてしまい、3日目の夕食に何を食べたいかとクライアントに聞かれて、現地では現地のものを食うという長年のポリシーをあっさり曲げて「スパゲッティ!」と子供のような答えをし、天津の「上島コーヒー」でパスタ食ってしまった根性なしのわたくしです。でも、帰国日のお昼に北京の設計事務所の王所長にご馳走になった四川料理はうまかった。体が発火するんじゃないかと思ったくらい辛かったけど。


金曜日。中国から最終便で帰ってくると、ただでさえ重い荷物を背負いつつ、今度は東京を横断して、京王線の酔っぱらい金曜終電に乗る羽目になる。自宅に帰り着いたときにはもうぐったり。


土曜日。1時間の時差ぼけを克服して起床。美味しいコーヒーをいれて飲み(あんなに料理がすごいのに、お茶の種類も豊富なのに、どうしてコーヒーがいつも泥水のように不味いんだ。中華人民共和国。)、一路、関東学院へ。

今回は、横浜のフィールドワークの成果を、グループ毎にプレゼンテーションする。
予想を上回る出来だった。例年に比べてどうのこうのというのは関係なく、手応えのある、いい発表が多かった。冴えた切り口を見つけたグループもあったし、なかなか楽しい演習時間になった。

やる気がなかったり、ついて来ることができない履修者がいなくなっちゃった、つまりガッツのある学生だけがクラスに残っている、ということもあるのだろうが、演習が始まった数ヶ月前に比べると、みんな別人のごとき手際である。若いってすごい(←中年的感慨)。

ちょっと意外だったのは、パワフルなメンバーが集まったように見えていたグループが、なんだか情報を載せすぎて身動きとれなくなってしまっていたことだ。張り切りすぎたのか。

それと、これは帰りに田中キミさんに車で駅まで送ってもらいながら話してもいたことなのだが、対象地を記述する要素として、やたらと「眺め」と「音」が多く選ばれていたのが少し気になった。たしかに、音も景色も、そこに身を置いて最初に感じる街の「印象」ではあるのだろうし、田島さんが「図書館で調べたものをそのまんま持ってきて発表するな。小学生の課題じゃない。自分が何を感じ、発見したか述べろ」と叱った「効果」の反映でもあるのだろう。でも、いみじくも都市を切り取ってこようという課題に対して「わたしが感じたもの」だけじゃ探査距離が短すぎる。

もっとも、大学のカラーというのもあるかもしれないし、学科が建築だという事情も(やはり)作用している、のかもしれないけどな。農大の造園で似たような課題が出たら、学生は最初に地域の植生図とか周辺の公園緑地マップみたいなのを作って持ってくるだろうと思う(でも、そのわりに提案がなんか形式的・様式的になっちゃうのも農大の傾向である)。

それはともかくも、いきなりは無理かもしれないが、そろそろ、「わたしがここで感じること」と同時に「わたしが『どこ』にいるのか」という視点も持って欲しい。その二つを見比べたとき、地上に立っている自分と、衛星写真のなかの自分の位置との間にある「乖離」に気付くだろう。わたしが歩いた「坂道」と、地図が描く「等高線」との間、その空白部分に、切り込んでゆくべき都市の生々しさがあるのだぞ。などと、なんか「先生」のような口調になってしまうのだった。

いや、この場合、僕は「センセイ」なのだった。考えてみたら。だからいいのだ。1万分の1の地形図を2倍に拡大して、等高線を色分けしてトレースして、対象地の断面くらい描いて持ってこいキッズ。「どうしてここはこんなに谷が急で、入り組んでるんでしょうか」くらい質問しろ。そしたら、「横浜の山手の台地は下末吉面といって、古い関東ローム層だから、浸食谷が発達してるんだよ」と、先週仕入れた知識を100年前から知ってるみたいな顔をして教えてあげるから。

You Don't See Me

地面のふりをしているマンホールやハンドホールの蓋を「化粧蓋」と呼びます。
化粧蓋にしたとたんに、設備工事じゃなくて建築工事になっちゃうんだな。工事区分上。
いやそれは別にいいんですが。


天津。最近建設されたニュータウンの、集合住宅の庭部分にあった化粧蓋。
ここまでこだわった化粧蓋は日本でもなかなかお目にかかれません。


こういう細部だけでなく、全体の配置も含めて、外部のデザインが非常によくできた住宅地でした。
デザイナーは北京の設計事務所。


でも、たまにこういうのが。


向きがずれてます。たぶん管理の人が間違えたんでしょうが。惜しい。


これなんか、木デッキ、自然石の縁石、洗い出しコンクリート、芝生、と、違う仕上げが4つも混在した、こだわりフタなのに。惜しい。


ていうか、見ればわかるだろう普通。ちゃんと置けよ。


こちら北京。
もっと端的に、芝生になりたかったマンホール。


さすがに無理。つやつや光ってるし。


・・・さすがに無理。

Powered by Manhole people - トラックバック・ピープル