2005年12月30日

「東京の凸凹地図」

東京地図研究社「地べたで再発見!『東京』の凸凹地図」技術評論社、2006

地元の書店の地図コーナーで見つけた。
奥付には「平成18年1月15日初版第一刷発行」とあるが、Amazonにも先週から出ている。定価1,680円。

1冊丸ごと、東京都市部の「地形」に関する本である。専門書でなく、「東京の地面の意外な相貌を再発見し、街へ見に行ってみよう」というような、いわば「地形フィールドワーク入門」。
空撮写真をアナグリフにした「立体視地図」や、5mメッシュ標高データを使った陰影図による都内各地のユニークな地形の解説など、じつに秀逸だ。陰影図は普段から自分で作ってさんざん眺め回しているが、都心のアナグリフは新鮮だった。土地の起伏と建物や土木構造物の立体的な錯綜のこのザラザラ感は、森ビルの都市展の模型でも味わわなかった、初めての体験。これは面白い。

本文は、単なる「凸凹観察」ではなく、地理学用語や自然史(潜在自然植生に関する記述まである)の解説まで添えられていて、けっこう「硬派」である。巻末の参考文献に、貝塚先生の「東京の自然史」と並んで鈴木理生氏の「江戸・東京の川と水辺の事典」が挙げられている。フィールドワークの目の付け所も浅くない。東急のビルと地下河川・渋谷川の拮抗状態の観察など、とてもスリリングだし。

残念な点は、まず、「全体図」がないことだ。『原宿「竹下通り」は川底だった』とか『「大森」の台地に谷が多いわけ」とか、視覚的に工夫された陰影地形図が解説記事とともにいくつも掲載されているのに、東京全体の地形図がない。東京の地理を熟知していないと、それぞれの場所の関係もわからないし、武蔵野台地全体くらいの地形も見えない。どこかに見開きでインデックス地図くらいあってほしい。惜しい。

それと、図版を作成した「もとデータ」の入手方法とか、加工方法に関する記事がない。メッシュ標高データは市販されているし、空中写真も国土地理院のサイトで閲覧できるし、それこそカシミールを使ったりすれば「地形図を自作して加工する楽しみ」は素人にも簡単にできることだ。あるいは、パソコンを使わずに「1万分の1地形図の等高線を色分けしてみよう」でもいい。「簡単に入手可能な情報をすこし加工するだけで、東京の意外な『プロファイル』が浮かんでくるよ」というのも、こういう「都市地形入門書」の面白くなりうるところであるわけで、惜しいな。

まあしかし、そういうのを差し引いても、いい本が出たぞ。
内容もさることながら、このテーマが「本」になっちゃうところが驚きだ。
これはもしかして、これから「地形」が「来る」徴候なんだろうか。
と、本日、たまたま我が家へeTrexを取りに来られた地図メカ・元永氏に話したら、いや、「来る」はないでしょうが、ここ最近、いままで潜行していたところの「こういう本を待っていた人たち」が表に出てきやすい雰囲気になってきた、というのはあるでしょうね、ということであった。

東京地図研究社のウェブサイト:
http://www.t-map.co.jp/
この、何とも言えない「堅さ」が頼もしい。やるじゃないか東京地図研究社。

2005年12月27日

Operation "Potential Orange"

振り返るに、いや、ぜんぜん振り返っている場合じゃなく、今年もまだやることは山のようにあるのだが、今年の最大にして最後の収穫(のひとつ)は、自分がいったい何を見ようとしているのかということが、おぼろげながらわかってきたこと、だったかもしれない。

僕はおおむね、地面やそこに生えてくるものや、河の流れてゆく先や雨が降ってくる上を眺めているが、それはおそらく、そうした「地上のインターフェース」の先に、なにがしかが潜在することへの確信、というか期待というか祈りというか、そういう衝動に動かされているのだろう、と思う。

そして、僕がほとんど反射的に惹き付けられた思想や実践は、街にざわめく人々の中にある共同への希求を「場所」に結びつけることができるかもしれない、というオプティミズムだったり、どんな土地にも形態は「すでに」そこにある、というオプティミズムだったり、電子回路は自然と断絶しているわけではなく、いわば解釈系の差異による「表現の違い」に過ぎない、というオプティミズムだったりし、それはすべからく「潜在への確信と期待」(だと僕が勝手に解釈した)なのだった。

そういうわけで、本年を締めくくるキーワードは「ポテンシャル」。

「ケイパビリティ・ブラウン」に対抗して(対抗してどうする)、「ポテンシャル・オレンジ」とでも呼んでくれ。(オレンジに深い意味はありません)

land-discape

http://www.mainichi-msn.co.jp/seiji/gyousei/news/20051227k0000m010114000c.html

「日本橋首都高景観問題」は「撤去すべきもの」として、ついに「オフィシャライズ」されたようです、五十嵐『景観を笑う』隊長。

「美しい景観を創る会」のウェブサイト(うかつにも、昨日までこれの存在を知らなかった)にも、「悪い景観100選(70件を先行公開)」というのが公開された。事例写真につけられていた「寸評」とあわせて、それこそ笑えるというか、これは何かのメタメッセージなんじゃないかと勘ぐるような、そういう意味では興味深いページだったんだけど、その後、「創る会」のサイト自体がアクセス不能になっている(27日お昼現在)。どうしちゃったんだ。美しい景観を創る会。
http://www.utsukushii-keikan.net/

「はてな」のブックマーク群。『卒論』ていうタグつけてる奴がいるな。。。いいけど。
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.utsukushii-keikan.net/10_worst100/worst.html

僕は、こと「景観問題」に関しては、まったく腰が引けている。
これについて書き始めるときりがないので、また。

K-2 建築ツウ日記:1月5日「“悪い”景観」1月14日「粘菌生活者」参照。

2005年12月22日

原風景としてのカンブリア紀の浅い海

地形そのものが「時間の物体化」であるということについて。

「体験」もしくは「認知」という水準で。

そして、堆積や浸食、隆起、沈下というような、地質学的な水準で。地形は変化の「途中」である。きわめて緩慢は変化でもあり、時として地震のように目に見える急激な変化をすることもある。「埋め立て」などは、非常に高速な「地形の生成と変化」であるわけだし。

 人間は一般に平地に住んでいるので、土地が平らであるのは当然だと思っている。しかしどうもそうではないらしいのである。地球上にあるすべての平面はほぼ海面と同じ高さにできたものであり、海面の高さ以外ではできないらしい。もっとも海面と限定することはなく、湖面でもよいが、ともかく水面の高さであり、長い時間を通してみれば、土地の高さは水面の高さに近づいてくる。
 海面より低ければ、水中に物がたまってだんだん浅くなる。一方、海面より高ければけずられてだんだん低くなる。そうすると地球上には平面しかのこらなくなるはずだが、このような「平地化する自然力」より「土地の動き」(隆起・沈降)の方が早いので、山や丘陵ができるのだろう。もちろん断層や褶曲をつくる力も土地の上下に影響することはまちがいない。物がたまって海面直下にできる地形平坦面を堆積面といい、土地がけずられてできる地形平坦面を浸食面という。
 このようにしてできた平地が全体的に隆起して、そこに谷が入りはじめると段丘となる。段丘や隆起準平原のような地形上の平坦面を、一般に「地形面」といっている。(横山卓雄「地図のみかた」保育社、1978)

なるほど。

つまり、地球はそもそも「丸くなろうとする」。きっと、水面の下に浅い平たい海底がどこまでも広がるような、メリハリのない穏やかな「ツルツルの球体」が、地球の「夢」なのだ。デコボコしてるのは、地球にとってはいわば「不本意」な状態で、だから水と土を擦り合わせて「スーパーフラット(という名の球体)」へと「自己生成」するのだ。きっと。

親指ポエム:八潮湯沸かし器よろしく

妻のケータイより。

あれから行かなくては受け取り園終わった
が今日クリスマス現場ごめんなさい
残念しかすごーく先生送金
頼まれ中月出て渡嘉敷
ないんですにしています又ね。乗った
ばかりの博子深い別の方が
ました皆向かう目眩もう
八潮湯沸かし器よろしく
来春林檎留守電連絡六月
私のをん

西本氏のところも増えていて詩集になりつつあるが、
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追加された『アフロがいっこうえだから』とか『様々な消極的に少なく接客。』なんか、すごい。
ほんとに詩みたいだ。
予測変換の性能が向上してるのか。あるいは、もっと日常的にケータイでテキストを入力してるから、普通の会話調の単語がどんどん出てくるのか。なんか、一見、意味の通じそうな文なのに、支離滅裂なのが、かえって不思議な感じだ。

「誠にみんなでむしろ目立ちました。」

おお。目眩が。

2005年12月21日

What Lies Beneath

「G系」へのメモ。

たとえば東京湾岸の埋め立て地の地形図には、埋め立ての歴史が年輪のように刻まれている。空間的な「位置」がそのまんま「時間」である。お台場の建物は「昭和の地面」に建っているし、月島の高層マンションは明治の地面に、銀座の建物は江戸の地面に建っている。

埋め立て地は、新しいものほど高く造成されている傾向がある。以前の海岸線の海抜にはそれほど変化はなく、そこから水際へ向けて傾斜が逆転している。だから、東京の海岸はまるで環礁か、火山のカルデラの外輪のような地形を描いている。

「時間が空間」なのは、たとえば「地層」もそうだ。高層ビルの基礎の杭は、下手をすると数万年前の氷河期の地面に食い込んでいる。

揚水によって地盤が大きく沈下した下町低地は、単に地面が沈んだだけでなく、埋没地形を「あぶり出しつつある」。

あちこちの「ヒルズ」は谷間を埋めて平坦にしつつあるが、ヒルズの内部に入るとそういう「埋没地形」が残存している。泉ガーデンやアークヒルズや六本木ヒルズのエスカレーター。

下町低地は、頑丈な防潮堤防と水門でその「外周水面」から守られている。だから、下町を横切る小さい運河や河川の水はすでに「外部の自然な水面」からは切り離されて、「死んでいる」。だが、逆に言えば、「内部の小水面」は、外部の水面の潮汐や海流や波からもはやフリーである、わけでもある。だから、海面下のゼロメートル地帯では、むしろ水面に非常に近い、高い親水性のある住居や公共施設を作りうる状況が整っている、わけでもある(辻野さんに伺った話)。

渋谷や五反田の、「渓谷に架かる鉄橋」のごとき「地形体験」。3階に到着する「地下鉄」銀座線。

立ち止まっているとそれは単に「傾斜」や「勾配」でしかない。見渡すと「斜面」になる。歩きはじめて「坂」になり、「歩き回る」ことで「谷」や「台地」になる。移動することであらわれる。キャプチャーでなく「スキャン」である。いや、レコードと針の関係のような。凹凸が「メロディ」を奏でるという点でも、レコード針としての「ジオウォーク」はよい比喩かもしれないぞ。

そういう意味で、地図なし「eTrex」は、動きを誘う。あれは、なにしろ動かないと何も起きないから。ケータイGPSはあくまで「立ち止まって測位」するものだが、eTrexは「動くこと」によって位置の「変化」を記録する。微分的位置情報と、積分的位置情報というか。そうだ、地形を「地形」たらしめているのは、現象学的な意味では、空間じゃなくて「時間」である。だいたい、地形そのものが「時間の物体化」だし。

都心部の、都市化した土地のほうが、たとえば多摩丘陵などよりもずっと原地形が残存している。それは、都市として開発された年代が古いからで、造成の面積的単位が比較的小さいからだ。地形図には、都心の谷地形は細かい宅盤に区切られて「デジタル化」しているが、地図の縮尺を大きくして解像度を下げると、もとの谷や岡の「脈絡」がはっきり残っている。それに比べると、近代土木が結集して造成した、多摩ニュータウンや、土地区画整理事業でずたずたになった田園都市の「原地形」を追うのは困難だ。というか、多摩丘陵は地形が急峻なので、大きく造成しないと「都市基盤としての平坦面」を確保できなかったという事情もある。ということは、下手にデコボコしているよりも、「微妙なアンジュレーション」のような「かすかな地形」のほうが、先行形態としては存続する強度があったりするわけだ。奈良盆地の「数十センチの段差でできたグリッド」みたいに。いうなれば、「ささやき声のほうが伝達力があることがある」。

上水は「加圧タンク」で、下水は「見えない河川」。地下放水路は「都市の化粧枡化」。

空き地に生えてくるのは「森の予感」。

2005年12月20日

Going Grounding

日没前。

中国から、以前に提出していた案が気に入られたので、新しい仕事を発注したい旨、メールが届く。
スタッフを集めて設計料とスケジュールの見積もり。
(たまにこういうことを書くと、いかにも仕事をしている感じ。)


日没後。

「ランドスケープ批評宣言・増補第二版」の著者校正を送る。編集部からの、内容に関する指摘は特になく、ひと安心(単に締め切りに間に合わないため、修正を控えただけかもしれないが)。

建築学会のシンポジム資料用の原稿に、本江先生より合格の返信をもらってひと安心。
って、いや、べつに査読じゃないんだけど、どんな文章であれ、原稿の提出はいつも、緊張してしまうのだ。

GPS地上絵に関係した企画の準備があって、久しぶりに白地図を(そのつもりで)眺める。
いまひとつ冴えない、無理っぽい形をなんとかひとつ見つけた。ううむ。

1月に開催される展示会の、オープニングのシンポジウムに出席して、「地形」について喋れ、という依頼をもらう。安請け合いする。電話を切ってから胃痛(←まったく学習しない俺)。

現在進行中の、雑誌の企画をめぐって、やりたいことをいくつも思いついたのだが、なにせ時間がない。
誰か、事務所で「仕事をしている石川のふり」をしてくれないかなあ。2週間ほど。時給1000円くらいで。

2005年12月14日

高度2万キロのナイアガラ。

ほほう。

「絶対的な方位を相手と共有しておく」という意味じゃないでしょうか(わかんないけど)。

先日のG系グループセラピー、じゃなくて打ち合わせの際に告白されたことだけど、GPSオタクにも重度があり、「共時的に現在位置が表示された電子地図が手放せない」→「近所へ出向くにも軌跡が記録されていないと不安になる」→「受信機が衛星電波を捉えて測位した瞬間、友達(ナブスターくん)と繋がったような喜びをおぼえる」→「現在位置探索中のGPSの悩ましい様子がカワイイ」という順番で重症。

2005年12月12日

「教祖」の軌跡。

こ、これは。

伊能大図彩色図<試作版>

「伊能図」を原色で閲覧できる。
拡大範囲が限られているのが残念だ。
ウオッ地図みたいにしてくれれば、伊能図上にGPS軌跡プロットするのに。。。

索引図

すごい。これ、半分隠居したみたいな親父さんが歩いて測量しちゃったのだ。

彼は、日本で初めて、自分の位置を自覚してプロットしながら歩き回った人物なのであって、僕らは伊能忠敬の子供たちなのである。敬礼。

「他人事でない世界」の豊かさのために。

木曜日。
元永さんのご厚意でfooの会議スペースをお借りして、田中浩也さん岩嵜くん、編集長、Y田さん、I尾さんに集まって頂き(といって、僕だけ大遅刻してしまった。深省。)、某誌の(仮称)G系特集企画のための打合せ。

あらためて議論の遡上に載せてみると、我々の興味と関心はじつに、言葉にして他人に伝えるのが難しい(というか、日頃はそんな努力をあまりしていない)ということがわかった。「このあたりの事を、何と名付けてどう説明すればいいのか」なんて話し合っていると、なんだか、特異な嗜好の偏執狂者によるカミングアウト集会をしてるみたいな気持ちになってくる。いや、むろん僕自身は楽しみにしてはいるんだけど。

あと、差し当たって実感したのは、「先行デザイン宣言」がじつに良くできてる、ということと、「コミュニティウェア」がじつに網羅的に多くの試みを紹介しちゃってる、ということなのだった。

土曜日。
関東学院へ。フィールドワークの成果のまとめの発表と、「提案」課題の通知。
みんな頑張っている。成績をつけるとすれば辛い点をつけざるを得ないものもあるにはあるが、少なくともやる気のない学生はいないし、どのグループも確実に進歩している(こればっか書いてる気もするけど)。

調布から六浦への通勤片道1時間半(つまり往復3時間)の友は、元永さんにお借りしてきた、本江正茂さんの学位論文「環境情報デザイン論  場所へのコミットメントを支援する情報技術の使い方に関する研究」(2005.03)の製本。

これは面白い。

論文は、大きく、理論編と実践編の2部構成になっている。

理論編では、まず問題意識として、現代に生きる私たちが、利便性と引き換えに急速に「世界」から疎外されつつある、というような事態への批判と危機感が、「場所性の凋落」というキーワードで述べられている。これに抗うに、世界の中の私のありかたを、世界に対して切実なものにすることによって、世界をふたたび意味のあるものとして構築する、「場所へのコミットメントの回復」が掲げられる(ややこしい言い方だが、意味のある世界と、世界を意味あるものにする、はいわば双方向なので)。その手段として、急速に場所性を凋落せしめつつある主犯人のごとき「情報技術」を、いわば逆手に取ることが思いつかれる。そして、情報環境の構想やデザインにおいて、「(再解釈されて拡大した意味においての)建築的思考」が有効に使える。と本江さんは主張する。

実践編は、「時空間ポエマー」が典型するような、個人のささやかな営みを「共有」へ巻き込んで、「コミットメント・スパイラル」の生成を目論む、様々なプロジェクトの試行錯誤の記録と考察が並んでいる。

全編通じて、論旨は明快で、きわめてポジティブだ。ことに、冒頭の問題意識に対して、現代性をすべて否定したり、どうせ変わらないと悲観的になったり、皮肉っぽくなったりしても始まらない、という態度に、とても好感を持ってしまう。主題としての設問は、引用されているレルフのこの一文に尽きる。

「没場所性の物質的豊かさと場所の最良の質とをつなぎあわせる地理学はあるだろうか。」

「ま、いろいろとやってみますよ」と本江さんはいうのだ。「コミットメント・スパイラル」の生成を支えるものとして想定されているのは、誰だってどうしたって生を意味あるものにしようとするものだ、という、人の本性へのオプティミズムである。じつは、僕にはこれが「肝心」なところなのだ。さしずめ、ラ系なら、「自然の回復力」なんぞという語を入れるような箇所である。こればっかりは検証しようがないので、畢竟、「ハイデガーもこう言ったし」みたいな話にはなるんだけど、これが「言わずもがな」のこととして「見えない」論文は、僕は信用できない。

A4で300ページ強。博士論文を読み比べたりしてるわけではないので相対的なボリュームは知らないが、けっこうすごい量である(折々の講義ノートや別個に発表されたテキストがひとまとめに継ぎ合わさっている、という感じもするけど)。でも、あっという間に読んでしまった。本江さんが繰り返し考えている「搦め手から攻める戦法」は、素朴な真っ向勝負の多いラ系の諸姉諸兄が読んでも、とても啓発されると思う。読めば、本江さんの方法論が「(理念としての)ランドスケープデザインの方法」にきわめて似ていることに気がつくだろう。「建築にできることはまだまだあるぜ」という箇所に躓く必要はない。いろんな「係」がいていいのだ。

それと、これは「論旨」とは関係ないが、「口調」がなんとも面白いのだ。固く厳密な文章に、ときおり「プロバイダがタコでも」なんていう表現が混じる。なんか、書いてある発表原稿を読み上げながら、ふと手をおいて聴衆に向かって顔をあげて冗談をいう、みたいな感じ。後半の実践編に行くに連れて参考・引用文献がなくなってゆくのも、いかにもカティングエッジに連れて行ってもらったみたいでスリリングだし。

読み終えて、以前、新潟へ出張した折に、乗車した上越新幹線が、関越トンネルの中央で停電して停止したときのことを思い出した。電波から遮断された数十分。車内中のスーツ姿が、ケータイを手にしたまま一斉に中腰になり、顔を見合わせて苦笑した。逆説的で、かつ一瞬ではあったけれども、あれは確かに「ケータイを媒介にした共同性」だった。ささやかでも「ポテンシャル」は僕らの中にある。かつて、近藤くんや鶴島くんらが「歩きづらい危ないスロープのほうが、ここ歩きづらいよねえ、と会話が生まれる」という提案をしていて、思わず笑っちゃったんだけど、今にして思えば、多目的広場の中央にステージと丸いベンチを据えてコミュニティなんちゃらなんて名付けるセンスよりもずっと「誠実」なアイデアだったなあ。

というわけで「環境情報デザイン論」お勧め。
でも「どこで入手できますか?」と僕に問い合わせないでください(笑)。

■追記:


「環境情報デザイン論」(PDFファイル)

本江さんのご厚意で閲覧可能になっています。
ラ系の諸姉諸兄もぜひ、読んでみてください。
特に前半の、没場所性に関する考察と、あらたな「場所への誘い」。

2005年12月 8日

親指ポエム:頑張ってきちゃったよ苦戦今朝合格

青山リスの作者、恵月庵より、「親指ポエム」の投稿がありましたので掲載します。

ありがとういます嬉しい駅送ります
頑張ってきちゃったよ苦戦今朝合格
さんは仕事進み先日その
頼んで着々つけば、とりました
なにか日又狙ってので
番日毎分変歩道も
。ミニむっちゃん名もう
康子有楽町よろしく
乱入旅行ルート連絡六月
わいてきますをん

なんかこう、暖かくも穏やかな人柄や日々を思わせる予測変換詩。
家族友人との待ち合わせ連絡が多いのではないかと思われます。
「頑張ってきちゃったよ苦戦今朝合格」はおめでたい。
でも、そこかしこに「又狙ってので」「乱入旅行ルート」と、したたかな一面も。
有楽町よろしく。

2005年12月 7日

この案さすが新宿、進む線掃除中。

会社帰りの電車の中で、僕もやってみた。

あ・赤坂  い・いてきます  う・ウェルカムコモン  え・英語  お・置いて
か・金沢  き・基準  く・空港  け・京急  こ・この案
さ・さすが  し・新宿  す・進む  せ・線  そ・掃除中
た・溜池山王  ち・調布  つ・机  て・です  と・都庁前
な・なのだ  に・にでも  ぬ・ヌ  ね・ねが  の・蚤
は・八景  ひ・評論家  ふ・付近  へ・別名  ほ・ホチキス
ま・まだ  み・皆川  む・六浦  め・メモリー  も・モクセンナ
や・休み  ゆ・祐天寺  よ・横浜
ら・来週  り・了解  る・るってことだ  れ・連絡  ろ・六月
わ・忘れる  を・ヲ  ん・ン
地名が多いのは、僕がケータイを主に「乗り換え時間調べ」に使っているからだ。 ほとんど味気ない単語群だけど「評論家」ってのはなんだ?記憶にない。

作文。

赤坂いてきます、ウェルカムコモン。
英語置いて、金沢基準空港京急。この案さすが新宿、進む線掃除中。
溜池山王調布机です。都庁前なのだ。にでもぬねが蚤八景。
評論家付近、別名ホチキス。
まだ皆川、六浦メモリー、モクセンナ。
休み祐天寺横浜、来週了解るってことだ。連絡六月忘れるをん。

追記:

これは「親指ポエム」と命名されました。
この、生活やキャラが見えるような見えないような微妙な加減が面白い。
本日まだミディアム。
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2005年12月 4日

You Don't See Me

地面のふりをしているマンホールやハンドホールの蓋を「化粧蓋」と呼びます。
化粧蓋にしたとたんに、設備工事じゃなくて建築工事になっちゃうんだな。工事区分上。
いやそれは別にいいんですが。


天津。最近建設されたニュータウンの、集合住宅の庭部分にあった化粧蓋。
ここまでこだわった化粧蓋は日本でもなかなかお目にかかれません。


こういう細部だけでなく、全体の配置も含めて、外部のデザインが非常によくできた住宅地でした。
デザイナーは北京の設計事務所。


でも、たまにこういうのが。


向きがずれてます。たぶん管理の人が間違えたんでしょうが。惜しい。


これなんか、木デッキ、自然石の縁石、洗い出しコンクリート、芝生、と、違う仕上げが4つも混在した、こだわりフタなのに。惜しい。


ていうか、見ればわかるだろう普通。ちゃんと置けよ。


こちら北京。
もっと端的に、芝生になりたかったマンホール。


さすがに無理。つやつや光ってるし。


・・・さすがに無理。

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