地図の読解力についてなど
今週の通勤本。
松井章「環境考古学への招待—発掘からわかる食・トイレ・戦争 」岩波新書、2005
なんとなく「地層」つながりで。
今尾恵介「日本地図のたのしみ」角川書店、2005
今尾さんの新刊。もう、目次を眺めているだけでニヤニヤ笑いを漏らしてしまうような本である。いや素晴らしい。
著者は前書きにていわく、
地図は「現地のありのまま」だと思っている人が意外に多いようだが、デジタル時代の今となっても、一定の数値を入力すれば自動的に出来上がるものなどほとんどない。地図というものは、その企画者が手段としての記号(図式)を用いて、「何らかの意図」を表現した著作物なのである。あらゆるものをレンズを通して等価な情報として取り込んでしまう空中写真と決定的に異なっているのはこの「意図を表現」する点だ。
これが「地図のリテラシー」である。無限にありうる地上の情報の組み合わせを、ある観点のみから選択的にマッピングしてある媒体である、という点で、地図はそのまんま作者の世界観の表明でもあり、高度に政治的・権力的なメディアでもある。でも、だからこそ、「わかってて」使うなら、それは強力な「地表への接近」のツールになるのである。
ついでに、「デジタル地図も使う係」として、今尾さんの見解に補足させて頂くならば、空中写真や衛星写真とて、決して「意図フリー」な、「あらゆるものを等価な情報として取り込んだ」媒体ではありえない。それはやはり、ある特定の時点で、ある特定の場所を、ある特定のやりかたでキャプチャーして、ある特定の手法で視覚化したものに過ぎない。盲信してしまうと、場所そのものを見失うのは空撮マップでも地図でも同じだし、コツを掴めばその「偏向性」を利用してより「深読み」ができるのも地図と同様である。だから、地図リテラシーを身につけていれば、空中写真もデジタル標高データもこわくないのだ。フィールドワーカーは必携。