にわか横浜勉強・一夜漬け編
今日は夕方から妻が不在のため、定時過ぎに仕事を切り上げて(すなわちスタッフに残りの作業を押しつけ任せて、という意味。すまない。みんな)帰宅する。が、途中で新宿の紀伊國屋書店に急ぎ立ち寄る。帰路、こんな時間に新宿を通過するのは稀なので。
4階の地図コーナーに直行。
横浜市街中心部付近の1万分の1地形図を買う。「関内」「保土ヶ谷」「上大岡」「根岸」の4枚。「関内」だけでも、明日のフィールドワークの範囲はカバーできるが、地形を見るに、横浜市街の低地を作っている大岡川の形を見るには周囲4つくらい合わせないと気持ちが悪いことがわかったのだ。「関内」は色々と書き込んだりするかもしれないので、2枚買うことにする。1枚450円。大まかな地形は50mメッシュデータ+カシミールで把握できたが、低地の微細な起伏が見たい。それと、GoogleEarthで横浜を見ていて気になった、中華街の部分だけが他の市街地のグリッドからはっきりと振れている由来も知りたい。
2万5千分の一、都市圏活断層図「横浜」も買う。地質図にもなっているので、台地と低地の形を把握するにも良い地図だ。777円。
さらに「地図で見る横浜の変遷」も買う。日本地図センターが刊行している、1906年、1921年、1951年、1971年、1995年の地形図がセットになっていて、解説が付いている資料。都市化の進行や海岸の埋め立ての変遷がよくわかる。2039円。
混んだ京王線の車内で「横浜の変遷」の解説書と1万分の1「関内」を見比べながら帰る(周囲の人に対してはけっこう迷惑なヤツだった。ごめんなさい)。関内の地割りは、明治以前に埋め立てられていた新田開発の形をほぼ踏襲していて、中華街のブロックもそれを利用したために斜めになっているのだ、ということを知る。
開港当時の関内の地図は、ニューオリンズのフレンチクォーターとか、初期のフィラデルフィアみたいである。あるいは、そういうのを真似したニューアーバニズムのフロリダ州シーサイドにも似てる。中心に据えられていた公園がそのまま横浜スタジアムの敷地である。低地は海抜2mから3m、べたっと平坦で、1万分の1地形図にも等高線がない。関内が周囲よりも若干高いみたいである。5mメッシュ標高データの横浜版を出してください国土地理院さま。
弁天通りは、居留地造成前、ほんとに海に突き出した砂州の先にあった弁天様に由来する。
河口の州を流れていた3本の流れのうち、真ん中の「中川」は埋められて公園通りになった。
山手の麓に細く貼り付いている「元町」は、居留地を作る際に幕府によって強制移住させられた「もとの村民」の居住地だった。
山手の台地には、東から深く谷が切れ込んでいて、山の手と下町のような「ひだ」を形成している。山手の台地と大岡川の低地とで、まさにちょうど東京の「台地/低地」と似たような関係になっている。これがまあ、最初に目につくポイントかもしれない。横浜市街は町名統合をあまりしなかったみたいで、細かい町名が並んでいて、なんか好感が持てる。
調布駅で降りて、自宅への途中、両親と祖母の住む家に立ち寄り、横浜出身の祖父の書斎だった部屋から「図説・横浜の歴史」とか「横浜もののはじめ考」「中区わが街」「横浜の歴史」といった本をどさどさと引っ張り出してきて借りる。「横浜もののはじめ考」に綴じ込まれている、1889年の関内の彩色地図が美しい。
以上、明日のクラスのための一夜漬け準備完了。等高線の色分けまでは、さすがに間に合わないが、まあ、明日はこれで、自分がどこを歩いているかくらいは把握できるだろう。
主よ、明日、せめて誰か一人くらいは地形図を持参しますように。たった450円だぞ。キッズ。


コメント
開港資料館に、いくつか古い地図が展示してありましたよ。あとどっかで見たなー。思い出せないです。すみません。
Posted by もとなが at 2005年11月26日 00:07
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