・Recent Moonlighting
Living style-スタイルのある暮らし - 日経住宅サーチ
ご笑覧ください。いや、わかってます。勘弁して下さい。
こちらは、石川初(いしかわはじめ)のweblogです。
2005年9月29日
2005年9月28日
OnlineScreen - Damian Bakowski Homepage
これ自体がブラウザになっていて、たとえばGoogleMapを閲覧しつつ、画面サイズを指定すると、激しいプロポーションのスクリーンショットが撮れる。
中央線沿線。西荻から戸山あたりまで。

うわこりゃ面白い。横長や縦長の施設を探してしまう。
via:安藤日記。
2005年9月27日
スリバチ会長よりお知らせが回って来たので、以下、告知します。
スリバチ学会フィールドワークのご案内
ご無沙汰しております。涼しくなってきたのでフィールドワークを再開します。
日時:10/9(日)
集合:10:30AMに東京メトロ丸の内線本郷3丁目駅改札
本郷界隈のスリバチを散策、
15:30頃、茗荷谷駅にて解散予定、
下町情緒たっぷりのフィールドワークです。
小雨決行・雨天中止。
当日に判断がつきかねる場合などのため、連絡先をお教えしますので、
参加ご希望のかたは石川までメール願います。
hajimebs@gmail.com
当日飛び入りも歓迎です。
※今後の予定
11月初旬:スリバチ学会分科会都営住宅編フィールドワーク
12月初旬:文京区のフィールドワークその2
東京スリバチ学会
会長 :皆川典久
副会長:石川初
今回は久しぶりに石川も参加予定です。
まち歩きに興味のあるかた、ぜひどうぞ。
特に、M先生の輩下の、Geko軍団(GPSを携帯したラ系学生集団)方面からの参加が期待されています。わかってますね?君たち。
Google Earth Blog: Garmin Supports Google Earth
GarminのMapSource(地図機能つきGPSと連携できる地図ソフト)に、Google Earth対応のβ版がリリースされていた。
上記の記事にあるリンク先からダウンロードできる。インストールすると、既にインストール済みのMapSourceがアップデートされて、「Google Earth連携機能つき」になる。
MapSourceでGPSからダウンロードした軌跡を表示。「View」メニューに、「View In Google Earth」という項目がある。

それを選ぶと、いきなりGoogle Earthが起動して、GPS軌跡が表示される。軌跡はそのまんまGoogle Earthで保存できる。

表示しているのは3日分の最寄り駅〜自宅間の通勤径路。

おおお。通勤Earth。
中津先生に教えて頂いた。
Landscape Design Student Exhibition2005
2005年度、首都圏のラ系学生による「作品」の展示と講評会、学生によるシンポジウムなど。
11月19日(土曜日)、プレゼンテーションと講評会に、「審査委員」として呼んで頂いています。
関東学院の演習と重なってるんですが。どうしましょう。>中津先生。
「プログラム」→「講評会」を見ると、「最優秀賞」のほかに、「各審査委員賞」というのがある。ということは、「イシカワハジメ賞」というのがあるわけだ。ううむ。「イシカワハジメ賞!賞品はイシカワさん自作のピクニックTシャツ!」とかそういうのでいいんだろうか。友達が「最優秀賞」や「学生賞(たぶん参加学生による投票)」「三谷賞」「枡野賞」なんてのをもらうのを横目で見つつも、貰いたいかなあ。イシカワ賞。「イシカワ賞だったらいりません」なんて辞退されたらどうしよう。なんか、僕の名前じゃない賞にするか。「地表系賞」とか。
土曜日。
関東学院大学建築学科の演習、初日。
キャンパスは金沢八景にある。神奈川県にあまり土地勘のない僕は、地の果てに行くような気がしてしまい、道中のために本を数冊とiPodを鞄に詰め込んで出かけたのだったが、調布から1時間半あまりであっさり着いてしまった(←ばか)。普段の通勤時間とそう大差ない。
時間が余ったので、購買部の書籍売り場をうろうろした後、おなじく、たまたま早めに来られていた納村さんと学食で昼食を摂った。カツカレーを食べた。
カツカレー。学食で。
その後、中津さん田島さん田中さんらと落ち合い、軽く事前打ち合わせをして、演習室へ。
今回、お手伝いする演習は、何かプロジェクトを仕立てて設計するというものではなく、フィールドワークを通して、街を見る目や記述の手法やプレゼンテーションの方法を養う、という趣旨のものである(野外観察をして写真や絵や文章で発見の驚きとそこからどういうことが考えられるかという発表をする。というと小学校の実習みたいである)。
演習の初回は、オリエンテーションと、最初の課題の発表。
与えられた課題は、「自分の住む街の写真と、10文字程度のテキストを組み合わせたA4の紙10枚で、自らのアイデンティティを表現せよ」。
僕が学部2年のときにこんな課題を与えられたら、途方に暮れただろう。と思われる。
成果品のプレゼンテーションは2週間後。
帰路、京急のなかで中津さんから子供環境学会の話をいろいろと伺いつつ、勧誘される(おおむね、中津さんには、常に何かに勧誘されている)。入会しようかしら。
中津さんは、最近、都心から海沿いの郊外へ引っ越しされたのだが、都心に住んでいたときのほうが、お子さんが公園で友達と泥だらけになって遊ぶ機会が多かったそうだ。都市部(と言っても住宅地の話ではあるんだろうが)だと、同級生同志の家も近くて歩行距離にあり、遊ぶ場所への安全なアクセスも整備されている。むしろ田舎のほうが、自宅でゲームをしている子供が多い。という。僕は都市部の住宅地の恩恵を受けた経験がないので、子供たちの遊び場については何とも言えない。わかるような気もしなくもないが。
こども環境学会-HOME
このサイトにある、こども環境学会-KIDSブログに投稿されていた記事;
お父さんは忙しくて、なかなか休日がとれません。
だから会社の社長さんにお願いです。
お父さんが休めるような会社にしてください!
そして、私と遊べるようにしてください!
(お父さんが大好きっ子 9歳 千葉県)
2005年9月24日
放送日、放送時間に帰宅できる予定だったためにビデオ録画予約をしていず、その時間にちゃんと自宅にいたにも関わらず、間抜けにも、気がついたら放送時間を1時間も過ぎていて、文字通り地団駄を踏み、ふと、地域によって放送日に差があるということに思い至り、仙台の友人にメールしてお願いしてみたところ、快く引き受けてくれ、次の週に仙台名物お菓子のおまけつきでビデオテープを送ってくれた。ありがとう。おりう。謝謝。
というわけで、タモリ倶楽部「近未来の東京バスツアー(まだ建設中だけど…)」編を無事に鑑賞。
メジャーなファンサイトのレビュー:
05年9月9日「近未来の東京バスツアー(まだ建設中だけど…)」
ホームラン2号: 近未来東京
ぽむ桂さんの日記:
ぽむ日記 2005年9月12日
「建築ツウ」は、著作の印象そのまんまの、クールで、よいキャラであった。
もっといろんな解説を聞きたかった。「準レギュラーを目指す」そうであるので、であれは、次回も楽しみに。
番組の中で使われていた、首都圏再開発マップがちょっと気になったので、翌日の通勤帰路、書店に寄った。
手に取ってみると、思っていたよりも興味を引くものではなかったのだが、かわりに「震災時帰宅支援マップ」という地図があるのを見つけて買った。東京都が選定した16の「帰宅支援道路」を記載したルートマップ。都が設定した「帰宅支援ステーション」や、公園などの給水スポット、危険箇所などが記されている。
ISBN:4398680535
昼12時に首都圏を直下型地震が襲った場合、390万人の「帰宅困難者」の発生が予想されている、そうである。その際、最低3日間は交通機関や支援・復興体制が整わないと見込まれていて、390万人は「徒歩」で自宅へ帰ることになる。
僕がその渦中に居合わせた場合、僕の帰宅経路は甲州街道である。
この地図によれば、新宿を起点にして調布まで15km。これは、試しておいたほうがいいかもしれないぞ。大塚さん、元永さん、いかがでしょう。金曜日の夕方あたりから、新宿ー調布徒歩帰宅プロジェクト。
2005年9月21日
google Earthの高解像度写真の範囲が広がっていた。

霞ヶ浦から甲府まで。
解像度の差がモザイク状に現れるので、広域の衛星写真としてはあまりキレイでなくなる。
しかし、何の都合で、どういう順番で追加されるんだろう。

帯状に追加されている部分を、視点を傾いで眺めると、なんかいかにも人工衛星が移動しながらスキャンしていった、という感じ。
つくば近郊もカバーされてる。

おー。芝生のアンジュレーションまでよくわかるなあ。
写真には深い意味はありません(←内輪受けモード)。
追記:
牛久の大仏はんも写ってはります。

真上から撮影してる。影がすげー。ていうか影がなかったら何だかわかんないところだったな。
こちらは、ジョークのわかるマイクです。
じゃなくて、タイトルに深い意味はありません。

よいお月見でした。
電線越しだったけど。
2005年9月19日
日曜日。
急に、どうしても車があったほうが良い状況になり、レンタカーの予約が間に合わなかったため、OM氏に電話して、OMジムニー・ターボをお借りした。
僕はこの、ハンドルが重くてサスペンションが固くて、走るとキャンバスがバタバタいう軽自動車がけっこう好きである。普通の乗用車では味わえないような、舗装の凹凸や走行速度や外気温がそのまま、手足に直に伝わってくる。単車に乗ると、路面の「摩擦感」というか、気温や湿度の変化や、それによって変化するアスファルトの「固さ」まで、全身の神経に伝わってくる、あれに似てる。
そういえば、以前、太田さんに「似合ってる」と言われたことがあったけど、僕はこういう、ちっこいオフロードにでも乗ってるような雰囲気なのかもしれない。
今週の通勤本向け在庫。
・広瀬弘忠「人はなぜ逃げおくれるのか ---災害の心理学」集英社新書、2004
「911本」に関連して。
・ブライアン・サイクス著、大野晶子訳「アダムの呪い」ソニーマガジンズ、2004
ちょっとジェンダーを巡って。基礎知識も何もないのだが、差し当たって「手がかり」として。
・稲葉振一郎「『資本』論」ちくま新書、2005
・最相葉月「あのころの未来 星新一の預言」新潮文庫、2005
この著者は、着眼点はそれなりに面白いと思うのだが、何かいまひとつズレてるというか、そこここに誤射と飛躍が感じられるのと、いささか芝居がかった文章が鼻についてしまい、「絶対音感」などはけっこうくたびれる読書だった、んだけど、題材が星新一なので看過できず、文庫版化を期に、おそるおそる買った。それにしてもいくらなんでも「預言」はないだろう。編集者の誰からもチェック入んなかったのかよ。。。
最寄り駅(距離だけで言えばJR中央線の武蔵境と京王線の調布と、どちらも『最寄り』と呼びうるが、付き合いが長くて慣れているのでいつも調布駅を利用する)と自宅との間、通勤経路上には、コースを変えずに立ち寄れるコンビニが2軒ある。ひとつはファミリーマートで、もうひとつはセブンイレブン。売り物のラインアップが微妙に異なるため、どちらを贔屓にするでもなく、そのときの用事に応じて立ち寄り分けている。
よく知られていることだけれども、コンビニのレジでは、レジ係が買い物客の性別と年齢を入力している。数年前、セブンイレブンのレジの形態が変わって、店員の手元が見えるようになってはじめて気が付いた。
ファミリーマートは、男女別に、10代、20代、30代、40代。。。と、10歳ごとに区切ったキーが並んでいる。セブンイレブンは、「12」「18」「29」「49」。。。と、ちょっと独特な数列である。セブンイレブンなりの、年齢別マーケットがあるんだろう。でも、「29」の次が「49」というのはなかなか大胆だ。セブンイレブン世界においては、30歳を過ぎたら「49歳までのグループ」というクラスターに属すると見なされるわけである。
僕の場合、ファミリーマートではだいたい「30代」と打たれる。セブンイレブンでは、最近までは「29」が出ることもあったが、去年くらいから「49」になってきた。実年齢としては、すでに10年以上前から「49」グループのはずなんだけど、こう、あらためて「49歳までのグループ入り」を何度も宣告されると、自分もオヤジになったなあと、セブンイレブン購買年齢層的感慨に耽るのだった。
そもそもからして、小さい会社なのに、10人乗りのボートにメガホン持った人が4人乗ってるような状況で、レースのたびに、なぜスピードが出ないのか、メガホン持った人が集まって会議してるという。
そのうえ各自が営業もマネージメントもやれというのは、つまり残り6人の漕ぎ手に、片手でメガホンを持てと。
あのね、降りるつもりないんなら、せめてオールを持ってくれませんかねえ?
*このエントリーは、BlogPet(ブログペット)の「ボブ」が書きました。ほんとですってば。
2005年9月16日
今週後半の通勤本:
ISBN:4163674306
9・11生死を分けた102分 崩壊する超高層ビル内部からの驚くべき証言
ジム・ドワイヤー、ケヴィン・フリン著、三川基好訳
2005年9月14日

自宅の近所に最近出現した「矩計ハウス」。

道路の拡幅に伴って、計画道路敷地にはみ出していた分を「切り取った」、RC造のマンションです。

近くで見るとけっこう過激。構造体を見せたカット模型のような。すげー。

これがまた、ちゃんと真面目にデザインされているところに好感を持ってしまいます。
もともとの二丁掛けタイルの外装より、こっちのほうがかっこいいじゃんよ。
最初からこのノリで全部作ったほうがよかったんじゃないかと思うほど。

新しく設けられたエントランス付近。

奥の駐車場側から見た、反対側の妻面はこんな様子。
たしかに、以前はこういう風貌だったような。

屋根に、補強のためらしき構造体が3本、ツノみたいに生えてます。
手前の壁が減ったからか。
既存の屋根の防水はやり直したんだろうなあ。
2005年9月13日
(タイトルに深い意味はありません)
自宅の近所、最近建てられた集合住宅の横を通る細道。

近づいていっても、ぜんぜんマンホールの気配がしない。

そんな奥に隠れなくても。
でも、周囲はちゃんと化粧ブロックで積んであるし、上は細目のグレーチング。
妙に「待遇」がいい。
ていうか、嵩上げしたほうが安かったんじゃないかと思うが。
2005年9月12日
電網山賊経由にて。
また、もう一つ不十分だと思ったのが、「性的弱者は、何も障害者に限った話ではないだろう」という点です。この本で扱われている障害者のコミュニケーションの困難は、あるいは発語機能、あるいは半身不随、と言った点が理由になっています。これらは現行法で障害者とされる人たちですが、異性とのコミュニケーションの困難というその一点に絞って考えた場合、「不細工(キモメン)」だとか「あがり症」、「口べた」なども十分にその理由となりうるでしょう。これは、モテ・非モテ問題とも重なりますが、「異性との円滑なコミュニケーションが運べず、セックスの機会が失われている」のは、いわゆる「障害者」だけではないわけです。「セックスしたければコミュニケーションスキルを磨け!」と言うのは簡単ですが、生まれ持っての顔の優劣、ファッションセンス、身長・体重の多寡、しゃべり上手か否か…と言った点で、強者や弱者が存在するのはあきらかで、それを単に修練の問題に還元するのは、乱暴な議論でしかありません。
この本では、オランダの事例として、障害者がセックスするために(売春宿に通うため)、一時金が支給されるという例を挙げていましたが、さて、私があげたような性的弱者には、そうした金銭が支払われるべきなのかどうなのでしょうか。
これは悩ましい。
僕は「セックスボランティア」はざっと立ち読みしただけなので、本の内容がちゃんとわかっているとは言いがたいが、車椅子の青年が「障害者もセックスがしたい。どなたかご協力下さい」という広告をネットに掲げ、実際に「協力者」があらわれる、というエピソードが書かれていて、これには考え込んでしまった。
上記の引用先が立てている(というか少なくとも僕が突き当たる)問いは二つあって、ひとつは「障害者とは何か」ということであり、もうひとつは「セックスとは何か」ということである。
「障害者とは何か」というのは、まともに考え始めるとけっこう難しい。
差し当たっては、その社会のなかでの「取り決め」である、と言うことができるだろう。(知力も含めて)身体能力なんて、全員がまったく同じということはあり得ず、グラフは正規分布を描いているはずで、現在「障害者」と見なされている人と、いわゆる「健常者」はグラデーション的につながっている。なんらかの「基準」を設けて、こっから先は健常、こっちは障害、と区分けるのは、社会システム運用上の約束事に過ぎない。相当タフで俊敏なやつしかまともな生活を送れないような社会であれば、現在の日本よりもずっと多くの人が「障害者」に分類されるだろうし、環境とテクノロジーが洗練されて、現在の車椅子のようなツールが、たとえばコンタクトレンズのように、「身につければ日常生活に不便はほぼ感じない」ようなものになれば、障害者ラインはぐっと後退するだろう。
いや、障害者の問題が単にテクノロジーの問題だ、などと言っているわけじゃなくて、要するに「障害者」を規定しているのは相対的な基準でしかない、ということである。と考えれば、「性的弱者は、何も障害者に限った話ではないだろう」という問題意識は、「障害者は障害者に限らない」とも翻訳できる。そうすると、障害は「程度の問題」ということになる。だとすると、「性的弱者」も「程度の問題」ということなんだろうか。これ、「ワーム缶」だよな。
そもそも、セックスって「すべての人が均等に享受できるはずなのに、ある種の人においては、何らかの不本意な理由でその機会を不当に奪われている」ようなものなんだろうか。厚生労働省の「食事摂取基準」みたいに、「人が送るべき健全なセックスライフ」なんて想定しうるものなんだろうか。つまり、セックスにおいて、ある種の人にはその機会が集中し、ある種の人は疎外されている、という事態は「よくないこと」なんでしょーか。
セックスに「ボランティア」とかいう話がからんでくると、なんとも割り切れないような、腑に落ちない気持ちになってしまうのだ。最低限与えられるべき「機会」があるとして、それって何を「数える」んだろうか?だって、セックスって「相手」あっての話だし、「性器的行為」だけ取り出してカウントできるようなもんじゃないだろう。お互いが気に入って、少なくともセックスの相手として認めたときに実現する「事態」なわけだろう。「僕/わたしのことを好きになってくれて、濃密なカラダのおつきあいもしてくれる相手を募集します」になったらそれは単に「彼氏/彼女募集」である。「僕/わたしのことを好きになってくれて、濃密なカラダのおつきあいもしてくれるボランティアを募集します」ってなんか、奇怪な文章じゃないだろうか。
あるいは、「性器的行為」に抽象化された疑似セックスでも、機会の再配分の内容としては「いい」のかなあ。いいのかなあそんなことで?医療行為みたいに、台に寝かされて、白衣にマスクにゴム手袋した「プロのスタッフ」が性欲、というか「セックス欲」を「処理」してくれる、というような行為で?いや、そういうシチュエーションのほうが萌えるやつもいたりして。
お金さえあれば、とりあえずは「一定時間のなかでプロ相手に(疑似)性行為におよぶ」という機会を「買う」ことはできるんだよな。その点では、これはいちおうフェアに、すべての人に開かれてはいる。あとはそれぞれの資金力の問題と、売り手の敷居の問題であって、風俗店が「バリアフリー」でありさえすれば、「セックス不均衡問題」は、お金の再配分の問題のほうに預けてしまうことはできる。大富豪であれば、「相手としての不本意さ」を超えて、異性を「そういう目的」で「確保」できるかもしれないし。
ええと、こんな話のつもりじゃなかったんだけど。
たぶん、セックスの機会がない、という状態を「不当にその権利が奪われている」などと言い始めると、「正当に得ているはずの、望ましい健全なセックス」という「想定」を呼んでしまう、というところが、引っかかるんだと思う。そんなの、聞きたくない。
でも一方で、僕自身が「まともだ」と思い込んでいる「性のありかた」が瓦解する楽しみというのもそれはそれである。正常さを補強してオフィシャルにしようとする言説は警戒しちゃうが、自分が正常だと思っているものや、異常だと感じるものが、どのくらい「単なる思い込み」なのか、ということには興味があるのである。
というわけで(どういうわけだ)、今週の通勤本:
・村山俊勝「(見えない)欲望へ向けて ---クィア批評との対話」人文書院、2005
Amazon買い。ううむ、読み応えある、などとうそぶくのが憚られる。すげー難しい。当分持ち歩きそうだ。
火曜日。
関東学院で、非常勤としてお手伝いする演習科目の打合せに、久し振りに三田のNOPEへお邪魔した。遅刻してしまい、駆けつけた会議スペースには、中津さん田島さん納村さん田中キミさんとTAの院生お二人。
メンツもノリも、まるで去年の「東京キャナル」の打合せみたいであった。
この演習の目指すところや、専門コース全体の中での位置づけはよくわかった。課題とワーキングの細かい具体的なことはこれから急いで詰めるということに。ただし、演習の「狙い」から言って、あらかじめ全てのプログラムや提出物の形式を決めておくことが難しいため、ある程度はアドリブ(というか、クラスの様子を見つつ、その都度修正したり思いついたりする)になりそうだ。人にちゃんと「教える」という経験は、20年くらい昔の「教育実習」以来である。お引き受けしておいてこういうことを思うのもなんだが、僕自身がこの仕事に向いているかどうかすら、やってみないと何とも言えないし。
木曜日。
先月受けた取材記事のチェック用原稿が届いた。
内容よりもまず、記事の文章というか文体というか、えくりちゅーるというか、何と言うんでしょう。テキストの「ノリ」にちょっと吃驚してしまった。朝日新聞の「be」に掲載された記事に似ている。女性誌や、通販のカタログ雑誌や、グルメガイドのコラムとかでよくお目にかかるような「感じ」である。いや、そのことについて、決して文句を言ってるわけではないが、あらためて、自分がサブジェクトである文章を読んでみて、メディアごとの記事の「作法」の違いに驚いてしまったのだった。
まあ、僕が普段接してる(読んだり書いたりしてる)媒体の「テキストのノリ」のほうが「特殊」なんだろうけどな。そういう意味じゃあ、僕も自分の居心地のいい、慣れた「作法」でしか書けないのだろうし、それに慣れてしまっているがために、自分が見聞きする物事を、この作法に乗るように無意識に取捨選択しているのかもしれなくて、先日西村佳哲が書いていた「とりあえずどこかで読んだような雑誌記事のプロトコルに当てはめてブログに載せることで参加気分を得てしまうのは、個人的なはずの経験を貧しくしてしまってませんか」という警句はぜんぜん他人事じゃないぞ。再起動再起動。
日曜日。
投票所で青い風船をもらった息子はおおよろこびであった。夜、ニュースを見て、僕の票は「焼け石に水」であったことが判明。涙。
2005年9月 9日
先週、今週の通勤本。
・竹村公太郎「土地の文明 地形とデータで日本の都市の謎を解く」PHP研究所、2005
荒俣さんの推薦文に釣られて買ってしまった。
都市を「読む」手がかりとして、ありがちな自然・環境決定論でなく、治水や土地造成などのインフラに注目してみる、という視点は興味深い。たしかに「インフラ」は、人の営為としての都市と、土地の自然との拮抗が像をなしたものであって、その成り立ちを解読する知識とコツを持てば、世界の都市に普遍な部分や、その土地固有のユニークな事態が浮かび上がる。のだろう。
しかし、(書名から)何となく予想していたんだけど、事象の取捨選択の恣意さと、結語への遠すぎる飛躍と、著者のなんというかちょっと芝居がかったような大仰な文章に辟易してしまった。
いや、面白いところが全然なかったわけではない。
たとえば、大正時代から行われた、石狩川の大規模な河川ショートカット改修は、洪水調節だけではなく、流速を上げることで川底が浸食させて水位を下げ、周辺の泥炭湿地の地下水位を下げて農業に適した土地へ乾かすという、流水を逆手に取った地域排水計画でもあったのだそうだ。土木って凄いなあ。オサダさん知ってた?その分野では有名な話なのかな。
・中沢新一「アースダイバー」講談社、2005
これも「恣意性」と「飛躍」は、ある意味では「土地の文明」以上に甚だしいが、目のつけどころというか、土地のどういうところに惹かれるか、という「感じ」が、東京スリバチ学会なんかと重なっていて、シンパシーを感じてしまうのだった。街歩きに出たくなる本ではある。
・田中正大「東京の公園と原地形」けやき出版、2005
これはネタ満載。著者は東京近辺の、特に「谷津」地形を巡る。それが「公園」なのは、公園にはしばしば谷津地形が「ナマ」で残っているからだ。もちろん、何もかも手つかずの地形がそのまんま残っているわけではなく、公園化される以前に大名庭園だった場所ではその庭園化の痕跡があったりする。しかし、庭園や公園は多くの場合、土地を大造成して「使える乾いた平面」を確保しようとするよりも、谷津の「谷津性」を温存する方向で利用されている。
宅地開発で失われた谷津地形も挙げつつ、愚痴っぽくなったり、文明論に飛んだりもせずに、その場所の地形の「受け取られかた」の歴史を淡々と語るような、抑制の利いた文章も気持ちいいし。今尾恵介さんの文章にちょっと似てる。冒頭、「地形は呼んでいる」と著者はいう。その「気持ち」、僕はたぶんわかります田中先生。
・進士五十八「日本の庭園 造景の技とこころ」中公新書、2005
ええと、また後ほど。。。
2005年9月 8日
earthhopper: FEMA の被害状況調査を Google Earth にオーバーレイ
アメリカ連邦危機管理局がデータを提供し、ニューオリンズ市街地の水害状況と範囲をGoogle Earthにオーバーレイして表示できる。ということを上記のblogで知る。
表示してみると、Google Mapsの災害写真では洪水に見えていなかった範囲も、結局は冠水しちゃったみたいである。すさまじい範囲が水没して、旧河川の流路が浮かび上がっている。

同じ縮尺で東京を表示し、それぞれ画像を保存して、Photoshopの色域選択で洪水範囲をコピーして(このへんが僕のデジタル的限界というかアナログなところ。)貼付けてみる。

おおむね、国分寺くらいから、東京湾を超えて市原まで達する長さ。
逆にスケール感を失うくらい、想像を絶した大きさだ。
2005年9月 6日
うわー、これはわかりやすい。
比較対象に、日本各地の都市を選べるようにもなっているし、洪水範囲を日本の都市に重ねてみるのも簡単にできる。
ここギコ!: 災害と位置情報、GIS経由にて。
なーんだ、もっと早く知ってれば、下のようなことをせっせと(昼休みツブして)やんなくても。
しかしこれ見ると、いまバラバラに公開・供給されている、自治体が出している洪水ハザードマップとか、災害危険度マップとか、もっとずっと手軽に閲覧共有できるようになる予感がするな。
ニューオリンズ市街地の空撮を見直してみると、堤防が決壊せず、浸水していないゼロメートル地帯もあることや、市の西側にも洪水が大きく広がっていることが見えたので、範囲を修正。

東京の、Google Mapの「地図」に重ねてみる。

地形図や空撮よりも、こうした「地図」のほうが、大きさが実感できる。
ところで、これをやっていて、Kashmir3DのGoogle Mapプラグインは、グーグルの衛星写真ばかりでなく「地図」も表示閲覧できるということに気がついた。おお。APIを触ったりする能力のない僕には、GPSデータや簡易GISや地形図や景観種ミレーションとGoogle Mapを同じソフトで行ったり来たりできる、というのは便利このうえない。
Kashmir3Dで表示できる、ということは、メッシュ標高データを重ねて見ることができる。
渋谷付近。Google Mapのゼンリン地図+5mメッシュ標高データをカシバードで鳥瞰。

これは面白い。
原宿/代々木方面にズームイン。

これは使えるぞ(仕事に)。
2005年9月 5日
「市街の80%が浸水」「街のほとんどが海抜0メートル地帯」と報道されているが、実際にどういう地形なのだろう。というか、Googole Map Katrinaの空撮に写っている、自然堤防地形や旧河川ぽい地形が気になる。
そこで、USGSの地図を見てみた。
カシミール3Dには、USGS(アメリカの国土地理院みたいなところ)の地形図データを変換して閲覧する機能が(サポート外のプラグインながら)ついている。
この機能を使って、ルイジアナ州大学の「The Louisiana Statewide GIS」というウェブサイトから、ニューオリンズの地形図をダウンロードして表示する。
正規化されて表示されるのはこういう地図。

縮尺が「1:24,000」という中途半端な数字なのは、単位がフィート/インチだからだろう。
きわめて荒っぽいが、地図上の等高線をざっとトレースしてみる。

色分けした等高線を、Google Mapのサテライト写真の上に重ねたもの。

青色の線が海抜0m、紫色がマイナス5フィート。
予想通り、旧市街地は海抜3m程度の高台にあるが、それ以外は、ハイウェイなどの一部を除いて、ほんとにほとんどが「ゼロメートル地帯」である。これはたしかに、洪水の打撃が大きい地形だ。
Google Map Katrinaとか、Google Earthの災害写真から推測するに、地形図の0m等高線よりも少し高めのところまで冠水しているようである。地形そのままに水があるとすると、こういう範囲になる。

(カシミール3D「ジオパッドプラグイン」使用)
これはたいへんだ。
これだけ見ても、にわかにスケールがわからないが、この「洪水図形」を等倍で東京の上に重ねるとこういう感じ。

いかに、ものすごい範囲で「都市が水没」しているか、ということがわかる。
2005年9月 4日
CNNはずーっとルイジアナの災害のニュースを流している。
Google Mapsに「Katrinaモード」が付け加わっている。Google Mapsでニューオリンズを見ると、「Katrina」というボタンが出てくる。クリックすると、ニューオリンズ市街の、8月31日午前10時撮影という空撮に切り替わる。
ちょっと凄まじいイメージだ。まるでベネチアみたいなことになっている。
よく見ると、やはり旧河川沿いに洪水が激しいことがわかる。グリッド状の道路を突き破って、河のバンクの形が見える。フレンチクォーターなどの旧市街地は自然堤防地形のうえに作られていて、土地自体は水没を免れているようだ。フランス人がここに植民した際、都市建設にあたって低地や湿地を避けただろうことは想像できる(ただ、これはあくまで31日時点なので、このあとさらに水位が上昇した可能性もあるし、現在の洪水範囲はわからない)。
ここはミシシッピー河デルタの先端にあって、もともと洪水がちな街だ。地下水位が非常に高いので、ちょっと掘ると水が出てくるため、古い建物には地下室がない。お墓の穴すら掘れなかったから、ニューオリンズの墓地にはお棺を収納するための小さい建物が並んでいて、独特の風景を作っている。一度しか行ったことがないんだけど、意外に街の風景を憶えていて、ニュース映像を見るに、あ、ここはあれじゃんか、と思い出すところがいくつもあった。。。
市内の住民のうち、特に貧困層が打撃を受けていることが報道されている。これはわかる。1993年にミシシッピー河の中流が氾濫して大洪水が起きたとき、僕はセントルイスに居合わせたのだが、あのときも、居住地が冠水して被害を受けたのはほとんどトレーラーパークだったんだよなあ。アメリカの都市は特にそういう傾向が強いように思うが、地域的な棲み分けに反映されている社会・経済階層、普段は堤防や下水で不可視化されている「ゾーニング」を、洪水はキレイにあぶり出す。
東京も名古屋も大阪も、ほんの数メートル水位が上昇しただけで相当なことになる地域がいっぱいある。他人事じゃないぞ。
2005年9月 3日
目覚まし時計みたいに弾かれて起きて2人がかりで親の体の上に乗っかって耳を引っぱったりする子供らのために、朝寝坊できない、というのを除けば、久し振りに、歯科の予約以外に差し迫った用事のない土曜日。
朝食も終えて、ゆっくりコーヒーなんか飲んでいたら、伊藤達也氏の選挙事務所から電話がかかってきた。いかにも、動員されたバイトのスタッフ、という雰囲気の、いささか緊張した若い男性の声。
彼「おはようございます、お忙しいところ申し訳ありません、こちらは衆議院議員総選挙に立候補しておりますイトウタツヤの選挙事務所でございます。9月11日の総選挙では、ぜひ引き続きイトウタツヤを」
僕「いやあ、これまで特に応援してたわけでもないんですが。どういうわけなんですか?」
彼「あ、あの、金融担当大臣としましてですね、改革を進めて参りましたが」
僕「わざわざお電話で伊藤さんをお薦めされる理由ってなんですか?」
彼「あ、自民党公認候補者として、えー、これからも誠心誠意、改革を」
彼の声がうわずってきたので、はいはい、と言って切ってあげた。
前回、落ちちゃったしなあ。
考えたら、選挙事務所なんだから「お薦め」もなにもないよな。
2005年9月 2日
ウチの事務所のスタッフに、特に若い連中のなかに、帰り際に「お疲れさまでした」と言って去るやつがいる。
はじめて聞いたとき、単にそいつの勘違いか何かだと思って、おまえ、家に帰ったら「おかえりなさい」って言うんだろ、などと突っ込んでいたんだけど、本人は別にこれを変だと思っていないみたいで、きょとんとした顔をするのだ。それも、一人じゃない。先週からインターンシップに来た大学生も同じ挨拶をして帰った。
これって、普通なんだろうか?去る本人が「おつかれさまでした」って言うのか最近?
いや、言葉の用法が変わっていくのはそれはそれで別にいいんだけど。ただ、僕はあまりに長い間、先に帰る人に対して見送る側が言うとか、解散して全員でいっぺんに帰るときにお互い「おつかれさまでした」と声をかける、というような用法を習慣にしてきたために、こういう「決まり文句」を、シークエンシャルなパターンとして、体で覚えてしまっていて、「おつかれさまでした」と声をかけられると、思わず咄嗟に「お先に失礼しまーす」と返しちゃうのである。
なので、職場では時々、帰ろうとするヤツが僕に「お疲れさまでしたー」と言い、パソコンに向かってる僕が「お先に失礼しまーす」と答える。
今日、出先から職場へ戻る途上で、コンビニに立ち寄った。飲み物と雑誌か何かをレジへ持ってゆくと、レジ係は「新人アルバイト」という感じの真面目そうな女の子だった。合計金額が1,010円だった。僕は1万円札と10円玉を差し出した。その子はレジを打ち、「1万と10円お預かりしまーす。(おそらく無意識に)お先に大きいほうから、5千、6千7千8千9千、(ここで声にならない『あ』)・・・」
僕は僕で、「お先に大きいほうから」に縛られて、身体が「渡されない小銭」を待ってしまい、足が動かないままにレジ前に突っ立っていた。気まずい2秒くらいの間、お互いに目を見合わせつつ、あらためて「定型化されたやり取り」の拘束力を感じたのだった。。。
2005年9月 1日
本日、短い打合せだけのものも含めると、プロジェクトが5つ、同時進行していた、濁流のような一日であった。珍しく、社外に一歩も出ずにずっと事務所で作業した。一緒に働いてくれたみんなの奮闘の甲斐があって、予想よりも早く目処がついた。ふー。おしまいに、届いていた著者校正を編集部へFAXして帰宅。
この著者校正が速達で自宅に届いたのが月曜日。封を切ってみたら、手違いで僕に届けるのが遅れていたのだが、なんとか2日間で返して欲しい、という意味のメッセージが同封されていた。おまけに、この原稿が収録される本は住宅がテーマなので、住宅に言及して下さい、という、かなり本質的なメモが、ゲラの欄外に書いてあった。
ううむ、ちょっとそれはあんまりだ。せめてもっと早く言ってくれ。こっちだって、じたばた苦しみながら書いてるのだ。いや、それほどの内容かよ、と言われたら返す言葉もないんだが。
そこで、期日は何とかしますが、文章の内容を見直すのは勘弁して下さい、趣旨にそぐわないということでしたら掲載をやめてください、とメールを出し、了解を頂いて、そのまま校正にチェックを入れて返したのだった。
でも、そうは言いつつも、そういう目で読み返してみるとたしかに、「住宅」の話じゃない内容の文章になっちゃってるんだよなあ。テーマは知っていたんだから、やっぱり僕の落ち度だよな。とはいえ、「住宅のランドスケープ」と「住宅の庭」じゃあ、内容がかぶるし。まあいーや。