アーキテクトニクスからホーティカルチャルガーデニングランドスケーピングアーキテクトニクスへ
Motoe Lab, MYU: アーキテクトニクスからホーティカルチャーへ
・・・はい。こちら、ラ系本流から逃げ回っているランド・エスケーピストです。すたこら。
確かに。「アーキテクチャ」が、箱を作っておしまい、という行為の比喩でしかないとしたらそれはあんまりだ。本江さんのおっしゃるように、「いまでは「建築」それ自体が「ホーティカルチャー」的なものとして認識しなおされてきている」し、第一、それこそ1900年代半ばのアメリカでだって、建築が初期設定のままの「ビルディング」を作るだけ、だったことなんてないんじゃないだろうか。建築生産のプロセスは、建築自体の性格からして、今も昔も、一般に思われているよりもずっとインタラクティブである。構想や設計や施工の過程で条件や事情が変化しないことのほうが考えにくい。むしろ、ここで建築の比喩として挙げられている「リサーチ・デザイン・プロダクション・納品」のフローは、自動車や航空機の大量生産に似てると思う。というか、軍事技術として開発の進んだこういうプログラミングの手法が、あとで建築生産に応用されたような気がするが。
さらに言えば、園芸や造園も、変化したり多様化したりする要求に応えることに「自覚的」になったのはつい最近のことだ。いまビオトープが設置されている校庭の片隅には、以前は花時計があったのである。つまり、園芸も以前から「園芸的」だったわけではない。
まあ、気持ちはわかるが、「○○から●●へ」的な新語を導入することで概念のリニューアルを図るワナに陥ると、一種の無限後退が起きて、「造園からランドスケープへ」を大々的にやっちゃってドツボに嵌った今日のラ系を取りまいている、何かの話をしようとする度にそれぞれの用語についていちいち暫定的な但し書きを述べねばならない混乱と似たような面倒くささを招くことになるぜ、と警告申し上げておきたい。例え話を取り替えるよりも、今まで付き合ってきた「アーキテクチャ」という言葉自体の刷新を図って鍛えるほうがずっとしたたかで長持ちすると思うけどなあ。「これまでアーキテクチャという呼び名でイメージしていたのはこういうことでした。でも、アーキテクチャ自体もこう変化しつつあります。これからのソフトウェア・アーキテクチャとは、このような行為と意味の広がりを指すのです」とかね。
ともあれ、「ソフトウェア・ランドスケープ」などという言葉が一人歩きして流行らないことを祈る(「landscapist」って検索すると早くもその徴候が見られる)。名詞に「システム・ランドスケーピスト」だとか「メディア・ビオトーピスト」なんて刷ってあるSEがやってきて、「ソフトもネットワークも生き物ですからねえ。まあ、一緒に育てていくつもりでやりましょうよ」なんて口走ったら僕はすぐさま業者を替える。
だいたい「ホーティカルチャー」と「ガーデニング」と「ランドスケープ」ってそれぞれ意味が違うぞ。というツッコミは置いておいても、そもそも、「ランドスケーピスト」って、このための造語でない限り、変な言葉だよなあ。あの論考の文脈でいえば、普通に「ガーデナー」でいいと思うんだけど。


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