2005年7月20日

sity swept

「醜悪な景観」に関して、じゃあ「良き景観」とはいかなるもので、それはどのようにして成立するのか、というようなことについては、いささか時間がかかりそうなので、ひとまずは日本の都市(の景観)について、ここ最近強く感じたことを、感覚が新鮮なうちにメモ。

僕は、そう度々国外へ出かけているわけではないし、最も最近訪れた外国の都市はジャカルタと北京と天津と瀋陽なので(最後に踏んだ『欧米』の街は7年前の新婚旅行で立ち寄ったサンフランシスコで、もう記憶もおぼろだし)、きわめて限られた範囲の経験であることを断ったうえで。

現在の日本の都市はじつにキレイである。磨き立ててある、というわけじゃないが、路上にゴミが散乱したり、路肩に悪臭のする泥水が溜まっていたり、歩道の舗石がはがれ無くなって土埃がしたり、というような、そんな光景が稀、というか、ほとんど絶無である。すごいなと思うのは、そのキレイさが「行き渡ってる」ところだ。高速道路の高架下の駐車場とか、街中の細長い商業ビルの隙間とか、かなり不利な場所でも、中国の都市のふつうの道路(圏外SOHOの敷地内を除く)に比べれば、マナ板みたいに清潔そうである。

これはかなり、凄いことだと思う。むろん、インドネシアの都市や中国の都市に比べれば、日本の都市に「恒常的に投下されている資本の総量」は桁が違うはずであって、それがそのまんま違いとなって現れているのでもあるのだろうし、そしてもちろん、「だから電柱や電線があるくらいで騒ぐんじゃねえ」とか「首都高がニセモノの西洋風の橋の頭上を横切ってるくらいなんだ」とか言うつもりもないが、経済的な豊かさであるにせよ、日本人の文化的な傾向であるにせよ、その資源や情熱が「都市を掃き清める」ことへ集中して向けられていることには驚嘆する。

「清潔」というのは「手が行き届いている」ことでもある。それで、日本の都市はじつに手が行き届いている。アメリカの都市なんかだと、キレイなところはきわめてキレイだが、場所によっては、いきなり非常に荒廃した感じがする地区があったりする。日本の都市には、アメリカのそういう、ちょっと間違って足を踏み入れたときに感じるあの「うわ、ここはやばいぞ」というような「荒れた」感じがする場所が、ほぼ無い。

それこそ、あまりに見慣れてしまって普段はほとんど意識することがないが、この、一朝一夕には成立しない、都心から郊外まで途切れなく「隙間無く手が入ってる様子」はきっと、世界でも希有な風景だろうなと思う。

(だから、調布市のゴミ収集車の車体に「Let's clean up Chofu」と書いてあるが、あれは正しくない。「Keep Chofu Clean」とか書いたほうが。)

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コメント

敷石を剥ぐと砂浜だった時代を背景に、銀座の敷石を徹底的に清掃したハイレッドセンターの話を思い浮かべました。

投石の材料に剥がして投げる人が続出した頃以降、東京ではいわゆるプリミティブな「敷石」自体が舗装に使わなくなったそうです。だから剥がれない。地面が露出しない。って説をどこかで読んだことがあるような気がします。

ていうか僕が子どもの頃にはまだ東京にも舗装してないところは結構残ってました。「舗装道路」って言葉が日常的に使われてたけど、それも未舗装が結構あった証しかも。
だから時期的にはやっぱり60-70年代以降に一気に舗装されたってことになりますね。

公園のトイレに怖じけず気軽に使えるようになったのも最近ですね。そういえば。

瀋陽の駅のトイレはここで描写できないくらいすごかったな。そういえば。

中国のトイレは、場所によっては大変なことになってますよね。小に無理やり大とか。

あ、大で思い出した。たしか中学生くらいのころまで、新宿の南口に甲州街道から武蔵野館のほうに降りる狭くて急なボロボロの階段があって、その脇、いまのflagsの建っている一角が、ちょっと周りから取り残されたようになっていました。で、そのブロックの中で、道の真ん中に人糞が白昼堂々横たわっているのを目撃したことがあります。あの一角は少なくとも郊外育ちの子どもにとっては「うわ、ここはやばいぞ」て感じでした。

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