2005年7月31日

「見えるものの先に、見えないものを見ようとする思い」に報いるということ。

(締め切り直前の原稿のためのメモ)。

哲学者・菅原潤氏が、「風景の哲学」(ナカニシヤ出版、2002)におさめられた「風景/風景化と倫理」という論考のなかで、加藤典洋氏の風景論を引用しつつ「風景化」という概念について述べている。

「わたし達は、さまざまなものを眼前に、そのうちの一つの対象を注目している限り、「風景」を見ているという意識を生じないのだった。一つ一つの対象へのデガージュマン[身の引き離し(菅原氏の注)]があって、そのデガージュマンがそのままアンガージュマンを形成するような場所に「風景」は生まれる。しかし「風景」は、いったん生まれると、今度はそれ自身が注目されるもの、見ることの対象になる。もしこの後者を「風景」と呼ぶなら(そして事実わたし達が日常「風景」と呼んでいるのはこちらのほうだ)、この対象としての「風景」の成立のうちに、・・・・「風景」は消えるのである。風景論の混乱が、この相反する二つのものを同じ「風景」の名で呼ぶことからきていることははっきりしている」(論文中より孫引き)

「風景化」が「デガージュマン」を通して生まれる、ということころが示唆的である(ていうか「デガージュマン」ってなんか凄い響きだ。『風景戦士デガージュマン!』)。「風景化」とは、「既知のものを未知のものにする」ことであり、それは「見る側の能動的なはたらき」によってなされる、というのである。

たしかにこれは、風景(ランドスケープ)をめぐる議論に補助線を引いてくれる。あらためてこれを「風景」と呼ぶことにすれば、これと区別される「それ自身が注目されるもの」としての「風景」を、たとえば「景観」と呼んでもいいだろう。今日、多くの「景観」の議論はほとんど、「目前に広がる風景のみを」対象として、それをいかに「われわれにとって快い知覚経験をする場」とするか、が問題にされている。むろん、美しい「景観」の探求と建設が無益だとは思わないが、現実にその「美しさ」を実現しようとするとき、その過程が安易な地域主義や教条主義に短絡する危険を孕んでいることは、しばしば指摘されている。一方で「風景化のロジック」は(風景の『美しさ』ではなく、風景化の契機を共有することによって)「一定の風景に拘束されない新たな共同を呼びかける倫理を提起している」。それを、「原風景を確定しそこから導出される伝統的な生活の様式を押しつける風景の倫理に対して「風景化」の倫理と呼ぶことができよう」と菅原氏はいう。

この「風景化のロジック」とまったく同じことを、風景を「デザイン」する、という立場から宮城さんが述べている。

「ランドスケープというのは、われわれを取りまく環境のある状態・状況を指しているものであって、その状況のもとにおいてデザインという行為が表象するものと、表象が指向する対象の間にわれわれの感覚、多くの場合は視覚つまりビジュアルなものだと思いますが、それを媒介としたコミュニケーションが成立している」

というのが(ご本人によれば暫定的な)定義であった。これは1998年の新建築の巻頭論文にも使われているし、『ランドスケープデザインの視座』のあとがきにも出てくるが、初出はTNプルーブ「再発見される風景」である(いや、「そこで宮城さんですか」というツッコミは無用である。黙れ)。この時期、宮城さんは三谷徹さんや佐々木葉二さんらと共同したりしつつ、こういう基礎理論の整備みたいな仕事をよくされていた。「視座」本はわりと注意深く一般的な記述に直されているが、TNプルーブのレクチャー録はその点ナマというか、説明がけっこうベタなところがあって、むしろわかりやすい。

ポイントは、ここでいう「デザイン」が、「風景」をあくまで「志向」する対象と見なす(いま気が付いたが、初出で「指向」だった箇所が、「視座」では「志向」に直されている)というところである。上記の用語を借りるなら、そこに意味のあるつながりを見出す観察者による「風景化」の「契機」の生成を試みる。つまり、ランドスケープデザインが「デザイン」しうるのは「風景」それ自体ではない、というわけだ。

これは、「定義」というよりも、「態度」の表明みたいなものである。というか、これを、あるプロフェッション特有の方法論ではなく、一種の世界観だと見ることが、じつは重要なんじゃないか、という気がするのだ。

「ランドスケープ」は、デザイン「できない」ものが「ある」ということを前提にする。「ランドスケープ的アプローチ」をとるなら、何よりもまずはそこに「デザインできないもの」の存在を認めるところから始める。そして、それを「デザインできるもの」に置き換えたり、覆ったりするのではなく、そういう「デザインできないもの」「コントロール不能なもの」を示唆することを目論む。

けだし、どのような場所であれ、いかに人為的に制御されたように見えるものであれ、その背後に「制御不能なもの」があってそれを支え、成り立たせているのだ、というのが「ランドスケープ的世界観」なのである。ランドスケープにはしばしば「自然」が引き合いに出されるが、それはたぶん、「自然」が「制御不能」の代表選手だからである。あるいは、ランドスケープはしばしば、「敷地」に対する「地形」、「空調」に対する「気候」、「植栽」に対する「植生」や「生態系」、「外観」に対する「景観」、というような、「より大きなスケール」との関係性で語られるが、それは物理的・相対的な規模の問題では必ずしもなく、それらがより「コントロール不能」だからである。

また、制御不能なものを認めることは、対象を制御することを破棄するものでもない。むしろ、制御しうる範囲を明確にし、そのスコープの範囲において「制御」や「デザイン」の落とし前をつけることを促すものだ。

解決不能なもの、複雑で記述が困難であるものを、単純化し、矮小化して図式にしてしまうことなく、「そのまま」で対峙すること。ランドスケープ的であるということは、そういう態度のことである。それは(いささか陳腐に響くことを覚悟の上で言うなら)(というかすでに全体が充分陳腐な気もするが)「より大きな秩序系」への畏敬の念とでも言うべきものだ。

「ランドスケープ」をこのように考えれば、これは既存の職種や産業や職能の枠を超えて敷衍される、あるいはすでに共有されつつある「思考」だと言えないだろうか。

中谷礼人氏らによる「先行デザイン」の試みなど、まさにランドスケープ的であるし、LivingWorld/西村佳哲の活動や、それこそ田中浩也氏の「ネイチャーセンスウェア」なんてまさしくランドスケープ的である(造園の人にそんな評価をされることを、ご当人がどう思われるかはともかく)。そういえば、先日の講評会では、いくつかの「センスウェア」のターゲットが、「わたしの気持ち」や「わたしの身体」に向けられていたことが印象的だった。たしかに、「制御不能」は「より外側」だけにあるのではない。「わたし」は灯台もと暗し的に、もっとも身近にある「制御不能な自然」であり「未知なるもの」である。

そんなわけで、時として、建築の論評において、従来の建築のイメージを逸脱したスケールや形態のものを、それをもって「建築と言うよりもランドスケープだ」なんていう物言いを見つけたとき、僕はいつも違和感をおぼえる(というかむかつく)のだ。

いや、こんな結語になるつもりじゃなかったんだが。

2005年7月28日

Stereogramap

国土地理院のサイトで、
地図閲覧サービス(試験公開)の立体視サービス
というのが始まった。

「ウォッちず」(←しかしこの名前考えたの誰だよ)で閲覧できる2.5万地形図を、立体視システムのページからクリックすると、ある範囲が「ステレオグラム」になって表示される。


これは青赤メガネ用。


これを立体視するのはちょっとコツが要るが、慣れるとこの「浮き上がり具合」が面白い。頭がちょっと揺れると、それにつれて画面の立体がゆらゆらしたりして。

データの加工にはどのくらい手間がかかっているのかわからないが、この出力の素朴さ加減がなんとも、いかにも「地図を見ている」という感じ。自分がここ最近、GoogleMap方面に浸り過ぎたので、逆にちょっと新鮮。

Seasons in Type

安藤さんの日記経由にて、

For All Seasons

これは鳥肌だ。いや、まいったな。
僕は「秋」がすごく気に入った(事務所内では「春」も人気)。

しかしこういうのを見ると、「季節感」って何だろうと考えてしまう。

もっとも、これを見て水の中の小魚や落ち葉を想像して、動き回る(ように見える)文字の向こうに映像を補間するのは、季節の区別がはっきりした、落葉樹林のある緯度の気候帯で発達した文化を背景にした人たちだけかもしれないが。


そういえば先週末、斉藤達也さんによるProcessingを使った冴えたソフトのデモを見たばかりだった。ううむ。使えるようになりたいProcessing。

いやその前にArcなんちゃらが使えるようにならないと。
いや、その前に中国語だ。

じゃなくて原稿だった(つまりこれは原稿書きからの逃避なのだった)。とほほ。

2005年7月26日

南館の屋上庭園

ところで、慶應の南館の屋上庭園はなかなか良かったな。なんか肩の力が抜けていて。
あれ、新建築に掲載されていた写真にはなかったが、1階の外構も、アスコンに丸いステンレスのエッジの植え込みがさりげなくあったりして、ちょっとかっこよかった。ああいうの好き。


ああ。原稿が書けねええええ。泣。

路上の質問

先週から今週の通勤本。

五十嵐太郎「現代建築のパースペクティブ 日本のポスト・ポストモダンを見て歩く」光文社新書、2005

これはネタ本として最高だ。
取っ掛かりとしてはとても良い入門編だと思う。
ただ、初出媒体への発表の時期と現在との時間差を感じる箇所もある。ことに、「最近の若手建築家」について論じたくだり。たとえばアトリエワンの都市への態度は、「ユニット派論争」のころからずいぶん変わってきているし、南さんとか太田さんを挙げるまでもなく、現代の都市に対するコミットメントのしかたはそれぞれ特徴的で、一括りにできない。
まあでも、大雑把な「傾向」を書き出してみないと「パースペクティブ」にならないしな。

中沢新一「アースダイバー」講談社、2005

まだ読んでないけど買ったので持ち歩いている。電車内では中国語漬けなので、なかなか読書が進まないのだ。しかし。目次や図版がすでにそそるな。この本。

ところで今日、タバコを買いに出た職場近くの路上で、スクーターに乗った若い男の子に道を尋ねられたんだけど、その訊き方が、いきなり背後から「すいません!ちょっと質問があるんですけど」。

・・・おまえは「生徒」かよ。

2005年7月24日

Dr. 田中と12人のネイチャーセンサー

土曜日。
慶應の三田キャンパスへお邪魔した。
田中浩也さんから、春学期の課題「ネイチャー・センスウェア(NATURE SENSEWARE) ver.1」の、期末の講評会へ、ゲストクリティークとして呼んで頂いたのだ。

大学の「課題」の発表に招かれるのは初めてではないし、面白く参加させてもらうんだけど、僕はどうも被評価者を目前にした査定や審判のたぐいが苦手なもんだから、クリティークというのはいささか荷が重くて、いつもぐったり消耗してしまう。

ところが今回は(予想はしていたが)、「講評」というよりも、こんなのを始めてみたので、課題をツカミにして企画会議みたいな議論を共有しましょうよ、とでもいうべき趣旨であって、その気分は部屋に入った途端にわかったため、じつに楽しいひとときを過ごさせて頂いた。お土産を貰ったような気持ちになった「講評会」は初めてだ(というか、いつもこういう心構えで講評会へ臨めばいいのだな、ということがわかった)。ありがとうございました。

課題は、現代の(都市の)自然を見出し、再定義し、それを「感じる」ツールを実際に制作する、というものだ。こんな、演習科目としては途方に暮れるようなテーマに、SFCの学生さんたちは頑張ってよく応え(ようとし)ていた。おおむね、「コンセプト」のプレゼンは飛躍と破綻の嵐だったけれども、実際にプリント基板やLEDやポリバケツがくっつけられた「装置」の作動を目の当たりにすると、「キミの掲げた思想の論理が形として表現されてないじゃないか」みたいな建築の講評じみたコメントはどこかへすっ飛び、おおそうか、こいつの「閃き」はこれか、だったらこういうのもあるんじゃないか?あるいは、こういう別な着眼もアリなんじゃないか?と、アイデアに参加しちゃうような気持ちにさせられる。ジツブツの力だ。荒削りでも、やりたいことがわかる装置は、ではこういうツールがないとき、僕は空の色や明るさで時間を推しはかったり、その日の体調で調理に使う食塩を調整したりするとき、どういう感覚を働かせているのだろう、と、自分の中のネイティブ・センスウェアを見つめ直す契機も与えてくれる。

押し跡がデコボコ残るドアとか、雨で点灯する樹木照明とか、点滅発光する「雪だるまのタマシイ」とか、カイワレダイコンの成長に伴って音程が変わってゆく楽器とか、「呼吸する造花」とか、そのまんま持って帰って使ってみたい作品もあった。

学生さんたちもまた、可変抵抗器やワイヤーやアクリル板をハンダ付けしたりしつつ、「デジタルのアナログな側面」を味わったんじゃないだろうか。しょせん、物事は「地続き」である。田中さんは電子回路の中にも「自然」を見出す、と言っていたけど、それは決して、ある種の人たちが言いそうな「新しい世代の感覚」なんかではないと思う(時代の傾向はあるだろうけれど)。被写界深度が大きいだけだ。

田中さんが集めたゲストがまた冴えた面々で、課題へのコメントもいちいち面白かったし、発表が終わったあとで各ゲストが行った最近の活動紹介のプレゼンが非常に面白かった。東大の佐々木一晋さんの植物スピーカー。UCLAに留学中の斉藤達也さんの、Processingを使ったソフトのデモ。久原真人さんによる「デザイン」という営為の「発生」の事情をを素朴に分解して(久原さんによると『デザイン考現学』)考えてみると、それはいわば「旅芸」なんじゃないか、という考察と、その実践としての、田中さんとコンビ組んだ「tEnt」の活動。他に、「ソトコト」編集部の渡辺さんと、アートライターの金子珠生さんも見えていた。

いや面白かった。興奮してしまった。いいぞSITE-ORIENTED DESIGN LAB。期待大。時間が押しちゃったので、僕は講評会後すぐに帰ったが、あのあとどこかへ繰り出して、さらに盛り上がりたかった。残念。

ところで、講評会のあった南館というのは、三田キャンパスの中でも一番新しい施設で、大成建設による免震構造の建物である。部屋は4階にあったが、夕方の地震をほとんど感じなかった。じつに優れた「ネイチャー・アンセンスウェア」。それでもカタカタとした縦揺れはわかったので、窓の外を見てみたら、民家のTVアンテナが、風に煽られた樹木みたいにゆさゆさ揺れていて、そのうち消防車のサイレンがあちこちから聞こえたりし始めた。免震の内部から大きな地震を経験するのは初めてだったが、なんとも不思議な感じがした。

あと、窓に駆け寄って騒いでるみんなを叱咤して呼び戻した田中先生は、まるで福沢諭吉みたいであった。場所もまさに慶應義塾。

地震のあったとき、僕の母がウチの子供ら2人を保育園へ迎えに行ってくれていたのだが、園児はよく訓練されていて、保育士さんの号令で、みんなひな鳥みたいに机の下へ隠れたそうだ。妻は西日暮里で足止めを食らって予定より4時間余計にかけて帰ってきた。都営線と京王線が復旧していたので、僕はすんなり帰宅できたが、調布へ着いてみると、ちょうど花火大会の終わる時刻で、ホームは「浴衣の海」だった。。。


追記:

せっかくなので、まあちょっと、気になったところを少し。

ほとんどの発表で、わたしにとって「自然」とは、という、「再発見した自然の定義」が、「辞書によると」というような書き出しで始まる、決まり文句のコラージュだったのが惜しかったな。

たとえば、まずは机の上で「都市で自然を感じるシーン」を50くらい挙げたうえで、「そのシーン以外に自然を感じるモノを探しに行く」というようなフィールドワークを一緒にしてみたい、などと思った。

2005年7月22日

Dr. Mと16人のトカゲたち

木曜日。夕方、東京農大へ。都市研にお邪魔した。

というのは、蓑茂先生のご指示一喝、研究室に在籍する院生全員分(!)のハンディGPS(Geko201日本語版16台)を購入したので、使い方(遊び方)をレクチャーしに来い、と呼んで頂いたからなのだった。
いや、GPSが1ダース以上ずらっと並んでる様子は壮観であった。さすが蓑茂先生、実行が断固としていてしかも速い。のたまわく「持たせないとやらないからな、こいつら」。恐れ入りました。いいぞ農大。

というわけで、ラップトップを持って行って、普段やってることをざっと紹介した。先生は地上絵にはご興味がなさそうだったが、Degree Confluence Projectをご覧になって、これはいい、これをやろう、とおっしゃっていた。

で、辺りが暗くなっていたにも関わらず、キャンパスに一番近いミニット・コンフルーエンスへ、ハンティングに出た。行ってみると、ポイントは幸いにも交通の少ない道路の交差点にあって、みんな首尾よく「分00」をゲットした。室内での「レクチャー」のときは、皆なんだかおとなしくプロジェクターの画面を眺めていただけだったんだけど、やはりフィールドへ出ると俄然、テンションが上がる。

僕は間抜けにも自分のGPSMap60CS-Jを自宅へ忘れてきちゃった(だって、朝、子供がむずかったりしてバタバタと大変だったのだ)ため、サカイさんにGeko201を借りて行ったのだが、地図も何も出ないシンプルなGPS受信機を持って歩き回ってみて、久しぶりに「入力アナログ/処理デジタル/出力アナログ」の、ザラザラした「地表系ツール感覚」を味わって新鮮だった。うむ、これはやはり、時々はあのポータブル・カーナビみたいな多機能GPSを自宅へ置いて、素のeTrexを持って出ないといけないな。

帰り際、研究室の助手のジンドウくんと、「グリッドで切り取った、アイレベルの風景スナップショットだけで構成された近隣マップ」のアイデアで盛り上がってしまった(というか主に僕が盛り上がった)。

あらためて歩いてみると、世田谷の街並みは、多様性の密度が高い。角を曲がると商店街だったり、住宅地の「グレード」ががらっと変わったりする。だからきっと、アイレベルの風景ショットで構成されたマップが街全体の「像」を結ぶには、わりと高い密度でサンプリングをする必要があるかもしれない。たとえば調布や府中だと、世田谷よりも粗いグリッドでも地表の風景のグラデーションを描くことができるかもしれない。そういう差は、街の「風景の解像度」の違い、と呼べるかもしれない。そして、その風景のピクセルは、距離や面積という物体的スケールだけでなく、街を移動しながら体験する「速度」と関わりがあるかもしれない。だったら、街のレベルでの空間デザインや、交通のありかたにおける「ふさわしい風景速度」なんてのが推測できるかも。

なんぞというようなことを喋りつつ、帰りの電車のなかで、いつだったか似たような話を誰かとした、というか、聞いたような気がする(つまり元ネタがあった、という気がする)ぞ、と考えてみたら、そうだ、田中浩也さんとお会いしたときに、ピクニシェンヌ伊藤さんから聞いた話だった。。。

ともあれ、ちょっと久しぶりに「原点」に立ち戻ったような、楽しいひとときでありました。研究室の皆さんありがとうございました。

■お知らせ:
というわけで、「時間もガッツもある大学院生が携行する16台のGeko201」を同時多発的に使える、そんな「ツール」でしかできないような、面白い企画を広く募集中。

2005年7月20日

mei wenti(没問題)

もう10年以上も昔、セントルイスの設計事務所で研修をしていたときのことだったが、あるとき、僕の自席のすぐ近くに、新たにグラフィックデザイナーが雇われて座ることになった。やってきたのは東洋系の顔をした女性だった。「東洋系アメリカ人」というのは別に珍しくもなんともないし、僕らは挨拶して、すぐに軽口を交わし、それから1週間くらい、普通に英語でしゃべっていた。そうしたら、何かの拍子に相手のほうが、僕が日本人らしいということに気づき(しばらくお互いに気づかなかったというのも間抜けだったんだけど)、恐る恐る(という様子で)「あのー。。。日本人のかたですか?」と流暢な日本語で話しかけてきた。

後で知ったのだが、その女性(ユウコさん)は、ご両親が日本人の、日系2世だったのだ。僕も吃驚し、いきなり立ち上がって、あ、すみません、日本人なんです、イシカワと申します(ってそれは知ってるっちゅうに)、と、ほとんど名刺でも交換しかねない様子になり、親しい友達みたいに気兼ねのないやり取りをしていた僕らの間の空気は「敬語」にシフトし、その途端に、それまでの「英語的な物言いや態度」が横柄で馴れ馴れしく感じられてしまって、それからしばらくの間、じつにぎこちない会話をする羽目になってしまった。

この時の体験、言語は思考を規定するのだ、とつくづく思ったときのことは強烈に憶えている。いや、サピアさんウォーフさんの話のレベルじゃなくて、たとえば関西弁といわゆる標準語を使い分けているくらいの人なら実感されていると思うが、言語がモノの見方や考え方や態度を縛る、というよりも、そもそも「言葉」はその言葉を共有している文化圏の思考や生活や習慣の文脈のなかで成立し、それを前提にやりとりされているものだから、その言語に堪能になればなるほど、その言語を使う際に、使う言語を支えるOSが一緒に「くっついて」きちゃうのだ。関西弁で会話をすると、関西弁で考えるようになり、態度や物腰が「関西的」になる。これは、関東弁を関西弁に「翻訳」している水準では発現しない。

日本語は、その場に居合わせた人々の社会的地位の序列を見極めたうえで、自分がどのニッチに属しているかということを自覚してから、そのポジションに相応しい話し方を、その「自覚」を表現するという意味も持たせつつ発話する(そういう風にしか発話できない)という構造をしている。
英語の場合は、初対面だったり、目上の人に対したりでも、丁寧か砕けてるか乱暴か、くらいの表現の差はあるにせよ、基本的に「タメグチ」で会話を始められる。特にアメリカの英語と日本語を比べると、その特徴が際立って感じられる。

どっちがどっちというのはまあ、一長一短だ。僕は英語で初対面の挨拶をするのがいまだに苦手で、間を持たせられない。日本語はなら、ある程度合意された形式のやり取りで「お互い成熟した社会人ですな」という値踏み合いができたりする。そういう「手順を踏むことで余計な軋轢をスキップする」には、日本語はとても有用な言語だと思う。

しかしたとえば、「基本コンセプトのプレゼンテーション」などという局面では、英語のほうがやりやすい(ことがある)。英語というのは「論理的に畳み掛けるようにして相手を説得する」という行為に向くようにチューニングされているような気がする。結論が先に来るから会議も速いし。いや、決して英語を自在に操ってるわけではないんだけど。というか、持って回った微妙な言い回しができるほどの英語力が僕にないから、シンプルでストレートな表現しかできない、ということなのかもしれないけどな。

それで、目下、切実なのは「中国語的思考」なのだった。

当然なんだけど、まだ片鱗も掴めない。
なのに、相手の担当者の薛さんという、んもうまた非常な勉強家の若い女性が、どうやら日本語学習に着手したようで、送ってくるFAXに日本語が混じるようになってきたのだ。こんなふうに施主に出し抜かれるというのは精神的な危機だ。くそー。言語中枢をチャージするクスリとか、そういうのがあったら欲しい。まじで。

日本庭園の資料

A q u i l o - Blog

日本庭園で使われる「仕立物」に関する書籍、資料って、何かあるでしょうか?

いっそ一次資料はどうでしょう。
作庭記

「どの資料をご覧になったんですかこれ?」「作庭記です」。

sity swept

「醜悪な景観」に関して、じゃあ「良き景観」とはいかなるもので、それはどのようにして成立するのか、というようなことについては、いささか時間がかかりそうなので、ひとまずは日本の都市(の景観)について、ここ最近強く感じたことを、感覚が新鮮なうちにメモ。

僕は、そう度々国外へ出かけているわけではないし、最も最近訪れた外国の都市はジャカルタと北京と天津と瀋陽なので(最後に踏んだ『欧米』の街は7年前の新婚旅行で立ち寄ったサンフランシスコで、もう記憶もおぼろだし)、きわめて限られた範囲の経験であることを断ったうえで。

現在の日本の都市はじつにキレイである。磨き立ててある、というわけじゃないが、路上にゴミが散乱したり、路肩に悪臭のする泥水が溜まっていたり、歩道の舗石がはがれ無くなって土埃がしたり、というような、そんな光景が稀、というか、ほとんど絶無である。すごいなと思うのは、そのキレイさが「行き渡ってる」ところだ。高速道路の高架下の駐車場とか、街中の細長い商業ビルの隙間とか、かなり不利な場所でも、中国の都市のふつうの道路(圏外SOHOの敷地内を除く)に比べれば、マナ板みたいに清潔そうである。

これはかなり、凄いことだと思う。むろん、インドネシアの都市や中国の都市に比べれば、日本の都市に「恒常的に投下されている資本の総量」は桁が違うはずであって、それがそのまんま違いとなって現れているのでもあるのだろうし、そしてもちろん、「だから電柱や電線があるくらいで騒ぐんじゃねえ」とか「首都高がニセモノの西洋風の橋の頭上を横切ってるくらいなんだ」とか言うつもりもないが、経済的な豊かさであるにせよ、日本人の文化的な傾向であるにせよ、その資源や情熱が「都市を掃き清める」ことへ集中して向けられていることには驚嘆する。

「清潔」というのは「手が行き届いている」ことでもある。それで、日本の都市はじつに手が行き届いている。アメリカの都市なんかだと、キレイなところはきわめてキレイだが、場所によっては、いきなり非常に荒廃した感じがする地区があったりする。日本の都市には、アメリカのそういう、ちょっと間違って足を踏み入れたときに感じるあの「うわ、ここはやばいぞ」というような「荒れた」感じがする場所が、ほぼ無い。

それこそ、あまりに見慣れてしまって普段はほとんど意識することがないが、この、一朝一夕には成立しない、都心から郊外まで途切れなく「隙間無く手が入ってる様子」はきっと、世界でも希有な風景だろうなと思う。

(だから、調布市のゴミ収集車の車体に「Let's clean up Chofu」と書いてあるが、あれは正しくない。「Keep Chofu Clean」とか書いたほうが。)

2005年7月17日

un-wired

木曜日。

夜、最近中国の仕事を多く手がけていると聞いた知り合いの設計事務所へ、ちょっと話を聞かせてもらいにお邪魔した。

これまでの事例や図面を見せてもらい、様々な苦労話や裏話を伺いつつ、どうやら今回、僕らの相手先について言えば、けっこう恵まれているらしいということや、要求内容に対する提出物の「手加減」のしかたや、その他もろもろ、非常に役に立つ知識を得た。忙しいなか、付き合ってくれてありがとうヨコカワくん。

相手によっては設計料の取りっぱぐれもあったりするらしいし、設計料の単価や為替のレートの問題もあって、大方の中国の仕事は非常に「安い」。しかしそれでも、費やす労働力の対価を考えれば、日本国内の公共施設の、煩雑な設計委託業務よりも効率がいいそうだ。

そういう話を聞くと、造園の設計の「主流」、いわゆる「造園コンサルタント」の業務からは、僕が経験してきた仕事がいかに例外的というか特殊というか、内容もやり方も異なる業務領域なんだということを、あらためて思う。もちろん、僕がそのへん、モノを知らなさすぎるという事情が大きいのだが。
自分が多忙を理由にいろんな失礼をしていて、それを棚に上げて言うのも何だけど、あれ、進めましょうね木下先生。


土曜日。

久し振りに家族で調布飛行場の「プロペラカフェ」へ昼食に行き(途中、MITAKA天文台に敬礼)、そのあと野川沿いをゆっくりサイクリングして、柴崎のPC-Depoへ。iPodのリモコン付きイヤフォン(やはり、リモコンがないとやってられん)と、AirMac Expressベースステーションと、その他いくつか消耗品を買った。

帰宅してから我が家の無線LANを再構築。
PowerbookもThinkpadもCLIEもあっさり繋がった。
いやあ快適。

2005年7月16日

みにくい日本のわたし

今週の通勤本。

・味園由美、劉 暁君「中国語会話パーフェクトブック」ベレ出版、2005

この本に付いてきたCDのナカミをまるごとiPodに入れて、読み/聞きしながら通勤しているのである。以前、韓国語とかインドネシア語の付け焼き刃を焼き付けた経験から、どういう類の教科書で、どういう風にやったら、最短距離でとりあえずネイティブに向かって片言を口走れるようになるか、という見込みはなんとなく立つので、何軒か書店を回って僕なりに注意深く教科書を選び、次回の出張の際にクライアントの担当者に対して、たとえわずかでも心理的にもうすこーし上に登れるべく、悪あがきしている、というわけだ。

本当は、誰にも知られずにリスニングだけでも奇跡的に上達させ、どうやら僕に聞かせたくないサブジェクトになった(らしい)途端に、英語から中国語へ切り替えちゃう(実にストレスフルな状況なのだ、これが)先方の皆様の裏をかいて、実は全部聞こえて理解しているのに「中国語デキマセーン」とバカのふりをする、というのが望みなんだけど、まあ無理だけど。


・文藝春秋八月号

どうしてまた、こういう身分不相応、というか似合わねえというか、僕の守備範囲から大きく逸脱している雑誌を買って持ち歩いていたかというと、五十嵐太郎さんの日記で、伊藤滋さんによる「『醜い日本の景観』リスト初公開」という記事の掲載を知ったからなのだった。

この「リスト」には、「みにくい景観25選」と題した、日本各地の「醜悪景観スポット」が具体的に名指しで挙げられている。半年に25づつ足していって、2年後には「百選」にするそうだ。いわく、「今回公開する『みにくい景観』は、私が勤める早大理工学部建築学教室の大学院生に、各自で“みにくい”と感じた景観をデジカメに撮影してきてもらった。それを持ち寄って合議し、『みにくい景観二十五選』として選定したものである」
・・・なんか、目と耳に浮かぶな。そのワークショップ。いいけど。

記事本文はまあ、ツッコミどころ満載である。
ただ、何度も言うようだけど、僕は最近、こうした事柄についてどうもはっきりした態度を取れないのである。思いつくことはいろいろとあるが、差し当たって、この早稲田の建築の院生の皆さんに聞いてはみたい。どういう思いで、歩道に陳列物がはみ出した池袋の商店街や、神田川の護岸やらの写真を撮って来たのか。「合議」がどんな風にされたのか。
「いや、そういう課題だったんで」とか言う学生はここへ座れ。
いや待てよ、そういうほうが健全かもしれないな。「ま、先生に受けそうなわかりやすい写真集めてみたんですよ」ということなら、それはそれで許す。帰っていいぞ。

2005年7月15日

The Space According to MITAKA

元永さんに教わるまで知らなかった、国立天文台(我が家のすぐそばにある)による、
Google Earthの「続き」。

ここでダウンロードしてすぐに使える。
http://4d2u.nao.ac.jp/

ああ。目眩が。

The Earth According to Google

ここ数日で(しかし、ここ数日で、というこのスピードが凄いな。考えてみたら。)、GPSの軌跡を表示できる地図が、いきなり桁外れのスケールに拡大したので、いままでお蔵入りになっていた、たとえば「東京〜ニューヨーク」なんていうログをまともに描画できるようになった。

これは、以前ウチの事務所で働いていたタケダさんが取ってくれた、アメリカ旅行のログ。実に律儀に記録してくれていて、しかもGoogleのお陰でアメリカ国内の詳細空撮写真を見れるので、ケネディ国際空港のマンハッタン寄りの滑走路へカーブを描いて降下していく様子なんかが着陸まで含めてキレイに(離着陸時には電源を切りましょうね。みんな。)


以前から、東京からアメリカの東海岸へ飛ぶのに、アラスカの上空を通過してゆくのがなんか、妙な感じがしていたんだけど、「地球儀」のごときGoogle Earthを見てみると、北へ弓なりにカーブしていたのは地図の投影方法による「ゆがみ」なのであって、じつは球面上では「まっすぐ」向かっていたんだ、ということがいきなりわかる。考えてみれば当然なんだけど、こうやって手に取るように見せられると、ビックリしてしまうのだった。


僕はかつて、北を上にしておかないと地図が読めなくて、カーナビですら常に北を上にして表示していたのだが、あるとき、ふとeTrex Legend-Jの地図を「進行方向を上」にしてみて、急に、「進行方向を上にしておくことは、『地面と地図をシンクロさせておく』ということなんだ」と、天啓のように腑に落ちたことがある。それ以来、地図を見ながら歩くときは、「縮小した地表のインデックスと、リアルスケールの地面との間に自分がはまり込んでいる」というような感じがするようになった。

ここ数日の興奮もそれに似てる。なんかこう、自分の「地表感覚」に揺さぶりをかけるような、新鮮な「ヤバさ」の匂いがするぞGoogle Map / Keyhole。次の課題は、更新された地表感覚をいかに実際の地面にフィードバックするか、ということである。ふっふっふ。ママチャリに油注さなきゃ。

グーグル住宅地図

「Google map」が「Googleマップ」に進化して、ゼンリンの地図が表示されるようになった。。。
僕の郷里の実家。
家の形まではっきり載っている。

しかしまあ、なんというか、ゼンリン地図特有の、「手を抜いてない」感じのする地図だ。
むろん、地域によって詳しさの密度に差があるけれど、
これを見れば、わかる人にはわかる、この地図の全国的な詳しさが。
まだダムが描かれていないようだけど。

うーむ。どうしよう(なにがだよ)。

とりあえず、もとながさんが作られたプラグイン入れてみよう。

2005年7月13日

10mメッシュ高密度標高データ:kashmir3D

Kashmir3D用の、10mメッシュ高密度標高データが公開された。
日本高密メッシュ標高セット

表示できるデータは日本全国を網羅しているが、10mメッシュの地形が入っているのは主な山岳部と、東京区部、埼玉南部、名古屋市(たぶん、国土地理院の5mメッシュの範囲)。

これはすごい。北アルプスやら富士山やらの「地形」が、10mの解像度で表示できるのだ。
ありがとうございます杉本さん。
どこまで行くんだカシミール。

国土地理院の2.5万分の1の地図画像で、富士山を表示してみた。

すげー。スバルラインが地形でわかる。
細かい沢が浮き立って、雨に削られつつある富士山の「満身創痍」という感じがよく出てる。
表示した軌跡は、「蕨カボチャ」を描いたナカムラやオノウが去年の富士登山に持参したGeko201のもの。

次は、上越国境(谷川連峰とか)や、飯豊山脈もお願いします(笑)。


10mメッシュは主に山岳部で、「スカイビュースケープ」の航空写真は主に都市部をカバーしているのだが、探すと2つが「重なってる」ところがいくつかある。空撮に10mメッシュを重ねて表示すると、なんかうそみたいなリアリティ(というのも変だけど)のある鳥瞰写真を見ることができる。

大月付近。なぜかこの一帯だけ、スカイビュースケープの写真が秋を写している。

んもう、「日本の秋!」という感じ(涙)。

中央高速が地面にへばりついちゃっているのはご愛嬌。

2005年7月12日

Go North

まわりぶろぐ: みんな,大志を抱こう!

僕が卒業した高校は、基督教独立学園高等学校という、山形の飯豊山麓にある、ほとんど修道院のごとき高校だった。僕が在校した当時、創立者の鈴木先生はまだご存命だった。特に目をかけて頂いたわけではないのだが、その後の自分のことを顧みるに、やはり最も大きな影響を受けた「師」はあの老校長なのだった。

そういうわけで、札幌農学校の2期生の内村鑑三の弟子、鈴木弼美を恩師と仰ぐ僕は、クラーク博士の不肖の「ひ孫弟子」なのである。
いや、それだけなんですが。
アンビシャス中年。

腐葉土は招く

イヤホンで中国語会話を聞きながら電車に乗っていると、周囲の乗客がみんな中国人に見えてくる。。。


先週、しばしばお世話になっている編集事務所の方が職場までご足労下さり、新しい出版企画の原稿の依頼を頂き、さらに「ランドスケープ批評宣言」増補版の打合せをした。

増補版の打合せ、というのは実は、ずっと前に打診頂いていた話だったのだが、どうやら僕には時間もガッツもないらしい、と見切って、「どの人に振ったらよいか」という内容なのだった。とほほ。もしかしたら、ここをご覧になっている方にも、寝耳に水的にお話しが行った可能性が。申し訳ございませぬ。でも、おかげで逆に、僕なんかがやるよりもよほど面白く濃い内容の企画になったのだった。最初からこうすればよかったのに。。。

新しい出版の企画は、まさにそういうのに適任、という人(たち)による責任編集のもと、あるテーマの下に章立てされた構成で、複数の著者による短い論考が並んでいるという、いかにもこの出版元らしい体裁の本になる予定のものだった。僕の担当分は、まあ僕の担当らしいテーマで、毎度の内容になりそう(それでもまたぞろ、精神的にじたばたしそうだ。こういうの、僕に話が回ってくるというのは、人材不足の証である。後継者求む。)なんだけど、それはさておいて、目次を眺め、執筆者群を伺うに、なかなか面白い本になりそうな予感がする。広告は出版されてから、後日また。


帰路、夜道を自転車で走りながら、雑木林の一帯を覆っている湿った樹林の匂いに目眩がした。
僕は夏が苦手で、梅雨入りから盆明けまでは恒常的に不機嫌になり、ひたすら秋を待ち望むようになる。
でも、何故かこの時期、特に夜の、緑の饐えたような空気にだけは身体が好意的に反応する。
前世がカブトムシだったのかもしれん。

2005年7月11日

軌跡の星。

・・・「Google Earth Plus」(GPS対応)にアップグレードしてしまいました。年会費20ドルで。

下は、今回の中国出張の記録。

ええ、何とでもおっしゃってください。>各方面。


*kashmir3Dから.gpx形式で書き出した軌跡データを読み込むことができる。その際、若干の改造が必要。
 参考サイト:GEOCACHING (ジオキャッシング)の楽しみ方: グーグルが3D表示可能な地図ソフト「Google Earth」を提供開始

グーグルミール3D

Googlemapプラグインを使用して、世界衛星画像の上にGPS軌跡を描画したもの。

これは面白い。仕事にもこのまんま使える。
地図画像の取得にいささか時間がかかるけれど、一旦キャッシュに入ってしまえばサクサク動く。
無段階ズームも思いのまま。世界標高データを重ねることもできる。
でも、カシバードによる鳥瞰図は激重。

ちなみに、GoogleEarth(keyholeですね)をPlusに有料アップグレードしたらGPSデータの表示ができるみたいなのだが、そちらはまだ試していない。

それにしても、Kashmir3Dの対応のスピードは驚異的。

なお、Googlemapプラグインはあくまで「β版」ということですので。

2005年7月10日

Kashmir3Dでgooglemapを閲覧

ここギコ!: Google Maps追い風に、Oracle LBSの新版出荷だって

そう考えると、「Googleが出したから面白そうだからHACKする、Oracleが、Mapionが出したものだから面白くなさそうだからHACKしない」っていう価値観ができちゃってるんじゃないかという印象も受ける。

つまり、もうネット上技術の方向性の大勢を決められる会社は、Googleとか米Yahooとか、SixApartとか、日本ローカルだとはてなとか(いや実際にはもっとあるとは思うけどとりあえず4社ほど)、その辺の会社が取り組むか取り組まないかが固定指標化してしまっていて、それ以外のところがやった事については論評に値しないというような思考停止状態に、全体が陥っているような気がしないでもない。


僕はHACKについては無縁(そんなスキルがないので)なのだが、上記の感じはなんとなくわかる。「技術」ではなくてもっと低い、ユーザーのレベルで。自分で騒いでおいて言うのもアレだが、たいていのことは「カシミールがやってら。」と思っちゃうしな。

と、そうしたら、
カシミール / グーグルマップ・プラグイン(ベータ版)

うわ!
たいへんなことになってしまった。
何て事をするんです杉本さん。
さようなら僕の睡眠時間。

60GB to go

買ってしまった。

のは、iPodの60GB。
直接的な目的は中国語会話の学習である。
さっそく「中国語会話パーフェクトブック」のCD2枚、まるごと収納してみる。

これは便利。
ここ数ヶ月、出張先でのデジカメのデータ保存の必要を痛感したこともあったし、持ち歩ける60GBは頼りになる。これで、GPSのログを保存できるともっと便利なんだがな。

などとうそぶきつつ、やっぱり音楽CDも読み込んでみたりして。ううむ。なんか、軍門に下ったような気持ち。

2005年7月 8日

ちょっと個人的な追悼

久しぶりに喪服を着た。

夜中に母から電話があり、突然の訃報を聞いた。告別式は都内のキリスト教会で営まれた。祭壇に置かれた遺影は、今にも笑い出しそうな溌剌とした笑顔をしていて、僕はそこで「告別」されている人がその女の子だという実感がまったく掴めず、なんというか、途方に暮れるような気持ちだった。牧師が、彼女の生も死も、神の恵みであり御心である、という趣旨のことを述べているのを聞きながら、たしかに、理不尽な死を理不尽だと感じるのはきっと、それがそもそも生が理不尽だということを突きつけるからじゃないか、という気がした。

僕は彼女の両親の結婚式にも出席したし、彼女が生まれてから、何かの用事で会うたびに大きくなり、やがて大人びてゆくのも、僕自身の成長とともに、ずっと見てきた。人が、独りで「いる」のではなく、その人を囲む様々な人々のなかに、その関わりとして「いる」ということ、しかもそれは誕生によって急に唐突に「いる」ようになるわけではなくて、なんというかこう、誕生のずっと前から、両親が出会い結ばれるさらにずっと前から、予感のように「いる」があって、フェードインするみたいに少しずつ、徐々に更に「いる」ようになる、というような、僕らの生がそうしたぬめっとした有機的な関係の連鎖としてある、そんなふうに、ことに自分も子供を持つようになってから感じるようになった。

だからことによると、オフィシャルな死亡宣告に僕が感じる抵抗、というか違和感は、人は少しずつ、醒めるようにちょっとずつ死んでゆき、そしてたとえあるときその姿を変えたりしても、僕らの「関わり」のなかに、しばらく「い続ける」んじゃないかと、僕が感じているためなのかもしれない。天理教では死を「出直し」と呼び、異なるフェーズに入っただけだと見なす。彼女は僕らのなかに、僕らとともにいる。それこそ、「存在するとは別な仕方で」。

2005年7月 5日

人孔勝負、第二弾

マンホールは、都市の基盤と表層の間に位置している。金属の「蓋」が象徴(というか具現)しているのは、環境維持装置としての都市と、都市的外観との、それぞれの論理の「差」みたいなもので、インフラとアウトフィットの接点に生じた、いわば「齟齬」である。

というようなことを考えてしまう人孔在中国。


お馴染みの対決。(瀋陽)


土に埋没。あらかじめ、上のような「対決のパターン」を見知っていないと、一体これが何なのか、わからなかったと思う。樹木の植え穴みたいに見える。(瀋陽)


10センチくらい掘ってみたら、金属の蓋が見えてきた。(瀋陽)


水が溜まってる。凹むか?普通。マンホールだろうおまえ。(瀋陽)


普通、マンホールは基礎が厚いので、舗装よりも「沈む」ことはない(はず)。(北京)


沈んだ上に砂が溜まって「植え穴」化しつつあるもの。(天津)


穴がやけに小さい。これじゃうまく蓋がはまらないんじゃないかと。(天津)


マンホールではないが、道路脇の集水口。どういう順番で施工したんだろ。期せずして「化粧桝」になっている。(天津)


反撃するマンホール。マンホールのデザイン自体で周囲の舗装に勝負をかけているもの。(北京)


獰猛な造形。これは危ない。(北京)


こちら、「グレード」で舗装に打ち勝っている、黄金に輝くシェラトンのマンホール。(瀋陽)


高級感いっぱい。(瀋陽)

一仕事無事終了、新困難予感。

先月二十八日、入中国東北部瀋陽現地、使中国南方航空直行便自成田。

於当地、請負実施詳細設計候補事務所面談。完成集合住宅風景意匠設計物件視察。
翌日二十九日、午前中別候補事務所面談、実績物件視察。両方実施設計会社、経験豊富、優秀。
午後、基本設計図書施主展覧、安堵、得大好評。
三十日、当地石材市場見学、現地入手可能石種研究。夕方三時、実施設計詳細会議、於事務所。終了夜半過。

七月一日、移動国内航空便、契約他事務手続於施主本社、社用車移動夜中天津泊。
二日、基本図案展覧。午後、実施設計事務所面談。我驚、其公的役所一部「園林設計院」。
我知、在中国、役所「設計院」為大半園林設計。瀋陽民間事務所寧例外。「設計院」見感典型的「役所」。我今後企画仕事於天津、不安大。

三日早朝、天津最大規模樹木苗圃視察。種類似北海道信州於日本。言無用、其処公共、役所運営。
夕刻、移動北京、都心宿泊。
翌日四日、朝報告於北京施主本社。帰国使中国南方航空。

激忙出張日程前回同様。体調崩於天津、発熱為風邪。施主担当者呉漢方薬。我不知薬有効、唯嬉生存無事帰国。

以上、出鱈目中国語。為念。夜露死苦。