2005年6月 1日

「他者」としての乳幼児、とかね。

アエラ6月6日号、「ART BIT」という美術欄、橋本麻里さんによる記事の中の一文に、ちょっと引っかかったので。

紙おむつメーカーのCMに登場するエンゼルは幻影である。うんこ&しっこを垂れ流し、適切な世話と食事を要求しては泣きわめく、情理いずれも通じない、「生きる」という欲望全開の存在に、人はただボーゼンとするしかない。

これはまあ、こう言っちゃなんだけど、コドモを生んで育てた経験のない人の言い草だよなあ(あるいは、コドモをよく知らない読者に対してこういう物言いが共有されるだろうと予想した文章である、でもいいけど)。「人は」なんて一般化しないでほしいな。泣いている幼児を前にただ「ボーゼン」としてるなんて親失格だぞそれは。

「CMに登場するエンゼルは幻影である」という言い方はありうるが、その幻影は何も根拠のないものではない。幼児がまさに「エンゼル」としか言いようのない存在である時もたしかにあるし、そうした瞬間の「エンゼルネス」は、それこそCMの映像なんぞで伝わるような生半可なものではなく、抱いている自分が、ほとんど人生の目的に達したような目眩がするほどの「至高の瞬間」である。でなきゃ人類なんて存続するものか。

もちろんそうした「親心的幸せ」そのものが「幻想」であるという言い方もあるだろうが、それなら「乳幼児は、実は生むき出しの理解不能な存在である」という説だって同様に幻想である。というかむしろこっちのほうが知的に響くだけ、なんか神経に障るんだ。

ええと、上記、記事の主旨についての話ではないのだが、そうです僕は親バカです。

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コメント

アエラかどうか忘れたけど、マスコミによれば、そういう局面で本当にボーゼンとするだけの親が増えているらしいですよ。

うーむ。それわ人類存続の危機です。。。

でもほんとかなあ。少なくとも保育園で一緒になる父母親たちにはそんな様子は感じられないが。

少なくとも「情理いずれも通じない」ってのはうそですね。「情」的にはすんげーインタラクティブですよ。コドモは。

こんにちは。
良い話ですね。いや石川さんの話が。

私も結婚してから無性に他人の子供がかわいく見えるようになりました。(わけあって別居中ですが)

子供がかわいいというのは幻想でもなんでもなく、本能であって、そうじゃなくなった人間はつまり繁殖を放棄してるということですね。
もしも、アエラの記事を書いた人が子持ちだったら、それはかなり「恐いこと」だと思います。倫理的にではなく生物的に。

利己的な遺伝子の射程の限界なんだったりして(笑)。

僕は子供を持つ経験が何かを優位にすると主張するつもりは全然ないんですが、あるいは、べつにコドモに関することに限らず、「あなたの気持ちや解釈は甘いですよ、見方を変えたら不気味ですよ」とわざわざ言うよーな態度(アート作品についてよりも、そういう傾向の「意味」を取り出して喜ぶ「批評」の態度)がなんか、むかつくのかも知れないです。

直伝で話したいのですが・・午後 電話叉はメールで調整してくださいませ。よろしく。

親馬鹿の話をみだらにしてメンゴ

名前書くの間違いました
オヤジはこれだから嫌われる

了解です。

ていうか、普通に電話でもメールでもいきなり下さってよござんす>師匠

ちわー「繁殖を放棄してる」enteeで〜す。
http://blog.archivelago.com/index.php?itemid=87505#trackback
読んどいてねー。

午後だと思って電話して、時計をみたら23時だった
ゴメンなさいませ
仕事場の暗幕取っておかないといけません
大変失礼しました。今度は太陽を確認してから電話します

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