2005年5月29日

いよいよ初夏がやってくる。

あ。
という間に1週間が過ぎる。

海外の仕事が3件、国内の仕事が5件くらい、同時に進んでいて、マルチタスクがそんなに得意じゃない僕の頭はちょっとオーバーヒート気味である。

月曜日。
出張中に「圧縮」されてた用事をフォローしてるうちに日が暮れる。ううむ。
中国の仕事は、業務の内容に対する要求速度が半端じゃないため、プロジェクトの人員を補強することにした。社内会議で幹部を脅迫して、名指しで「チーム・チャイナ」を編成させてもらう。手が多ければいい、というわけじゃなく、短期間で冴えた内容にしないといけない、こういうときに「使える」人材というのは限られているが、そういう人材はたいてい、普段から忙しい。かといって、若いスタッフを教育してる余裕はないし。
打合せスペースの一角を臨時のプロジェクトルームに仕立てて、壁に図面や写真をびっしり貼って、伝達する項目を書き込んでいくことにした(さっそく「プロジェクト・ブック」の実地応用)。飲み込みが早くて要領の良い連中が集まったので、作業がガンガン進む。壁の図面の上に、スケッチしたトレース紙がどんどん重ね貼られていって、日めくりカレンダーみたいなことになっている。

火曜日。
工事が進んでいる、都内の集合住宅の外構のための、施主同行の植栽材料検査。造園用の樹木の圃場は都心からけっこう離れたところにあることが多く、しかもたいてい、それぞれ離れたいくつかの畑にまたがっているので、材料検査は1日仕事になる。今回は千葉の成田周辺。設計仕様に準じた材料を多めに選んで候補を集めておいてもらったので、これに「合否」をつけて歩く。
最初に訪れた圃場に、鮮やかな斑入りのユリノキの、高さ10mほどになったやつが何本も並んでいて、目を奪われた。そこは他にも、ニセアカシア・フリーシアとかネグンド・フラミンゴとかベニカエデ・サンセットとかコルナス何ちゃらとか、最近の園芸種がいくつも植わっていて、華やかなナーセリーだった。
里山系在来種寄りの人になんと言われようと、僕はこういう新樹種がけっこう好きだ。新奇なものを愛でるのは園芸の基本スピリットであって、植物と人間はそうやってお互いに選抜・共進化してきたのだ。がたがた言うやつは野性のイモとドングリでも食っていなさい。

外構といえば、先日のRLA集会で僕が思わず「外構」と言った言葉尻を捉えて、吉村さんが「外構というコトバはランドスケープがあくまで建築に隷属している意味がある、今後『外構』と言わないようにしよう」とおっしゃっていた。いや、心意気としてはいいんだけど。造園の係が「外構」に徹した方が、全体のランドスケープの質がよくなるプロジェクトだっていっぱいある。というか、むしろ外構の声が大きすぎて外しまくってる物件の「痛さ」のほうが、ダメージが大きいよな。「ランドスケープ」が、建築とか造園とか土木とか、業務としての工事範囲や設計スコープを超えたレベルで実現する(べき)ものだとすると、逆にそれは業態が気勢をあげることや、誰のクレジットが明記されるかなんてことに拘泥してる場合じゃないと思うんだが。

水曜日。
北京から、「中国東北部鑑賞樹木図譜」がDHLで届く。テキストはぜんぶ中国語だが、幸い、学名が記載されてる植栽図鑑なので、使える。全体にいかにも北方系で、日本の信州とか北海道とかの植栽に似てる。なんかこう、地味というか渋いラインアップである。並行して考えてる、ジャカルタの仕事の植栽の、目もくらむような派手な熱帯植物のオンパレードと見比べると、目眩がする。
人工的な植栽も含めて「植生」はその地域の様子をよく映し出す。むろん、そう「思う」のは僕がそういうトレーニングを受けているからであって、その土地の「地域性」を推す切り口はいくつもあるだろうし、何が優先的に正しいというわけではない。

木曜日。
メールで、瀋陽プロジェクトの基本デザインの承認が北京から届いた。プロジェクト室の壁ピンアップを一斉に取り替え、天津の図面を貼りまくる。
あろうことか、また別なテレビ番組の取材の打診の電話を頂いた(丁重にお断りした)。

金曜日。
都内の現場事務所で、施主と打合せ。会議が終わって職場へ戻ったら、現場の次長さんからすごい剣幕で電話がかかってきて、これはまた何かやらかしたっけ俺、と慌てて出たら、外構の工事業者の対応が悪すぎるので怒鳴りつけて、来週早々にそちらに電話して打合せに伺うように言ったので、石川さんからも叱ってください、という内容であった。うう、心臓に悪いじゃんか次長。。。
寺田さんに依頼されていた仕事が、結局できず。お詫びのメールを入れた。がっくり。

週末。
ここのところ、妻の仕事も忙しいので、休日は子守りモード。
裏庭には、妻が仕入れてきて、現場への発送を待っている草花の苗がずらっと並んでいて、まるで園芸店の軒先みたいなことになっている。でも机の上には、持って帰ってきたジャカルタの仕事が。

あと2日で晩春が終わり、いよいよ初夏がやってくる。

コメント

外構か!そういわれるとそんな気もしなくもないね。こんな書き方でいいのか悪いのか?まあ、いいか。僕が仕事を始めた頃って、あれ?2,5昔かな?建築の配置も形態もすべて決まってから声がかかったんだよね。敷地のラインがあって、建築があって、そのなんにも描いてないところをどうにかしてください系。千葉大の丸田先生には「鈴木さん、ああ、建築のすき間をうまくデザインする外構設計の!」と。(鈴木さんは僕の師匠?だよな)まあ、そのとおりだし、実際手をくだす範囲はまさにそうなのだけど、それはそれでよいのだが。僕には外構と言う言葉が「建築のすき間」としか聞こえないんだな。「外構」アレルギーかな?なんかこう進めてくると、ぼくは外構設計いがいの何者でもないような気がしてくる。まずいな!りっぱな登録ランドスケープアーキテクトになりたかったんだけどな。まあ、一度言っちゃったから、僕だけは「外構」を使わないようにします。気勢を上げる気もなく、石川さん意見にはかなり同調してはいるんだけど。もうすぐ夏だね!大好きだよ、夏!

いや、おっしゃることはよーくわかってます。ほんとに。
「ランドスケープ」の対象があって、その下位分類概念みたいに「外構」やら「造園」やらがあるのかもしれないし。まあ、実際の僕の仕事はそれこそ本来の意味で「外構」がほとんどですが、何かの折に建築も土木も含めた「ランドスケープ」を目指すような仕事に恵まれる機会もないわけじゃなく、そういう時のためにランドスケープの心意気は温存しておこうと思います。
ただ、「外構?ブー!」って切り捨てるのには、ちょっと危ない感じがするんです。日本の近代ランドスケープ史から、「建築外構」が欠落してる、これってもったいないし、外構はけっこうランドスケープ史に貢献してるぞ、という問題意識を僕ら(ら、って誰だよ)は持っていまして、外構的なものに今一度光を当ててみようと目論んでいます最近。というか、それこそプレイスメディアのデザインは、外構もランドスケープたりうることを示したよーな気がするんですが。

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