2005年5月30日

パラコート耐性ヒメジオンは農地に憚る。

打ち合わせに出向くと、時おり、こんな程度のことで呼び出すなよって思ってるだろ、みたいなことを言う人がいらっしゃるんだが、僕が実際にそう思っているかどうかはともかく、思わず「思ってます」と「言わずにいる」ことに費やされる精神的な努力とストレスがプロジェクト全体の生産性を下げていて、そんなこと言う本人にとっても、自分が死にかかったりしてるときに見舞いにきてくれる人を減らしてるだけだ、というようなことに、どうせ思い至らないんだろうが。そもそもそういうことを言う人は。

などとついコボしてしまったのは、今朝、長男が急に扁桃腺を腫らして発熱し、僕が娘を保育園に届けることになり、雨が降っていたので自転車が使えず、かといって保育園は開園時間が決まっているので早めに届けるわけにもいかず、バスも遅れていて、径路を変えて2本乗り継いで保育園にたどり着き、娘を置いて、そこからはタクシーを拾って駅へ向かい、時刻表を調べて、定期と違う径路で電車を乗り継いで出社したにも関わらず、ぎりぎり遅刻しそうだった会議が結局午後に変更されて、僕の今朝のハッスルが無駄になった、という腹立たしい事態に遭って神経が過敏になってるからかもしれないのだった。あのなーてめえ。余分にかかった交通費を返せ。

今週の通勤本:

■恵泉女子学園大学園芸文化研究所報告「園芸文化」第1号、第2号。

恵泉短大の園芸生活学科が廃止、大学に統合されるにあたって、恵泉の「園芸スピリット」を継承する目的で設立された、園芸文化研究所の紀要論文集。これが、なかなか面白いのだ。「異国趣味と人工性のはざまで—近代ドイツにおける室内植物愛好の変遷」とか「19世紀英国における園芸文化の大衆化の研究」「緑化制度が戸建て住宅地の街路空間に及ぼす影響に関する研究」「日本における宿根草花壇の可能性について」なんて、ずいぶんいいところを突いたタイトルが目次に並んでいる。編集後記によると、今後は「日本の生活の中での園芸」や「フラワーアレンジメント」などをテーマにした研究も載せたいそうである。楽しみ。

■浅野貞夫・廣田伸七編著「図と写真で見る 似た草80種の見分け方」全国農村教育協会、2002
■伊藤一幸「日本雑草学会ブックレット 雑草の逆襲」全国農村教育協会、2003

前者はタイトル通り、一見して区別の難しい雑草や野草を見分けるポイントの解説が満載された本。これを持ってフィールドへ出れば、ヤブタデとイヌタデ、ヒルガオとコヒルガオの違いを観察することができるのだ。お手元に一冊、どうでしょう。街歩きの最中に、オオアレチノギクとヒメムカシヨモギの違いを解説してくれる建築学科の学生がいたりしたら僕は文句なしに尊敬する(僕だけかもしれないが)。

後者は、近年、頻出するようになってきた、除草剤抵抗性を持った雑草に関する解説書。まだ目次を眺めただけだが、ちょっと凄そうだ。

全国農村教育協会は、「帰化植物ハンドブック」なんて魅力的な図鑑を出していたりして、僕のお気に入り出版社のひとつである(僕は帰化植物友の会の会員である)。農業的見地からは、「雑草」というのは農地での作物以外の植物のことであって(というか、もともと『雑草』というコンセプトは農地のものだ)、雑草に妙なシンパシーや思い入れがない。その割り切り方が気持ちいいのだ。日本生態学会はやめて、「日本雑草学会」に入会して、年4回の「雑草研究」を購読しようかしら。まじで。

2005年5月29日

いよいよ初夏がやってくる。

あ。
という間に1週間が過ぎる。

海外の仕事が3件、国内の仕事が5件くらい、同時に進んでいて、マルチタスクがそんなに得意じゃない僕の頭はちょっとオーバーヒート気味である。

月曜日。
出張中に「圧縮」されてた用事をフォローしてるうちに日が暮れる。ううむ。
中国の仕事は、業務の内容に対する要求速度が半端じゃないため、プロジェクトの人員を補強することにした。社内会議で幹部を脅迫して、名指しで「チーム・チャイナ」を編成させてもらう。手が多ければいい、というわけじゃなく、短期間で冴えた内容にしないといけない、こういうときに「使える」人材というのは限られているが、そういう人材はたいてい、普段から忙しい。かといって、若いスタッフを教育してる余裕はないし。
打合せスペースの一角を臨時のプロジェクトルームに仕立てて、壁に図面や写真をびっしり貼って、伝達する項目を書き込んでいくことにした(さっそく「プロジェクト・ブック」の実地応用)。飲み込みが早くて要領の良い連中が集まったので、作業がガンガン進む。壁の図面の上に、スケッチしたトレース紙がどんどん重ね貼られていって、日めくりカレンダーみたいなことになっている。

火曜日。
工事が進んでいる、都内の集合住宅の外構のための、施主同行の植栽材料検査。造園用の樹木の圃場は都心からけっこう離れたところにあることが多く、しかもたいてい、それぞれ離れたいくつかの畑にまたがっているので、材料検査は1日仕事になる。今回は千葉の成田周辺。設計仕様に準じた材料を多めに選んで候補を集めておいてもらったので、これに「合否」をつけて歩く。
最初に訪れた圃場に、鮮やかな斑入りのユリノキの、高さ10mほどになったやつが何本も並んでいて、目を奪われた。そこは他にも、ニセアカシア・フリーシアとかネグンド・フラミンゴとかベニカエデ・サンセットとかコルナス何ちゃらとか、最近の園芸種がいくつも植わっていて、華やかなナーセリーだった。
里山系在来種寄りの人になんと言われようと、僕はこういう新樹種がけっこう好きだ。新奇なものを愛でるのは園芸の基本スピリットであって、植物と人間はそうやってお互いに選抜・共進化してきたのだ。がたがた言うやつは野性のイモとドングリでも食っていなさい。

外構といえば、先日のRLA集会で僕が思わず「外構」と言った言葉尻を捉えて、吉村さんが「外構というコトバはランドスケープがあくまで建築に隷属している意味がある、今後『外構』と言わないようにしよう」とおっしゃっていた。いや、心意気としてはいいんだけど。造園の係が「外構」に徹した方が、全体のランドスケープの質がよくなるプロジェクトだっていっぱいある。というか、むしろ外構の声が大きすぎて外しまくってる物件の「痛さ」のほうが、ダメージが大きいよな。「ランドスケープ」が、建築とか造園とか土木とか、業務としての工事範囲や設計スコープを超えたレベルで実現する(べき)ものだとすると、逆にそれは業態が気勢をあげることや、誰のクレジットが明記されるかなんてことに拘泥してる場合じゃないと思うんだが。

水曜日。
北京から、「中国東北部鑑賞樹木図譜」がDHLで届く。テキストはぜんぶ中国語だが、幸い、学名が記載されてる植栽図鑑なので、使える。全体にいかにも北方系で、日本の信州とか北海道とかの植栽に似てる。なんかこう、地味というか渋いラインアップである。並行して考えてる、ジャカルタの仕事の植栽の、目もくらむような派手な熱帯植物のオンパレードと見比べると、目眩がする。
人工的な植栽も含めて「植生」はその地域の様子をよく映し出す。むろん、そう「思う」のは僕がそういうトレーニングを受けているからであって、その土地の「地域性」を推す切り口はいくつもあるだろうし、何が優先的に正しいというわけではない。

木曜日。
メールで、瀋陽プロジェクトの基本デザインの承認が北京から届いた。プロジェクト室の壁ピンアップを一斉に取り替え、天津の図面を貼りまくる。
あろうことか、また別なテレビ番組の取材の打診の電話を頂いた(丁重にお断りした)。

金曜日。
都内の現場事務所で、施主と打合せ。会議が終わって職場へ戻ったら、現場の次長さんからすごい剣幕で電話がかかってきて、これはまた何かやらかしたっけ俺、と慌てて出たら、外構の工事業者の対応が悪すぎるので怒鳴りつけて、来週早々にそちらに電話して打合せに伺うように言ったので、石川さんからも叱ってください、という内容であった。うう、心臓に悪いじゃんか次長。。。
寺田さんに依頼されていた仕事が、結局できず。お詫びのメールを入れた。がっくり。

週末。
ここのところ、妻の仕事も忙しいので、休日は子守りモード。
裏庭には、妻が仕入れてきて、現場への発送を待っている草花の苗がずらっと並んでいて、まるで園芸店の軒先みたいなことになっている。でも机の上には、持って帰ってきたジャカルタの仕事が。

あと2日で晩春が終わり、いよいよ初夏がやってくる。

2005年5月25日

人孔十番勝負

以下、おおむねマンホール優勢。


対・自然石舗装歩径路:こりゃマンホールの負け。開ける時は激しいだろうなあ。(北京)


対・歩車道:引き分けっぽいが、歩道の高さに合わせちゃってるところが、歩道やや勝ち。(北京)


対・玉砂利埋め込み舗装:緊張感に満ちた引き分け。(北京)


対・歩道/芝生:マンホールの勝ち。(北京)


対・植栽工事前の芝生:すでにマンホールの勝ち。(北京)


対・芝生:斜面に合わせてるところでマンホールの判定負け。(北京)


対・植栽枡:植栽が途切れてる。圧倒的にマンホールの勝ち。(北京)


対・高木植栽帯:こりゃすごい。こんな風に丸く避けるほうがかえって難しいぞ。でも、円弧の壁が妙に奇麗に打ってある。。。(北京)


対・芝生:マンホールの勝ち。円弧部分の縁石が手作りなのが泣ける。(天津)


対・外周フェンス基礎壁:マンホールの勝ち。でもこれ、フタ開けても人が入れるんだろうか。非常に無理な姿勢になりそうな。そういう意味では、実は負けてると言えなくもない。(天津)


それとこの、手前の穴はなんだ?何をどう間違えたんだ。
あるいは同じ穴を反復させて意匠に見せようとしているとか(違うと思うが)。(天津)

2005年5月23日

はなまるマーケットじゃないぜ

日曜日。
早朝から、番組収録のため、渋谷のNHK放送センターへ。
さすがにというべきか、NHKのスタジオ収録は、タモリ倶楽部のロケの和気あいあいとした雰囲気とはぜんぜん違う。いささか緊張してしまった。僕の出る回では、僕の他にもう一人「おそるべき趣味人」が紹介されるのだが、その、マンホールの拓本を取って歩いている、広島市内の「全部」の道路(!)を走破した路上博物誌系達人が、ものすごい人であった。いや、これはぜひ放送を見て下さい。
とくに、Kick It Now !とか読書発電所方面の、マンホールにも目が行く皆様はぜひ。

6月19日(日曜日)、NHKのBS-2で、夜8時からの1時間番組。

熱中時間〜忙中”趣味”あり〜 ホームページ

(司会の薬丸君は、普通の時はなんか、つまんなそーな顔をしてるが、笑うと実にぱっと華やいだ表情になって、そのへんはさすが、プロのタレントだったな。司会もソツがないし)

美しき川の畔の野にて。

土曜日。
出張中に発生した仕事の対応のために朝から職場へ行き、卓上に「月曜に電話下さい」メモがいくつもあるのを見て萎える。会社のネットワークがダウンしていたため、作業をしてからまた自宅へ取って返してメールで送付。

妻が保育園の懇談会に出ている間、子供たちと一緒に1時間ほど昼寝をし、妻の帰宅と入れ替わりに自転車に息子を乗せて、野川公園で開催されている東京ピクニッククラブの第3回アニュアルピクニックへ急ぐ。

野川公園は、野川沿いの、もとゴルフ場だった場所で、ICUやアメリカンスクールに隣接していて、ちょっと日本離れした雰囲気の、第1級のグリーンフィールドである。難はアクセスが悪いことで、僕ら地元住民には嬉しいが、都心部から気軽にピクニックに来るにはちと遠い。

自然観察園の対岸、川の畔の芝生に大きなラグを敷いて陣取った東京ピクニッククラブは、それだけでもう、まさに絵に描いたみたいな美しい風景をなしていた。質の高いパストラルな空間の「気取った」使い道というのはいくらでもあるのだ、ということがあらためてよーくわかった。

地表系@中国大陸

早朝に自宅を発って、フライト時間と同じくらいの時間をかけて成田に辿り着き(どうにかならんもんか、これ。ほんとに)、中国東方航空で北京へ飛び、そのままクライアントの本社で打合せ。
慌ただしく食事を摂って、空港へ引き返して、なんとかいう国内便で瀋陽へ。ホテルに着いたのは夜中。
翌日敷地を見て、その後クライアントの瀋陽オフィスで食事を挟んで深夜まで打合せ。
翌朝、事例を慌ただしく見学してから飛行機で天津へ。敷地を見て、そのまま天津オフィスで夜までぶっ続けに打合せ。
翌日の早朝、車でハイウェイを飛ばして(むろん僕が運転したんじゃなくて、クライアントの会社のドライバーがついた)北京へ舞い戻り、本社で打合せ。
ぎりぎりの時間に空港へ戻り、最終便で成田へ。

時間の隙間ゼロの、仕事がみっちり詰まった出張であった。
それでも、様々、興味深いものごとを見聞きしたが、書き始めると長くなるので後日。

追記:

そういえば、天津では一度も「天津丼」を見なかった、と言ったら、同僚のホリくんが、それはナポリのどこを探してもスパゲッティ・ナポリタンなんかないのと同じ理由ですよと言った。インドに「インドカレー」がないのも、アメリカに「アメリカンコーヒー」がないのも、フランスに「フランスパン」がないのも同じような理由なんだろうなきっと。

2005年5月16日

「沈み行く東京」

土曜日。
NHKの取材にて、八雲台から深大寺東町あたりを回る。

結局、番組のためにオリジナル地上絵をひとつ、作ってしまった。今回は規模が小さいながら、道路の線形をうまく使って面白いものができた。自宅近くでこんなのを見つけたのはほとんど僥倖だった。それで、全周20km以下くらいが、それほど消耗もせず、楽しく回れる、ということがわかった。このくらいの大きさだと、線形が道路のカープやパターンに大きく規定されるので、よほどうまい箇所を見つけないと「絵」にならないのだが、それだけに、面白い下書きができたときの喜びは大きいのだった。
次は、来週早々に渋谷のNHKへ出向いて、スタジオで収録。


日曜日。
朝早く(週末にしては非常に早く)、RLA(登録ランドスケープアーキテクト)の集会に出席すべく、東大農学部へ。

プレイスメディアの吉村さんから、あろうことか、東京ナス化計画をネタにしてスライド上映して喋れ、というご依頼を頂いたのだった。例によって安請け合いし、あとになって不安になり、ほんとにいいんでしょーかと吉村さんにメールしたりして当日に臨んだ。

会場は立ち見が出るほどの盛況ぶり。プログラムには、「景観法とRLA」宮城俊作さん、「モノ創りの原点」日建の三谷康彦さん、「建築家がみるRLAの可能性」山下設計の水越英一郎さん(日経アーキでU35に選ばれてた人)、「愛・地球博とRLA」戸田芳樹さん、と、蒼々たる演目であった。僕がそれの一番目で、ハズしたらどうしよーかとか、蓑茂先生に、お前ちょっと来てここへ座れコラとか怒られたらどうしようかとか思ったんだけど、幸いにもいろんな人に面白かったと言って頂いて胸を撫で下ろす。やれやれ。なんだ、こんなんでいいのかよRLA。じゃなくて、ありがとうございました。僕の話はともかく、他の皆さんの講演が予想以上に面白かった。詳しく書いている暇がないので後日。

東大のキャンパスは、南北線の東大前駅があるため、アクセスが良くて非常に便利。駅の出口から出て正門へ向かう、本郷通りの歩道に、ガードレールに沿ってずらっと隙間なく一斗缶が並べられてビワみたいなものが植わっているんだけど、あれはいったい何だろう。何かの実験だろうか。不思議な光景だ。

お昼過ぎ、そのまま職場へ直行。短期決戦型のプロジェクトで、すでに午前中から出てきてくれていたK池くんとスタッフ2人、あとからサカイさんが合流して、5人掛かりで夜9時までかかって仕上げた。頼りになるK池チーム。しかし何だかくたびれて、よろよろと帰宅。


月曜日。
朝早く(週明けにしても早い時間)、造園学会の学術分科会に出席すべく、新宿へ。
木下先生企画の「“アーバニズム”とどう向き合うか? その3 都市化する河川とランドスケープのデザイン」で、話題提供のプレゼンテーションとディスカッションをやる。本会場から離れたところ(だって、東大がメイン会場なのに、今日の会場は新宿7丁目)なのに、以外に人が入って、これもそれなりに盛況だった。
何よりも辻野さんのお話がじつに、目から鱗の面白さだったんだけど、取り急ぎメモ:

・河川はつねに、少し以前の都市や社会の構造を映し出している。僕らが川に見るのはいつも「ちょっと昔」の風景であるわけだ。
・社会の要請を受け、河川法はすこしずつ「街と川との混じり合い」を用意しつつある。
・スーパー堤防は、その成立の引き金となったアイデアは「残土処分地」だった。しかし、その断面に見えるのは、河川の「地形への回帰」とでもいうべき、射程距離の長い「思想」である。スーパー堤防の構造が周囲の土地に要求する地盤と面積の量(レベルを上げなければいけないし、相当な面積の土地が必要になる)はつまり、「街が要求する川との関係を結ぶためには、川を囲む都市が物理的にこう変化しないと駄目だぜ」という「川から街への提案」なのだった。

僕のプレゼンの「挑発」は空回りした。。。もっと活発で危ない議論が喚起されるかと思ったのだが、なんだか理解のある聴衆で、どうもポジティブに受け取られたようだった。荒井先生によれば、同じ時間に生態系保護関係の分科会があったので、激昂系の聴衆はそっちへ流れていたんじゃないかと。まあでも、京都造形大の下村泰史さんとか、意外な方にお会いしたり、廊下ですれ違った三谷徹さんに昨日は面白かったと言ってもらったりし、ハッピーな気持ちで会場を後にした。

では北京へ行ってきます。ニーハオマー。

関連:スケッチ・オブ・ザ・デイ:Sinking Tokyo

2005年5月13日

建て売り住宅の憂鬱

日曜日、ピクニックのあと。
玉川上水のほとりへ、新築成った友人のお宅にお邪魔した。

友人が自ら設計したその家は、特に奇をてらったようなところもない、スッキリと大人しい一戸建てであって、それ自体にも好感が持てたのだが、なにしろ上水の緑道に接した立地が抜群だった。

南面、2階の大窓からは、ちょうど目の高さにケヤキとエノキとヤマザクラの樹冠が重なり、見下げるとアオキやヤブツバキやアズマネザサの藪越しに用水が流れている。友人が冗談で、用水端の樹木の隙間に好きな木を勝手に植えちゃおうかなどと言ってるのを聞いて、「テリトリアル・ガーデン」を思い出した。「参加」を促すには、せめてそれなりに誘うような水準でなければダメで、途方に暮れるような風景に囲まれていても「皮肉屋」を生むばっかりなんじゃないかと。

新居のお披露目を兼ねて、妻が庭のデザインの相談を承るという企画だったのだが、先月も同様なイベントがあって、別な知り合いの新居の建つ二子玉川へ行ってきた。いずれも僕らとまったく同世代の、子供のいる核家族だった。

借金を厭わず、場所にこだわらなければ、ウチもまあ「持ち家」は不可能ではない、かもしれない、などと思いつつ、新聞に挟まっている不動産広告チラシを眺めるに、調布近郊なら、ものによっては都心の狭いマンションよりも安いような値段で土地付きの一戸建てが手に入る、ようなのだけど、チラシに掲載されている、そういう「お手ごろ建て売り」の広告に描かれている「外観」には、いつも(全部とは言わないがほとんど)げんなりする。

下手に色気づいてるもののほうが神経に触る。最近は、外壁に割り肌やコバ積み風の擬石タイルをごてごてと貼りつける手法が普及したみたいで、そういう、ボリュームはどう見ても片屋根の細い木造なのに1階部分に基壇みたいに自然石ふうタイルが回って、上部は土色っぽい吹き付けに出窓がくっついてるような、ビクトリアンとスパニッシュコロニアルの継ぎ接ぎみたいな面妖な「意匠」が蔓延している。おおむね外構は木製トレリス入りのイギリス・コテージガーデン風である。なんかこう、作る側の(どこまで意識しているかはともかく)買い手を嘗めたような適当さを感じてしまう。

ここ数年、調布あたり(向山くんによると多摩川を越えた稲田堤あたりのほうが凄いらしいが)の、建て売りミニ開発による風景の変化はすさまじい。僕の住む深大寺の北の方ですら、鉄道の駅からもっとも遠い不便な地区なのに、農地が潰されて、建ってもせいぜい3軒くらいだろう敷地に私道がつっこまれて魔法のように6軒建ってしまった、みたいな小住宅地が、おぞましい意匠を纏って蔓延りつつある。もしかしたら、いまはちょうど農地解放プチ地主の第一世代が亡くなる時期だったりし、土地の相続が大量発生しているのかも知れない。

切実なのは、こういう、「批評フリー」というか、いわば建築の埒外にされている建物、少なくとも建築家が「建築」とは呼ばないだろう建物のほうが、量としては圧倒的で、ほとんど街の主成分になっていることなのだ。まるで道路か何かのように風景の地をなしていて、道路のように無視されている。それをわが町の風景として享受してるのは他ならぬ僕らである。いや、建物だけのせいじゃないとか言うのはやめてほしいな(あと、ついでに、設備ヤードを何とかうまく植栽で隠してね、というのもそろそろやめてほしいな。『建築がデザインしきれなかった部分の目隠し植栽については建築工事範囲』って特記仕様書に書いたろーか。って関係ないけど)。

誰か、この「埒外」を埒の中へ入れてくれないだろうか。本来の意味で「デザイン」が必要とされていて、しかも効果が大きいという、結構なフィールドだと思うんだけどな。毎年、才能もセンスもある、建築のトレーニングを積んで卒業してゆく結構な数の建築学科の学生さんたちは、どこへいっちゃうんだろう。

2005年5月12日

おまえが小さかった頃に

うなぎダイアリー、5月8日

空港へ飛行機を見せに連れて行ってやったらあまりに興奮して大喜びするので、思わず買い与えたプロペラ機の玩具を、布団にまで持ち込んで、両手に握ったまま眠っていたりする息子を眺めるに、こんなに楽しかった日を、こいつはどのくらい憶えているんだろうか、案外忘れちゃうんだろうな、などと思う一方、こんなに全身全霊ハッピーになるような無邪気な楽しみはもう、僕にはこの先ないんじゃないかなどと妙に年寄りじみた感慨に耽ったりもする。

もちろん幼児は幼児なりに日々の困難に当たりながら生きているわけではあって、間もなく1歳になろうとする妹が、最近、急速に表情が豊かになり、やたらと動きが出てきて、周囲のオトナたちの気を引くようになったことに危機感を覚えているのか、あるいは単に保育園のクラス替えによる環境の変化に不安なのか、あるいは最近、休日も自宅で忙しく仕事をしていたりする父親に不満なのか、あるいはいわゆる「魔の二歳」のシーズンなのか、あるいはそれらが重なって組合わさっているのか、いささか情緒不安定で、わざわざ叱られるようなことをやってみせたり、朝の登園時に、爪を切れとか自宅へ戻れとか時間稼ぎのような挙に出たり、ちょっとしたことで泣きわめいたりするようになった2歳8ヶ月の息子よ。

これからも更に悩みは増大する一方だろうし、成長するに従って様々なストレスも大きくなるだろうし、嫌なことや不幸なことは、楽しいことや美しいことと同じくらいの頻度と密度でおまえに降りかかってくるだろうが、願わくば、おまえの人生のあるとき、まったく無条件におまえを大事にし、おまえがいることが何にも代え難い喜びだった人たちに囲まれて愛されていた、ということが、おまえの生の励みになるように。

(でも差し当たって、おしっこは「先に」教えるように。)

2005年5月10日

中防は招く

日曜日。
息子と二人で、東京ピクニッククラブの「撮影ピクニック」に参加すべく、大田区の城南島海浜公園へ。

城南島海浜公園は、大井の埋め立て地の南東端にあり、テトラポット護岸と人工の砂浜と松林に挟まれた芝生の斜面のある、港湾局が管轄する海上公園である。時折巨大なコンテナ船が横切ってゆく海を挟んで、東には中央防波堤埋め立て地の赤茶けた斜面がエアーズロックみたいなシュールな姿で浮かび、北には港湾施設のクレーンや倉庫越しに湾岸沿いの高層ビル群のシルエットが浮かび、南の羽田空港の滑走路からはひっきりなしに離陸する旅客機が頭上をかすめて雲に消えてゆく。ピクニックサイトとしてはちょっと過激に素敵な、「ブラウンフィールド的味わいのあるグリーンフィールド」なのだった。飛行機の飛ぶ姿に息子は大興奮。

いつもながら、ラグを敷き、ピクニックセットを広げ、ワインやサラダやパンやチーズが並ぶと、とたんにそのへんの風景まで一変してしまう、「ピクニックの包囲力」を思い知った。缶ビール開けてバーベキューしてるのとはちょっと違うぜ、というスノビズムもまた、「都会の中の牧歌的空間に都会性を持ち込む」というピクニッククラブの逆説的悦びなのである。

「撮影」は、NHKの報道番組と、monoマガジンの取材だった。どこまでゆくのか東京ピクニッククラブ。

それにしても中央防波堤埋め立て地はじつに、「ピクニック処女地」として魅力的だった。行かねば。ピクニックに。都内最大のセイタカアワダチソウ群落があるというあの、ゴミと建設残土の島へ。

2005年5月 9日

ノゲシ、ノイヌ、ノウマ

土曜日。
午前中、庭仕事をし、午後は妻も僕も子供の相手をしながら図面を描いたり原稿を書いたりと、能率の悪い仕事に勤しむ。

場所を間違えて、まだ芽の出ていなかったホスタの株の「中」に植えてしまったラグラスは、そのあと出てきたホスタの葉と混じり合って、斑入りの広葉のネコジャラシみたいな妙なことになっていたが、そろそろ枯れてきた。狭い庭なのに、春先の「空いている」時季に、ついいろんなものを足してしまうため、春が過ぎるとウチの裏庭は園芸植物異種格闘技のごとき状態になる。白いクレマチスと、ツルバラ・カクテルが伸び放題のまま絡み合って同時に咲き始め、そこの一角だけ東急田園都市線沿線プチマダムガーデニング的な風景になっている。意図しない植物(雑草)のうち、「庭の仲間」へ昇格させたタケニグサとネジバナは、今年も生えてきてくれた。

デッキの足元にポピー(ナガミヒナゲシ、Papaver dubium L.)が咲いているのを見つけた。ウチの基準ではこれは雑草なので、引き抜く。以前、西日本でよく見かけたが、最近、東京でもこいつが増えてきて、晩春の路傍風景を変えつつある。なにしろすごい勢いだ。よっぽどうまいニッチに嵌ったんだろう。

最初にこれが帰化植物として認知されたのは東京の世田谷だそうである。それも50年近く昔。だから、雑草としての「歴史」はそれなりにあるわけだが、花の色は派手だし、姿がなんとなく偽物っぽいというか、「作った花」みたいな感じがして、いまだに(自然物として)見慣れない。雑草じゃなくて「花壇」に見えてしまうからかもしれない。なので、毎年この季節になると、道ばたが異様に見えて仕方がない。

こいつは国立環境研の「侵入植物データベース」にも記載されている。
http://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/detail/80080.html
現在の分布は「全国」。

ところで、このデータベースの「ほ乳類」のページには、ネコやイヌやウシやウマまで「侵入種」として載っている。すごいな。離島とかでウシが自活しているというのはありそうな気はしなくもないが、イヌやウマが野生化しているというのは驚きだ。ノイヌの分布は「全国」。ウマの分布は北海道。モンゴルみたいに、野生化したウマが集団で走り回っていたりするのか?北海道。ちょっとすごい光景だぞそれは。

2005年5月 7日

「マンションの外構」という造園タイプ

連休中。
家族四人で、焼津にある妻の母方の実家(妻の叔父の家)へ小旅行。
初めて新幹線に乗る息子は大興奮。

毎度のように、焼津で農家という叔父の家で、普段は味わえない、「素材のパワー」みなぎる食事を頂いて、ごろごろとのんびりし、重量オーバーになって帰ってきた。

金曜日。
あるデベロッパーの、住宅の外構造園の品質管理担当の方から、そのデベロッパーによる昨年度の竣工物件を実察して回る見学会にお誘い頂いていた。3日間かけて、全部で30件くらい回る予定のものだったのだが、僕は第2回分の1日だけ参加した。杉並区から始めて、大田区の雪が谷まで、マイクロバスで移動しながら、マンションの外構だけ見て回る。ちょっとした中規模の公園くらいの庭があるものから、立体駐車場を囲む緑地帯と生け垣だけの造園まで、規模も水準も様々だったが、こういう同じ「造園タイプ」を、いくつも一度に見る機会はあまりないので、なかなか勉強になった。いろんな意味で。

見学先のなかに、僕が設計を担当した物件がひとつ入っていた。住宅地の中に建つ、中庭のある中層の分譲マンションで、建築も嫌みな飾り気のない良い感じのデザインで、庭もそのノリで自分なりにうまく楽しく仕事ができたプロジェクトだった。マンションの外構は、引き渡し後の管理の質がほとんど「生死を分ける」くらいの違いを産むのだが、そこは非常にキレイに管理してくれていて(たぶん、手の行き届く規模だから、という事情もあるが)、植栽も感動的に期待通りの成長をしていて、ほっとした。

中庭をうろうろしつつ写真なんか撮っていたら、1階に住んでいる住民のご夫婦と行き会った。庭をたいへん気に入っている、植物の配置もよくできてる、とべた褒めして頂いた。。。

下手な「プロ」に「良くできてますね」などと言われるよりもよっぽど嬉しいな。うっふっふ。ただ、「こんな若い方がデザインされていたとは思わなかったです」とおっしゃった奥様、僕は見かけほど若くありません。というか、それってどういう意味だったんだ?

2005年5月 5日

パブリックスペースとしての、どうせろくな花壇じゃないんだろうが。

スケッチ・オブ・ザ・デイ:「パブリックガーデン、プライベートランドスケープ」に寄せて

ところで、公園だけが「公共空間」ぢゃない。オフィスビルや集合住宅のいわゆる「外構」は立派な公共空間だ。ホテルの庭園だって超(ちょー)公共空間だ。そして、これこそが「にわ」の系譜と言えるだろう。この点を見落としてきた、というか「所詮、民間の仕事だ」とかぬかして無視してきたことは、ランドスケープの近代史にとって大きな損失であったと思う。日本の公共空間は「にわ」の系譜において今一度見直すべきであると考えている。都営スタイルやパーソナルスケープの議論も、その意味で面白いのだ。

いやまったくそうなのだ。これは、今度木下さんらと着手したプロジェクトのひとつの目玉になりそうな題材なんだけど。

しかし、こうした、制度や管理や産業の論理による「区分け」を自明のもののように見てしまう硬直をすり抜けて(というか無視して)、そこにあるオープンスペースの質自体へ切り込んでゆくツールとして、「ピクニック」とか「キャナル」ってのはいい着眼だなあ。とつくづく思うのだった。

TWISTED COLUMN:名古屋がすごいことになっている。その1

ところで、白川公園にはダンボールハウスの村があったのですが、万博のために、すべて消えており、その代わりに花や緑を植えていた。外来種もあるようで、日本のホームレスを追いだすために、外来種の植物が使われるとはなんとも皮肉なランドスケープ。

ありそうな、やな話だ。

「外来種」についていえば、たぶん植栽のほとんどは外来種だろう。いや、よほど計画者に妙なこだわりがあって、「在来種」による緑化を行ったんだとしても、都市部で、緑化に用いられる植物が外来種であるかどうかは、もはやあまり意味をなさない(仮に、その場所に何も植栽せずに「裸地」として放っておいたとしても、生えてくるのはほぼ間違いなく外来種の雑草である)。

心に留めておくべきは、そこに「美観」を供する「花壇」が設えられたというところである。かつて、代々木公園の「リトル・テヘラン」が排除されたときも、まったく同じ手法が用いられた。造園が非常にしばしば、こうした行いを「政治的に正しいもの」にし、抵抗や反論を封じるために召還され用いられるということを、ラ系はよーく自覚しておく必要がある。よーく。

2005年5月 1日

A River Runs Through It

金曜日。
祖母の98歳の誕生日を祝うため、子、孫、曾孫が調布に集合。幼児まで数えると45人になり(これでも出席率70%くらいなのだが)、祖母と僕の両親が同居している家に収まらなくなったため、地区の集会施設を借りた。僕の親戚、特に父方の親戚のほとんどは、熱心で真面目なクリスチャンだった祖父母(祖父は7年前に亡くなった)の信仰を受け継いでいるため、こうした集まりは、まるでキリスト教会の集会みたいな趣になる。今回も、誕生会は祈祷と聖書の朗読に始まり、暮れてゆく野川沿いの地区センターに賛美歌が響き渡った。

土曜日。
午前中、赤坂で、寺田真理子さんらと打合せ。ある企画のためのプロポーザル参加の打診を頂いた。キュレーターという「目利き」に買って頂いているというのは嬉しいが、企画の内容があまり僕向きではないような気もした。のだが、例のごとく、とりあえずお引き受けすることに。そろそろ許容量を超えつつあるような予感(かなり強い予感)。作業の量と時間もさることながら、考えることが多すぎるかも。さし当たって造園学会を突破せねば。

昼過ぎ、急ぎ調布へ帰って、長女の10ヶ月健診に向かう妻と駅前で待ち合わせ、長男を受け取る。せっかくなので、長男を自転車に乗せ、以前から気になっていた、「入間川の始まり」を見に行くことにした。深大寺東町に「微谷間地形」の住宅地を見つけ、上流へ向かった。東八道路のあたりでそれらしい窪地の名残りがあったものの、流れは暗渠化されていて、周囲は完全に宅地化された、湧き水も何もない「源流」だった。

日曜日。
午前中、庭の「待合いコーナー」に置いていたメギのオーレアと斑入りヤマブキを地植えしたりし、昼過ぎ、土曜日の勢いを駆って、ママチャリのタイヤに空気を入れ、GPSをリセットして息子を背負って、仙川の源流を目指して北へ。

調布の台地上には、地形図で判別できるくらいの谷を穿っている「川」が二つあって、それが入間川と仙川である。どちらも、「川の始まり」を示す窪地は見て取れるものの、少なくとも地図上では、井の頭池や善福寺池のような、「あからさまな源流」が見えない。どんなふうに川がスタートしているのか、見てみたかったのだ。

仙川の上流は、一部を除いてはあまり暗渠化こそされていなかったが、予想通り、住宅地の中を通る「でっかいU字溝」であった。ただ、ラ系のメディアで度々紹介されていた、公団桜堤団地の親水公園は、何だかんだ言って結構良くできていた。息子を「ビオトープ」の周りで遊ばせながら、造園学会向けのネタ(多少強引な解釈だが、まあツカミとしては使えそうな)を思いついた。

2時間半のサイクリングで、小金井市貫井北町、新小金井街道の脇に「仙川の始まり」があるのを見つけた。道路の下から出てくるコルゲート管だった。。。

帰路は、GPSMap60CSに「ナビ」をさせてみた。わりと使える、当を得たコースを選ぶことがわかった。ただ、子供が眠ったため、重くなって難儀した。眠ると急に重くなるのはなぜだ。息子よ。