2005年4月26日

ウルバニア・インコグニタ。

赤坂の書店で、吉見俊哉・若林幹夫「東京スタディーズ」(紀伊国屋書店、2005)を買い、ついでに建築のコーナーに回って、発売中の10+1を手に取ってみる。特集「建築と書物」。「書物」である。目次に並ぶ執筆者も魅力的。というわけで2冊抱えてレジへ。地下鉄に乗って、まずは10+1を開いてみた。

ら、冒頭からいきなり、すんげー文章にあたってしまった。田中純「自然の無関心」。
これはたいへんだ。あまりのことに、乗換駅を乗り過ごすところだった。アセテート編集者日記で中谷さんが書いておられたのはこれか。遅い>自分。

ラ系の諸姉諸兄は必読。読んだら、次に自分の設計した物件の「設計主旨」を再チェックし、もし「自然」という言葉が紛れ込んでいたら、その意味についてよーく考えるように(←ってそれは俺だ)。

12年前、初めてアメリカ大陸の上を飛行機で飛んだとき、目が覚めてふと窓から下を見ると、人気の感じられない砂漠と岩山を、河が蛇行しながら削り取っている「荒野」が延々と続いているのを見て(たぶん、カリフォルニアかネバダの上空だったんだと思う)寂しいような恐ろしいような、なんかこう、自分の「取るに足らなさ」を急に感じて鳥肌が立ったときのことや、仕事でニューギニアの熱帯雨林に足を踏み入れたとき、鬱蒼とした木々の遥か頭上、樹冠が茂るあたりを、鳥や小動物が鳴き声上げながら通過してゆくのが聞こえ、森の栄養も知恵もアクティビティも、ぜんぶ地上50mの層にあって、一方で自分は長靴を履いて、ヘビやクモやその他の毒をもった頭の悪い連中のいるレイヤーをうろついている、「仲間はずれ」だ、と思ったときのことを思い出した。

きっと「自然」とは、人間の精神に対して徹底的に無関心を装うものたちに、僕たちの先人が、最後にどうしようもない気持ちになって与えた言葉なのだ。(文中より孫引き)

写真家の福田則行さんが、まったく同じことを言っていた。福田さんは、厳冬期、据えたカメラのシャッターを開けっ放しにして向かい合う化学プラントの「ものすごい」風景を「自然としか言いようのないもの」と呼んだ。

去年の造園学会で、土木家の関文夫さんが、高速道路の造成で露出した「一億年前の岩盤」に対して、造園は相変わらず「緑化のための樹木の種類」を考えたりしてる、という失望を語ったことがある。僕は咄嗟に、そもそも一億年の岩盤を露出させるような、無理な造成はやめてくださいと混ぜっ返してしまった。だって、一億年に向き合う「デザイン」なんて、それこそ途方に暮れる。

そういえば、小松左京が何かの小説の中で、石灰岩で都市を作っている人間と、石灰質の共同骨格を作っている珊瑚虫と、やってることは同じだ、という意味のことを書いていて、高校のとき、それを読んでからしばらく、都会のビル群が珊瑚礁に見えて仕方なかった。

僕らは迂闊に「自己生成」とか言うけれど、田中氏のいう「地質学的な時間」に属している、都市の自己生成(に見る自然)は、校庭の片隅に作ったビオトープにトンボが発生するような可愛らしい自己生成と比べると、あんまりな規模と縮尺である。

こうも思ったりする。最も身近な、僕への「無関心」は、僕の身体である。僕の意図は髪の毛一本にも通じないし、毛も爪も肌も内蔵も、誰も僕に「無関心」だ。下手をすると小石を蹴るまでもなく、鏡に映っている「見知らぬ身体」に唖然としてしまう。都市を作っているのは僕らの営みであったはずなのに、実は僕らに無関心な身体が、無関心なやりかたで、無関心な都市を粛々と作っている、んだったりして。

トラックバックURL

このエントリーのトラックバックURL:
http://fieldsmith.net/mt/mt-tb.cgi/344

コメント

石川さん
日記御紹介ありがとうございました。田中さんの文章今回のは苦労されたようですが内容は素晴らしいですね。
お久しぶりです、というのも相談なんですが、最近石川さんのブログの更新がはてなアンテナに反映されません。新しいURLで再登録したんですけどね。なんでだろう。はてなで聞いてみようかな。同じような方がいらっしゃったら解決法をご教示くださいませ。

田中さんの文章素晴らしいです。読んでから駒場へ出かけるべきでした。また単行本になるのかな。楽しみです。

はてなアンテナ、僕も同様な事態に悩んだことがあります。あれ、URL変えるだけじゃうまくいかないみたいです。一旦削除して、また新しいURLであらたに登録し直すしか。

はてな直りました。ありがとうございました。子供に限らず人が寝ると急に重くなるのは、なんででしょうねえ。怖いなあ。「天使の部分」が不在になるからではないですか。羽で浮いている力がその時は閉じるのでしょう。なーんていってもみんな返答に困るな。すいません。

そーかあれ、天使不在の身体の重みなんだ。。。

でも、最近、とみに、悪魔的2歳の男の子っぽくなりつつある息子は、むしろ眠っているときに実に「天使」に見えるんだけどなあ。エンジェル擬態なのかなあ。あれ。

コメントする

(初めてのコメントの時は、コメントが表示されるためにこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまでコメントは表示されませんのでしばらくお待ちください)